上 下
3 / 127
惹かれ合う二人

2 雪晴の目

しおりを挟む
 城の裏手に着くと、洗濯女たちが仕事の準備をしていた。
 各々、井戸の周りに洗濯桶を置き、井戸水を汲んでは注いでいる。

 水奈が駆け寄ると、何人かが気付いて振り向いた。
 そのうちの一人、十歳くらいの少女が大きく手を振った。

「水奈、こっち! これがあんたの桶。水も入れといてやったよ!」
 
「ありがとう、カリン」

 水奈は息を整えながら、カリンの隣にしゃがんだ。

「いいって、いいって」

 カリンが首を振ると、おかっぱがふるふると揺れる。

「それよりさぁ、水奈。早くをやってよ。寒くてたまんないよ! あーあ、なんで冬なんかがあるんだろ。ずっと春ならいいのに」

 カリンは歯をカチカチ鳴らしながら、水奈の腕にしがみついた。
 
 二年前、水奈が城へ来たばかりの頃、カリンは「げっ、鱗⁉︎ 気持ち悪っ!」と顔を引きつらせていたが、今は子猫のようにじゃれてくる。

 子ども特有の柔軟さで慣れたこともあるのだろうが、最大の理由は彼女がせがむだろう。

 ほかの洗濯女たちが水奈の陰口を言わなくなったのも、きっと同じ理由だ。彼女らは今、期待のまなざしで水奈を見ている。

「カリン、すぐ済ませるね」

 水奈は、小さなおかっぱ頭をなでると、二十数個の桶に意識を向けた。

 桶に張られた水が、息を吐くように揺らめく。吐息の代わりに立ち上るのは、白い湯気だ。

 洗濯女たちが、こぞって桶の中に手を浸す。

「ああ、あったかい」

「極楽、極楽」

 満面の笑みがあちこちで生まれる。その笑みが水奈へ向けられる。

「ありがとうね、水奈」

「いつも助かるよ」

 声をひそめる洗濯女たちに合わせて、水奈も「いえ」と小声で返す。

 水を沸かす。凍らせる。流れを作り、止める。
 水に関しては自由自在。水奈が生まれ持つ異能だ。

 亡き母は、

『外では絶対に力を使っちゃ駄目よ。それを使えるのは水奈だけなの。みんなびっくりするわ』

 と、言っていたが、水奈はその約束を破るしかなかった。
 
 祖父に仕える兵士に、滝壺へ突き落とされた時。水を操らなければ溺れ死んでいた。

 洗濯女たちが、水奈を城から追い出そうとした時もだ。水奈は、「冬場に水を温めるから働かせてほしい」と頼み込み、力を見せた。

 たった今、そうしたように。

 水奈が温めた湯で、洗濯女たちは活力を得たらしい。衣類を洗う水音と、楽しげなおしゃべりで、洗濯場は一気に騒がしくなった。
 カリンも水奈に話しかけてくる。

「なあ、水奈。さっきの話、聞こえたんだけど」

「さっきのって、火乃様のお話?」

「そうそう。王子の侍女に選ばれたんだろ? 玉の輿じゃん。いいなー」

「はあ⁉︎ 王子の侍女⁉︎」

 棘のある声が飛んできた。
 水奈とカリンは同時に飛び上がり、声の主を見た。

 井戸を挟んだ向かいに、水奈と同じ年頃の洗濯女がいる。
 半年前、白銀城へ来たアザミだ。涼やかで綺麗な顔が、今は般若のようにゆがんでいる。

「王子の侍女って婚約者みたいなもんじゃない! 本当に水奈が選ばれたわけ? 私じゃなくて?」

「え、ええ。明日から、雪晴殿下のところへ行くことになったの。昼間だけ」

 水奈は怯みつつ、うなずいた。すると、アザミは急に嫉妬を消した。

「なーんだ、第三王子か。じゃ、どうでもいいわ。精々頑張って」

「どうでもいいって、どういうことだよ」

 カリンが眉を寄せると、アザミは「ふん」と鼻を鳴らした。

「あんた、赤ん坊の時から白銀城にいるくせに、雪晴のことも知らないの? これだから捨て子は」

「捨て子は関係ないだろ、雪晴が何だっていうんだ!」

 毛を逆立てる勢いで、カリンが喚く。

「私は優しいから教えてあげるけどー」

 アザミは馬鹿にするように肩をすくめた。

「雪晴は、お城から追い出された王子なのよ。だったら王位にはつけないでしょ? 領地すらもらえないかもね。そんなやつの侍女、玉の輿じゃなくて泥舟だわ」

 そう言ったアザミは、意地の悪い笑みを水奈に向けた。

「ま、水奈にはお似合いじゃない? 雪晴は目が見えないらしいから」

「目が見えない?」

 水奈は、洗濯の手を止めて聞き返した。

「ええ。だから、あんたの鱗にも気付かないわよ。よかったわね」

 にやつくアザミは笑みを深め、聞こえよがしに続ける。

「こっちも気分がいいわー。昼間だけでも、気色悪い顔を見なくて済むんだから。火乃も、たまにはいいことするじゃない」

「なんだよ! 湯で洗濯できるのは水奈のおかげなのに、この恩知らず!」

 そうやって言い返すのはカリンだけ。周りの洗濯女たちは、聞こえないふりをしている。
 そればかりか、苦笑している者もいる。内心、アザミの言葉に同意しているのだろう。
 
 水奈は唇を引き結び、頰かむりの上から左頬に触れた。

(この鱗さえなければ……)

 二年間、仕事を頑張ってきた。汚れがひどいものは率先して洗ったし、冬場は洗濯桶の水を温めている。
 だから感謝はしてもらえる。しかし、完全には受け入れてもらえない。鱗のせいで。

 落ち込む水奈の隣では、カリンがまだ喚いている。

「アザミなんか城から追い出されちまえ!」

「……カリン、落ち着いて。アザミに聞こえてないみたい。それに、そんなに騒いだら火乃様に叱られちゃう」

 水奈に言われて、カリンは口をつぐんだ。アザミに無視されていることに、やっと気付いたらしい。

 ぶすっとするカリンの横で、水奈はひたすら手を動かした。
 沈んだ気持ちや、雪晴への恐怖をすり潰すように、洗濯板へ衣類をこすりつける。

 そうしながら自分に言い聞かせた。

(大丈夫、悪いことばかりじゃないわ。雪晴殿下のお目がご不自由なら、『魚女』『気持ち悪い』って言われなくて済むんだから)

 そして、翌朝。朝の洗濯作業を済ませた水奈は、雪が散らつく中、火乃に言われた場所へ向かった。

 雪晴の屋敷は、すぐに見つかった。しかし、水奈は戸惑っていた。
 城からずっと駆けてきた足は、完全に止まってしまった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

後宮の裏絵師〜しんねりの美術師〜

逢汲彼方
キャラ文芸
【女絵師×理系官吏が、後宮に隠された謎を解く!】  姫棋(キキ)は、小さな頃から絵師になることを夢みてきた。彼女は絵さえ描けるなら、たとえ後宮だろうと地獄だろうとどこへだって行くし、友人も恋人もいらないと、ずっとそう思って生きてきた。  だが人生とは、まったくもって何が起こるか分からないものである。  夏后国の後宮へ来たことで、姫棋の運命は百八十度変わってしまったのだった。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

よんよんまる

如月芳美
キャラ文芸
東のプリンス・大路詩音。西のウルフ・大神響。 音楽界に燦然と輝く若きピアニストと作曲家。 見た目爽やか王子様(実は負けず嫌い)と、 クールなヴィジュアルの一匹狼(実は超弱気)、 イメージ正反対(中身も正反対)の二人で構成するユニット『よんよんまる』。 だが、これからという時に、二人の前にある男が現われる。 お互いやっと見つけた『欠けたピース』を手放さなければならないのか。 ※作中に登場する団体、ホール、店、コンペなどは、全て架空のものです。 ※音楽モノではありますが、音楽はただのスパイスでしかないので音楽知らない人でも大丈夫です! (医者でもないのに医療モノのドラマを見て理解するのと同じ感覚です)

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! リクエストの更新が終わったら、舞踏会編をはじめる予定ですー!

処理中です...