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深淵編(2)

見つからなかったら、怒られないわ※★

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 ギンフウはカリカリと音をたてながらペンを走らせ、書類に注釈を書き加えていく。
 
 コクランはその場を動かず、書類作業に没頭しはじめたギンフウを、痛ましげな目で眺めている。

 書類の文字に集中しているギンフウは、コクランがいることには気づいていたが、彼女がどういう目で自分を見ているかまでは、気づいていない。

 単調な時間が流れるなか、ギンフウの胸に鈍く抉るような痛みが走った。

「…………!」

 不意打ち同然の激痛に、ギンフウは不覚にも部下のいる前で狼狽え、反射的に席を立ってしまった。

 声をださなかった自分の自制心を褒めたいところだが、立ち上がったときに勢いがつきすぎたため、書斎の重厚な椅子が派手な音をたててひっくり返る。

「な、な、なに! どうしたのっ!」

 ギンフウのめったに目にすることができない狼狽えぶりに、コクランが驚きの声をあげる。

「あ……い、いや。……なんでもない」
「なんでもないって……」

 コクランの疑惑の視線を無視し、ギンフウは感情を押し殺した単調な声で答える。

 まずいところをまずいやつに見られてしまった、と内心で舌打ちする。

(さて、どうやってコクランを誤魔化すか……)

 ギンフウは平静を装いながら、倒れた執務用の椅子を引き上げ元の状態に戻す。

 そして、深呼吸を何度か繰り返すと、なにごともなかったかのように座りなおし、そのまま書類に向き合った。

 ギンフウが心を無にし、新たな書類に必要事項を書き加えていたとき、今度は背筋に悪寒が走った。

 心が激しくざわつき、引き裂かれるような、焼けつくような痛みに襲われる。

 うめき声の代わりに、バキッ、という乾いた音がする。

 驚いたコクランがギンフウの手元を見ると、彼が手にしていた羽ペンが真っ二つに折れていた。

 らしくない狼狽えぶりである。

「ちょ、ちょっと、ギンフウ……もしかして、子どもたちになにか……」
「いや、なにもない!」

 即答、というよりは、コクランの声を遮るような、余裕のない返事だった。

(…………え?)

 コクランの妖艶な顔が驚きで呆け、そのあと、ニヤリとした笑みに変わる。

 緑の瞳がキラキラ、いや、ギラギラと輝いている。

(なにかあったんだ……)

 コクランは手にしていた銀の長い煙管をくるくると動かし、歌うような声で古の言葉を紡ぎはじめる。
 彼女の声に呼応するかのように、銀色の煙管がぼんやりと明るく輝きを放ちはじめた。

 普通の光ではなく、精霊が好む光の色を放っている。

「……おいおい、なにをやっているんだ? やめろ」

 制止するギンフウの声は間に合わない。
 コクランの周囲に、ポツポツと、光る粒子が集まりはじめ、彼女の周囲をふわふわと意思を持って漂い始める。

「おい、やめろ!」

 光の粒は、コクランが使役する精霊たちである。

 ギンフウの言葉を無視し、コクランは銀の煙管を動かし、古の言葉で光の粒たちに命令を囁く。

 光の粒が消えるのを呆然と眺めながら、ギンフウは思わずこめかみに手をやっていた。

「コクラン、冒険者ギルドに精霊を飛ばしてどうするつもりだ? 見つかると、怒られるのはオレなんだぞ?」

 嘆息するギンフウに、コクランは無邪気で眩しい笑顔を向ける。
 新しいおもちゃを貰って喜ぶ子どもたちの笑顔となんら変わらない。

「大丈夫。見つからなかったら、怒られないわ。あたしはそんなヘマはしないわよ。冒険者ギルドって言っても、ギルド長室を覗くんじゃないんだから。一階のセキュリティなんて、ザルよ。ザル!」
「……確かにそうだが」

 それに関してはギンフウも否定はしない。
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