友だちは君の声だけ

山河 枝

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おまけ・本当の友だちの、次④

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「……何でもないよ」
「本当に?」
「うん。ちょっと、ぼーっとしただけ」
「お祖父さんたちのことを考えてたから?」

 喉がひとりでに、ごくりと動いた。なぜわかったのかと、問いを込めて芽衣を見つめる。
 すると芽衣は、腹をくくったような腰をすえたような、落ち着いた様子で口を開いた。

「実はね。駅前で会ってからずっと、優真が何をしたいのか考えてたの」
「僕が何をしたいかって……どういうこと?」
「辛いことを話してすっきりしたいのか、楽しい雰囲気で気を紛らわせたいのか」
「別に、そんな……そんなことする必要、ないよ」
「だけど優真は、お祖父さんの家でたくさんのことを我慢して、たくさんのことを頑張ってるんでしょ?」
「そんなこと……」
「嘘。小学生の時は、いっぱい愚痴を手紙に書いてたじゃない。拓真くんの成績が悪かったから、自分の漫画まで捨てられた、とか」

 言われてみると、そんなことを書いた気もする。祖父の抜き打ち検問が始まってからは、不平不満を手紙にぶつけるのはやめたけれど。

 それにしてもよく覚えてるな。そういえば、芽衣のあだ名は「暗記の神」だっけ。

「なのに、だんだん近況報告ばっかりになって、便箋の枚数も減ってきて……いちばん最近の手紙なんか、待ち合わせの日時と場所しか書いてなかったじゃない。あとは『祖父が手紙を見るとまずいから、来れるか来れないかだけ返事をください』──で、おしまい。それでね、思ったの。『ああ、また無理してるな』って」

 芽衣は頬をふくらませて、不満げに僕を睨んだ。

「今日だってそうだよ。せめて隣の県まで行こうと思ってたのに。勝手に場所を決めちゃって!」
「ごめん……でも、芽衣に交通費を払わせるのも悪いし」

 それに、祖父には知り合いが多い。そのうちの誰かが、僕が女の子と会っているところを見たら、祖父に伝わるかもしれない。だから、できるだけ遠くへ来たかった。

「だからってこんなところまで来たら、優真だけが何千円も払わなくちゃいけないでしょ! いつも頑張ってるから、少しでも負担を減らしたかったの! ……それで、私ね」

 急に、芽衣の勢いが小さくなった。ひざにちょこんと手を置いてうつむき、肩を丸めている。

「今日は、優真に元気になってもらおうって決めてたの。お家の話を聞いてほしいなら、たくさん聞こう。話したくないなら、うんと楽しい時間を作ろうって」

 ぽつりぽつりと語る芽衣は、「でも」と続けた。

「どっちでもなかった。優真は、自分が何をしたいのかがわからないんだね」

 ごまかしの言葉が出なかった。ただ純粋に驚いた。心を芽衣に見透かされていたことに。

「どうして……」
「だって、何を聞いても困ったような顔するから。困ってるというより、ビクビクしてる……かな? どの答えが正解なのか、探してる感じ」

 あまりにも的を射すぎている。驚きを通り越して、笑ってしまった。
 ちょうどそこへ店員が、料理を乗せた四角い盆を持ってきた。

「お待たせいたしました。日替わり定食でございます」

 まずは芽衣の前へ。しばらくして、僕の前にも四角い盆が運ばれてきた。

 真っ先に目が吸い寄せられたのは、ひと口では絶対に食べられない、大きなからあげ。レタスの隣に4つ、どっかりと鎮座している。
 作り立てらしい。湯気が立ちのぼっている。こんがり揚がった衣の一部から、ジジジ、という油の音までする。

「話し込んじゃったね、ひとまず食べよっか。いただきます!」
「いただきます……」

 芽衣に続いて手を合わせると、祖父のするどい声が、頭の中心から響いてきた。

 ──まずは汁物に口をつけろ、常識だろうが! いきなり主菜にかじりつくのは、品性のない人間のすることだ。どうせ、あのクズ男の真似だろうが──

 真っ先に鶏の照り焼きを頰ばった拓真への、当てつけだった。

(肉から食べたら、叱られる)

 目の前の料理が、急に色あせて見えた。合わせた手を下ろし、右手で箸を、左手で味噌汁の椀を持った時。

「からあげ、食べればいいじゃない」

 突然かけられた声にびっくりして、汁椀を落としかけた。
 目線を正面へ移すと、芽衣がからあげを箸で持ち上げていた。

 ピンクの唇が、パカッと開く。巨大なからあげにかぶりつく。
 もぐもぐと口を動かす芽衣の顔は、とても幸せそうだ。

「うー、おいしい! 優真も熱いうちに食べたら?」
「いや、僕は……」
「食べたいんでしょ? からあげ見てる時、目の色が変わってたよ」
「う、嘘っ」
「ほんと、ほんと。したいこと、していいんだよ。ここはお祖父さんの家じゃないんだから」

 したいこと、していいんだよ──芽衣の言葉を心でくり返す。彼女に言われると、なぜか自然に受け入れられた。

 ここにいる時は、したいことをしてもいい。ここに祖父はいない。僕は自由なんだ。

 少しずつ、世界の色が戻ってくる。音も。香りも。
 大きく息を吸い込むと、香辛料の効いたからあげの匂いが、ぶわっと喉の奥になだれ込んできた。
 急速に空腹感が増していく。
 
 僕は汁椀をお盆に置いた。巨大なからあげを箸で持ち上げ、思い切りかぶりつく。
 ざくり、と衣が砕ける。肉はやわらかい。簡単に噛み切れる。
 からあげを奥歯でつぶすたび、ニンニクやこしょうの香りが、肉汁のうまみとともに口いっぱいに広がる。

(おいしい。こんなにおいしいもの、あの時以来だ)

 家族でファミリーレストランに行った時。食べたものは思い出せないけれど、おいしくてたまらなかった気持ちが、はっきりとよみがえってくる。

 ──優真、どれにする?──

 メニューを見ていた僕に、赤ちゃんの拓真を抱いたお母さんは、そう尋ねた。お父さんも、穏やかな目で僕を見ていた。
 その時、僕は即答したのだと思う。自分の食べたいものを、自分のしたいことを、よくわかっていたから。

 だから、あんなにおいしいと思えたんだ。良くも悪くも、心の蓋が全開だったから。
 
 僕はからあげと白飯を、交互に食べ続けた。全細胞が、久しぶりの、本当に久しぶりの解放感に震えている。胸の奥から喜びが突き上げてきて、泣きそうになる。

 だけど泣かない。泣きたくない。
 泣いたら、僕の方をちらちらと見ては少し微笑む芽衣の顔が、見えなくなるから。料理の味も、ただよう空気の温もりも、わからなくなりそうだから。
 
 ここにあるものすべて、全身に刻みつけたい。決して忘れないように、骨の髄まで。
 そうすれば祖父母の家へ帰っても、自分を見失わずにいられる気がした。

 だんだんと空腹感が落ち着いてくる。お茶で喉を潤し、レタスや小鉢の和え物をつまみ、最後にほどよい温度になった味噌汁を飲んでいると、芽衣が楽しそうに言った。

「すごい勢いで食べてたね」

 彼女の前にはまだ、味噌汁と白飯が半分ずつと、からあげが2つ残っている。

「あ……先に食べちゃってごめん」
「謝らなくていいって。私こそ、遅くてごめん。待ってもらっていい?」
「あ、うん。ゆっくり食べて……」
「そうする。ありがとう」
 
 芽衣はにこっと笑った。それから味噌汁を少しすすって、また僕を見た。

「顔色よくなったね」
「そう?」
「うん。お風呂上がりの人みたい」

 そう言われて、自分の体へ意識を向けた。

 心臓がトクトクと力強く打っている。耳や指先まで、ほのかに火照っている。

「次は拓真も連れてこようかな」

 ふいに、口から言葉が漏れた。罪悪感や義務感からじゃない。ただ純粋に、おいしいものを食べさせてやりたいと思った。
 
 心の蓋を開けると、こもっていた空気が抜けるのか、他人のことを考えるゆとりが生まれるらしい。

「芽衣は拓真が一緒でもいい?」

 からあげをかじったらしい芽衣は、何度か口をモグモグさせて、ごくんと飲み込み、「もちろん!」と嬉しそうに言った。

「拓真くん、今は中1ぐらい? 大きくなったでしょ」
「そうだね、今は芽衣より大きいよ。もうすぐ170に届くんじゃないかな」
「嘘っ⁉︎ えー……じゃあどうしよう。『ちび』って馬鹿にされちゃうかなあ」
「そんなことしないって。むしろ……コンプレックスを抱きやすいやつだから、芽衣と自分を比べていじけるかも」

 芽衣を好きになるかも。僕みたいに。そう言いかけて、慌てて訂正した。

「そう? じゃ、次は拓真くんも元気にしてあげないといけないね!」
「そ、そんなに芽衣が頑張らなくていいから。疲れちゃうよ」

 何より、拓真が芽衣を気に入ったら困る。

「その台詞、優真は言われる側でしょ! でもそうだなあ……3人で遊んだら、2対1に分かれがちだもんね。美咲も誘おうかな」
「『美咲』って、駅前でも言ってた人?」
「うん、このお店を教えてくれた友だち。優真と拓真君の話をしたら、会いたがってたよ。ここの店員さんみたいにスタイルがよくて、しっかりしてて、数学も得意で──」

 と、にこやかに話していた芽衣の笑顔は、唐突に凍りついた。
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