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琴祭の奇跡
38 雪晴の歯噛み
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「琴祭で奇跡を起こさなくては、水奈に危険がおよぶんだな?」
その一言で、水奈はピンと来た。
(殿下は予想なさっていたんだ。私が神殿に行けば、神官様たちがお怒りになると)
予想を確信に変えるため、雪晴はタカに鎌をかけたらしい。
彼の言い方から察するに、以前から神官たちの反応を気にかけていたようだ。
水奈は、雪晴の腕の中でうつむいた。自分が恥ずかしかった。
そのことを水奈が考え始めたのは、ついさっき。タカから「神殿で論争が起きている」と聞いてからだ。
鱗を持つ人間に、神官たちは拒絶反応を示す──きちんと考えればわかることだった。
そんな彼らは、水奈たちに何をしてくるか。嘲笑や罵声だけで済むはずがない。
雪晴よりも先に、自分が危惧すべきだったのに。
琴を弾ける嬉しさのあまり、気が緩んでいた。
水奈は、気まずさから両手を揉み合わせながら、タカの様子をうかがった。
雪晴の問いにたじろいでいた彼女は、もういつもの笑みを浮かべている。
「危険とは? 何が危険だとおっしゃるのです?」
タカは、平坦な声で聞き返した。雪晴の眉間に怒りがにじむ。
「しらばっくれるな。神官は、銀龍を崇めているだろう?」
「左様でございますね」
「その反動で、彼らは鱗を激しく忌み嫌っている。そんな者たちがいるところへ、水奈を連れて行くのは不安だったが……やはり危険があるんだな?」
タカは何も言わない。口元は笑っているが、目が笑っていない。
沈黙が降りる。雪晴は、黙ったままタカを睨んでいたが、ふいにハッと息を吸い込んだ。
「まさか……水奈に鱗があると、もう神殿にばれているのか? それなら、水奈を消そうと企む神官もいるんじゃないのか?」
「殿下、それは考えすぎですよ。私も神官ですが、鱗があるからといって水奈を虐げませんでしょう?」
「たしかに……不思議に思っていたが。それは、タカが特殊なだけであって」
「特殊ですって? 私を変人呼ばわりなさるのですか? まったく、十年前はあんなにかしこまっていらしたのに嘆かわしい。今や、遠慮も何も──」
「話をそらすなっ‼︎」
雪晴が怒声を放った。
狭い室内に満ちる空気が、稲妻が走るように震える。
タカも水奈も、雪晴も口をつぐんだ。
障子がカタカタと風に揺れる音だけ、聞こえている。
静けさの中、雪晴は硬い声でまた話し始めた。
「タカ、教えてくれ。水奈に鱗があることを、神官たちはもう知っているんだな?」
「……はい」
問われたタカは、諦めたように息をついてうなずいた。
「そうか……当日まで隠し通せれば、何とか押し切れるかと思っていたんだが」
雪晴の口から、ギリ、と歯のきしむ音がする。
「おおかた、湖宇兄上が言いふらしたんだろう」
「よくおわかりで」
タカは肩をすくめた。彼女の顔にはもう、動揺はない。腹を据えたらしく、まっすぐに雪晴を見ている。
対して、今度は雪晴の顔に焦りが浮かんだ。水奈の肩を抱く手に、ぐっと力がこもる。
「……どうすればいいんだ。水奈が琴祭を欠席すれば、兄上に処罰されてしまうし……くそっ!」
珍しく声を荒らげた雪晴は、次にかすれた声で、
「もっと神託を視ることができたら」
と、呟いた。それを聞いて水奈は迷った。
(私が祈れば、殿下は神託をご覧になれる。でも、そうしたら殿下のお目が痛む。殿下を苦しめてしまう……)
雪晴には、軽々しく神託を視せられない。しかし、不安がらせたくもない。
水奈は、できるだけ明るく雪晴に話しかけた。
「殿下、私は大丈夫です。『楽沙木 水音』の名を出せば、神官様たちは私たちの演奏を妨害なさらないはずです。タカ様がおっしゃっていたでしょう?」
「だが!」
怒鳴り声を上げた雪晴は、しかし急に激しさを消して、重たげにうつむいた。
それからまた顔を上げると、今度は穏やかな声で水奈に言った。
「いや……そうだな、水奈の言う通りだ。すまない、考えすぎていた」
そう言って微笑む雪晴は、水奈の髪を優しくなでながら続けた。
「水奈が愛らしいものだから、つい心配しすぎてしまったよ」
「あ、あの、そんな、あの……」
水奈は意味もなく手を上げ下げして、雪晴からどうやって離れようかと一生懸命に考えた。
タカが不自然なほど横を向き、プルプルと肩を振るわせているのに気付いたからだ。
恥ずかしくて仕方がない。穴に入るか、いっそ雪に埋まってしまいたい。
そう思いながらも、同時に違和感を覚えていた。
(あんなに必死になっておられたのに、あっさり『水奈の言う通りだ』と引いてくださるなんて。本当に納得されたのかしら)
水奈は肩を抱かれたまま、雪晴の表情をうかがった。
しかし、今は提灯の灯りだけが頼りだ。
雪晴の顔の半分は、黒い影に塗りつぶされている。心を読み取ることはできそうにない。
そうしていると、タカがふいに立ち上がった。
「さて、話もひと段落しましたので。そろそろ琴を清めましょう」
彼女は、風呂敷包みから小さな紙片を取り出した。それを、水奈が昼間に用意した鉄鉢に乗せ、提灯の火を移す。
紙片から、紫色の煙が立ち昇る。タカは壁に近付き、立てかけられた琴へ煙を当てた。
水奈は、タカの様子を眺めつつ、雪晴の方にも視線を投げてみた。やはり、彼の思いはわからない。
この時、雪晴が何を考えていたのか。
水奈が察したのは、翌日のことだった。
その一言で、水奈はピンと来た。
(殿下は予想なさっていたんだ。私が神殿に行けば、神官様たちがお怒りになると)
予想を確信に変えるため、雪晴はタカに鎌をかけたらしい。
彼の言い方から察するに、以前から神官たちの反応を気にかけていたようだ。
水奈は、雪晴の腕の中でうつむいた。自分が恥ずかしかった。
そのことを水奈が考え始めたのは、ついさっき。タカから「神殿で論争が起きている」と聞いてからだ。
鱗を持つ人間に、神官たちは拒絶反応を示す──きちんと考えればわかることだった。
そんな彼らは、水奈たちに何をしてくるか。嘲笑や罵声だけで済むはずがない。
雪晴よりも先に、自分が危惧すべきだったのに。
琴を弾ける嬉しさのあまり、気が緩んでいた。
水奈は、気まずさから両手を揉み合わせながら、タカの様子をうかがった。
雪晴の問いにたじろいでいた彼女は、もういつもの笑みを浮かべている。
「危険とは? 何が危険だとおっしゃるのです?」
タカは、平坦な声で聞き返した。雪晴の眉間に怒りがにじむ。
「しらばっくれるな。神官は、銀龍を崇めているだろう?」
「左様でございますね」
「その反動で、彼らは鱗を激しく忌み嫌っている。そんな者たちがいるところへ、水奈を連れて行くのは不安だったが……やはり危険があるんだな?」
タカは何も言わない。口元は笑っているが、目が笑っていない。
沈黙が降りる。雪晴は、黙ったままタカを睨んでいたが、ふいにハッと息を吸い込んだ。
「まさか……水奈に鱗があると、もう神殿にばれているのか? それなら、水奈を消そうと企む神官もいるんじゃないのか?」
「殿下、それは考えすぎですよ。私も神官ですが、鱗があるからといって水奈を虐げませんでしょう?」
「たしかに……不思議に思っていたが。それは、タカが特殊なだけであって」
「特殊ですって? 私を変人呼ばわりなさるのですか? まったく、十年前はあんなにかしこまっていらしたのに嘆かわしい。今や、遠慮も何も──」
「話をそらすなっ‼︎」
雪晴が怒声を放った。
狭い室内に満ちる空気が、稲妻が走るように震える。
タカも水奈も、雪晴も口をつぐんだ。
障子がカタカタと風に揺れる音だけ、聞こえている。
静けさの中、雪晴は硬い声でまた話し始めた。
「タカ、教えてくれ。水奈に鱗があることを、神官たちはもう知っているんだな?」
「……はい」
問われたタカは、諦めたように息をついてうなずいた。
「そうか……当日まで隠し通せれば、何とか押し切れるかと思っていたんだが」
雪晴の口から、ギリ、と歯のきしむ音がする。
「おおかた、湖宇兄上が言いふらしたんだろう」
「よくおわかりで」
タカは肩をすくめた。彼女の顔にはもう、動揺はない。腹を据えたらしく、まっすぐに雪晴を見ている。
対して、今度は雪晴の顔に焦りが浮かんだ。水奈の肩を抱く手に、ぐっと力がこもる。
「……どうすればいいんだ。水奈が琴祭を欠席すれば、兄上に処罰されてしまうし……くそっ!」
珍しく声を荒らげた雪晴は、次にかすれた声で、
「もっと神託を視ることができたら」
と、呟いた。それを聞いて水奈は迷った。
(私が祈れば、殿下は神託をご覧になれる。でも、そうしたら殿下のお目が痛む。殿下を苦しめてしまう……)
雪晴には、軽々しく神託を視せられない。しかし、不安がらせたくもない。
水奈は、できるだけ明るく雪晴に話しかけた。
「殿下、私は大丈夫です。『楽沙木 水音』の名を出せば、神官様たちは私たちの演奏を妨害なさらないはずです。タカ様がおっしゃっていたでしょう?」
「だが!」
怒鳴り声を上げた雪晴は、しかし急に激しさを消して、重たげにうつむいた。
それからまた顔を上げると、今度は穏やかな声で水奈に言った。
「いや……そうだな、水奈の言う通りだ。すまない、考えすぎていた」
そう言って微笑む雪晴は、水奈の髪を優しくなでながら続けた。
「水奈が愛らしいものだから、つい心配しすぎてしまったよ」
「あ、あの、そんな、あの……」
水奈は意味もなく手を上げ下げして、雪晴からどうやって離れようかと一生懸命に考えた。
タカが不自然なほど横を向き、プルプルと肩を振るわせているのに気付いたからだ。
恥ずかしくて仕方がない。穴に入るか、いっそ雪に埋まってしまいたい。
そう思いながらも、同時に違和感を覚えていた。
(あんなに必死になっておられたのに、あっさり『水奈の言う通りだ』と引いてくださるなんて。本当に納得されたのかしら)
水奈は肩を抱かれたまま、雪晴の表情をうかがった。
しかし、今は提灯の灯りだけが頼りだ。
雪晴の顔の半分は、黒い影に塗りつぶされている。心を読み取ることはできそうにない。
そうしていると、タカがふいに立ち上がった。
「さて、話もひと段落しましたので。そろそろ琴を清めましょう」
彼女は、風呂敷包みから小さな紙片を取り出した。それを、水奈が昼間に用意した鉄鉢に乗せ、提灯の火を移す。
紙片から、紫色の煙が立ち昇る。タカは壁に近付き、立てかけられた琴へ煙を当てた。
水奈は、タカの様子を眺めつつ、雪晴の方にも視線を投げてみた。やはり、彼の思いはわからない。
この時、雪晴が何を考えていたのか。
水奈が察したのは、翌日のことだった。
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