生贄奴隷の成り上がり〜堕ちた神に捧げられる運命は職業上書きで回避します〜

のりのりの

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冒険者ギルド編(2)

おまえは……犬だ

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 一方、トレスと対峙しているルースには迷いはなく、刃のように鋭く怜悧な気配をまとっている。

 トレスの意識が遠のいていけばいくほど、ルースの目は冷えたものへと変化する。
 鈍色の瞳は夜の闇よりも昏く、いかなる感情も宿していない。

 途切れそうで、途切れない意識の中、ルースの冷ややかな目だけが、トレスにははっきりと見えた。

 心臓がぎゅっと握られたような、苦しみと恐怖にトレスは喘ぎ声をもらす。

 子どもたちと自分、どちらがルースにとって役立つ存在か……といった考え方は、根本のところで間違っていた。
 トレスはルースの目を見て、そのことに気づかされる。

 ルースは、そのふたつを天秤にかけて選択することなど、決してしない。

 最初から、彼の中には、子どもたちしかいなかった。トレスは比べる対象ですらない。天秤にすら載せてもらえない、道端の石のような存在だった。

 トレスという異分子が、子どもたちにとって不利益をもたらす存在だと認識されれば、ルースは迷うことなく、トレスを消し去るだろう。

 表情が消えたルースの顔に、うっすらと笑みが浮かぶ。
 慈愛のかけらもなく、とても残忍な、蔑むような表情なのに、なぜか、それがとても美しく、心を激しく揺さぶられる。

(ああ……気持ちいい……)

 もう少し、締め付けが強くなっても、全く問題ない。
 むしろ、もっと、力を込めて、喉を握りつぶしてほしくなる。
 もっと、もっと、今よりも強い刺激が欲しい。

 この瞬間だけは、ルースは自分だけを見てくれている……。

 恐怖も度がすぎると、快感へと変化するという。

「…………」

 端正なルースの顔がぐっと近づく。トレスは目を見開き、思わず彼を凝視した。
 己のおかれた状況も忘れ、トレスはしばしその美貌に見惚れてしまう。

 ゆっくりとした動作で、ルースはトレスの左耳に、己の口元を近づけた。
 左耳に温かな息を感じ、回復薬の匂いと血の香りが、トレスの鼻孔をくすぐる。
 震えが止まらない。
 トレスのわかりやすい反応に、ルースは再び笑みを浮かべた。

「トレス。おまえは……犬だ」
「え…………?」

 一瞬、頭の中が真っ白になり、ゆっくりと、ゆっくりと、ルースの言葉が、トレスの心のなかに染み込んでいく。

(い……ぬ?)

 なんのことだろう?

 と、呼吸がままならないぼんやりとする頭で、トレスは必死に考える。
 ルースの甘く優しい言葉が耳元で反響し、その声に身体が震える。

「わたしの犬になるのなら、このまま飼ってやってもいいぞ。特別に、わたしが手ずから躾けてやる」
「え?……」
「わたしの犬にならないのなら、おまえはいらない。消えてもらう」
「い、いぬ?」

(いぬになればいいのか? いぬにならなかったら……消える?)

 トレスが嗤う。

(いぬになったら……)

 自分が、犬になったら、自分はもっとルースの側に近づくことができるのだろうか?
 犬にならなかったら、自分はルースにとって、不要な存在になってしまう。

 それは嫌だ。とトレスは思った。

(いぬになりたい……)

「そうだ。犬だ……」

 危険な熱を帯びたルースの声が、トレスの思考と感覚を徐々に奪っていく。

「駄犬はいらない。犬には首輪をはめ、鎖で繋ぐ。這いつくばって餌を喰うんだ。飼い主の言葉のみを聞き、飼い主だけを見て、飼い主のためだけに存在する犬になるんだ……」

 ルースに柔らかな声で囁かれる。
 それは、とても甘く、心を揺さぶる魅惑的な声だった。

 ルースが求める犬になりたい、とトレスは思った。

 耳元に甘やかなルースの息がかかり、全身が総毛立つ。

「飼い主に忠実な犬はいいな。つねにしっぽを振っている。主人しか目に入れない。腹を見せて甘えてくる。愛情を注げば、決して逆らわない……」

 首がさらに圧迫される。苦しくて、なにも考えられない。
 ルースの誘うような言葉だけが、心に響く。

「あ……あ……っ」
「……返事は明日まで待ってやる。よく考えるんだな」

(え……?)

 突然、殺気が消え、ルースがすっと離れた。
 全身を縛り付けていた拘束が、急に緩む。
 支えを失い、倒れると思った瞬間――。

 別の誰かが、自分の手を乱暴に掴み取っていた。

(な、なに?)

 強い力で腕を引かれる。
 空間がぐにゃりと動く感覚に、トレスは慌てた。
 哀れなハーフエルフは、抵抗することもできぬまま、唐突に部屋から消え去ったのである。
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