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惹かれ合う二人
2 雪晴の目
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城の裏手に着くと、洗濯女たちが仕事の準備をしていた。
各々、井戸の周りに洗濯桶を置き、井戸水を汲んでは注いでいる。
水奈が駆け寄ると、何人かが気付いて振り向いた。
そのうちの一人、十歳くらいの少女が大きく手を振った。
「水奈、こっち! これがあんたの桶。水も入れといてやったよ!」
「ありがとう、カリン」
水奈は息を整えながら、カリンの隣にしゃがんだ。
「いいって、いいって」
カリンが首を振ると、おかっぱがふるふると揺れる。
「それよりさぁ、水奈。早くあれをやってよ。寒くてたまんないよ! あーあ、なんで冬なんかがあるんだろ。ずっと春ならいいのに」
カリンは歯をカチカチ鳴らしながら、水奈の腕にしがみついた。
二年前、水奈が城へ来たばかりの頃、カリンは「げっ、鱗⁉︎ 気持ち悪っ!」と顔を引きつらせていたが、今は子猫のようにじゃれてくる。
子ども特有の柔軟さで慣れたこともあるのだろうが、最大の理由は彼女がせがむあれだろう。
ほかの洗濯女たちが水奈の陰口を言わなくなったのも、きっと同じ理由だ。彼女らは今、期待のまなざしで水奈を見ている。
「カリン、すぐ済ませるね」
水奈は、小さなおかっぱ頭をなでると、二十数個の桶に意識を向けた。
桶に張られた水が、息を吐くように揺らめく。吐息の代わりに立ち上るのは、白い湯気だ。
洗濯女たちが、こぞって桶の中に手を浸す。
「ああ、あったかい」
「極楽、極楽」
満面の笑みがあちこちで生まれる。その笑みが水奈へ向けられる。
「ありがとうね、水奈」
「いつも助かるよ」
声をひそめる洗濯女たちに合わせて、水奈も「いえ」と小声で返す。
水を沸かす。凍らせる。流れを作り、止める。
水に関しては自由自在。水奈が生まれ持つ異能だ。
亡き母は、
『外では絶対に力を使っちゃ駄目よ。それを使えるのは水奈だけなの。みんなびっくりするわ』
と、言っていたが、水奈はその約束を破るしかなかった。
祖父に仕える兵士に、滝壺へ突き落とされた時。水を操らなければ溺れ死んでいた。
洗濯女たちが、水奈を城から追い出そうとした時もだ。水奈は、「冬場に水を温めるから働かせてほしい」と頼み込み、力を見せた。
たった今、そうしたように。
水奈が温めた湯で、洗濯女たちは活力を得たらしい。衣類を洗う水音と、楽しげなおしゃべりで、洗濯場は一気に騒がしくなった。
カリンも水奈に話しかけてくる。
「なあ、水奈。さっきの話、聞こえたんだけど」
「さっきのって、火乃様のお話?」
「そうそう。王子の侍女に選ばれたんだろ? 玉の輿じゃん。いいなー」
「はあ⁉︎ 王子の侍女⁉︎」
棘のある声が飛んできた。
水奈とカリンは同時に飛び上がり、声の主を見た。
井戸を挟んだ向かいに、水奈と同じ年頃の洗濯女がいる。
半年前、白銀城へ来たアザミだ。涼やかで綺麗な顔が、今は般若のようにゆがんでいる。
「王子の侍女って婚約者みたいなもんじゃない! 本当に水奈が選ばれたわけ? 私じゃなくて?」
「え、ええ。明日から、雪晴殿下のところへ行くことになったの。昼間だけ」
水奈は怯みつつ、うなずいた。すると、アザミは急に嫉妬を消した。
「なーんだ、第三王子か。じゃ、どうでもいいわ。精々頑張って」
「どうでもいいって、どういうことだよ」
カリンが眉を寄せると、アザミは「ふん」と鼻を鳴らした。
「あんた、赤ん坊の時から白銀城にいるくせに、雪晴のことも知らないの? これだから捨て子は」
「捨て子は関係ないだろ、雪晴が何だっていうんだ!」
毛を逆立てる勢いで、カリンが喚く。
「私は優しいから教えてあげるけどー」
アザミは馬鹿にするように肩をすくめた。
「雪晴は、お城から追い出された王子なのよ。だったら王位にはつけないでしょ? 領地すらもらえないかもね。そんなやつの侍女、玉の輿じゃなくて泥舟だわ」
そう言ったアザミは、意地の悪い笑みを水奈に向けた。
「ま、水奈にはお似合いじゃない? 雪晴は目が見えないらしいから」
「目が見えない?」
水奈は、洗濯の手を止めて聞き返した。
「ええ。だから、あんたの鱗にも気付かないわよ。よかったわね」
にやつくアザミは笑みを深め、聞こえよがしに続ける。
「こっちも気分がいいわー。昼間だけでも、気色悪い顔を見なくて済むんだから。火乃も、たまにはいいことするじゃない」
「なんだよ! 湯で洗濯できるのは水奈のおかげなのに、この恩知らず!」
そうやって言い返すのはカリンだけ。周りの洗濯女たちは、聞こえないふりをしている。
そればかりか、苦笑している者もいる。内心、アザミの言葉に同意しているのだろう。
水奈は唇を引き結び、頰かむりの上から左頬に触れた。
(この鱗さえなければ……)
二年間、仕事を頑張ってきた。汚れがひどいものは率先して洗ったし、冬場は洗濯桶の水を温めている。
だから感謝はしてもらえる。しかし、完全には受け入れてもらえない。鱗のせいで。
落ち込む水奈の隣では、カリンがまだ喚いている。
「アザミなんか城から追い出されちまえ!」
「……カリン、落ち着いて。アザミに聞こえてないみたい。それに、そんなに騒いだら火乃様に叱られちゃう」
水奈に言われて、カリンは口をつぐんだ。アザミに無視されていることに、やっと気付いたらしい。
ぶすっとするカリンの横で、水奈はひたすら手を動かした。
沈んだ気持ちや、雪晴への恐怖をすり潰すように、洗濯板へ衣類をこすりつける。
そうしながら自分に言い聞かせた。
(大丈夫、悪いことばかりじゃないわ。雪晴殿下のお目がご不自由なら、『魚女』『気持ち悪い』って言われなくて済むんだから)
そして、翌朝。朝の洗濯作業を済ませた水奈は、雪が散らつく中、火乃に言われた場所へ向かった。
雪晴の屋敷は、すぐに見つかった。しかし、水奈は戸惑っていた。
城からずっと駆けてきた足は、完全に止まってしまった。
各々、井戸の周りに洗濯桶を置き、井戸水を汲んでは注いでいる。
水奈が駆け寄ると、何人かが気付いて振り向いた。
そのうちの一人、十歳くらいの少女が大きく手を振った。
「水奈、こっち! これがあんたの桶。水も入れといてやったよ!」
「ありがとう、カリン」
水奈は息を整えながら、カリンの隣にしゃがんだ。
「いいって、いいって」
カリンが首を振ると、おかっぱがふるふると揺れる。
「それよりさぁ、水奈。早くあれをやってよ。寒くてたまんないよ! あーあ、なんで冬なんかがあるんだろ。ずっと春ならいいのに」
カリンは歯をカチカチ鳴らしながら、水奈の腕にしがみついた。
二年前、水奈が城へ来たばかりの頃、カリンは「げっ、鱗⁉︎ 気持ち悪っ!」と顔を引きつらせていたが、今は子猫のようにじゃれてくる。
子ども特有の柔軟さで慣れたこともあるのだろうが、最大の理由は彼女がせがむあれだろう。
ほかの洗濯女たちが水奈の陰口を言わなくなったのも、きっと同じ理由だ。彼女らは今、期待のまなざしで水奈を見ている。
「カリン、すぐ済ませるね」
水奈は、小さなおかっぱ頭をなでると、二十数個の桶に意識を向けた。
桶に張られた水が、息を吐くように揺らめく。吐息の代わりに立ち上るのは、白い湯気だ。
洗濯女たちが、こぞって桶の中に手を浸す。
「ああ、あったかい」
「極楽、極楽」
満面の笑みがあちこちで生まれる。その笑みが水奈へ向けられる。
「ありがとうね、水奈」
「いつも助かるよ」
声をひそめる洗濯女たちに合わせて、水奈も「いえ」と小声で返す。
水を沸かす。凍らせる。流れを作り、止める。
水に関しては自由自在。水奈が生まれ持つ異能だ。
亡き母は、
『外では絶対に力を使っちゃ駄目よ。それを使えるのは水奈だけなの。みんなびっくりするわ』
と、言っていたが、水奈はその約束を破るしかなかった。
祖父に仕える兵士に、滝壺へ突き落とされた時。水を操らなければ溺れ死んでいた。
洗濯女たちが、水奈を城から追い出そうとした時もだ。水奈は、「冬場に水を温めるから働かせてほしい」と頼み込み、力を見せた。
たった今、そうしたように。
水奈が温めた湯で、洗濯女たちは活力を得たらしい。衣類を洗う水音と、楽しげなおしゃべりで、洗濯場は一気に騒がしくなった。
カリンも水奈に話しかけてくる。
「なあ、水奈。さっきの話、聞こえたんだけど」
「さっきのって、火乃様のお話?」
「そうそう。王子の侍女に選ばれたんだろ? 玉の輿じゃん。いいなー」
「はあ⁉︎ 王子の侍女⁉︎」
棘のある声が飛んできた。
水奈とカリンは同時に飛び上がり、声の主を見た。
井戸を挟んだ向かいに、水奈と同じ年頃の洗濯女がいる。
半年前、白銀城へ来たアザミだ。涼やかで綺麗な顔が、今は般若のようにゆがんでいる。
「王子の侍女って婚約者みたいなもんじゃない! 本当に水奈が選ばれたわけ? 私じゃなくて?」
「え、ええ。明日から、雪晴殿下のところへ行くことになったの。昼間だけ」
水奈は怯みつつ、うなずいた。すると、アザミは急に嫉妬を消した。
「なーんだ、第三王子か。じゃ、どうでもいいわ。精々頑張って」
「どうでもいいって、どういうことだよ」
カリンが眉を寄せると、アザミは「ふん」と鼻を鳴らした。
「あんた、赤ん坊の時から白銀城にいるくせに、雪晴のことも知らないの? これだから捨て子は」
「捨て子は関係ないだろ、雪晴が何だっていうんだ!」
毛を逆立てる勢いで、カリンが喚く。
「私は優しいから教えてあげるけどー」
アザミは馬鹿にするように肩をすくめた。
「雪晴は、お城から追い出された王子なのよ。だったら王位にはつけないでしょ? 領地すらもらえないかもね。そんなやつの侍女、玉の輿じゃなくて泥舟だわ」
そう言ったアザミは、意地の悪い笑みを水奈に向けた。
「ま、水奈にはお似合いじゃない? 雪晴は目が見えないらしいから」
「目が見えない?」
水奈は、洗濯の手を止めて聞き返した。
「ええ。だから、あんたの鱗にも気付かないわよ。よかったわね」
にやつくアザミは笑みを深め、聞こえよがしに続ける。
「こっちも気分がいいわー。昼間だけでも、気色悪い顔を見なくて済むんだから。火乃も、たまにはいいことするじゃない」
「なんだよ! 湯で洗濯できるのは水奈のおかげなのに、この恩知らず!」
そうやって言い返すのはカリンだけ。周りの洗濯女たちは、聞こえないふりをしている。
そればかりか、苦笑している者もいる。内心、アザミの言葉に同意しているのだろう。
水奈は唇を引き結び、頰かむりの上から左頬に触れた。
(この鱗さえなければ……)
二年間、仕事を頑張ってきた。汚れがひどいものは率先して洗ったし、冬場は洗濯桶の水を温めている。
だから感謝はしてもらえる。しかし、完全には受け入れてもらえない。鱗のせいで。
落ち込む水奈の隣では、カリンがまだ喚いている。
「アザミなんか城から追い出されちまえ!」
「……カリン、落ち着いて。アザミに聞こえてないみたい。それに、そんなに騒いだら火乃様に叱られちゃう」
水奈に言われて、カリンは口をつぐんだ。アザミに無視されていることに、やっと気付いたらしい。
ぶすっとするカリンの横で、水奈はひたすら手を動かした。
沈んだ気持ちや、雪晴への恐怖をすり潰すように、洗濯板へ衣類をこすりつける。
そうしながら自分に言い聞かせた。
(大丈夫、悪いことばかりじゃないわ。雪晴殿下のお目がご不自由なら、『魚女』『気持ち悪い』って言われなくて済むんだから)
そして、翌朝。朝の洗濯作業を済ませた水奈は、雪が散らつく中、火乃に言われた場所へ向かった。
雪晴の屋敷は、すぐに見つかった。しかし、水奈は戸惑っていた。
城からずっと駆けてきた足は、完全に止まってしまった。
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