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40 苦しくなるのは私だけ
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『礼儀正しい母親で……ええ、学校行事には顔を出さなかったようですが、三者面談には欠かさず来ていたそうです。服装も、本当に素朴だったと』
朝ごはんを食べていると、テーブル脇の小型テレビから、しわがれた声が流れてきた。
画面の中には、スーツ姿のふっくらとしたおじいさん。その横に浮かぶテロップには、古めかしい名前と「校長」の文字。
『子どもたちにケガはなく、2人とも、学校へ何か言ってくることもなかったので、まさか家がそんな状態だとは思わなかった──担任は、そう申しております』
おじいさんの校長先生は、丸い両手をしきりにもみ合わせている。その姿が、急に画面から消えた。
代わりにアナウンサーのお姉さんが、真剣なまなざしでこっちを見つめてくる。
『育児放棄の疑いは以前からあったとのことですが、衣類が洗濯されていた、髪や爪が定期的に切られていた、という兄弟の様子から、学校側は緊急性が低いと見て──』
そこで、今度はアナウンサーのお姉さんがパッと消えた。お姉さんだけでなく、音もテロップもスタジオも、何もかもが消え失せて、真っ黒な画面にうちの食卓が映る。
「芽衣。お箸、止まってる」
黒い画面に映るお母さんは、リモコンを片手に、顔をしかめている。
「早く食べないと遅刻するわよ」
私は、小型テレビからそらした目を、テーブルの向かいにいるお母さんへと移した。画面に映っていた時よりもずっと、表情が険しい。
「ボーッとしてたら、1年生の時みたいにランドセル……」
「そ、そうだね、早く食べないと!」
お母さんの小言をさえぎって、残ったご飯をかきこむ。
お茶碗に鼻を突っこんで、必死をよそおう。誰にも話しかけられないように。
なぜなら、「ごちそうさま」と手を合わせたお姉ちゃんが、ニヤニヤしながらこっちを見ていたからだ。
私の「ランドセルど忘れ事件」をネタに、からかおうとしていたに違いない。3年前のことなんだから、いい加減に忘れてほしい。
別の席では、お父さんが笑いをこらえている。お母さんはお姉ちゃんに、「芽衣のことはいいから、さっさと歯を磨いてきなさい」とチクリ。
いつもと変わらない朝だ。このあとはどうなるか。もうわかっている。
お姉ちゃんが洗面所で、「寝ぐせが治らない!」と騒ぐ。「気にしすぎよ!」とお母さんが怒る。2人の言い合いになんとか割って入ろうと、「行ってきます! おーい、行ってくるよ!」とお父さんが叫ぶ。
こんなにもいつも通りなのに、どうして私の心だけ、日常に戻れないんだろう。
ニュースを見て、お箸が止まるのは私だけ。ユウマくんが、ボロボロの部屋でタクマくんの爪を切る──その姿を想像して、苦しくなるのは私だけ。
今、あの2人がどうしているのかを知りたかった。そうすれば、ざわつく心が落ち着くはず。そう思って、家にいる間はテレビにかじりついていた。
そうした日々は、7月に入る前に終わった。ユウマくんたちのニュースが流れなくなったからだ。
ユウマくんたちがどこへ行ったのかは、わからずじまいだった。
5年生に上がっても、ユウマくんのことはなんとなく気にかかっていた。お母さんについてムツバスーパーへ行く時、新しいケータイを手にした時、ユウマくんのくぐもった泣き声が耳の奥からよみがえってきて、静かに胸を締めつけた。
そんなふうに思うのも、やっぱり私だけ。お父さんとお母さんは、GPSを頼りに私を探し回ったことは覚えているけれど、ユウマくんの名前は忘れてしまったらしい。
だからその日、家へ帰った私に、お母さんは平然と言ったんだろう。
「芽衣。あんた、文通でも始めたの?」
2階への階段をのぼろうとしていた私は、足を止めて振り返った。
「違うけど……」
「じゃあ、友だちが遠くに転校したとか?」
「ううん。なんで?」
「県外から、芽衣宛ての手紙が来たのよ。心当たり、ない?」
いぶかしげに眉を寄せたお母さんへ、「さあ」と返しかけた時、うずくまって号泣していた背中が、あざやかに脳裏へひらめいた。
「心当たり……ある、かも」
動揺を悟られないよう、深く息を吸いこむ。
「そう? それならいいけど。でも、もし知らない人からの手紙だったら、ちゃんと言いなさいよ」
「わかった」
早口で応えて、私は階段を駆け上がった。
自分の部屋に入ると、学習机の上に、白い封筒が置いてあった。
ランドセルを机にかけて、Tシャツの裾で手を──特に汚れていたわけではないけれど──ゴシゴシふいて、そうっと封筒を持ち上げる。
表側には、私の住所と名前。きれいな字とは言いがたいけれど、友だちに見せたら笑われそうなほどの生真面目さで、止めや払い、はねをしっかりと書いてある。
期待と緊張に手を震わせて、封筒を裏返す。
そこには、2つ隣の県名と、知らない町の名前。それから差出人の氏名が、表側と同じ几帳面な字で書かれていた。
『神山 優真』
朝ごはんを食べていると、テーブル脇の小型テレビから、しわがれた声が流れてきた。
画面の中には、スーツ姿のふっくらとしたおじいさん。その横に浮かぶテロップには、古めかしい名前と「校長」の文字。
『子どもたちにケガはなく、2人とも、学校へ何か言ってくることもなかったので、まさか家がそんな状態だとは思わなかった──担任は、そう申しております』
おじいさんの校長先生は、丸い両手をしきりにもみ合わせている。その姿が、急に画面から消えた。
代わりにアナウンサーのお姉さんが、真剣なまなざしでこっちを見つめてくる。
『育児放棄の疑いは以前からあったとのことですが、衣類が洗濯されていた、髪や爪が定期的に切られていた、という兄弟の様子から、学校側は緊急性が低いと見て──』
そこで、今度はアナウンサーのお姉さんがパッと消えた。お姉さんだけでなく、音もテロップもスタジオも、何もかもが消え失せて、真っ黒な画面にうちの食卓が映る。
「芽衣。お箸、止まってる」
黒い画面に映るお母さんは、リモコンを片手に、顔をしかめている。
「早く食べないと遅刻するわよ」
私は、小型テレビからそらした目を、テーブルの向かいにいるお母さんへと移した。画面に映っていた時よりもずっと、表情が険しい。
「ボーッとしてたら、1年生の時みたいにランドセル……」
「そ、そうだね、早く食べないと!」
お母さんの小言をさえぎって、残ったご飯をかきこむ。
お茶碗に鼻を突っこんで、必死をよそおう。誰にも話しかけられないように。
なぜなら、「ごちそうさま」と手を合わせたお姉ちゃんが、ニヤニヤしながらこっちを見ていたからだ。
私の「ランドセルど忘れ事件」をネタに、からかおうとしていたに違いない。3年前のことなんだから、いい加減に忘れてほしい。
別の席では、お父さんが笑いをこらえている。お母さんはお姉ちゃんに、「芽衣のことはいいから、さっさと歯を磨いてきなさい」とチクリ。
いつもと変わらない朝だ。このあとはどうなるか。もうわかっている。
お姉ちゃんが洗面所で、「寝ぐせが治らない!」と騒ぐ。「気にしすぎよ!」とお母さんが怒る。2人の言い合いになんとか割って入ろうと、「行ってきます! おーい、行ってくるよ!」とお父さんが叫ぶ。
こんなにもいつも通りなのに、どうして私の心だけ、日常に戻れないんだろう。
ニュースを見て、お箸が止まるのは私だけ。ユウマくんが、ボロボロの部屋でタクマくんの爪を切る──その姿を想像して、苦しくなるのは私だけ。
今、あの2人がどうしているのかを知りたかった。そうすれば、ざわつく心が落ち着くはず。そう思って、家にいる間はテレビにかじりついていた。
そうした日々は、7月に入る前に終わった。ユウマくんたちのニュースが流れなくなったからだ。
ユウマくんたちがどこへ行ったのかは、わからずじまいだった。
5年生に上がっても、ユウマくんのことはなんとなく気にかかっていた。お母さんについてムツバスーパーへ行く時、新しいケータイを手にした時、ユウマくんのくぐもった泣き声が耳の奥からよみがえってきて、静かに胸を締めつけた。
そんなふうに思うのも、やっぱり私だけ。お父さんとお母さんは、GPSを頼りに私を探し回ったことは覚えているけれど、ユウマくんの名前は忘れてしまったらしい。
だからその日、家へ帰った私に、お母さんは平然と言ったんだろう。
「芽衣。あんた、文通でも始めたの?」
2階への階段をのぼろうとしていた私は、足を止めて振り返った。
「違うけど……」
「じゃあ、友だちが遠くに転校したとか?」
「ううん。なんで?」
「県外から、芽衣宛ての手紙が来たのよ。心当たり、ない?」
いぶかしげに眉を寄せたお母さんへ、「さあ」と返しかけた時、うずくまって号泣していた背中が、あざやかに脳裏へひらめいた。
「心当たり……ある、かも」
動揺を悟られないよう、深く息を吸いこむ。
「そう? それならいいけど。でも、もし知らない人からの手紙だったら、ちゃんと言いなさいよ」
「わかった」
早口で応えて、私は階段を駆け上がった。
自分の部屋に入ると、学習机の上に、白い封筒が置いてあった。
ランドセルを机にかけて、Tシャツの裾で手を──特に汚れていたわけではないけれど──ゴシゴシふいて、そうっと封筒を持ち上げる。
表側には、私の住所と名前。きれいな字とは言いがたいけれど、友だちに見せたら笑われそうなほどの生真面目さで、止めや払い、はねをしっかりと書いてある。
期待と緊張に手を震わせて、封筒を裏返す。
そこには、2つ隣の県名と、知らない町の名前。それから差出人の氏名が、表側と同じ几帳面な字で書かれていた。
『神山 優真』
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