〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝

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琴祭の奇跡

34 タカからの文(ふみ)

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  ✳︎

 翌朝、水奈が雪晴の屋敷を訪れると、彼は昨日と同じように裏口へやってきた。
 そして、水奈にふみを手渡した。

「また湖宇殿下がいらっしゃったのですか?」

 水奈が眉をひそめると、雪晴は「違うよ」と笑った。

「朝早く、タカの使いが届けに来たんだ。『水奈へ渡すように』って」

「タカ様が私へ? どんなご用でしょう」

「さあ……昨晩、タカと少しだけ話せたんだけど、『神託が視えた』とか『水奈の母親について』とか、色々伝えたからその関係かな」

 二人で首をかしげつつ、手を繋いで廊下を進む。

「タカ様は、神託のことをお聞きになって喜ばれたでしょう?」

「うん、銀龍様に何度もお礼を言ってたよ。ちょっと泣きそうになりながら」

 水奈たちはクスクスと笑い合い、雪晴の部屋へ入った。

 まずは雪晴が部屋の真ん中へ、その隣へ水奈が座る。
 水奈は、少し緊張しながら文を開いた。

「えっと……『水奈へ。今日の仕事がすべて終わったら、北の庭園とカエデの森の境目に来てください。長くなりそうですので、水音みね殿のお話は、雪晴殿下のお屋敷で直接お伝えします』──!」

「水音殿というと、水奈の母君の?」

「……そうです。タカ様は、母のことをご存知でいらっしゃるんですね。ほかには……『琴を清めるための札を持参します。台所の棚にある鉄鉢を、殿下のお部屋に移しておいてください』。それから……」

「それから?」

「あっ。な、何でもありません」

 水奈は慌てて文を畳んだ。
 隠さなくても雪晴には見えないのだが、ついそうしてしまった。
 
 なぜならタカが送ってきた文に、こう書いてあったからだ。

 ──雪晴殿下に閨事ねやごとを求められた時、断る場合は『月の障りが来た』と言えばいいかと。昨晩、殿下が『水奈がそばにいるのに、琴の練習に集中できるだろうか』と、それはそれは悩ましげなため息をついていらっしゃいました。これはもしやと思い、僭越せんえつながら助言をさせてもらいました──

 雪晴には読めないからといって、ここまで露骨に書かなくても。

 水奈は頭がグラグラしてきて、釜でゆでられているような心地だった。

 閨事──男女の営みについては、母の侍女ツグミから多少は教わった。「高貴な姫の常識ですから、念のため」と言われて。

 年かさの洗濯女たちからは、「役人と女官がこっそり逢引きして、茂みの奥で……」と、あられもない噂話を聞かされた。

 そうした触れ合いが雪晴との間に起こるのかと、一瞬でも考えてしまったのだ。
 水奈は自分が恥ずかしくて、しばらく雪晴の顔を見られなかった。

 *

 王城に戻った水奈は、夜の洗濯作業を済ませると、カエデの森の入り口へ向かった。

(タカ様からの手紙では、このあたりで待つようにと書いてあったけど……)

 かじかむ手をこすり合わせながら、灯りのない森の奥へ目を凝らす。

 すると闇の中に、星のような光がぽつんと現れた。光は右へ左へ揺れながら、水奈の方へ近付いてくる。

 次第に、光の周りがはっきり見えてきた。右手に提灯を、左手に風呂敷包みをさげた人物が歩いてくる。

 相手の顔をはっきりと認めたところで、水奈はホッと息をつき、呼びかけた。

「タカ様」

「水奈?」

 タカも安心したように言い、水奈のもとへ小走りに寄ってきた。

「夜遅くにごめんなさい。昼間はなかなか手が空かなくて。今から雪晴殿下のお屋敷まで来てもらえますか? 帰りは白銀城まで送りますから」

 水奈は「はい」とうなずき、来た道を戻るタカを追いかけ、森へ入った。

 夜の森には、静けさと冷気だけが満ちている。
 提灯の灯りを頼りに歩を進めていると、前を行くタカが水奈へ話しかけてきた。

「水奈。雪晴殿下から、神託をご覧になったとうかがいました。きっとあなたのおかげでしょう。本当に、本当に感謝します。ありがとうございます」

「いえ、そんな。私は何も」

 水奈は、ぶんぶんと首を振った。タカはチラッと水奈を振り返り、微笑んだ。

 その笑みが、ふいに緊張を帯びる。

「それで、話は変わりますが……殿下のもとへ行く前に、伝えておきたいことがあるのです」

「な、何でしょうか?」

 妙に真剣なタカの様子に、水奈は背筋を伸ばした。

「雪晴殿下が、さらなる神託をご覧になり、王におなりあそばしても」

「はい……」

「お子様には会わせてくださいね。最高位神官とはいえ、国王と王妃の私室へは気軽に行けませんから」

「……はい?」

 水奈は、タカの言葉の意味を考えた。
 そして、「雪晴と水奈の間に子が生まれたら会わせてくれ」という話だと気付き、自分で自分の足を踏んづけそうになった。

「タカ様!」

 カーッと火照った水奈の頭には、タカのふみにあった二文字──「閨事」が浮かんでいた。

 タカは「ほほほ」と笑い声を上げた。大声ではなかったが、静かな森の中ではよく響く。

「恥ずかしがらなくてもいいじゃありませんか。王子の侍女は婚約者と同じ。いずれ婚儀をおこなうのでしょう?」 

「……それは」

 水奈の火照りが冷めていく。フワフワと浮ついていた頭に、現実が降りてくる。

「どうでしょうか……私はただの洗濯女で、しかも鱗が生えています」

 ずっと、考えないようにしていた。

 雪晴に「大好きだよ」と言われても、閨事の文字を見ても、その裏にある重さを──王子妃となることの深刻さを意識しなかった。

 それは、「そんな未来はないのだ」という思いが、無意識の片隅にあったからだ。

「私を王族の一員とすることに、反対の声が上がるでしょう……その声を抑えてくれる方が、いるはずがありません」

 力なく呟くと、タカは「ああ、それで」と納得したように言った。

「だから殿下は、あんなに水奈の出自を気にされていたのですね」

「え……? どういうことですか?」

「雪晴殿下は、『水奈の母君の名字を知らないか』『どうにかして調べられないか』と、私に詰め寄ってこられたのですよ。不思議に思っていましたが、理由がわかりました」

 タカは小さく笑い、穏やかな声で続けた。

「殿下は、水奈との結婚に向けて、少しでも障害を取り除きたいのでしょう。水奈が貴族の出だと証明できれば、反対される理由が一つ減りますからね」

「雪晴殿下が、そんなことを……」
 
 水奈は、我知らず胸元に触れた。温かいものがトクトクとあふれて、全身に広がっていく。

 そういえば雪晴は、水奈の家柄を知りたがっていた。なぜだろうと思っていたが、まさかそんな理由だったとは。

(ともにありたいと、殿下も願ってくださるのですね)

 未来の重さと、それを上回る愛おしさが身を包む。
 水奈は愛おしさに浸っていたが、ふと気付いた。

 タカの歩みが遅くなった。水奈をチラチラと見ているのだ。

「タカ様、どうかされましたか?」

 水奈は、雪晴のことを考えていたのをごまかすように、口早に尋ねた。
 するとタカは、重たげに口を開いた。

「ええ……そろそろ、本題に入ろうかと思いまして。殿下のお屋敷に着く前に」
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