73 / 222
深淵編(2)
見つからなかったら、怒られないわ※★
しおりを挟むギンフウはカリカリと音をたてながらペンを走らせ、書類に注釈を書き加えていく。
コクランはその場を動かず、書類作業に没頭しはじめたギンフウを、痛ましげな目で眺めている。
書類の文字に集中しているギンフウは、コクランがいることには気づいていたが、彼女がどういう目で自分を見ているかまでは、気づいていない。
単調な時間が流れるなか、ギンフウの胸に鈍く抉るような痛みが走った。
「…………!」
不意打ち同然の激痛に、ギンフウは不覚にも部下のいる前で狼狽え、反射的に席を立ってしまった。
声をださなかった自分の自制心を褒めたいところだが、立ち上がったときに勢いがつきすぎたため、書斎の重厚な椅子が派手な音をたててひっくり返る。
「な、な、なに! どうしたのっ!」
ギンフウのめったに目にすることができない狼狽えぶりに、コクランが驚きの声をあげる。
「あ……い、いや。……なんでもない」
「なんでもないって……」
コクランの疑惑の視線を無視し、ギンフウは感情を押し殺した単調な声で答える。
まずいところをまずいやつに見られてしまった、と内心で舌打ちする。
(さて、どうやってコクランを誤魔化すか……)
ギンフウは平静を装いながら、倒れた執務用の椅子を引き上げ元の状態に戻す。
そして、深呼吸を何度か繰り返すと、なにごともなかったかのように座りなおし、そのまま書類に向き合った。
ギンフウが心を無にし、新たな書類に必要事項を書き加えていたとき、今度は背筋に悪寒が走った。
心が激しくざわつき、引き裂かれるような、焼けつくような痛みに襲われる。
うめき声の代わりに、バキッ、という乾いた音がする。
驚いたコクランがギンフウの手元を見ると、彼が手にしていた羽ペンが真っ二つに折れていた。
らしくない狼狽えぶりである。
「ちょ、ちょっと、ギンフウ……もしかして、子どもたちになにか……」
「いや、なにもない!」
即答、というよりは、コクランの声を遮るような、余裕のない返事だった。
(…………え?)
コクランの妖艶な顔が驚きで呆け、そのあと、ニヤリとした笑みに変わる。
緑の瞳がキラキラ、いや、ギラギラと輝いている。
(なにかあったんだ……)
コクランは手にしていた銀の長い煙管をくるくると動かし、歌うような声で古の言葉を紡ぎはじめる。
彼女の声に呼応するかのように、銀色の煙管がぼんやりと明るく輝きを放ちはじめた。
普通の光ではなく、精霊が好む光の色を放っている。
「……おいおい、なにをやっているんだ? やめろ」
制止するギンフウの声は間に合わない。
コクランの周囲に、ポツポツと、光る粒子が集まりはじめ、彼女の周囲をふわふわと意思を持って漂い始める。
「おい、やめろ!」
光の粒は、コクランが使役する精霊たちである。
ギンフウの言葉を無視し、コクランは銀の煙管を動かし、古の言葉で光の粒たちに命令を囁く。
光の粒が消えるのを呆然と眺めながら、ギンフウは思わずこめかみに手をやっていた。
「コクラン、冒険者ギルドに精霊を飛ばしてどうするつもりだ? 見つかると、怒られるのはオレなんだぞ?」
嘆息するギンフウに、コクランは無邪気で眩しい笑顔を向ける。
新しいおもちゃを貰って喜ぶ子どもたちの笑顔となんら変わらない。
「大丈夫。見つからなかったら、怒られないわ。あたしはそんなヘマはしないわよ。冒険者ギルドって言っても、ギルド長室を覗くんじゃないんだから。一階のセキュリティなんて、ザルよ。ザル!」
「……確かにそうだが」
それに関してはギンフウも否定はしない。
0
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
王宮侍女は穴に落ちる
斑猫
恋愛
婚約破棄されたうえ養家を追い出された
アニエスは王宮で運良く職を得る。
呪われた王女と呼ばれるエリザベ―ト付き
の侍女として。
忙しく働く毎日にやりがいを感じていた。
ところが、ある日ちょっとした諍いから
突き飛ばされて怪しい穴に落ちてしまう。
ちょっと、とぼけた主人公が足フェチな
俺様系騎士団長にいじめ……いや、溺愛され
るお話です。
狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~
一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。
しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。
流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。
その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。
右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。
この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。
数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。
元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。
根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね?
そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。
色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。
……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!
亡国の草笛
うらたきよひこ
ファンタジー
兄を追い行き倒れた少年が拾われた先は……
大好きだった兄を追って家を出た少年エリッツは国の中心たる街につくや行き倒れてしまう。最後にすがりついた手は兄に似た大きな手のひらだった。その出会いからエリッツは国をゆるがす謀略に巻きこまれていく。
※BL要素を含むファンタジー小説です。苦手な方はご注意ください。
幼い公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~
朱色の谷
ファンタジー
公爵家の末娘として生まれた6歳のティアナ
お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。
お父様やお兄様は私に関心がないみたい。愛されたいと願い、愛想よく振る舞っていたが一向に興味を示してくれない…
そんな中、夢の中の本を読むと、、、
偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~
甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」
「全力でお断りします」
主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。
だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。
…それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で…
一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。
令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……
【完結】神様に嫌われた神官でしたが、高位神に愛されました
土広真丘
ファンタジー
神と交信する力を持つ者が生まれる国、ミレニアム帝国。
神官としての力が弱いアマーリエは、両親から疎まれていた。
追い討ちをかけるように神にも拒絶され、両親は妹のみを溺愛し、妹の婚約者には無能と罵倒される日々。
居場所も立場もない中、アマーリエが出会ったのは、紅蓮の炎を操る青年だった。
小説家になろう、カクヨムでも公開していますが、一部内容が異なります。
天才女薬学者 聖徳晴子の異世界転生
西洋司
ファンタジー
妙齢の薬学者 聖徳晴子(せいとく・はるこ)は、絶世の美貌の持ち主だ。
彼女は思考の並列化作業を得意とする、いわゆる天才。
精力的にフィールドワークをこなし、ついにエリクサーの開発間際というところで、放火で殺されてしまった。
晴子は、権力者達から、その地位を脅かす存在、「敵」と見做されてしまったのだ。
死後、晴子は天界で女神様からこう提案された。
「あなたは生前7人分の活躍をしましたので、異世界行きのチケットが7枚もあるんですよ。もしよろしければ、一度に使い切ってみては如何ですか?」
晴子はその提案を受け容れ、異世界へと旅立った。
「元」面倒くさがりの異世界無双
空里
ファンタジー
死んでもっと努力すればと後悔していた俺は妖精みたいなやつに転生させられた。話しているうちに名前を忘れてしまったことに気付き、その妖精みたいなやつに名付けられた。
「カイ=マールス」と。
よく分からないまま取りあえず強くなれとのことで訓練を始めるのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる