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空を飛ぶ天使に恋をした、地上の人魚の話
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雲をつらぬくほど高い山のふもとに、澄んだ湖があった。
森に囲われたその湖には、ペルセという美しい人魚が住んでいた。
ペルセは、晴れた日には湖面へ顔を出し、青く広がる空を眺めた。
母なる湖と同じ色の空が、ペルセはとても好きだった。
ある時、ペルセは空に不思議なものを見つけた。
大きな大きな鳥が、頭上を飛んでいる。
その鳥は、冬と一緒にやってくる白鳥たちよりも、ずっと白く輝いていた。
大きな鳥をもっとよく見てみようと、ペルセは目をこらした。
すると、それは鳥ではなかった。
鳥だと思ったものは、人の姿をしていた。
背中に翼を生やして、悠々と空を飛んでいる。
相手の顔を見たペルセは、息が止まりそうなほど驚いた。
「なんて綺麗な男の人かしら」
その日からずっと、ペルセの心に浮かぶのは、翼の生えた男のことばかり。
晴れの日も雨の日も、ペルセは空を見上げて彼を探した。
男は時折、湖の上空へ現れた。
ペルセは彼に手を振ったり呼びかけたりした。
しかし男は、いつも少し手を振り返すだけで、しばらくペルセを見つめたあとに飛び去っていってしまう。
そのたび、息苦しいほどの切なさがペルセを襲った。
(彼と話がしたい)
願いを抑えられなくなったペルセは、白鳥たちに尋ねた。
「あの男の人が誰なのか、知っている? どうすれば私のところへ降りてきてくれるかしら」
「あの人は天使といって、天の国に住んでいるんだよ。神さまのお使いで、時々地上の様子を見に来るのさ」
それから白鳥たちは、気の毒そうにペルセを見た。
「天使が君のところへ来ることはないよ。彼らは、すべてを捨てて人間にならないと地上へ降りられないんだ」
「じゃあ、私が天の国に行くわ。どうすれば行ける?」
すると、白鳥たちは困ったように顔を見合わせた。
「ペルセには無理だよ。天の国はとても高いところにあって、僕たちでさえたどり着けないんだから」
白鳥たちはペルセを諭したが、ペルセは諦められなかった。
そこで、森の魔女が湖へ来た時を狙って、すがるように声をかけた。
「魔女様。私、天の国へ行きたいんです。天の国まで飛んでいける強い翼をくださいませんか」
魔女は、しわだらけの顔をもっとぐしゃぐしゃにしかめて首を振った。
「馬鹿をお言いでないよ。私の力じゃ、お前を木のてっぺんまで運ぶくらいがせいぜいさ」
ペルセはがっかりした。
けれど、湖のそばにそびえる山を見上げ、
(あの山を登れば天の国へ行けるかもしれない)
と、考えた。
「では魔女様、山を登るための足をください」
ペルセがそう言うと、魔女は「それなら」とうなずいて、ペルセに薬の小瓶を渡した。
「それを飲めばお前は人間になれる。どこにでもいる農婦の姿にね。ただし、引き換えとしてお前の美しさをもらうよ。それに、もう二度と人魚には戻れない」
楽しげに話す魔女は、「それだけじゃない」と続けた。
「その薬を飲んでしまったら、お前を愛してくれる者に出会わなきゃならない。すべてを捨ててでもお前を選ぶような者にね。しかも1年のうちに。さもなくば、お前は泡となって消えてしまう。それでもいいかい? それでもすべてを捨てて、人間になると言うのかい?」
魔女に問われたペルセは、
「構いません。私、すべてを捨ててでもあの人に会いたいんです」
と、薬をひと息に飲み干した。
途端に、ペルセの下半身が二つに裂けた。
みるみるうちにペルセの姿は、日に焼けた顔と引き締まった手足を持つ、人間の女に変わった。
魔女は、空になった薬の小瓶に、ペルセから流れ出した美しさのきらめきを詰めた。
そして上機嫌で、ペルセに人間の服をくれた。
服を身につけたペルセは、すぐさま駆け出し、山を登った。
しかし、いくら歩いても頂上が見える気配はない。
何日も歩き続けたペルセは、とうとう倒れてしまった。
次に目を開けた時、ペルセはやわらかく白いものの上に横たわっていた。
(ここは雲の上かしら。それなら、私は天の国に着いたのね)
と、喜んだのもつかの間、ペルセはハッと気が付いた。
ペルセが寝ているのは雲ではない。
真新しいシーツに覆われたベッドだ。
「やあ、目が覚めたかい」
そう言って、片足の青年が部屋へ入ってきた。
ロシュと名乗った彼は、山道で倒れているペルセを見つけたのだと言った。
彼は山腹の村へ来たばかりで、ひとりで暮らしているという。
「ロシュ、助けてくれてありがとう。でも私、まだ進まなくちゃ。山の頂上に行きたいの」
ペルセがロシュにそう言うと、彼は悲しげな顔をした。
それから、ペルセを山頂へ続く道に案内した。
そこには、果ての見えない切り立つ崖が……人間の手足をもってしても、のぼり切ることはできないだろう。
呆然とするペルセにロシュは告げた。
「僕は、この崖の途中から落ちて片足を失った。今はもう、山のふもとへ降りることさえできない。危険すぎるよ、諦めなさい」
天の国への道が絶たれてしまった。
ペルセはその場に泣き崩れた。
それからのペルセは、亡霊のように日々を過ごした。
せめてあの天使の姿を見たいと、何度も空を見上げたが、彼が姿を現すことはなかった。
大好きだったはずの青空さえ、色褪せて見えた。
ペルセは絶望に打ちひしがれた。
その絶望を救ったのはロシュだった。
彼はいつも温かくペルセに接してくれた。
二人で過ごすうちに、ペルセは天使よりもロシュのことが好きになった。
ペルセはロシュを助けたいと思った。
畑仕事を代わり、鶏の世話をした。
彼の肩を支えて歩くと、ロシュはすまなさそうに「ごめんね」と言ったが、彼の温もりを感じられるその時間は、ペルセにとって幸せなものとなった。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
ペルセが人間になって、1年が経とうとしていた。
(私はもうすぐ消えるけど、最後に好きな人と暮らせてよかったわ)
しかし1年が過ぎ、2年が経っても、ペルセは泡にならなかった。
すべてを捨ててでもペルセを選ぶほど、ロシュはペルセを愛してくれていた。
程なくして二人は結婚した。
何年も、何十年もの月日が流れた。
段々、ペルセは人魚だったことを思い出せなくなっていた。
ある日、年老いたペルセは夢を見た。
夢の中でペルセは人魚だった。
湖面に顔を出し、空を見上げ、美しい天使を探していた。
目覚めたあと、ペルセは森へ遊びに行く孫たちを見送り、それから夢のことをロシュに話した。
「私、不思議な夢を見たわ。私は昔、人魚だったの。そして、天の国に住む美しい天使に恋をしていたのよ」
するとロシュも言った。
「僕も不思議な夢を見たよ。僕は昔、天使だったんだ。そして、森の中の湖に住む美しい人魚に恋をしていたんだよ」
森に囲われたその湖には、ペルセという美しい人魚が住んでいた。
ペルセは、晴れた日には湖面へ顔を出し、青く広がる空を眺めた。
母なる湖と同じ色の空が、ペルセはとても好きだった。
ある時、ペルセは空に不思議なものを見つけた。
大きな大きな鳥が、頭上を飛んでいる。
その鳥は、冬と一緒にやってくる白鳥たちよりも、ずっと白く輝いていた。
大きな鳥をもっとよく見てみようと、ペルセは目をこらした。
すると、それは鳥ではなかった。
鳥だと思ったものは、人の姿をしていた。
背中に翼を生やして、悠々と空を飛んでいる。
相手の顔を見たペルセは、息が止まりそうなほど驚いた。
「なんて綺麗な男の人かしら」
その日からずっと、ペルセの心に浮かぶのは、翼の生えた男のことばかり。
晴れの日も雨の日も、ペルセは空を見上げて彼を探した。
男は時折、湖の上空へ現れた。
ペルセは彼に手を振ったり呼びかけたりした。
しかし男は、いつも少し手を振り返すだけで、しばらくペルセを見つめたあとに飛び去っていってしまう。
そのたび、息苦しいほどの切なさがペルセを襲った。
(彼と話がしたい)
願いを抑えられなくなったペルセは、白鳥たちに尋ねた。
「あの男の人が誰なのか、知っている? どうすれば私のところへ降りてきてくれるかしら」
「あの人は天使といって、天の国に住んでいるんだよ。神さまのお使いで、時々地上の様子を見に来るのさ」
それから白鳥たちは、気の毒そうにペルセを見た。
「天使が君のところへ来ることはないよ。彼らは、すべてを捨てて人間にならないと地上へ降りられないんだ」
「じゃあ、私が天の国に行くわ。どうすれば行ける?」
すると、白鳥たちは困ったように顔を見合わせた。
「ペルセには無理だよ。天の国はとても高いところにあって、僕たちでさえたどり着けないんだから」
白鳥たちはペルセを諭したが、ペルセは諦められなかった。
そこで、森の魔女が湖へ来た時を狙って、すがるように声をかけた。
「魔女様。私、天の国へ行きたいんです。天の国まで飛んでいける強い翼をくださいませんか」
魔女は、しわだらけの顔をもっとぐしゃぐしゃにしかめて首を振った。
「馬鹿をお言いでないよ。私の力じゃ、お前を木のてっぺんまで運ぶくらいがせいぜいさ」
ペルセはがっかりした。
けれど、湖のそばにそびえる山を見上げ、
(あの山を登れば天の国へ行けるかもしれない)
と、考えた。
「では魔女様、山を登るための足をください」
ペルセがそう言うと、魔女は「それなら」とうなずいて、ペルセに薬の小瓶を渡した。
「それを飲めばお前は人間になれる。どこにでもいる農婦の姿にね。ただし、引き換えとしてお前の美しさをもらうよ。それに、もう二度と人魚には戻れない」
楽しげに話す魔女は、「それだけじゃない」と続けた。
「その薬を飲んでしまったら、お前を愛してくれる者に出会わなきゃならない。すべてを捨ててでもお前を選ぶような者にね。しかも1年のうちに。さもなくば、お前は泡となって消えてしまう。それでもいいかい? それでもすべてを捨てて、人間になると言うのかい?」
魔女に問われたペルセは、
「構いません。私、すべてを捨ててでもあの人に会いたいんです」
と、薬をひと息に飲み干した。
途端に、ペルセの下半身が二つに裂けた。
みるみるうちにペルセの姿は、日に焼けた顔と引き締まった手足を持つ、人間の女に変わった。
魔女は、空になった薬の小瓶に、ペルセから流れ出した美しさのきらめきを詰めた。
そして上機嫌で、ペルセに人間の服をくれた。
服を身につけたペルセは、すぐさま駆け出し、山を登った。
しかし、いくら歩いても頂上が見える気配はない。
何日も歩き続けたペルセは、とうとう倒れてしまった。
次に目を開けた時、ペルセはやわらかく白いものの上に横たわっていた。
(ここは雲の上かしら。それなら、私は天の国に着いたのね)
と、喜んだのもつかの間、ペルセはハッと気が付いた。
ペルセが寝ているのは雲ではない。
真新しいシーツに覆われたベッドだ。
「やあ、目が覚めたかい」
そう言って、片足の青年が部屋へ入ってきた。
ロシュと名乗った彼は、山道で倒れているペルセを見つけたのだと言った。
彼は山腹の村へ来たばかりで、ひとりで暮らしているという。
「ロシュ、助けてくれてありがとう。でも私、まだ進まなくちゃ。山の頂上に行きたいの」
ペルセがロシュにそう言うと、彼は悲しげな顔をした。
それから、ペルセを山頂へ続く道に案内した。
そこには、果ての見えない切り立つ崖が……人間の手足をもってしても、のぼり切ることはできないだろう。
呆然とするペルセにロシュは告げた。
「僕は、この崖の途中から落ちて片足を失った。今はもう、山のふもとへ降りることさえできない。危険すぎるよ、諦めなさい」
天の国への道が絶たれてしまった。
ペルセはその場に泣き崩れた。
それからのペルセは、亡霊のように日々を過ごした。
せめてあの天使の姿を見たいと、何度も空を見上げたが、彼が姿を現すことはなかった。
大好きだったはずの青空さえ、色褪せて見えた。
ペルセは絶望に打ちひしがれた。
その絶望を救ったのはロシュだった。
彼はいつも温かくペルセに接してくれた。
二人で過ごすうちに、ペルセは天使よりもロシュのことが好きになった。
ペルセはロシュを助けたいと思った。
畑仕事を代わり、鶏の世話をした。
彼の肩を支えて歩くと、ロシュはすまなさそうに「ごめんね」と言ったが、彼の温もりを感じられるその時間は、ペルセにとって幸せなものとなった。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
ペルセが人間になって、1年が経とうとしていた。
(私はもうすぐ消えるけど、最後に好きな人と暮らせてよかったわ)
しかし1年が過ぎ、2年が経っても、ペルセは泡にならなかった。
すべてを捨ててでもペルセを選ぶほど、ロシュはペルセを愛してくれていた。
程なくして二人は結婚した。
何年も、何十年もの月日が流れた。
段々、ペルセは人魚だったことを思い出せなくなっていた。
ある日、年老いたペルセは夢を見た。
夢の中でペルセは人魚だった。
湖面に顔を出し、空を見上げ、美しい天使を探していた。
目覚めたあと、ペルセは森へ遊びに行く孫たちを見送り、それから夢のことをロシュに話した。
「私、不思議な夢を見たわ。私は昔、人魚だったの。そして、天の国に住む美しい天使に恋をしていたのよ」
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