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フィリア編(1)

世のことわりとは、もとからそういうものだ

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 フィリアが屋根の上に倒れ込んだ直後、ギルの【結界】が激しく輝き、悲しげな音をたてながら無惨にも粉々に砕け散った。

 【結界】が壊れたときの衝撃派をまともに浴びてしまい、ギルの皮膚に無数の切り傷ができる。

 うめき声をあげながらその場に跪くギルに旦那さまは「よくやった」と短く声をかける。

 さらに強い圧が三人にのしかかり、旦那さまが掲げていた錫杖が「ばきん」と乾いた音をたてて粉々に砕け散った。
 【結界】が破壊されたときよりも激しい衝撃が襲ってくる。

 ばしゃり、と濡れたような音がして、大量の鮮血が周囲に飛び散った。

「だ、旦那さま――っ!」

 フィリアの灯した魔法の灯りはいつのまにか消えており、【結界】が壊れ、微光を放っていた旦那さまの錫杖も砕け散ってしまった。

 周囲は再び暗闇の中に沈んでしまい、ギルは慌てて【灯り】の魔法を使う。
 フィリアのように明るさの調整はできないが、周囲を照らすには十分すぎる――むしろ、まぶしすぎるくらいの――明るさになる。

 ギルは思わず息を飲み込み、驚いた表情で、光の中に浮き上がった旦那さまを見つめた。

 旦那さまの右の肩から先が――錫杖を握っていた右手が――真っ赤に染まっており、ボタボタと音をたてて血が屋根の上に落ちている。
 足元にできた血溜まりは、ものすごい勢いで大きく拡がっていく。

 旦那さまはうめき声ひとつもらさず、左手で肩を押さえていた。しかし、手のひらからは白い骨が見えており、今にも腕が肩からちぎれ落ちそうだった。

「た、大変だ! 旦那さま! 怪我がっ」

 狼狽えるギルを、旦那さまは静かな声で制止する。

「ギル、落ち着きなさい。右手一本と引き換えに助かったのだから、安いものだ。わたしは大丈夫だ。回復魔法がある。それよりもフィリアだ!」

 ギルは軽く唇を噛みしめると、倒れているフィリアへ這うようにして近寄る。

 本当は駆け寄って抱き起こしたいのだが、全身が痛みに悲鳴をあげており、思うように身体を動かすことができない。

 それでもなんとか、幼馴染みの側に行くと、痺れる手を懸命に動かしてフィリアを抱き起こす。

「フィリア! フィリア! 大丈夫か!」
「気を失っているようだな。多少、乱暴なことをしてもいいから、急いで起こしなさい」

 血まみれの肩を押さえながら、旦那さまがフィリアの顔をのぞきこむ。

 旦那さまは今にも倒れそうだった。
 たくさんの血を失ったが、それ以上に、魔力を失ったのだろう。
 フィリアの顔色も悪かったが、旦那さまの顔色はもっと悪かった。

 ギルは泣きたくなるのを懸命にこらえながら、フィリアを抱え直す。

「フィリア! 聞こえるか! おい! 目を覚ませ!」

 大声で叫ぶ。
 他の宿泊客への迷惑など関係ない。
 力の限り叫びつづけ、身体をゆさぶり、頬を叩く。

「う……っっつぅ」

 フィリアの口からうめき声が漏れる。
 ギルに頬を叩かれ、思いっきり揺さぶられ、フィリアはうっすらと目を開けた。

「フィリア! 大丈夫か!」
「だ、だい……じょう……ぶ。だから……もっと……しず……かに」

 フィリアが気だるげにギルを見る。
 ギルがおいおいと泣き始め、フィリアは困ったように眉根を寄せた。

「気休めでしかないが、やらないよりはよいだろう」

 旦那さまはフィリアの側にかがみ込む。左の手についていた血を外套でぬぐい取り、手をそっとかざす。
 大きな手のひらが淡い輝きを放ちはじめ、光がフィリアの全身を包み込んだ。

「ありがとうございます。少し……楽になりました」
「回復魔法で魂の傷は癒せないが……ふたりとも、よくがんばったな」

 と言いながら、旦那さまは左手でフィリアとそして、ギルの頭をポンポンと軽くなでる。

 ギルは自分も褒められたことに驚いていたようだが、照れたような笑みを浮かべ、フィリアの上体を支え直した。

「どれだけ……ぼくは気を失って?」
「短い間だ」
「そう……ですか。とても長い時間に感じました……」
「世のことわりとは、もとからそういうものだ」

 旦那さまの達観した言葉に、フィリアは軽く頷いてみせる。

 ヒトには長く感じる出来事も、神と称えられるモノたちにとっては、砂時計の一粒の砂が落ちる間……ほんの瞬きのことでしかないのだろう。
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