ファンタジー恋愛短編集

山河 枝

文字の大きさ
上 下
4 / 4

天才音楽家の夫に愛されたい妻の話

しおりを挟む
 男爵令嬢のクラリスが、音楽家のアレクに嫁いで1ヶ月。
 茶会のたび、クラリスは誇らしい気持ちになった。

「クラリス、あなたがうらやましいわ」

「アレクの新曲を真っ先に聞けるんですもの」

「音楽家一族の中でも、突出した才能があるんですってね」

「陛下がご贔屓ひいきになさるのも当然だわ」

「次の曲も楽しみ」

 誰もが、夫への賞賛を口にする。

 婚姻は、クラリスの父が強引に推し進めた。
 アレクと初めて会ったのは挙式当日。
 訳もわからないまま、結婚生活が始まったが。

(大丈夫、私は幸せな結婚をしたのよ)
 
 クラリスはそう考えながら、あるオペラの序曲を口ずさむのだった。
 アレクの作品の中で、一番好きな曲を。

 しかし、クラリスは次第に不満を募らせていった。

 夫は大天才。音楽に情熱のすべてを注ぐ。
 その情熱を人に向けることは、一切ない。

 演奏会のない日は仕事部屋に閉じこもり、作曲ばかり。
 話しかけるのはいつもクラリスから。

「最近、寒くなったわね。風邪をひいたりしてない? 羊毛の敷物を買いましょうか」

 対するアレクの返事は──

「大丈夫、問題ない」

 いつもそれだけ。

 クラリスの口は重くなり、ついに食事時にしか声をかけなくなった。

「アレク、食事の時間よ」

 クラリスは廊下から呼びかける。
 今日こそ出てきてくれるのでは、と期待して。

 しかし、返事はいつも同じ。

「いいメロディが浮かんだから行けない。ここへ持って来させてくれ」

「……わかりました」

 せめて自分が給仕を──と、クラリスは食事を運ぶが。

「ありがとう」

 アレクはそれだけ言って、クラリスを見もしない。

 クラリスがそばにいても、お茶を淹れても、アレクは作曲の手を止めない。
 クラリスはため息をついて、仕事部屋をあとにするしかなかった。

(ろくに夫と会話しないまま、私は人生を終えるのね)

 そう考え始めた頃。
 突然、アレクがクラリスの自室にやってきた。

「新作を聞いてほしい、一緒に来てくれ」

 クラリスは目を丸くした。
 驚きすぎて「はい」も「いいえ」も言えなかった。
 嬉しいと感じる余裕もない。
 ただ、呆気に取られていた。

 立ち尽くすクラリスの手を、アレクは問答無用でつかむ。
 彼はそのまま、無言で廊下へ出た。

 クラリスは手を引かれながら、

(夢を見ているのかしら)

 と、他人事のように思った。
 仕事部屋に着くと、アレクはピアノの前にサッと座った。

「弾くよ」

 アレクは、クラリスの返事を待たずに演奏を始めた。
 ゆったりとした曲だった。

 弾き終えると、アレクはクラリスを振り返った。

「どう思う?」

「どうって……」

 クラリスは驚きながらも、何とか答えた。

「穏やかな曲ね。小川が流れているみたい」

 それから、あのオペラの序曲に似ている。聞くだけで幸せになる、あの曲に。

 クラリスの頭に、自然とその曲が流れ出す。
 胸に喜びが湧いてくる。

 ──アレクが初めて話しかけてくれた。

 クラリスは、我知らずアレクに笑いかけていた。
 すると、アレクはなぜか目を泳がせた。

 そして、クラリスがもっと驚くことを尋ねてきた。

「この曲、直すところはある?」

 クラリスは仰天して、ぶんぶんと首を振った。

「まさか! 完璧よ。もし技術的なことが聞きたいなら、あなたのお父様に──」

「そうじゃなくて、感想を聞きたいんだ」

 どうしてそんなことを言うのだろう。クラリスは首をかしげた。
 天才と名高い音楽家が、素人に意見を求めるなんて。
 
(私をからかっているの?)

 しかし、アレクの面持ちは真剣そのもの。
 どうやら本気らしい。

(女性好みの曲を作りたい、とか? でも、どうして私なのかしら)

 クラリスは不思議に思った。
 サロンへ行けば、音楽通の貴婦人にいくらでも会えるのに。

 だが、アレクと会話できるチャンスだ。
 クラリスは胸を躍らせながら、率直に答えた。

「私は、もっと速い曲が好き」

「速いって、テンポが?」

「ええ。ウサギが跳ねているような曲の方がいいわ」

「わかった、ありがとう」

 アレクは、考え込むように眉を寄せた。
 そして、メロディやリズムを変えつつ、試すように鍵盤を叩き出した。

 クラリスは、ピアノに向かうアレクに、おずおずと尋ねた。

「アレク。私にできること、ほかにもある?」

「今は大丈夫」

 アレクの言い方はそっけない。しかしクラリスは希望を持った。

 彼は「今は」と言った。
 またクラリスに意見を求めるかもしれない。

「わかったわ。じゃあ演奏会の依頼が来ていないか、見てくるわね」

「うん」

 アレクはクラリスの顔を見ない。返事も必要最低限。
 いつものアレクだ。

 それでも、クラリスは無性にワクワクして、大好きな曲を──オペラの序曲を口ずさみながら、廊下へ出た。

 そして3日後。

「クラリス、また曲を聞いてくれ」

 アレクの誘いに、クラリスは「喜んで」と微笑んだ。
 彼の用件は3日前と同じ。感想を教えてくれ、というものだった。

 曲を聞いたクラリスは、また正直に答えた。

「テンポが速くて心地いいわ。でも、メロディはもっと明るい方が好き」

「わかった、ありがとう」

 そんなやり取りを交わす日々が続き、1ヶ月が経ったある日。

 アレクは、再び仕事部屋から出なくなった。
 
(感想を聞くのに飽きたのかしら)

 クラリスは肩を落としたが、「諦めちゃ駄目」と気を取り直した。

(今度は、私から曲の話をしてみよう)

 しかし、アレクは前にも増して冷たくなった。
 仕事部屋に鍵をかけ、

「君は絶対に入らないでくれ。給仕はメイドに任せる」

 と、口早にクラリスへ告げた。

 クラリスは悩んだ。
 何がいけなかったのか。
 何を間違えたのか。

 思い詰めた末、とうとう茶会で近況を漏らしてしまった。
 話を聞いた貴婦人たちは、ウサギを見つけたキツネのように目を細めた。

「あの大天才に意見するなんて」

「あなた、彼のプライドを傷つけたのよ」

「いくら催促されても、『アレクの曲は最高』と言うべきだった」

「愛想を尽かされたのね、かわいそうに」

 クラリスはあいまいに微笑み、黙っていた。
 そして、帰りの馬車の中、声を殺して泣き続けた。

 屋敷に帰ったクラリスを、老執事が出迎える。
 十年以上アレクに仕える彼は、クラリスの腫れた目を見て、

「メイドに氷のうを用意させます。お部屋でお待ちください」

 と、静かに立ち去った。
 淡々とした態度が、今のクラリスにはありがたかった。

 クラリスは自室で着替えを済ませ、侍女とともにメイドを待った。
 すると、ドタドタと乱暴な足音が聞こえてくる。

 足音は、クラリスの部屋の前で止まった。
 ドアが、ドンドンドン! と激しくノックされる。

「まあ、荒っぽいメイドですわね」

 クラリスの侍女が、眉をひそめてドアを開けると。

「「えっ⁉︎」」

 クラリスと侍女は同時に叫んだ。
 ドアの前にいたのはアレクだった。

「旦那様──」

「クラリス、新作を聞いてくれ!」

 アレクは、呆然とする侍女を押しのけると、ズカズカと部屋に入ってきた。
 腕をつかまれたクラリスは、何も言えずに部屋を連れ出された。

 廊下を歩いている間に、クラリスの驚きが冷めていく。
 代わりに、熱湯のようなものがフツフツと沸いてきた。

「アレクッ!」

 クラリスは怒鳴った。
 そこでようやく、自分が腹を立てていることに気付いた。

 いくら話しかけてもそっけなかったのに。
 急に話しかけてきて。
 そしてまた冷たくなって。
 かと思えば、再び「曲を聞け」。

 一体、夫は何がしたいのか。

 クラリスは、ぽかんとしているアレクに詰め寄った。

「あなた、どうしてそうなの? いきなり現れて、仕事部屋へ連れて行くなんて。私の都合も考えてほしいわ」

「で、でも……いや、ごめん。そうだね。早く君を喜ばせたくて、つい」

「喜ばせたい?」

 クラリスは責めるようにくり返した。

「私と食事もしなかったくせに、いきなり『曲を聞いてくれ』。それで私が喜ぶと思った?」

 アレクの目が泳ぐ。彼は、ためらいがちにうなずいた。
 クラリスは驚いた。怒りを忘れてアレクに尋ねた。

「本当に? 本当に、私を喜ばせようとしたの?」

 クラリスの中に、今度は戸惑いが生まれる。

 アレクはといえば、クラリスがなぜ怒っているのかわからないらしい。
 さも不思議そうに話し出した。

「だって、君たちは僕の曲だけが好きなんだろう? 僕の曲がいいと思ったら『お前は素晴らしい』と言うけど、駄目だったら『お前はクズだ』って怒るじゃないか」

「え……?」

 クラリスは、眉尻を下げるアレクを凝視した。

「誰が、そんなことを」

「僕の家族だけど……でも、みんな思ってる。そうだろ?」

 唖然とするクラリスへ、アレクは困ったように続ける。
 
「陛下も姫も、領主様も、褒めるのは僕の曲だけだ。そして言うんだよ。『次はどんな曲を作るのか』って」

「次?」

 クラリスの耳に、貴婦人たちの言葉がよみがえる。

『次の曲が楽しみ』

 クラリスにとっては誇らしかった賞賛。
 しかし、アレクは否定されたように感じていたのか。

 求められているのは新曲だけ。
 アレク自身は無価値だと。

 クラリスは落ち込み、うつむいた。
 自分はアレクの妻なのに。
 彼の心に気付けなかった。

 しかし、アレクは「でも」と嬉しそうに言った。

「クラリスは違った。男爵に──君のお父さんに聞いたんだ。君が僕の曲を、『何度も聞きたい』と言ったって。3年前に作ったオペラの序曲だ」

 言われて、クラリスは思い返した。
 そういえば、父に熱っぽく語った気がする。

「アレク、まさかあなた……私がみんなと違うことを言ったから、結婚しようと思った、なんてことは……」

「その通りだよ!」

 アレクは、パァッと顔を輝かせた。

「この人だ! と思った。だから男爵に言ったんだ。屋敷に行って、『クラリスと結婚したいです』って。ずいぶんびっくりしてたけど」

「……その時、事前に訪問の約束をした?」

「そんな暇なかったよ。誰かに君を取られると思ったら、居ても立っても居られなかった」

 クラリスの頭に、知らないはずの光景がありありと浮かんだ。
 国王お気に入りの音楽家が、いきなり男爵邸へ押し入ってきて、「娘と結婚させろ」──

(それは、驚くでしょうね……)

 父は、「アレクと結婚しろ!」と必死にクラリスへ訴えてきた。
 その理由がわかった。
 アレクの求婚を断れば、国王の怒りを買いかねない。

(お父様、すごい形相だったっけ)

 思わずクラリスが笑うと、アレクはホッとしたように微笑んだ。

「僕は、ずっと怖かったんだ」

「怖かった?」

「そう。もし曲が作れなくなったら、みんなに嫌われてしまう。そのことが怖かった。でも……君は違うよね? 新しい曲ができなくても、僕を嫌いにならないだろ?」

「ええ、もちろん」

 クラリスは微笑み返した。
 そのあとは、あえて何も言わなかった。

 演奏会の予定は、3年先まで埋まっている。
 その先も予定は埋まり続けている。
 
 アレクが曲を作れなくなっても、世間から見捨てられるまでに、何年かかることか。
 
 そう言えば、アレクは安心するだろう。

(でも、今まで振り回されてきたんだもの……アレクの心をひとりじめしても、罰は当たらないわよね?)

 アレクの「みんなに嫌われる」という勘違いは、消してあげられないが。

 罪悪感が、クラリスの胸をチクリと刺す。
 それをごまかすため、口を開く。

「曲を作れなくなっても、あなたを嫌いにならないけど。新曲ができたのなら聞きたいわ。何という曲なの?」

「『クラリス』だよ」

「えっ……私?」

「うん。君がオペラの序曲を気に入ってる、と聞いた時、曲を作りたくなったんだ。君のために」

 アレクは言いながら、かすかに頬を染めた。

「そんなこと初めてだったから、うまくできるか心配で……完璧な作品ができるまで、内緒にしようと思ったんだけど」

 いざ作り始めると、どのメロディもクラリスにふさわしいと思えず、ピアノを離れられなかったという。
 だから、彼は部屋に閉じこもっていたのだ。

 そして完成したものの。
 クラリスが好む曲かどうか、不安になっていったらしい。
 クラリスに感想を聞くことにした。

 が、最後の調整は1人で集中したかった。そこで、クラリスを部屋から閉め出した。
 クラリスがそばにいると気持ちがそわそわして、どうにも落ち着かないから。

 アレクはそう語った。

「でも、君が泣いてるって執事に聞いたから。元気を出してほしくて、急いで曲を完成させたんだ」

「そうだったのね……ありがとう」

 子どものようなアレクに、クラリスは笑みを浮かべた。
 すると、アレクは首を傾げた。

「何言ってるんだよ。まだ曲を聞いてないだろ?」

「でも、悩んでくれたんでしょう? 私のために」

 クラリスはそう言って、仕事部屋へ向かおうとした。
 が、ふと思いつき、アレクを見上げた。

 アレクの不安は消してあげれない。
 けれど、彼の心は埋められるかもしれない。

「ねえ、アレク。曲を作ってくれたことも嬉しいんだけど、これからは一緒に食事したり、庭を散歩したりしたいわ」

「僕と散歩? どうしてそんなことがしたいんだ?」

「だって、私が結婚したのは、あなたの曲じゃなくてあなただもの」
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

初めてなら、本気で喘がせてあげる

ヘロディア
恋愛
美しい彼女の初めてを奪うことになった主人公。 初めての体験に喘いでいく彼女をみて興奮が抑えられず…

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

処理中です...