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深淵編(1)
すごいでしょー!
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とある日の早朝。
開店前の酒場は薄暗く、とても静かだった。
明り取りの窓がない小さな酒場は、必要最低限の照明だけしか灯っていない。
室内は黄昏どきのようにほの暗く、客がいない酒場は、まるで時間が停止したかのように、ひっそりとしている。
さほど大きくもないテーブルは壁際に寄せられ、背もたれのない椅子はテーブルの上に行儀よくかたづけられていた。
掃除が終わった木の床にはちりひとつ落ちておらず、丁寧に磨かれた床は、鈍い光沢を放って開店時間を待ちわびている。
カウンターの席には、酒場のマダムが気だるげに座っており、手にしている書類に目を通していた。
狭いカウンター内部では、バーテンダーが開店準備に追われている。
まったりとした時間がすぎていくなか、突然、「バーン」という派手な音とともに、従業員控室に続く扉が乱暴に開いた。
心地よい静寂を破る賑やかな音に誘われて、マダムとバーテンダーの顔が動き、視線が店の奥へと移動する。
と同時に、陽気な女性の声が、客のいない酒場に響きわたった。
「ジャジャジャジャーン! おはよ――ございまぁ――すっ! リュウフウ登場でぇ――すっ! コクラン! リョクラン! みて! みて――ッ!」
乱入者は胸を反らすと、カウンターにいるマダムとバーテンダーに、誇らしげな笑みを向ける。
酒場全体を震わす甲高い声に、コクラン、リョクランと呼ばれたマダムとバーテンダーは苦笑を浮かべた。
「コクラン! どうです? ホラ、ホラ、ものすごく、すごいでしょ――ッ! みてくださいっ!」
リュウフウと名乗った女は、ぼさぼさの赤い髪を頭上でひとつに結い上げ、鉄製の飾り気のないかんざしで軽く留めている。
作業着らしき灰色のツナギを着た二十代前半の女性が、足音も荒々しく、店内にずかずかと乱入してきた。
リュウフウの視線は、コクラン――酒場のマダム――へと定まっている。
「繰り返し警告しますが、リュウフウさん、備品は大切に扱ってください。壊したら弁償ですよ」
カウンター内部で準備をしていたバーテンダーのリョクランが、うんざりとしたような口調で、開店前の騒がしい客リュウフウへと注意を促す。
リュウフウが通った後には、たてつけの悪い扉が揺れて、ギィギィと抗議の悲鳴をあげていたが、彼女はペロリと舌をだすだけで、リョクランの文句をやりすごす。
作業着姿のリュウフウの頭には、狐をほうふつとさせる赤い尖った三角形の耳があり、お尻にはフサフサと揺れ動く赤い尻尾がついていた。
酒場に乱入してきたリュウフウは、赤狐族の獣人だった。
赤狐族といえば、知恵がまわるものが多く、叡智の探求を一族の信条としている。
学者や研究者などを多く排出している種族だ。
彼女の家系では、ほとんどの者が例外なく魔導具をいじったり、作ったり、解析したりするのを好み、それを生業としていた。
興味の対象には並ならぬ愛情と熱意を惜しみなく注ぐが、それ以外のことについては、からっきしダメな種族で知られている。
いわゆる、変わり者が多いのだ。
リュウフウも例外なくその定義にあてはまっている。
乱れた髪型や、シミだらけの服をだらしなく着崩しているのに加え、化粧っ気が全くなく、お洒落には無縁の人であることがよくわかる。
小さな鼻の周りにはそばかすがあり、らんらんと輝く明るい緑色の目の下には、クマがくっきりと浮かんでいた。
「ホラホラ。ハヤテ、カフウ、セイラン! はやく。はやく! こっちよ! コッチ! コラコラ! そんなトコロにいつまでも隠れてないで、急いでこっちに来なさいよ!」
赤狐族の女性リュウフウはイライラと床を踏み鳴らしながら、開いたままになっている扉の奥に向かって、せわしなく声をかける。
コクランとリョクランは視線だけを動かし、リュウフウが見つめている先……従業員控室の様子を探った。
開店前の酒場は薄暗く、とても静かだった。
明り取りの窓がない小さな酒場は、必要最低限の照明だけしか灯っていない。
室内は黄昏どきのようにほの暗く、客がいない酒場は、まるで時間が停止したかのように、ひっそりとしている。
さほど大きくもないテーブルは壁際に寄せられ、背もたれのない椅子はテーブルの上に行儀よくかたづけられていた。
掃除が終わった木の床にはちりひとつ落ちておらず、丁寧に磨かれた床は、鈍い光沢を放って開店時間を待ちわびている。
カウンターの席には、酒場のマダムが気だるげに座っており、手にしている書類に目を通していた。
狭いカウンター内部では、バーテンダーが開店準備に追われている。
まったりとした時間がすぎていくなか、突然、「バーン」という派手な音とともに、従業員控室に続く扉が乱暴に開いた。
心地よい静寂を破る賑やかな音に誘われて、マダムとバーテンダーの顔が動き、視線が店の奥へと移動する。
と同時に、陽気な女性の声が、客のいない酒場に響きわたった。
「ジャジャジャジャーン! おはよ――ございまぁ――すっ! リュウフウ登場でぇ――すっ! コクラン! リョクラン! みて! みて――ッ!」
乱入者は胸を反らすと、カウンターにいるマダムとバーテンダーに、誇らしげな笑みを向ける。
酒場全体を震わす甲高い声に、コクラン、リョクランと呼ばれたマダムとバーテンダーは苦笑を浮かべた。
「コクラン! どうです? ホラ、ホラ、ものすごく、すごいでしょ――ッ! みてくださいっ!」
リュウフウと名乗った女は、ぼさぼさの赤い髪を頭上でひとつに結い上げ、鉄製の飾り気のないかんざしで軽く留めている。
作業着らしき灰色のツナギを着た二十代前半の女性が、足音も荒々しく、店内にずかずかと乱入してきた。
リュウフウの視線は、コクラン――酒場のマダム――へと定まっている。
「繰り返し警告しますが、リュウフウさん、備品は大切に扱ってください。壊したら弁償ですよ」
カウンター内部で準備をしていたバーテンダーのリョクランが、うんざりとしたような口調で、開店前の騒がしい客リュウフウへと注意を促す。
リュウフウが通った後には、たてつけの悪い扉が揺れて、ギィギィと抗議の悲鳴をあげていたが、彼女はペロリと舌をだすだけで、リョクランの文句をやりすごす。
作業着姿のリュウフウの頭には、狐をほうふつとさせる赤い尖った三角形の耳があり、お尻にはフサフサと揺れ動く赤い尻尾がついていた。
酒場に乱入してきたリュウフウは、赤狐族の獣人だった。
赤狐族といえば、知恵がまわるものが多く、叡智の探求を一族の信条としている。
学者や研究者などを多く排出している種族だ。
彼女の家系では、ほとんどの者が例外なく魔導具をいじったり、作ったり、解析したりするのを好み、それを生業としていた。
興味の対象には並ならぬ愛情と熱意を惜しみなく注ぐが、それ以外のことについては、からっきしダメな種族で知られている。
いわゆる、変わり者が多いのだ。
リュウフウも例外なくその定義にあてはまっている。
乱れた髪型や、シミだらけの服をだらしなく着崩しているのに加え、化粧っ気が全くなく、お洒落には無縁の人であることがよくわかる。
小さな鼻の周りにはそばかすがあり、らんらんと輝く明るい緑色の目の下には、クマがくっきりと浮かんでいた。
「ホラホラ。ハヤテ、カフウ、セイラン! はやく。はやく! こっちよ! コッチ! コラコラ! そんなトコロにいつまでも隠れてないで、急いでこっちに来なさいよ!」
赤狐族の女性リュウフウはイライラと床を踏み鳴らしながら、開いたままになっている扉の奥に向かって、せわしなく声をかける。
コクランとリョクランは視線だけを動かし、リュウフウが見つめている先……従業員控室の様子を探った。
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