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琴祭の奇跡

28 逃げ出す湖宇

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「兄上が私にくださった文だ。私が読む」

 雪晴がそう言うと、間髪入れずに下品な笑い声が上がった。

「ぎゃははは! やっぱり言いやがった!」

 腹をかかえて大笑いした湖宇は、取り巻きの貴族たちを見回した。

「おい、みんな! あいつがどんなふうに文を読むか、よーく聞いておけよ! そのあとで僕が読んでやるから、そっちもな!」

「かしこまりました」

 湖宇の取り巻きが、大げさなしぐさで頭を下げる。雪晴は悔しそうに唇を噛んだ。

 その一連を見ていた水奈は、自分の手をつかむ雪晴の手を、サッと外した。
 すばやく式台に下り、樹から文をひったくる。

「私をご指名でいらっしゃるのでしょう。私がお読みいたします!」

 無礼な振る舞いだとわかっている。しかし、腹の底から怒りが湧いてどうしようもなかった。

(『やっぱり言いやがった』って……湖宇殿下は、本当は雪晴殿下に読ませるつもりだったんだ)

 白銀城の下男下女は、読み書きできない者がほとんど。きっと水奈も字が読めないと、誰もがそう思っているだろう。
 雪晴も含めて。

 だから湖宇は、一旦水奈を指名したのだ。王子である雪晴とは違い、命令を拒否できない水奈を。

 そして雪晴は、湖宇のもくろみ通りに動いた。水奈をかばって、「自分が文を読む」と言った。

(お目がご不自由だから読めないのに。湖宇殿下は、そんな雪晴殿下を貴族たちに見せたいんだ。自分の評価を高めるために、雪晴殿下の優しさまで利用するなんて……許せない!)

 水奈は手早く文を開き、きっぱりと告げた。

「雪晴殿下、ご安心ください。字は、母に習いましたので」

 雪晴と樹が、意外そうに眉を上げる。同時に、湖宇たちの爆笑がドッと沸く。

「洗濯女が母親に⁉︎ 何を習ったんだか」

「『いろは』の『い』だろ」

「ひらがなだけでも読めたら拍手喝采してやるぞ!」

 水奈は息を吸い込み、はやし立てる声を意識の外に追い出した。腹に力を込め、怒りをぶつけるように文を読む。

「“新年を祝する琴祭の締め、終曲『百重ももえの波紋』の奏者に、第三王子雪晴、および侍女の水奈を任命する”」

 一瞬にして爆笑が消える。雪晴と樹も息をのむ。

「“この文章が……”」

 続く内容に、水奈は顔をしかめた。しかしすぐに気を取り直して、最後まで読み切った。

「“読み上げられた時点で、両者ともに了承したものとする。琴祭首席奏者、第二王子、しろがね 湖宇”」

「何だって⁉︎」
 
 雪晴が非難の声を上げた。秀眉を吊り上げ、玄関の外を向く。

「兄上、横暴にすぎます! このような文章、まるで騙し打ちではありませんか!」

 雪晴は、歯噛みをして湖宇の反応を待っている。

 しかし、返事はない。湖宇を始め、侍女の椿と取り巻きの若者たちは、ぽかんとして水奈を見つめている。

「兄上? いかがされましたか?」

 無反応の湖宇へ、雪晴はいぶかしげに尋ねた。

 湖宇は何度か瞬きをしたあと、ハッとしたように唇を引き結んだ。
 その顔が、酒を一升も煽ったかのように、たちまち真っ赤に染まっていく。

 赤鬼の手下のような顔で、湖宇は雪晴を睨みつけた。

「う、うるさいっ! 侍女が字を読んだくらいでいい気になるなよ。首席奏者は僕なんだ!」

 湖宇は、自分の胸をバン! と叩いた。

「琴祭の奏者の指名権は、僕が握ってるんだ! お前たちは正式に終曲の奏者となった。出席しなければ、祭を軽んじたとして処罰するぞ!」

「承知いたしました」

 水奈は深々と頭を下げた。それからゆっくりと顔を上げ、胸を張り、外にいる湖宇を見すえる。

 水奈の視線を受けた湖宇は、怯えたように目を泳がせた。

「第二王子殿下。琴祭における終曲の奏者としてご指名くださったこと、この上ない栄誉でございます。雪晴殿下とともに必ず出席いたしますので、ご安心ください」

「……! そ、その言葉、覚えておくぞ! 撤回するなよ!」

 湖宇は言い捨て、きびすを返して走り出した。侍女の椿や貴族たちが、そのあとを追う。

 バタバタと去っていく彼らを、樹は苦笑しながら見ていた。その笑みが、ふと優しいものに変わる。

 樹が水奈たちを振り返る。彼の目が水奈をとらえる。もう、嫌悪はない。

「あれほど堂々と読み上げるとは、恐れ入ったぞ。王家の姫ですら、ああはいくまい」

「い、いえ……母が字を教えてくれたおかげです」

 まさかそんなふうに褒められるとは。水奈は、恐縮と照れくささに胸をドキドキさせながら、ぺこっと頭を下げた。

 樹はおかしそうに笑い、「殿下の侍女がお前でよかった」と小さく言って、雪晴に向き直った。
 そして、後ずさりながら踏石から降りると、土間に片膝をつき、頭を垂れた。
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