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4 半分だけのお弁当
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「ユウマくん。どうかしたの? 何かあった?」
『あ……ううん。うちのアパートって怖いのか、と思って』
返ってきた声には元気がない。私の言葉で気を悪くしたんだろうか。
「あの、ごめんね。ユウマくんの家、怖いとか言って」
『え?』
「なんか、落ちこんでるみたいだから」
ユウマくんは、また「え?」と面食らったように言ってから、ぽつんと続けた。
『違うよ、メイさんのせいじゃないよ。なんていうか……お母さんが帰ってこないのは、アパートの色が嫌いだからかなぁって、考えただけ』
静かな声には、「お母さんに帰ってきてほしい」という気持ちがにじんでいて、こっちまで心細くなってしまう。
その時、電話の向こうの遠くから「にいちゃーん」と可愛らしい声がした。
『あ、弟がテレビ見終わっちゃった! ごめん、そろそろ電話切らなきゃ』
「え? あ、うん」
私はいすの背もたれ越しに、ベッドを振り返った。枕元の目覚まし時計を見ると、もう15分くらい話している。私も切らなくちゃ。
『メイさん。明日の夕方、またかけていい?』
「あ、明日は塾があるんだ。だから電話をかけるのは、えーっと……夜の8時くらいにしてくれる?」
言ってから「失敗した」と思った。今日で終わりにするつもりだったのに、また約束してしまった。だけど。
『わかった、ありがとう!』
ユウマくんの声は、星を散りばめたようにキラキラ輝いていて、「やっぱりだめ」とは言えなかった。
(しょうがない。明日も電話に出よう)
そう思った時、私の心には、「困った」「どうしよう」という気持ちはほとんど残っていなかった。
代わって胸へ湧いてきたのは、「またユウマくんと話したい。もっとユウマくんを喜ばせたい」という思いだった。
知らなかった。人に喜んでもらえると、こっちまでうれしくなるんだ。
『にいちゃん、お腹すいたあ!』
考え事の中に割りこんできたブーイングは、赤ちゃんが一生懸命おしゃべりしているような声で、私は吹き出しそうになった。
『わかった、わかった! 落ち着いてよ、タクマ。しばらく公園で遊んで、それからスーパー行こう。今日は、ちゃんと半分で我慢……』
そこで、電話はぷつんと切れた。
(半分って、お弁当の半分?)
晩ごはんは、スーパーのお弁当を弟と半分こ。昨日、ユウマくんはそう言った。
少食だったらいいけど、給食をおかわりするような子なら、全然足りないだろうな。
リビングの食卓について、お母さんが買ってきたお弁当をつつきながら、そんなことを考えていた。
「んー! ムツバスーパーのからあげ、やっぱおいしー!」
ほっぺたを押さえて叫んだお姉ちゃんの、ポニーテールがフワッと揺れる。
「舞衣、ごはん粒が飛んだわよ。口に物が残ってる時に、しゃべらないの」
お母さんが、ちょっと怖い顔でお姉ちゃんを見る。でもお姉ちゃんはニコニコしたまま、ふたつ目のからあげをお箸で持ち上げた。
「だっておいしいんだもーん。お母さん、毎日パートのシフト入れてよ。それで、特製からあげ弁当、晩ごはんに買ってきて!」
「あら。それってつまり、私の料理はいらないってこと? じゃ、明日から舞衣のお弁当はなしね。中学の購買でパン買いなさい」
「あ、うそです! 冗談です! 受験生の数少ない楽しみを取らないで!」
にぎやかな会話に紛れて、玄関から、カチャカチャ、ガチャッと音がした。そのあとに、「ただいまー」というのんびりした声が飛んでくる。
お姉ちゃんが、クルッと玄関のほうを振り向いた。
「おかえりー! お父さん、今日は早いね」
「お弁当、チンしなくちゃ。舞衣はテーブルの麦茶、注いであげて。芽衣はお箸出してくれる?」
「あ……うん」
私は席を立って、食器棚の方へ向かった。
いつもの晩ごはん。私の「いつも」。
ユウマくんの「いつも」とは、きっと全然違う。
(今頃ユウマくんは、ボロボロのアパートで、小さな弟と──タクマくんと2人きりで、お弁当を半分こ……)
お父さんのお箸を一本、また一本と出して、それを握ったまま食器棚の前でぼんやりしていると、
「芽衣!」
と、お姉ちゃんが呼んだ。
「何してんの? 芽衣のお弁当、まだ半分残ってるよ! 食べちゃおっかな~」
(お弁当が、半分……)
私はお腹に手を当てた。体の奥が、「もっと食べたい」と訴えてくる。
「舞衣、太るわよ! 芽衣もボーッとしないの。お父さんのお箸、早くテーブルに出して。それで、さっさとお弁当食べなさい。お姉ちゃんにからあげ取られても知らないからね」
お母さんが言ってすぐ、部屋着に着替えたお父さんが、リビングへ顔を出した。
私は急いでお父さんの席にお箸を置いて、自分のお弁当の残り半分を食べ始めた。
からあげは、おいしかった。サラダも、ごはんも、とてもおいしかった。
おいしいと思うたび、ユウマくんのことが頭をよぎった。
「……ごちそうさま」
ごはんのひと粒まで平らげた私は、ふくれたお腹をさすった。からあげと、サラダとごはんと、今まで感じたことのないモヤモヤが、重く沈んでいた。
✳︎
『こ、こんばんは、メイさん』
ユウマくんの、恥ずかしそうな緊張気味の声が、ケータイから聞こえる。
「こんばんは、ユウマくん……」
『今日は塾だったんだよね?』
「うん……」
ベッドにごろんと横になって、ため息と一緒にうなずいた。いっぱいになったお腹をなでる。
今日は、私は塾だったけれど、お母さんはパートがなくて、晩ごはんは手料理だった。
オムライスとポテトサラダ。野菜炒めとコンソメスープ。
ついつい食べすぎて、おへその上あたりが、小山みたいにポコッとふくらんでいる。
お母さんのオムライスは、ケチャップライスじゃなくてバターライス。そっちの方が、お父さんの好みらしい。
家へ帰ってきた途端、バターの匂いが廊下にまで漂っていて、塾帰りでペコペコのお腹が、ぐうっと悲鳴を上げた。
ただ、そういうことをユウマくんに話すのは悪いような気がして、だけどほかに話したいこともなくて、だから聞いてみた。
「ユウマくん。今日は、何の話、する?」
すると3秒くらい空けて、
『なんか、元気ない?』
と、ユウマくんが聞き返してきた。
元気がないわけじゃない。塾へ行ったから脳みそは疲れているけれど。
ポテトサラダをおかわりしてお腹が苦しいから、声に力が入らないだけだ。でも、それもたぶん、ユウマくんには言わない方がいいと思う。
それで、ちょっと考えて答えた。
『あ……ううん。うちのアパートって怖いのか、と思って』
返ってきた声には元気がない。私の言葉で気を悪くしたんだろうか。
「あの、ごめんね。ユウマくんの家、怖いとか言って」
『え?』
「なんか、落ちこんでるみたいだから」
ユウマくんは、また「え?」と面食らったように言ってから、ぽつんと続けた。
『違うよ、メイさんのせいじゃないよ。なんていうか……お母さんが帰ってこないのは、アパートの色が嫌いだからかなぁって、考えただけ』
静かな声には、「お母さんに帰ってきてほしい」という気持ちがにじんでいて、こっちまで心細くなってしまう。
その時、電話の向こうの遠くから「にいちゃーん」と可愛らしい声がした。
『あ、弟がテレビ見終わっちゃった! ごめん、そろそろ電話切らなきゃ』
「え? あ、うん」
私はいすの背もたれ越しに、ベッドを振り返った。枕元の目覚まし時計を見ると、もう15分くらい話している。私も切らなくちゃ。
『メイさん。明日の夕方、またかけていい?』
「あ、明日は塾があるんだ。だから電話をかけるのは、えーっと……夜の8時くらいにしてくれる?」
言ってから「失敗した」と思った。今日で終わりにするつもりだったのに、また約束してしまった。だけど。
『わかった、ありがとう!』
ユウマくんの声は、星を散りばめたようにキラキラ輝いていて、「やっぱりだめ」とは言えなかった。
(しょうがない。明日も電話に出よう)
そう思った時、私の心には、「困った」「どうしよう」という気持ちはほとんど残っていなかった。
代わって胸へ湧いてきたのは、「またユウマくんと話したい。もっとユウマくんを喜ばせたい」という思いだった。
知らなかった。人に喜んでもらえると、こっちまでうれしくなるんだ。
『にいちゃん、お腹すいたあ!』
考え事の中に割りこんできたブーイングは、赤ちゃんが一生懸命おしゃべりしているような声で、私は吹き出しそうになった。
『わかった、わかった! 落ち着いてよ、タクマ。しばらく公園で遊んで、それからスーパー行こう。今日は、ちゃんと半分で我慢……』
そこで、電話はぷつんと切れた。
(半分って、お弁当の半分?)
晩ごはんは、スーパーのお弁当を弟と半分こ。昨日、ユウマくんはそう言った。
少食だったらいいけど、給食をおかわりするような子なら、全然足りないだろうな。
リビングの食卓について、お母さんが買ってきたお弁当をつつきながら、そんなことを考えていた。
「んー! ムツバスーパーのからあげ、やっぱおいしー!」
ほっぺたを押さえて叫んだお姉ちゃんの、ポニーテールがフワッと揺れる。
「舞衣、ごはん粒が飛んだわよ。口に物が残ってる時に、しゃべらないの」
お母さんが、ちょっと怖い顔でお姉ちゃんを見る。でもお姉ちゃんはニコニコしたまま、ふたつ目のからあげをお箸で持ち上げた。
「だっておいしいんだもーん。お母さん、毎日パートのシフト入れてよ。それで、特製からあげ弁当、晩ごはんに買ってきて!」
「あら。それってつまり、私の料理はいらないってこと? じゃ、明日から舞衣のお弁当はなしね。中学の購買でパン買いなさい」
「あ、うそです! 冗談です! 受験生の数少ない楽しみを取らないで!」
にぎやかな会話に紛れて、玄関から、カチャカチャ、ガチャッと音がした。そのあとに、「ただいまー」というのんびりした声が飛んでくる。
お姉ちゃんが、クルッと玄関のほうを振り向いた。
「おかえりー! お父さん、今日は早いね」
「お弁当、チンしなくちゃ。舞衣はテーブルの麦茶、注いであげて。芽衣はお箸出してくれる?」
「あ……うん」
私は席を立って、食器棚の方へ向かった。
いつもの晩ごはん。私の「いつも」。
ユウマくんの「いつも」とは、きっと全然違う。
(今頃ユウマくんは、ボロボロのアパートで、小さな弟と──タクマくんと2人きりで、お弁当を半分こ……)
お父さんのお箸を一本、また一本と出して、それを握ったまま食器棚の前でぼんやりしていると、
「芽衣!」
と、お姉ちゃんが呼んだ。
「何してんの? 芽衣のお弁当、まだ半分残ってるよ! 食べちゃおっかな~」
(お弁当が、半分……)
私はお腹に手を当てた。体の奥が、「もっと食べたい」と訴えてくる。
「舞衣、太るわよ! 芽衣もボーッとしないの。お父さんのお箸、早くテーブルに出して。それで、さっさとお弁当食べなさい。お姉ちゃんにからあげ取られても知らないからね」
お母さんが言ってすぐ、部屋着に着替えたお父さんが、リビングへ顔を出した。
私は急いでお父さんの席にお箸を置いて、自分のお弁当の残り半分を食べ始めた。
からあげは、おいしかった。サラダも、ごはんも、とてもおいしかった。
おいしいと思うたび、ユウマくんのことが頭をよぎった。
「……ごちそうさま」
ごはんのひと粒まで平らげた私は、ふくれたお腹をさすった。からあげと、サラダとごはんと、今まで感じたことのないモヤモヤが、重く沈んでいた。
✳︎
『こ、こんばんは、メイさん』
ユウマくんの、恥ずかしそうな緊張気味の声が、ケータイから聞こえる。
「こんばんは、ユウマくん……」
『今日は塾だったんだよね?』
「うん……」
ベッドにごろんと横になって、ため息と一緒にうなずいた。いっぱいになったお腹をなでる。
今日は、私は塾だったけれど、お母さんはパートがなくて、晩ごはんは手料理だった。
オムライスとポテトサラダ。野菜炒めとコンソメスープ。
ついつい食べすぎて、おへその上あたりが、小山みたいにポコッとふくらんでいる。
お母さんのオムライスは、ケチャップライスじゃなくてバターライス。そっちの方が、お父さんの好みらしい。
家へ帰ってきた途端、バターの匂いが廊下にまで漂っていて、塾帰りでペコペコのお腹が、ぐうっと悲鳴を上げた。
ただ、そういうことをユウマくんに話すのは悪いような気がして、だけどほかに話したいこともなくて、だから聞いてみた。
「ユウマくん。今日は、何の話、する?」
すると3秒くらい空けて、
『なんか、元気ない?』
と、ユウマくんが聞き返してきた。
元気がないわけじゃない。塾へ行ったから脳みそは疲れているけれど。
ポテトサラダをおかわりしてお腹が苦しいから、声に力が入らないだけだ。でも、それもたぶん、ユウマくんには言わない方がいいと思う。
それで、ちょっと考えて答えた。
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