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琴祭の奇跡
26 兵士の訪問
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朝の洗濯を終えた水奈は、雪晴のもとへ向かった。
途中、日当たりのいい草地に寄り道して、ネギに似たノビルを一つかみ摘む。
(今日こそおひたしを作ろう)
水奈は鼻歌を歌った。母とともに弾いた琴の曲だ。
晴れ渡る空の下では、枝ばかりのカエデの森も、生き生きとして見える。風の冷たさまで忘れてしまいそうだ。
(いいお天気。今日は素敵なことがありそう。殿下がまた神託をご覧になる、とか)
昨日は雪晴の話に驚き、つい忘れていたが、ようやく彼が神託らしきものを視たのだ。
だからといって、一足飛びに王位につけるとは思っていない。しかし、道が拓けたとは言えるだろう。
焦ってはいけないとわかっているが、待ちかねていた分、どうしても期待してしまう。
沼地に着いた水奈は、急ぐ必要もないのに屋敷へと駆け、裏口に飛び込んだ。
「雪晴殿下、おはようございます! 水奈が参りました!」
心が浮き立って大きな声が出た。
廊下に上がり、草履を揃えていると、コツコツと床を叩く音が奥から聞こえてきた。
「水奈!」
杖をついた雪晴が歩いてくる。前のめりになり、気が急いてたまらない、といった様子だ。
「まあ! お部屋でお待ちくださればよろしいのに」
「たまたま部屋を出るところだったんだよ。君が来る頃かと思って、外へ行こうとしてたんだ。今日は天気もいいし」
言いながら雪晴は、どんどん水奈の方へ──廊下の端へと近付いてくる。
水奈は、ぎょっとしてノビルを床に放り出した。
雪晴の胸元へ張りつくようにして、彼の歩みを止める。
「殿下、お足元にお気をつけください! ここは段になっています」
「大丈夫、わかっているよ。ずっと住んでいる家だからね」
雪晴は眉尻を下げ、おかしそうに笑った。
それもそうだと思い直した水奈は、気まずさにうつむいて一歩下がった。
「し、失礼いたしました」
「いや、心配してくれてありがとう。ただ……」
今度は、雪晴の腕が水奈を包む。
「水奈の方が心配だ。今日は一段と寒い。体を壊さないよう、気をつけるんだよ」
「へ、平気です。寒くないです。走ってきたので」
雪晴の温もりにうろたえて、子どものような言葉遣いになってしまった。
そんな水奈を、雪晴はぎゅっと抱きしめ、優しく笑う。
やわらかな空気が廊下に漂う。
雪晴の腕の中で、水奈はふわふわの綿に包まれているような心地だった。
その心地よい時間は、唐突に終わった。
「失礼いたします! 雪晴殿下はおられますか⁉︎」
正面玄関の方から、低く太い声が響いてきた。
雪晴は水奈を離し、杖を構え直した。
「あの声は……」
雪晴は眉を寄せた。端正な顔に驚きがにじんでいる。
「殿下、雪晴殿下!」
正面玄関から、さっきと同じ声が飛んでくる。
雪晴は相手に負けない大声で言い返した。
「私はここにいる! 少し待て!」
それから水奈を振り返り、「君は来るな」と言い置いて正面玄関へ向かった。
水奈はどうすべきか迷ったが、雪晴が心配で、足音を忍ばせてあとを追った。
廊下を曲がる手前で足を止める。息をひそめて正面玄関を覗いた。
玄関の端に雪晴が立っている。
そこから降りたところ、土間の踏石の上に見たことのない男がいた。
雪晴と向かい合うその男は、大柄だがさっぱりとした短髪のおかげで暑苦しい印象はない。
彼のたくましい体を覆うのは、黒い甲冑だ。
(あれは、兵士?)
甲冑を彩る威糸は、中級貴族が身につける黄色。
胴を守る革には、赤と金の鳳凰が描かれている。
腰に下がった剣にも見事な装飾がほどこされている。
兵士長、もしくは貴人の親衛兵だろうか。
(何をしに来たんだろう)
水奈が男を見つめていると、彼は雪晴に向かって深く頭を下げ、口を開いた。
「雪晴殿下、お久しぶりです」
「ああ……そうだな、樹。今日は何の用だ? 顔を見に来た、というわけではないんだろう?」
「はい。兄君からの贈り物を届けに参りました。雪晴殿下より左手の壁に立てかけてあります」
水奈は、玄関の壁に目を移した。
樹が言った通り、白い布で包まれた背の高いものが二つ、壁にもたせかけてある。
その大きさと形に、水奈は見覚えがあった。
母と暮らしていた時、毎日のように触れていたもの。
(あの包みは、もしかして……!)
水奈は、今すぐ包みを開けたいという衝動に駆られた。
そこで、樹がまた雪晴に声をかける。
「それから──」
包みに気を取られていた水奈は、慌てて意識を樹に向けた。
「文も渡せ、とのご命令です」
そう言った樹は、細長く折り畳んだ紙を雪晴へ差し出した。
「文? 私へ?」
雪晴が戸惑いながら聞き返す。
「はい。贈り物も文も、兄君──第二王子湖宇殿下からのものです」
「湖宇兄上? ということは、樹は今、あの人の従者なのか……?」
「……左様にございます。文は、『雪晴の侍女に読み上げさせよ』との仰せですが……」
樹は申し訳なさそうに言葉を濁した。
雪晴は、「兄上は水奈まで巻き込むつもりなのか」とため息をついた。
「私の侍女は今、仕事を──」
「樹様、お呼びでしょうか」
水奈は、雪晴の言葉をさえぎって正面玄関へ進んだ。タカの話を思い出したからだ。
『第二王子殿下は、よくこの沼地で宴を開くのです。そして、雪晴殿下を笑い者にするんです』
『自分を支持すれば得がある、と貴族に示したいんでしょう。雪晴殿下を引き立て役にして』
第二王子は、自身の評価を上げるために、雪晴をおとしめている。
雪晴が要求を拒否すれば、第二王子は腹を立てるかもしれない。雪晴の待遇がさらに悪くなるかもしれないと、水奈は心配していた。
途中、日当たりのいい草地に寄り道して、ネギに似たノビルを一つかみ摘む。
(今日こそおひたしを作ろう)
水奈は鼻歌を歌った。母とともに弾いた琴の曲だ。
晴れ渡る空の下では、枝ばかりのカエデの森も、生き生きとして見える。風の冷たさまで忘れてしまいそうだ。
(いいお天気。今日は素敵なことがありそう。殿下がまた神託をご覧になる、とか)
昨日は雪晴の話に驚き、つい忘れていたが、ようやく彼が神託らしきものを視たのだ。
だからといって、一足飛びに王位につけるとは思っていない。しかし、道が拓けたとは言えるだろう。
焦ってはいけないとわかっているが、待ちかねていた分、どうしても期待してしまう。
沼地に着いた水奈は、急ぐ必要もないのに屋敷へと駆け、裏口に飛び込んだ。
「雪晴殿下、おはようございます! 水奈が参りました!」
心が浮き立って大きな声が出た。
廊下に上がり、草履を揃えていると、コツコツと床を叩く音が奥から聞こえてきた。
「水奈!」
杖をついた雪晴が歩いてくる。前のめりになり、気が急いてたまらない、といった様子だ。
「まあ! お部屋でお待ちくださればよろしいのに」
「たまたま部屋を出るところだったんだよ。君が来る頃かと思って、外へ行こうとしてたんだ。今日は天気もいいし」
言いながら雪晴は、どんどん水奈の方へ──廊下の端へと近付いてくる。
水奈は、ぎょっとしてノビルを床に放り出した。
雪晴の胸元へ張りつくようにして、彼の歩みを止める。
「殿下、お足元にお気をつけください! ここは段になっています」
「大丈夫、わかっているよ。ずっと住んでいる家だからね」
雪晴は眉尻を下げ、おかしそうに笑った。
それもそうだと思い直した水奈は、気まずさにうつむいて一歩下がった。
「し、失礼いたしました」
「いや、心配してくれてありがとう。ただ……」
今度は、雪晴の腕が水奈を包む。
「水奈の方が心配だ。今日は一段と寒い。体を壊さないよう、気をつけるんだよ」
「へ、平気です。寒くないです。走ってきたので」
雪晴の温もりにうろたえて、子どものような言葉遣いになってしまった。
そんな水奈を、雪晴はぎゅっと抱きしめ、優しく笑う。
やわらかな空気が廊下に漂う。
雪晴の腕の中で、水奈はふわふわの綿に包まれているような心地だった。
その心地よい時間は、唐突に終わった。
「失礼いたします! 雪晴殿下はおられますか⁉︎」
正面玄関の方から、低く太い声が響いてきた。
雪晴は水奈を離し、杖を構え直した。
「あの声は……」
雪晴は眉を寄せた。端正な顔に驚きがにじんでいる。
「殿下、雪晴殿下!」
正面玄関から、さっきと同じ声が飛んでくる。
雪晴は相手に負けない大声で言い返した。
「私はここにいる! 少し待て!」
それから水奈を振り返り、「君は来るな」と言い置いて正面玄関へ向かった。
水奈はどうすべきか迷ったが、雪晴が心配で、足音を忍ばせてあとを追った。
廊下を曲がる手前で足を止める。息をひそめて正面玄関を覗いた。
玄関の端に雪晴が立っている。
そこから降りたところ、土間の踏石の上に見たことのない男がいた。
雪晴と向かい合うその男は、大柄だがさっぱりとした短髪のおかげで暑苦しい印象はない。
彼のたくましい体を覆うのは、黒い甲冑だ。
(あれは、兵士?)
甲冑を彩る威糸は、中級貴族が身につける黄色。
胴を守る革には、赤と金の鳳凰が描かれている。
腰に下がった剣にも見事な装飾がほどこされている。
兵士長、もしくは貴人の親衛兵だろうか。
(何をしに来たんだろう)
水奈が男を見つめていると、彼は雪晴に向かって深く頭を下げ、口を開いた。
「雪晴殿下、お久しぶりです」
「ああ……そうだな、樹。今日は何の用だ? 顔を見に来た、というわけではないんだろう?」
「はい。兄君からの贈り物を届けに参りました。雪晴殿下より左手の壁に立てかけてあります」
水奈は、玄関の壁に目を移した。
樹が言った通り、白い布で包まれた背の高いものが二つ、壁にもたせかけてある。
その大きさと形に、水奈は見覚えがあった。
母と暮らしていた時、毎日のように触れていたもの。
(あの包みは、もしかして……!)
水奈は、今すぐ包みを開けたいという衝動に駆られた。
そこで、樹がまた雪晴に声をかける。
「それから──」
包みに気を取られていた水奈は、慌てて意識を樹に向けた。
「文も渡せ、とのご命令です」
そう言った樹は、細長く折り畳んだ紙を雪晴へ差し出した。
「文? 私へ?」
雪晴が戸惑いながら聞き返す。
「はい。贈り物も文も、兄君──第二王子湖宇殿下からのものです」
「湖宇兄上? ということは、樹は今、あの人の従者なのか……?」
「……左様にございます。文は、『雪晴の侍女に読み上げさせよ』との仰せですが……」
樹は申し訳なさそうに言葉を濁した。
雪晴は、「兄上は水奈まで巻き込むつもりなのか」とため息をついた。
「私の侍女は今、仕事を──」
「樹様、お呼びでしょうか」
水奈は、雪晴の言葉をさえぎって正面玄関へ進んだ。タカの話を思い出したからだ。
『第二王子殿下は、よくこの沼地で宴を開くのです。そして、雪晴殿下を笑い者にするんです』
『自分を支持すれば得がある、と貴族に示したいんでしょう。雪晴殿下を引き立て役にして』
第二王子は、自身の評価を上げるために、雪晴をおとしめている。
雪晴が要求を拒否すれば、第二王子は腹を立てるかもしれない。雪晴の待遇がさらに悪くなるかもしれないと、水奈は心配していた。
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