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冒険者ギルド編(2)
どうしたらいいんだ!
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緑の瞳に複雑な色を浮かべながら、そのまま自分の作業机に戻り、トレスは急いで片付けをはじめた。
(どうする。どうする。どうしたらいいんだ!)
散らかった机の上を片付けながら、トレスは己の心に問いかける。
恐怖のために指先からは感覚がなくなり、膝の震えは一向に収まらない。
筆記具がうまく掴めず、焦燥感がさらに高まっていく。緊張のあまり、喉がヒリヒリと痛んだ。
(こ、怖い……)
自分を見つめるルースの目線が、とても恐ろしかった。さきほどから背中にぐさぐさと突き刺さっている。
それだけで心臓がきゅっと締め付けられ、呼吸がうまくできない。
疑惑の目線。
いや、これはもう、殺すことを心に決めた、獲物を狙う獣の目だった。
あの情け容赦ない、冷徹な瞳に睨まれたら、自分など、産まれたての兎のような、無力な存在になってしまう。
ルースなら、眉一つ動かさず、さくっと殺して、あっさり自分のことなど忘れてしまうだろう。
なりふりなど構ってられない。
今すぐ、即刻速攻、逃げなければならない。
机の上など、呑気に片付けている場合ではないのだ。
それこそ、一刻を争う事態である。
自分の本業は冒険者だ。とトレスは心の中で叫ぶ。
裏も表もなく、純粋な超級冒険者の戦士だ。
社交的で、そこそこ環境適応力があり、外の世界の知識が豊富で、とにかく好奇心が強い……。非力ではないが、抜きん出た強さもない。
エルフの血を引いているので容貌は整っているが、生粋のエルフと比べると、平々凡々な顔立ちである。特に特徴もない凡庸なハーフエルフである。
決して、どこかの組織に仕える諜報員や工作員のような、暗部に属する特殊技能を身につけた者ではない。
そこまでの働きをトレスには求められていなかったし、期待もされていない。
トレスが命じられたのは、帝都の近況を故国に伝えるだけの簡単な仕事……だったはずだ。
バレたので逃げてきました。しくじりました。と言って、泣いて許しを請うても、痛くも痒くもない。その程度の重要度だ。
失敗を報告しても、「あっそう。ごくろうさま」とか軽く流されてしまいそうな程度の任務だ。
仕事に失敗したからといって、己の生命をもって償うほどの内容ではない。
誠心誠意の謝罪が必要とあらば、子どもたちがやってみせた土下座だってできる。
手順はばっちり覚えた。
依頼不達成で多少の違約金が発生するかもしれないが、殺されるほどのことはやってない。
なにより、トレスはそこそこの期間、故国に対しても、十分すぎるくらい真面目に働いた。
この鋭いルースを相手にして、トレスはよく保った方だといえる。
トレス自身に悪意がなく、ルースに不利益をもたらすようなことはしなかったので、今まではお情けで見逃してくれていたのだ。
運がよかっただけである。
ルースはトレスと違い、その道のプロだった。
ルースが誰に仕えているのか、トレスには見当もつかなかったが――生命が惜しいので知りたくもなかったが――間違いなく、ルースはプロだ。
それも『一流』の上に『超』がつくプロだということは、なんとなくわかる。
ただの冒険者ギルドのギルド長であるはずがない。
そもそも、魔法を使うのに制限があるとはいえ、これほど優秀な人物が、なぜ、冒険者ギルドごときに長期間潜入しているのかがわからない。
よぼど、人材に恵まれた組織なのだろうか。
もう一度、言う。
今は呑気に、自分のデスク周りを片付けている場合ではない。
トレスは、即刻、逃げなければならない状況にあった。
しかし、今、ここで自分が逃げてしまうと、ギルド長の専属秘書がいなくなる。
……と、トレスは見当違いのことを思ってしまった。
ギルド長の秘書が複数いるならば、トレスの仕事を引き継ぐことができるが、ギルド長の専属秘書はトレスひとりであった。
さらに言うと、ギルド内には、ギルド長の専属秘書が務まりそうな人物――後任――がない。
自分がここで消えてしまえば、明日、作成しなければならない書類は、一体、誰が用意するというのだろうか。
今日よりも、さらに詳細で複雑な書類が必要になってくるのだ。
それを誰が作成できるというのか。
それができるのは、自分しかいない!
(どうする。どうする。どうしたらいいんだ!)
散らかった机の上を片付けながら、トレスは己の心に問いかける。
恐怖のために指先からは感覚がなくなり、膝の震えは一向に収まらない。
筆記具がうまく掴めず、焦燥感がさらに高まっていく。緊張のあまり、喉がヒリヒリと痛んだ。
(こ、怖い……)
自分を見つめるルースの目線が、とても恐ろしかった。さきほどから背中にぐさぐさと突き刺さっている。
それだけで心臓がきゅっと締め付けられ、呼吸がうまくできない。
疑惑の目線。
いや、これはもう、殺すことを心に決めた、獲物を狙う獣の目だった。
あの情け容赦ない、冷徹な瞳に睨まれたら、自分など、産まれたての兎のような、無力な存在になってしまう。
ルースなら、眉一つ動かさず、さくっと殺して、あっさり自分のことなど忘れてしまうだろう。
なりふりなど構ってられない。
今すぐ、即刻速攻、逃げなければならない。
机の上など、呑気に片付けている場合ではないのだ。
それこそ、一刻を争う事態である。
自分の本業は冒険者だ。とトレスは心の中で叫ぶ。
裏も表もなく、純粋な超級冒険者の戦士だ。
社交的で、そこそこ環境適応力があり、外の世界の知識が豊富で、とにかく好奇心が強い……。非力ではないが、抜きん出た強さもない。
エルフの血を引いているので容貌は整っているが、生粋のエルフと比べると、平々凡々な顔立ちである。特に特徴もない凡庸なハーフエルフである。
決して、どこかの組織に仕える諜報員や工作員のような、暗部に属する特殊技能を身につけた者ではない。
そこまでの働きをトレスには求められていなかったし、期待もされていない。
トレスが命じられたのは、帝都の近況を故国に伝えるだけの簡単な仕事……だったはずだ。
バレたので逃げてきました。しくじりました。と言って、泣いて許しを請うても、痛くも痒くもない。その程度の重要度だ。
失敗を報告しても、「あっそう。ごくろうさま」とか軽く流されてしまいそうな程度の任務だ。
仕事に失敗したからといって、己の生命をもって償うほどの内容ではない。
誠心誠意の謝罪が必要とあらば、子どもたちがやってみせた土下座だってできる。
手順はばっちり覚えた。
依頼不達成で多少の違約金が発生するかもしれないが、殺されるほどのことはやってない。
なにより、トレスはそこそこの期間、故国に対しても、十分すぎるくらい真面目に働いた。
この鋭いルースを相手にして、トレスはよく保った方だといえる。
トレス自身に悪意がなく、ルースに不利益をもたらすようなことはしなかったので、今まではお情けで見逃してくれていたのだ。
運がよかっただけである。
ルースはトレスと違い、その道のプロだった。
ルースが誰に仕えているのか、トレスには見当もつかなかったが――生命が惜しいので知りたくもなかったが――間違いなく、ルースはプロだ。
それも『一流』の上に『超』がつくプロだということは、なんとなくわかる。
ただの冒険者ギルドのギルド長であるはずがない。
そもそも、魔法を使うのに制限があるとはいえ、これほど優秀な人物が、なぜ、冒険者ギルドごときに長期間潜入しているのかがわからない。
よぼど、人材に恵まれた組織なのだろうか。
もう一度、言う。
今は呑気に、自分のデスク周りを片付けている場合ではない。
トレスは、即刻、逃げなければならない状況にあった。
しかし、今、ここで自分が逃げてしまうと、ギルド長の専属秘書がいなくなる。
……と、トレスは見当違いのことを思ってしまった。
ギルド長の秘書が複数いるならば、トレスの仕事を引き継ぐことができるが、ギルド長の専属秘書はトレスひとりであった。
さらに言うと、ギルド内には、ギルド長の専属秘書が務まりそうな人物――後任――がない。
自分がここで消えてしまえば、明日、作成しなければならない書類は、一体、誰が用意するというのだろうか。
今日よりも、さらに詳細で複雑な書類が必要になってくるのだ。
それを誰が作成できるというのか。
それができるのは、自分しかいない!
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