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琴祭の奇跡
36 問題発生、されど②
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「えっ……ほ、本当に?」
水奈は、信じられない気持ちでタカの背中を見つめた。
「ええ。ですが、その前に確かめたいのです。私の知る水音殿が、あなたの母君なのか」
やはり、タカは母を知っているのか──水奈の背筋を、火花のようなものが駆け上がる。
と、同時にタカが尋ねてきた。
「水奈、教えてください。あなたの母君は、生きておられれば三十代後半でいらっしゃいますか?」
「えっと……そのくらいだと思います」
「背格好は、あなたより少し高いくらい?」
「そう、だったはずです」
「いつもニコニコしておられましたか?」
「ええ、まあ。小さい頃はたまに怒られましたが……」
矢継ぎ早に問われて、水奈は質問を挟むこともできない。
「お住まいは滝のそばに?」
「ええと……はい、母屋の裏に滝がありました」
「では、もしかして本当に……」
タカは大きく息を吸い込み、重大な真実を問うように言った。
「水奈、これが最後です。母君は、琴が、お上手でしたか」
「はい、とても」
答えは、するりと口から出てきた。それだけは自信を持って即答できる。
母が奏でる琴の音は、消えゆく響きの終わりまで、名刀のごとく研ぎ澄まされていた。
「そうでしたか……それでは、やはりあなたの母君は、あの水音殿で間違いないようです。あなたが終曲の奏者だなんて、運命というのは不思議なものね……」
そこで、タカの質問攻めは途切れた。
二人の間に沈黙が降りる。
水奈は気になることだらけだったが、何も尋ねられなかった。
タカの呟きが、ひどく郷愁を帯びていたからだ。
ずっと前を向いていたタカは、ふと水奈を振り返った。
提灯に照らされたその顔は、やけに嬉しそうだ。
「水奈、大丈夫です。神官たちはあなたに手出しできない。何しろあなたは、あの水音殿の娘ですもの」
「! 私の母は、神殿では有名なのですか?」
「有名なんてものじゃありません。水音殿は、もはや神殿の伝説ですよ」
「伝説……⁉︎」
「後ほどお話しましょう。もう雪晴殿下のお屋敷です」
言われて、水奈はあたりを見回した。
自分たちを取り囲んでいた裸の木々が、いつの間にかなくなっている。
「そこに沼があります。足元に気をつけてください」
タカが前方を手で示す。
黒々とした地面に、提灯の光が映っている。
その光はゆらゆらと揺蕩っている。
あそこが沼らしい。
水奈は好奇心に胸をうずかせながら、タカのうしろを歩いた。
うっかり沼に落ちないよう、タカにぴったりとついて行く。二人はほとんど同時に裏口から屋敷へ入り──。
「ひゃあ!」
「きゃあっ!」
と、綺麗に揃って叫んだ。
土間を上がってすぐのところに、雪晴が立っていたからだ。
「ごめん、ごめん。驚かせるつもりじゃなかったんだけど」
雪晴は笑いをこらえながら言った。
タカは、提灯が揺れるほど手を振り、険しい声で応じた。
「謝るなら笑わないでください。そもそも、どうしてこんなところにいらっしゃるんです?」
「タカの話が気になって仕方なかったんだよ。水奈もそうだろ?」
「は、はい、早く聞きたいです。早くお部屋に行きましょう、早く」
早く早くと急かす水奈がおかしかったのか、雪晴とタカが吹き出した。
「だって、タカ様が気になる言い方をなさるんですもの……」
水奈は恥ずかしさに肩を丸めて、ボソボソと言った。
タカは口元を抑えて、「たしかにそうですね」と笑った。
「中途半端な説明をしてしまって、ごめんなさい。さっそく話をしましょうか。殿下のお部屋へ行きましょう、早く」
手招きするタカのあとに、肩を震わせる雪晴が続く。その後ろを、ますます肩を縮こめた水奈が追い、三人は雪晴の部屋へと向かった。
中に入ると、タカは提灯を隅に置き、部屋の中央を示した。
「殿下、水奈。ここへお座りください」
水奈は雪晴の手を引き、二人並んで座った。
その正面に、タカが正座をする。
隙間風に揺れる提灯の火に照らされて、タカは口を開いた。
「それでは……まず、水音殿のお話をいたしましょう」
「はい、ぜひ」
水奈が身を乗り出すと、タカは微笑み、
「水音殿には、琴祭で何度かお会いしたことがございます」
と、言った。
「えっ!」
水奈と雪晴が、同時に声を上げる。
「タカ様は、母のお知り合いだったのですか?」
「いえ、私が一方的に知っていただけです」
「そうですか……」
それならタカは、母のことはあまり詳しくないのでは。
父の話も聞けそうにない。何せ、ツグミが「侍女の私が、お嬢様の逢瀬に気付かなかったなんて」と嘆いていたのだから。
水奈はひそかに落胆したが、それはすぐにどこかへ吹き飛ぶことになる。
「今から、およそ二十年前。水音殿の名を知らぬ者は、神殿にはいませんでした」
そんなふうに始まったタカの話は、水奈の想像をはるかに超えていた。
水奈は、信じられない気持ちでタカの背中を見つめた。
「ええ。ですが、その前に確かめたいのです。私の知る水音殿が、あなたの母君なのか」
やはり、タカは母を知っているのか──水奈の背筋を、火花のようなものが駆け上がる。
と、同時にタカが尋ねてきた。
「水奈、教えてください。あなたの母君は、生きておられれば三十代後半でいらっしゃいますか?」
「えっと……そのくらいだと思います」
「背格好は、あなたより少し高いくらい?」
「そう、だったはずです」
「いつもニコニコしておられましたか?」
「ええ、まあ。小さい頃はたまに怒られましたが……」
矢継ぎ早に問われて、水奈は質問を挟むこともできない。
「お住まいは滝のそばに?」
「ええと……はい、母屋の裏に滝がありました」
「では、もしかして本当に……」
タカは大きく息を吸い込み、重大な真実を問うように言った。
「水奈、これが最後です。母君は、琴が、お上手でしたか」
「はい、とても」
答えは、するりと口から出てきた。それだけは自信を持って即答できる。
母が奏でる琴の音は、消えゆく響きの終わりまで、名刀のごとく研ぎ澄まされていた。
「そうでしたか……それでは、やはりあなたの母君は、あの水音殿で間違いないようです。あなたが終曲の奏者だなんて、運命というのは不思議なものね……」
そこで、タカの質問攻めは途切れた。
二人の間に沈黙が降りる。
水奈は気になることだらけだったが、何も尋ねられなかった。
タカの呟きが、ひどく郷愁を帯びていたからだ。
ずっと前を向いていたタカは、ふと水奈を振り返った。
提灯に照らされたその顔は、やけに嬉しそうだ。
「水奈、大丈夫です。神官たちはあなたに手出しできない。何しろあなたは、あの水音殿の娘ですもの」
「! 私の母は、神殿では有名なのですか?」
「有名なんてものじゃありません。水音殿は、もはや神殿の伝説ですよ」
「伝説……⁉︎」
「後ほどお話しましょう。もう雪晴殿下のお屋敷です」
言われて、水奈はあたりを見回した。
自分たちを取り囲んでいた裸の木々が、いつの間にかなくなっている。
「そこに沼があります。足元に気をつけてください」
タカが前方を手で示す。
黒々とした地面に、提灯の光が映っている。
その光はゆらゆらと揺蕩っている。
あそこが沼らしい。
水奈は好奇心に胸をうずかせながら、タカのうしろを歩いた。
うっかり沼に落ちないよう、タカにぴったりとついて行く。二人はほとんど同時に裏口から屋敷へ入り──。
「ひゃあ!」
「きゃあっ!」
と、綺麗に揃って叫んだ。
土間を上がってすぐのところに、雪晴が立っていたからだ。
「ごめん、ごめん。驚かせるつもりじゃなかったんだけど」
雪晴は笑いをこらえながら言った。
タカは、提灯が揺れるほど手を振り、険しい声で応じた。
「謝るなら笑わないでください。そもそも、どうしてこんなところにいらっしゃるんです?」
「タカの話が気になって仕方なかったんだよ。水奈もそうだろ?」
「は、はい、早く聞きたいです。早くお部屋に行きましょう、早く」
早く早くと急かす水奈がおかしかったのか、雪晴とタカが吹き出した。
「だって、タカ様が気になる言い方をなさるんですもの……」
水奈は恥ずかしさに肩を丸めて、ボソボソと言った。
タカは口元を抑えて、「たしかにそうですね」と笑った。
「中途半端な説明をしてしまって、ごめんなさい。さっそく話をしましょうか。殿下のお部屋へ行きましょう、早く」
手招きするタカのあとに、肩を震わせる雪晴が続く。その後ろを、ますます肩を縮こめた水奈が追い、三人は雪晴の部屋へと向かった。
中に入ると、タカは提灯を隅に置き、部屋の中央を示した。
「殿下、水奈。ここへお座りください」
水奈は雪晴の手を引き、二人並んで座った。
その正面に、タカが正座をする。
隙間風に揺れる提灯の火に照らされて、タカは口を開いた。
「それでは……まず、水音殿のお話をいたしましょう」
「はい、ぜひ」
水奈が身を乗り出すと、タカは微笑み、
「水音殿には、琴祭で何度かお会いしたことがございます」
と、言った。
「えっ!」
水奈と雪晴が、同時に声を上げる。
「タカ様は、母のお知り合いだったのですか?」
「いえ、私が一方的に知っていただけです」
「そうですか……」
それならタカは、母のことはあまり詳しくないのでは。
父の話も聞けそうにない。何せ、ツグミが「侍女の私が、お嬢様の逢瀬に気付かなかったなんて」と嘆いていたのだから。
水奈はひそかに落胆したが、それはすぐにどこかへ吹き飛ぶことになる。
「今から、およそ二十年前。水音殿の名を知らぬ者は、神殿にはいませんでした」
そんなふうに始まったタカの話は、水奈の想像をはるかに超えていた。
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