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琴祭の奇跡

37 母の比類なき功績

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 銀龍国の南方を、代々治めてきた楽沙木らくさぎ家。その血を継ぐ者として、水音は生まれた。
 彼女の琴の腕は、幼い頃から突出していた。

 どんな難曲も、一度聞いただけですぐ弾きこなした。
 さらに音色の美しいこと。水音が琴を弾くと、鳥が集まり、澄んだ声で鳴き交わした。
 その腕を買われ、王城の宴席で演奏したこともある。

 そしてついに、水音は弱冠十三にして、琴祭の終曲奏者に選ばれた。
 以降も毎年、終曲奏者として選出され続けた。その回数は、史上最多の五回。

 神官たちは、こぞって水音を称えた。
 琴を好む銀龍は、彼女を寵愛するに違いないと。

 嘘のような話が、次から次へと語られていく。水奈は言葉を失い、ただ目を丸くしていた。

(母様が、そんなにすごい人だったなんて……)

 水奈は、母の琴が好きだった。秘境に湧く泉のような、清らかな音色が好きだった。
 その音を聞いていると、体が透き通っていくような心地になれた。

 しかし、思いもしていなかった。母が、それほどまでの実力者だったとは。

「では、水奈の琴の腕は、母君譲りなのか」

 雪晴が感嘆のため息を漏らす。
 タカも同じような調子で、「そうなのでしょうね」と言った。

「貴族たちに明かしたいところですが……少なくとも、琴祭が終わるまでは秘密にしないと」

「そうだな。そんなにすごい奏者の娘だとばれたら、湖宇兄上が水奈に危害を加えるかもしれない。琴を弾けなくさせるためにね。それに……」

 雪晴は、痛ましげに眉をひそめた。

「水奈が生きていると楽沙木の当主が知れば、また水奈を狙うかもしれないしな」

「! お祖父様が……?」

 水奈は、思わず胸に手を当てた。
 そんな水奈の背中を、雪晴は安心させるようになでてくる。タカも、水奈に向かって微笑んだ。

「大丈夫ですよ。琴祭に参列する貴族は、王城に仕える者だけ。『水奈は水音殿の娘だ』と明かさなければ、楽沙木家に伝わることもないでしょう」

「そうですか……」

「演奏があまりにも素晴らしければ、水奈の噂くらいは伝わるかもしれませんが。それ程の奏者なら、神官総出で保護しますよ」

 そう言ったタカは、うっとりと水奈を見つめてきた。

「本当に、そうなるかもしれませんね。琴祭が楽しみだこと。早く聞きたいわ……水音殿の手ほどきを受けたあなたの、琴の音色を」

「そ、そんなに大したものでは……私の琴など、母には遠くおよびません」

 キラキラと輝く視線を向けられて、水奈は居たたまれなくなった。

 母は、日に一度は水奈の演奏を褒めてくれた。しかし、「ここの弾き方はもっとこうした方がいい」と指導することも多かった。

 病を得たあとの母は、より厳しさを増した。
 死期を悟っていたのだろう。できる限りの技術を水奈に伝えようとしていた。

 最後の数日に至っては、褒め言葉を一つも口にしなかった。

 だから水奈にとって、自身の演奏は欠点だらけ。雪晴の賞賛も、社交辞令としか思えない。

(私の琴は下手じゃない……と思う。でも、母様にはおよばない。神官様たちは、私の演奏をどう思われるかしら)

 彼らは、期待をふくらませるに違いない。水音の娘の演奏は、どれ程のものかと。
 
 期待の大きさによっては、水奈の演奏後、神官たちは疑念を持つかもしれない。「本当に水奈は、あの水音の娘なのか?」と。
 疑念は水奈への怒りに変わり、牙となるだろう。

 では、神官たちに期待させなければいいのか。楽沙木 水音の娘であることを隠すべきか。

(……ううん、その方がもっと危険だわ)

 神殿には、水奈の命を狙う者がいるようだ。
 悪意をくじくためには、こう思ってもらわなくては。

『楽沙木 水音は銀龍に愛されている。その娘もまたしかり。手を出せば罰がくだるだろう』

 しかし、そうするとまた過剰に期待されてしまう──水奈は、堂々めぐりに陥ってしまった。

 眉を寄せる水奈に対して、タカは楽しげに微笑んだ。

「水奈なら、もう一度あの奇跡を起こせるかもしれませんよ」

 現実味のない言葉が聞こえて、水奈の堂々めぐりがピタッと止まる。

「奇跡? 『もう一度』ということは、母は奇跡を起こしたのですか?」

 口にすると、母がおとぎ話の主人公になったような、奇妙な感じがした。
 タカは目を輝かせて、「そうです」と答えた。

「あれは、水音殿が最後に琴祭へ参加された時でした。琴祭をおこなう広間には、何本もの水路がありますが、水音殿が琴を弾くと、水路を通る水が銀色に輝いたのです」

 輝く水は生き物のようにうねり、龍の形になって、水音の周囲を泳いだという。

「それはすごいな」

 雪晴が驚きの声を漏らした。

「たしかに、奇跡としか言いようがない」

「でしょう? あれは新年のお祝いとして、銀龍様がお力を見せてくださったに違いありません。水音殿の琴を、よほどお気に召されたのでしょうね」

「では、銀龍様は水音殿本人も気に入っておられたのかな」

「ええ、きっと。ですから銀龍様は、水音殿の娘御──水奈のためにもお力を見せてくださると思うのです」

「いえ、そんな!」

 水奈はぶんぶんと首を振った。

「私の琴では、とても奇跡なんて……」

「謙遜しないでください。雪晴殿下にうかがいましたよ。『水奈の演奏は素晴らしい、身震いするほど感動した』と」

 恐縮して肩を丸める水奈へ、タカは、金銀財宝を前にしたかのような笑顔を向けた。

「あなたなら奇跡を起こせます。そうすれば、たとえ鱗があろうと、貴族も神官も文句を言えません」

「なるほど。では、何が何でも奇跡を起こさなくてはならないね。水奈の安全のために」

「ええ、そうで──」

 そこでタカは、しまったと言うように口をつぐんだ。
 彼女の目が少しずつ動き、様子をうかがうように雪晴を見る。

(何? どうしたの?)

 タカはなぜ黙ったのか。
 それを知りたくて、水奈は隣にいる雪晴を見上げようとした。

 しかし、雪晴の顔が視界へ入る前に、彼は水奈の肩を抱き、自分の胸元へ引き寄せた。

「殿下⁉︎」

 水奈は驚いて叫んだ。
 タカの前では恥ずかしい、やめてほしい。そんな意味を込めて、雪晴の胸を軽く押した。
 
 しかし雪晴は、肩を抱く手の力をさらに強め、

「やっぱりそうか」

 と、低い声で呟いた。
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