〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝

文字の大きさ
上 下
5 / 127
惹かれ合う二人

4 初めての気持ち

しおりを挟む
「ここへ来るまでの間に、体が冷えただろう? 囲炉裏にでも当たらせてやりたいが……ここには火がないんだ。すまないね。よければ羽織を貸そうか?」

「そんな、滅相もありません!」
 
 水奈は「失礼いたします」と言うと、ぴょこんとお辞儀をして土間に駆け込んだ。
 屋敷が濡れないよう、雪で湿った頰かむりと着物を、異能を使ってサッと乾かす。

 わらの草履を放り出すように脱いで、廊下に上がる。草履を揃えようとしたが、手が震えて向きがちぐはぐになってしまう。

 粗相してはならない、と考えていたことなど忘れていた。それほど動揺していた。

 こんなにも温かく接してもらえたのは、二年前に母を亡くし、祖父に殺されかけて以来だった。

「水奈、足元に気を付けるんだよ。ここへ来た者はみんな、『この屋敷は暗い』と言うから」

「は、はい、恐れ入ります」

 急かされてもいないのに、水奈はすばやく立ち上がった。雪晴に向き直ると、彼の顔が間近にある。
 
「大丈夫? なんだか焦ってるみたいだけど……もしかして緊張してる?」

 息がかかるほど近くで、美しい顔が微笑む。その瞬間、水奈の中で火のような恥ずかしさが吹き上がった。

「い、いえ、大丈夫です。お気遣いなく!」

 恥ずかしさの火を少しでも抑え込もうと、水奈はぎゅっと目を閉じた。

 耳の奥で、脈の音がうるさく響く。心臓が暴れて痛いくらいだ。
 不安からではない。不安は、ない。

 代わりに、今まで感じたことのない、嬉しいような切ないような気持ちが、堰を切ったようにあふれてくる。

 その気持ちの中から、一つの疑問が浮かんできた。

(雪晴殿下はこんなにお優しい方なのに、どうしてすぐに侍女を辞めさせてしまうの?)

 侍女をクビにするのは、身勝手な理由からではないのだろう。
 それなら、なぜ。

(それに、侍女の手が腫れてたとか、着物に血がついてたっていう話……あれはどういうこと? 殿下が乱暴なさるとは思えないし)

 気にはなったが、初対面の王子にそんなことは聞けない。
 それに、早く仕事をしなくては。夕方には城へ戻らなくてはならないのだ。

「殿下。さっそくですがお仕事を始めますね」

 そう言って、水奈は頬かむりを外そうとした。
 アザミの言った通り、雪晴は目が見えないようだし、うなじが寒かったので、手ぬぐいを首に巻こうと思った──が。

「雪晴殿下。その娘が新しい侍女ですか?」

 外から、しわがれた声がした。

 水奈は、とっさに頰かむりを手で押さえた。おそるおそる、戸口を振り返る。
 
 老女が一人、土間に入ってくるところだった。
 きびきびとした歩き方で、背筋はまっすぐ伸びている。白髪が混じって灰色に見える髪は、頭の後ろできっちりと団子状に結われている。

 しわに囲われた目は、たしかに水奈を捉えていた。

(誰……? 前の侍女様……じゃないわよね)

 雪晴の侍女にしては、歳を取り過ぎている。

 この銀龍国では、王子が十二歳になり成人すると、新たに侍女が選ばれる。貴族や富豪の家から、年頃の娘が抜擢されるのだ。
 そして時が来れば、侍女は王子と結婚する。

 だから、老女が前任の侍女だとは考えにくい──。

「あなた、名前は?」

 老女に問われて、考え込んでいた水奈はハッとした。
 いつの間にか老女は廊下へ上がり、水奈のそばに立っていた。

「し、失礼いたしました。洗濯女の水奈と申します」

「……今度の侍女は身分が低い、とは聞いていたけど。下女だったのね」

 老女は、腹立たしげにため息をついた。

 水奈は萎縮して肩を丸め、うつむいた。
 そうしながら、ひそかに老女の着物を観察した。衣類の色や柄は、地位によって定められている。

 老女の羽織は黒。誰でも身につけられる色だが、そこに銀糸で川の流れが刺繍されている。

(この羽織……一度、白銀城で見たことがある)

 最高位の神官が着ていたものだ。

 最高位の神官とすれ違う時は、上級貴族でさえ頭を下げる。それほどの人物が、こんなにも近くにいる。

 今朝、カリンにこう言われたのに。

『なあ、水奈。城の北って神殿の近くだろ? 神官どもに見つからないよう気を付けな。あいつら潔癖だから、あんたの鱗を見たら何してくるかわかんないよ』

 老女はその神官だ。しかも最高位の。洗濯女などどうとでもできる。
 汚らわしい鱗を見れば、すぐさま水奈を追い払うかもしれない。

 水奈が肩を縮こめていると、雪晴が口を開いた。

「タカ、今日はいつもより早いね」

 彼の声には警戒がにじんでいる。

「新しい侍女が来ると聞きましたので、様子を見に」

「そうか。それで、また私の侍女をいじめるつもりかい?」

「……いじめではなく指導です。効果があった試しはありませんがね」

 タカと呼ばれた老女は、いら立ったように息を吐き出した。それから、彼女は水奈に向き直った。

「初めまして。私は最高位神官のタカといいます」

「タカ様、お会いできて光栄です」

 水奈がお辞儀をすると、タカは鋭い目でチラッと土間を見た。水奈の草履が、ちぐはぐなままで置いてある。

「敬意は雪晴殿下に向けてちょうだい」

「は、はい。もちろんです」

 水奈はしゃがみ込み、慌てて草履を揃えた。すると、またタカが厳しい声で言う。

「では、頰かむりは取りなさい」

「……!」

 水奈は、剣を突きつけられたような心地で息をのんだ。

「そんなに深くかぶったら周りが見えないでしょう。まともに仕事をする気があるの?」

「い、いえ、これは、その……」

 水奈は何とか立ち上がったが、歯が恐怖でカチカチと鳴った。

 頰かむりを取れば、鱗に気付かれる。タカの嫌悪が雪晴に伝わり、「水奈はクビだ」と言われたら。

(火乃様に殺される……!)

 頰かむりを取ることも、「嫌です」と言うこともできず、水奈はただ震えた。

「ちょっと、あなた。どうしたの?」

 タカが、怪訝そうに尋ねてきた。水奈の方へ手を伸ばしてくる。
 その時だ。

「タカ、いい加減にしてくれ。水奈が怖がってるだろう」

 雪晴が怒ったように言った。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

公主の嫁入り

マチバリ
キャラ文芸
 宗国の公主である雪花は、後宮の最奥にある月花宮で息をひそめて生きていた。母の身分が低かったことを理由に他の妃たちから冷遇されていたからだ。  17歳になったある日、皇帝となった兄の命により龍の血を継ぐという道士の元へ降嫁する事が決まる。政略結婚の道具として役に立ちたいと願いつつも怯えていた雪花だったが、顔を合わせた道士の焔蓮は優しい人で……ぎこちなくも心を通わせ、夫婦となっていく二人の物語。  中華習作かつ色々ふんわりなファンタジー設定です。

処理中です...