43 / 46
第五章
12.東神春明の回想
しおりを挟む
幼い頃、僕には二歳年上の優しい兄がいた。
何処に行くにも、よく兄が手を引いてくれていたのを思い出す。
「春くん今日はなにしてあそぶ?おりがみしようか?それともお庭で砂遊びする?」
いつもそんなふうに優しく語りかけてくれた。
僕は兄が大好きだった。
兄は身体が弱く、いつも母が気遣ってあまり外に出さないようにしていた様に思う。
小学校に行く様になっても、登下校は家の車で送り迎えで、何をするにも母が兄の体調を気にしていた。
「翔ちゃん、気を付けないと怪我をするから、走ってはいけません。春くん、お兄ちゃんの手をあまり引っ張ったらダメよ」
正直、僕たちにくっついて歩く母は煩わしかった。
そして、子供心にも、母の僕に対する態度と兄に対する態度がなんとなく違うという事を嗅ぎ分けていた。
兄に冷たい態度をとるというのではない、逆だ。
今思えば、母は兄に母親としてというよりは、乳母のように献身的に接していたのだと思う。
母は兄の母ではないという事を僕はそのころ知らなかった。
そのあまりに、僕はどちらかというと母に放置されてぎみだったのだろう。けれど、家で働く人や父が兄と同じように僕を可愛がってくれたし、何より兄が僕を可愛がってくれたので、全く気にしていなかった。
僕は兄が亡くなってから、実は異母兄弟だったという事を知ったのだ。
母は兄にとっては義母だったのだ。兄がそれを知っていたのかどうかは知らない。だけど兄は母が大好きだったと思う。
「お母さん、いつもありがとう」
何かを母にしてもらうと、嬉しそうに兄は母にそう声をかけていたのが不思議だった。
僕からしてみれば、お母さんだからふつうだと思うような事でもそうだった。
やはり、兄は知っていたのかも知れない。
兄は母の亡くなった姉の子供だった。いつだったか小さい頃に、仏間の長押の上に並んだ先祖の額縁の遺影の中にある兄とよく似た面差しの女の人が気になって家政婦の昌さんに誰なのか聞いた事があった。
「・・・御親戚の方ですよ」
困った様な顔をしてそう言った。
今ではその横に兄の遺影が並べられている。兄妹か親子だと分かるほどにそっくりだ。
兄が亡くなった八月十四日から僕は熱を出し寝込んだ。お葬式は翌日の仏滅に行われた。友引は避けるけど仏滅でも葬式はするらしい。
僕は錯乱していた。母が近づくと癇癪を起し暴れるので、傍には来なかったようだ。
周りの人達は、悲しい事が起きたのだから、僕が母にそんな態度を何故とるのかなど聞いて来る者などいなかった。幼いから当たり前だと思われたのだ。けど、もし、どうしてそんなに暴れるのかと聞かれたとしても答えることなど出来なかっただろう。
悲しくて恐ろしい・・・
あの情景がぐるぐると繰り返されて、まともではいられなかったのだ。
翌日、まだ熱が高かったけど、父に、「もう最後だから、お兄ちゃんに会って来ようか?」と言われた
父に抱きあげられて、花の中に埋もれて眠る兄に会いに行った。
『最後だから』という言葉がやはり頭の中でぐるぐると回っていた。
今でもはっきり思い出すことが出来る。白い小さい顔に死に化粧を施され、少女の様な綺麗な兄の顔。
僕は父の腕の中から暴れて下に降りて、棺桶に縋った。
「おにいちゃん、おきて!、おきてよ、おにいちゃん!おきて!おきて!おきて!」
周りの人が僕につられて泣き始め、父は僕を掬い上げて子供部屋に連れて行った。
あの日から僕は誰も信じられなくなりました。
誰の言葉も聞こえるだけで心に入って来ないのです。
何もしたくありません。
何も見たくありません。
息をするのも嫌です。
もしかすると、兄が僕を呼ぶ声がするのではないかと耳をすませますが、聞こえません。
僕は兄の声が聞きたくてたまりませんでした。
それでも死ぬことも出来ず、ただ生きているしか出来ないのです。
生きていることがもうしわけないと思う反面、死ぬことも恐ろしいのです。
何とか興味を惹こうと父が僕に与えてくれたパソコンやゲーム。引きこもってそんなのばかり触っていた。
母は徹底的に無視した。あの時の事は何度も夢に見た。頭がおかしくなりそうだった。
いやもうおかしいのかもしれない。
もしかすると幼い自分の間違った記憶なのかもしれない、そんな風に思おうとしたけど無理だった。
時折母にまとわりつく黒いモノが視えるのだ。あれは何だろう。やはり自分の頭がおかしいのだろう。
そんな頃、学校にも行かず家にいる僕に、父が言った。
「春明、外に出て仕事をしてみないか?アルバイトだとか、一人暮らしをして見るのもいいかもしれないぞ。人生は長いんだ。好きな事をしてみたらいいと思う。若いうちに何でも経験してみるといい」
父は引きこもっている僕にいつも話しかけて来てくれた。いつもは返事も出来ないけど、その時は何故か外に出てみようと思えたのだ。何も出来ない何もした事がない自分が、何かを初めてやってみたいと思った。
地元の街中に父は小綺麗なワンルームマンションを用意してくれた。
もし住むのならワンルームマンションがいいと頼んだのだ。
生活の事は、パソコンや携帯があればなんでも調べられるから、何とかなると押し切った。
コンビニもあるし、どうにでもなると思った。
とにかく家から出たいと思う一心で、外に飛び出たのだ。
父からは何かあれば必ず直ぐに連絡するように言われた。
自分では何も出来ず、全部父が用意してくれた物を享受して生きて行くだけの僕なのは分かっている。
道の駅のアルバイトも父が知り合いに頼んでくれたようで、皆親切に仕事を教えてくれた。
物を運んだり、お金の計算するのは気が紛れる。掃除をするのも嫌いじゃない。
でも、初めて息が出来るような気がした。
ふつうに息ができた。ただ、生きてくだけがこんなに苦しいなんて、自分は知らなかった。
そうして、新しい生活に慣れてきたころ、道の駅のアルバイト先で、興味を惹かれる女の子に出会ったのだ。
なんだろう、暗闇の中に灯るようなうすぼんやりとした小さな明かりの様だった。
何処に行くにも、よく兄が手を引いてくれていたのを思い出す。
「春くん今日はなにしてあそぶ?おりがみしようか?それともお庭で砂遊びする?」
いつもそんなふうに優しく語りかけてくれた。
僕は兄が大好きだった。
兄は身体が弱く、いつも母が気遣ってあまり外に出さないようにしていた様に思う。
小学校に行く様になっても、登下校は家の車で送り迎えで、何をするにも母が兄の体調を気にしていた。
「翔ちゃん、気を付けないと怪我をするから、走ってはいけません。春くん、お兄ちゃんの手をあまり引っ張ったらダメよ」
正直、僕たちにくっついて歩く母は煩わしかった。
そして、子供心にも、母の僕に対する態度と兄に対する態度がなんとなく違うという事を嗅ぎ分けていた。
兄に冷たい態度をとるというのではない、逆だ。
今思えば、母は兄に母親としてというよりは、乳母のように献身的に接していたのだと思う。
母は兄の母ではないという事を僕はそのころ知らなかった。
そのあまりに、僕はどちらかというと母に放置されてぎみだったのだろう。けれど、家で働く人や父が兄と同じように僕を可愛がってくれたし、何より兄が僕を可愛がってくれたので、全く気にしていなかった。
僕は兄が亡くなってから、実は異母兄弟だったという事を知ったのだ。
母は兄にとっては義母だったのだ。兄がそれを知っていたのかどうかは知らない。だけど兄は母が大好きだったと思う。
「お母さん、いつもありがとう」
何かを母にしてもらうと、嬉しそうに兄は母にそう声をかけていたのが不思議だった。
僕からしてみれば、お母さんだからふつうだと思うような事でもそうだった。
やはり、兄は知っていたのかも知れない。
兄は母の亡くなった姉の子供だった。いつだったか小さい頃に、仏間の長押の上に並んだ先祖の額縁の遺影の中にある兄とよく似た面差しの女の人が気になって家政婦の昌さんに誰なのか聞いた事があった。
「・・・御親戚の方ですよ」
困った様な顔をしてそう言った。
今ではその横に兄の遺影が並べられている。兄妹か親子だと分かるほどにそっくりだ。
兄が亡くなった八月十四日から僕は熱を出し寝込んだ。お葬式は翌日の仏滅に行われた。友引は避けるけど仏滅でも葬式はするらしい。
僕は錯乱していた。母が近づくと癇癪を起し暴れるので、傍には来なかったようだ。
周りの人達は、悲しい事が起きたのだから、僕が母にそんな態度を何故とるのかなど聞いて来る者などいなかった。幼いから当たり前だと思われたのだ。けど、もし、どうしてそんなに暴れるのかと聞かれたとしても答えることなど出来なかっただろう。
悲しくて恐ろしい・・・
あの情景がぐるぐると繰り返されて、まともではいられなかったのだ。
翌日、まだ熱が高かったけど、父に、「もう最後だから、お兄ちゃんに会って来ようか?」と言われた
父に抱きあげられて、花の中に埋もれて眠る兄に会いに行った。
『最後だから』という言葉がやはり頭の中でぐるぐると回っていた。
今でもはっきり思い出すことが出来る。白い小さい顔に死に化粧を施され、少女の様な綺麗な兄の顔。
僕は父の腕の中から暴れて下に降りて、棺桶に縋った。
「おにいちゃん、おきて!、おきてよ、おにいちゃん!おきて!おきて!おきて!」
周りの人が僕につられて泣き始め、父は僕を掬い上げて子供部屋に連れて行った。
あの日から僕は誰も信じられなくなりました。
誰の言葉も聞こえるだけで心に入って来ないのです。
何もしたくありません。
何も見たくありません。
息をするのも嫌です。
もしかすると、兄が僕を呼ぶ声がするのではないかと耳をすませますが、聞こえません。
僕は兄の声が聞きたくてたまりませんでした。
それでも死ぬことも出来ず、ただ生きているしか出来ないのです。
生きていることがもうしわけないと思う反面、死ぬことも恐ろしいのです。
何とか興味を惹こうと父が僕に与えてくれたパソコンやゲーム。引きこもってそんなのばかり触っていた。
母は徹底的に無視した。あの時の事は何度も夢に見た。頭がおかしくなりそうだった。
いやもうおかしいのかもしれない。
もしかすると幼い自分の間違った記憶なのかもしれない、そんな風に思おうとしたけど無理だった。
時折母にまとわりつく黒いモノが視えるのだ。あれは何だろう。やはり自分の頭がおかしいのだろう。
そんな頃、学校にも行かず家にいる僕に、父が言った。
「春明、外に出て仕事をしてみないか?アルバイトだとか、一人暮らしをして見るのもいいかもしれないぞ。人生は長いんだ。好きな事をしてみたらいいと思う。若いうちに何でも経験してみるといい」
父は引きこもっている僕にいつも話しかけて来てくれた。いつもは返事も出来ないけど、その時は何故か外に出てみようと思えたのだ。何も出来ない何もした事がない自分が、何かを初めてやってみたいと思った。
地元の街中に父は小綺麗なワンルームマンションを用意してくれた。
もし住むのならワンルームマンションがいいと頼んだのだ。
生活の事は、パソコンや携帯があればなんでも調べられるから、何とかなると押し切った。
コンビニもあるし、どうにでもなると思った。
とにかく家から出たいと思う一心で、外に飛び出たのだ。
父からは何かあれば必ず直ぐに連絡するように言われた。
自分では何も出来ず、全部父が用意してくれた物を享受して生きて行くだけの僕なのは分かっている。
道の駅のアルバイトも父が知り合いに頼んでくれたようで、皆親切に仕事を教えてくれた。
物を運んだり、お金の計算するのは気が紛れる。掃除をするのも嫌いじゃない。
でも、初めて息が出来るような気がした。
ふつうに息ができた。ただ、生きてくだけがこんなに苦しいなんて、自分は知らなかった。
そうして、新しい生活に慣れてきたころ、道の駅のアルバイト先で、興味を惹かれる女の子に出会ったのだ。
なんだろう、暗闇の中に灯るようなうすぼんやりとした小さな明かりの様だった。
8
お気に入りに追加
116
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
よんよんまる
如月芳美
キャラ文芸
東のプリンス・大路詩音。西のウルフ・大神響。
音楽界に燦然と輝く若きピアニストと作曲家。
見た目爽やか王子様(実は負けず嫌い)と、
クールなヴィジュアルの一匹狼(実は超弱気)、
イメージ正反対(中身も正反対)の二人で構成するユニット『よんよんまる』。
だが、これからという時に、二人の前にある男が現われる。
お互いやっと見つけた『欠けたピース』を手放さなければならないのか。
※作中に登場する団体、ホール、店、コンペなどは、全て架空のものです。
※音楽モノではありますが、音楽はただのスパイスでしかないので音楽知らない人でも大丈夫です!
(医者でもないのに医療モノのドラマを見て理解するのと同じ感覚です)
飯屋の娘は魔法を使いたくない?
秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。
魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。
それを見ていた貴族の青年が…。
異世界転生の話です。
のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。
※ 表紙は星影さんの作品です。
※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる