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第一章
4.竜の咆哮
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シロアナの居る場所は皇太子宮だ。ハルマン皇太子は毎日ここで寝起きしている訳だが、シロアナの事は初めからまず人間で気に入らないし、それ以外も全部気に入らないので会う気もないのは分かっている。
それはまったく構わない。こんな事を言うのは申し訳ないが、シロアナとて来たくて来たわけではないのだ。
なんとか、無かった事にならないかと思うけど、こればっかりはその時に『ほらやっぱり違っていた』という事になれば、此処から出て行けるという事だ。
それならそれで、嬉しい。だから我慢すれば良い事だろうと、自分に言い聞かせている。
それで、たまにニアミスを起こし、シロアナが移動中に宮の中でハルマン皇太子に出会ったりする事があるのだが、そう言う時は廊下の端に寄って、侍女にまぎれて頭を下げてひたすら通り過ぎるのを待つ事にしている。
もちろん皇太子は声をかけもせず、丸無視で通り過ぎるだけである。
丸無視されて嬉しい。早くどっかに行ってくれ。シロアナは心底皇太子が恐ろしくて恐ろしくてたまらないので、そればかり願っている。
最初の事がトラウマになり、急に首根っこを掴まれ首を絞められたりするのではないかと思ってしまうのだ。
完全に危険が去ったと思うまではガクブルで、身体が小刻みに震えているのを、侍女達は不憫に思っていた。
この間はなんかは、通り過ぎた後で、超低いうなり声の様なものが聞こえた。
「何だ、人間臭いと思ったらあいつか、迷惑な奴だ」
ワザと聞こえるようにそう言って通り過ぎて行った。
「ハモーナ、私くさい?人間って臭いの?」
我慢しても悲しくて涙がにじんで来たが、一緒にいた侍女のハモーナが、とても皇太子に対して怒っていたのを見て、涙が引っ込んだのだ。
「シロアナ様は人間臭くなどありませんよ、あのような事を言われぬように、ちゃんとおばば様から人の匂い消しの実を頂き、お茶に毎日入れております。人と竜人は体臭が違う事は当たり前の事です。それに種族が違う事は卑下するには値しません、皇太子は最低です。この事はおばば様にお伝えしておきますから、ご心配には及びません」
彼女は目を吊り上げて、シロアナの為に静かな怒りを身体から立ち上げていた。
なんだかそれだけでありがたくて、涙も引っ込んだのだ。
「私、無理して皇太子さまの番にならなくてもいいんだけど。ラットリアには返してもらえないのかな」
と呟いたら、侍女三人に聞こえていたみたいで号泣されたので、竜人は耳も良いので気を付けなくてはならないと思った。
そのようにして日々は過ぎて行った。皇太子にさえ会わなければ、物質的には満ち足りているし、その上色々な勉強もさせて貰って、周りの人達も親切で優しい。底辺の小作農民だった自分には申し訳ない位良い暮らしをさせて貰っている自覚はあった。
皆が、シロアナが成人を迎えればあのような酷い態度を皇太子は取ることなど無くなると言うのだが、シロアナにはやっぱりどうしてもそんな風には思えなかった。
竜人族の人達は皆美しい人達だ、体格も美貌も普通の人間とは比べ物にはならない程良い。
恐ろしくて皇太子の顔を間近で見た事が無かったが、皇太子宮に飾られている肖像画を見て、美しい竜人達の中でも特別に美しい竜人なのだと思った。
正直自分がこんな特別な人の特別になれるとも思わないし、特別で美しい人でも、恐ろしくてとても嫌だ。好きではない…やっぱり嫌い。大嫌い。
そう、逆に成人が来たからと今まで超塩対応だったのに、急に掌返しで優しくされたとしても、絶対に信じられないだろうことは予想が出来る。
家族の皆はあれからどうしただろうか?色々な、何方かと言うと悪い方へと考えが行き、不幸になっているのではないだろうかと心配になる。
貧乏人がとてつもない大金をいきなり貰っても、そんなに夢のような生活が待っているとも思えない。所詮は貧乏で、生きる事の方が先で勉強など出来ずに生きて来た者達だ。騙されて大変な事になるのではないだろうか?
あのお金が不幸の種になっていなければ良いと願うばかりで、その事を侍女達に相談すると、直ぐにおばば様に連絡をしてくれて、家族がどうなっているかも調べてくれると約束してくれた。
その上で、配慮のない事をさせてしまって申し訳なかったとおばば様に言われた。
この間、ルピア様から借りた歌の本を見ながら、庭の東屋で教えてもらった『滅んだ国のうた』と言う歌を歌う。この曲をハープで奏でる旋律はとても美しくも物悲しい響きだったが、一度聞くと忘れられない。
攻め入られ滅ぶ国、自分を守って亡くなった騎士や国の人々を思うお姫様の歌で、とてもロマンチックだった。一度聞いただけで大好きになり、全部覚えたいと思った。
― 蔦の絡まる盾壁の壊れた場所に佇んで、今も煌めく時の彼方を思いだす…
消えた 時は還らない 目を閉じて思い出す ルルル…
特にここのフレーズが好きなのだ。本当に素敵だ。
今日は自分の部屋の庭ではなく皇太子宮の奥庭に来てみた。
最近皇太子と遭遇率があがって来ているので、出来ればあまりウロウロしない方が良いのは分かっているけれど、部屋にじっとしているのも退屈で仕方ない。
奥庭の白い花が綺麗だと言われて見たくなった。
そろそろ十五歳まで三月を切り、竜王城での暮らしには慣れて来ても、重い心の圧迫感は押して来ている。シロアナは白い庭でも歌を歌った。
歌を歌うのは気持ちいい。
そこは今、白い花の時期で、白い花ばかりを集められた美しい場所だ、故郷の枯れた土地一面に白いソルバの花が風に揺れて咲いていたのが思い出され、懐かしくてここに来ていた。
ソルバの花は小さな白い花が沢山ついた雑草のような可憐な植物だ。
枯れた土地でも育ち、空いた場所があれば種をとり撒いておくとどこでも生えた。
小さな黒い種を子供達で採り石臼で挽いて粉にし、小麦の粉に混ぜて嵩を増やすのだ。独特のざらりとした食感はあるものの食べれない事はない。
大人にすれば手間がかかり大変な作業も、子供達には食べられる物に変わる楽しみと遊びがからんで楽しい作業だった。
―それは、唐突な出来事だった、その日、突然皇太子が白い庭に現れたのだ。
皇太子はシロアナが居るのを分かっていて、何故こんな所に来るのだろう、ここは皇太子宮だから何処に行くのも彼の自由だけど、と考えるよりも体が動いて、庭の隅に寄ると、彼の視界に入らぬようにと頭を下げて彼が通り過ぎるのを待つだけだ。
彼女の横にはサンディがいたので手を引いて自分の後ろに隠す。
サンディは賢いので、大人しく彼女の後ろに下がりじっとしていた。
侍女はシニカが付いていたが、庭の入り口辺りに控えていたので、こちらには来ることが出来なかったようだ。
皇太子は誰も侍従を連れて居なかった。
でも、何と言うか彼がイライラとした気を放って居るのは分かった。
機嫌が悪い。
機嫌が悪いのならばこんな所に来なければ良いのにとシロアナは思っていた。
早く通り過ぎて行ってくれれば良い。
非常に不機嫌で庭の土を靴底で蹴り上げるようにして歩いて来る。
怖くて、後ろ手に握っているサンディの手をきゅっと握る。サンディも握り返してくれたような気がした。
シロアナの前を通り過ぎると思ったら、彼女の前で立ち止まった皇太子から怒気を感じた。
あろうことか、彼はシロアナに向かって土を蹴って散らした。
「ヂイッッ」
サンディが鳴いた。
ザッと言う音とともにシロアナの身体が竦んだが、サンディが土からシロアナを庇うようにシロアナの前に出たのだ。
立ち上がると三歳位の子供の様な大きさになっていたサンディはシロアナにかかる土を自分の身体で弾いたのだ。
シロアナにはそのサンディを蹴飛ばそうと足を振り上げた皇太子が見えた。
「ダメッ!」
サンディを抱きしめるのと、蹴られるのと同時だったかもしれない。
皇太子にはシロアナの動きは予想外だったのだ。
いつも下を向いて顔を見せない、小さくて下らない人間の娘。
見るたびにイライラがつのる。
あの声で歌が聞こえると近くで聞きたくてたまらなくなった。
何処に居ても居場所がわかった。
知りたくもない、知りたくもないはずなのに、何処に居てもわかったのだ。
最近では眠っている吐息さえ聞こえるような気がした。
望んでも居ないのに引き寄せられる、抗う苦しさ、イライラした。
―人間はとても脆い生き物なのです
綿のように柔らかく、竜人の息を吹きかけられるだけで死ぬと言われています―
侍女がポーションを持って来て下さい!と何処かに叫んでいた。
だが、ひと蹴りで心臓が潰れてしまっていては元には戻らないだろう
皇太子はぼんやりそう思った
心に大きな黒い空洞が空いたのは何故だろう
どうして、さっきから匂いを感じないのだろう
人間とは、なんて脆い体なのだろう、蹴られて弾け飛んだ小さな身体は大きなネズミを抱きしめて転がっていた
ころんと…
そこに、どんどん紅い水たまりが拡がって行った。
―その後、断末魔のような竜の咆哮が聞こえたという……
それはまったく構わない。こんな事を言うのは申し訳ないが、シロアナとて来たくて来たわけではないのだ。
なんとか、無かった事にならないかと思うけど、こればっかりはその時に『ほらやっぱり違っていた』という事になれば、此処から出て行けるという事だ。
それならそれで、嬉しい。だから我慢すれば良い事だろうと、自分に言い聞かせている。
それで、たまにニアミスを起こし、シロアナが移動中に宮の中でハルマン皇太子に出会ったりする事があるのだが、そう言う時は廊下の端に寄って、侍女にまぎれて頭を下げてひたすら通り過ぎるのを待つ事にしている。
もちろん皇太子は声をかけもせず、丸無視で通り過ぎるだけである。
丸無視されて嬉しい。早くどっかに行ってくれ。シロアナは心底皇太子が恐ろしくて恐ろしくてたまらないので、そればかり願っている。
最初の事がトラウマになり、急に首根っこを掴まれ首を絞められたりするのではないかと思ってしまうのだ。
完全に危険が去ったと思うまではガクブルで、身体が小刻みに震えているのを、侍女達は不憫に思っていた。
この間はなんかは、通り過ぎた後で、超低いうなり声の様なものが聞こえた。
「何だ、人間臭いと思ったらあいつか、迷惑な奴だ」
ワザと聞こえるようにそう言って通り過ぎて行った。
「ハモーナ、私くさい?人間って臭いの?」
我慢しても悲しくて涙がにじんで来たが、一緒にいた侍女のハモーナが、とても皇太子に対して怒っていたのを見て、涙が引っ込んだのだ。
「シロアナ様は人間臭くなどありませんよ、あのような事を言われぬように、ちゃんとおばば様から人の匂い消しの実を頂き、お茶に毎日入れております。人と竜人は体臭が違う事は当たり前の事です。それに種族が違う事は卑下するには値しません、皇太子は最低です。この事はおばば様にお伝えしておきますから、ご心配には及びません」
彼女は目を吊り上げて、シロアナの為に静かな怒りを身体から立ち上げていた。
なんだかそれだけでありがたくて、涙も引っ込んだのだ。
「私、無理して皇太子さまの番にならなくてもいいんだけど。ラットリアには返してもらえないのかな」
と呟いたら、侍女三人に聞こえていたみたいで号泣されたので、竜人は耳も良いので気を付けなくてはならないと思った。
そのようにして日々は過ぎて行った。皇太子にさえ会わなければ、物質的には満ち足りているし、その上色々な勉強もさせて貰って、周りの人達も親切で優しい。底辺の小作農民だった自分には申し訳ない位良い暮らしをさせて貰っている自覚はあった。
皆が、シロアナが成人を迎えればあのような酷い態度を皇太子は取ることなど無くなると言うのだが、シロアナにはやっぱりどうしてもそんな風には思えなかった。
竜人族の人達は皆美しい人達だ、体格も美貌も普通の人間とは比べ物にはならない程良い。
恐ろしくて皇太子の顔を間近で見た事が無かったが、皇太子宮に飾られている肖像画を見て、美しい竜人達の中でも特別に美しい竜人なのだと思った。
正直自分がこんな特別な人の特別になれるとも思わないし、特別で美しい人でも、恐ろしくてとても嫌だ。好きではない…やっぱり嫌い。大嫌い。
そう、逆に成人が来たからと今まで超塩対応だったのに、急に掌返しで優しくされたとしても、絶対に信じられないだろうことは予想が出来る。
家族の皆はあれからどうしただろうか?色々な、何方かと言うと悪い方へと考えが行き、不幸になっているのではないだろうかと心配になる。
貧乏人がとてつもない大金をいきなり貰っても、そんなに夢のような生活が待っているとも思えない。所詮は貧乏で、生きる事の方が先で勉強など出来ずに生きて来た者達だ。騙されて大変な事になるのではないだろうか?
あのお金が不幸の種になっていなければ良いと願うばかりで、その事を侍女達に相談すると、直ぐにおばば様に連絡をしてくれて、家族がどうなっているかも調べてくれると約束してくれた。
その上で、配慮のない事をさせてしまって申し訳なかったとおばば様に言われた。
この間、ルピア様から借りた歌の本を見ながら、庭の東屋で教えてもらった『滅んだ国のうた』と言う歌を歌う。この曲をハープで奏でる旋律はとても美しくも物悲しい響きだったが、一度聞くと忘れられない。
攻め入られ滅ぶ国、自分を守って亡くなった騎士や国の人々を思うお姫様の歌で、とてもロマンチックだった。一度聞いただけで大好きになり、全部覚えたいと思った。
― 蔦の絡まる盾壁の壊れた場所に佇んで、今も煌めく時の彼方を思いだす…
消えた 時は還らない 目を閉じて思い出す ルルル…
特にここのフレーズが好きなのだ。本当に素敵だ。
今日は自分の部屋の庭ではなく皇太子宮の奥庭に来てみた。
最近皇太子と遭遇率があがって来ているので、出来ればあまりウロウロしない方が良いのは分かっているけれど、部屋にじっとしているのも退屈で仕方ない。
奥庭の白い花が綺麗だと言われて見たくなった。
そろそろ十五歳まで三月を切り、竜王城での暮らしには慣れて来ても、重い心の圧迫感は押して来ている。シロアナは白い庭でも歌を歌った。
歌を歌うのは気持ちいい。
そこは今、白い花の時期で、白い花ばかりを集められた美しい場所だ、故郷の枯れた土地一面に白いソルバの花が風に揺れて咲いていたのが思い出され、懐かしくてここに来ていた。
ソルバの花は小さな白い花が沢山ついた雑草のような可憐な植物だ。
枯れた土地でも育ち、空いた場所があれば種をとり撒いておくとどこでも生えた。
小さな黒い種を子供達で採り石臼で挽いて粉にし、小麦の粉に混ぜて嵩を増やすのだ。独特のざらりとした食感はあるものの食べれない事はない。
大人にすれば手間がかかり大変な作業も、子供達には食べられる物に変わる楽しみと遊びがからんで楽しい作業だった。
―それは、唐突な出来事だった、その日、突然皇太子が白い庭に現れたのだ。
皇太子はシロアナが居るのを分かっていて、何故こんな所に来るのだろう、ここは皇太子宮だから何処に行くのも彼の自由だけど、と考えるよりも体が動いて、庭の隅に寄ると、彼の視界に入らぬようにと頭を下げて彼が通り過ぎるのを待つだけだ。
彼女の横にはサンディがいたので手を引いて自分の後ろに隠す。
サンディは賢いので、大人しく彼女の後ろに下がりじっとしていた。
侍女はシニカが付いていたが、庭の入り口辺りに控えていたので、こちらには来ることが出来なかったようだ。
皇太子は誰も侍従を連れて居なかった。
でも、何と言うか彼がイライラとした気を放って居るのは分かった。
機嫌が悪い。
機嫌が悪いのならばこんな所に来なければ良いのにとシロアナは思っていた。
早く通り過ぎて行ってくれれば良い。
非常に不機嫌で庭の土を靴底で蹴り上げるようにして歩いて来る。
怖くて、後ろ手に握っているサンディの手をきゅっと握る。サンディも握り返してくれたような気がした。
シロアナの前を通り過ぎると思ったら、彼女の前で立ち止まった皇太子から怒気を感じた。
あろうことか、彼はシロアナに向かって土を蹴って散らした。
「ヂイッッ」
サンディが鳴いた。
ザッと言う音とともにシロアナの身体が竦んだが、サンディが土からシロアナを庇うようにシロアナの前に出たのだ。
立ち上がると三歳位の子供の様な大きさになっていたサンディはシロアナにかかる土を自分の身体で弾いたのだ。
シロアナにはそのサンディを蹴飛ばそうと足を振り上げた皇太子が見えた。
「ダメッ!」
サンディを抱きしめるのと、蹴られるのと同時だったかもしれない。
皇太子にはシロアナの動きは予想外だったのだ。
いつも下を向いて顔を見せない、小さくて下らない人間の娘。
見るたびにイライラがつのる。
あの声で歌が聞こえると近くで聞きたくてたまらなくなった。
何処に居ても居場所がわかった。
知りたくもない、知りたくもないはずなのに、何処に居てもわかったのだ。
最近では眠っている吐息さえ聞こえるような気がした。
望んでも居ないのに引き寄せられる、抗う苦しさ、イライラした。
―人間はとても脆い生き物なのです
綿のように柔らかく、竜人の息を吹きかけられるだけで死ぬと言われています―
侍女がポーションを持って来て下さい!と何処かに叫んでいた。
だが、ひと蹴りで心臓が潰れてしまっていては元には戻らないだろう
皇太子はぼんやりそう思った
心に大きな黒い空洞が空いたのは何故だろう
どうして、さっきから匂いを感じないのだろう
人間とは、なんて脆い体なのだろう、蹴られて弾け飛んだ小さな身体は大きなネズミを抱きしめて転がっていた
ころんと…
そこに、どんどん紅い水たまりが拡がって行った。
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