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フィリア編(1)
助けるのはお前だ
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旦那さまの手が、フィリアの肩から頬へと移動する。
愛おしそうに、フィリアの頬を何度か撫でながら、旦那さまは泣き出しそうな震える声で言葉をつづける。
「その幼き雛鳥に、これから過酷なことを言う……いや、命じるが、おまえはやらねばならない」
「やります! ぼくはなにをしたらよいのか? 命じてください!」
涙に濡れた緑の瞳が、旦那さまの緊張でこわばった顔を真正面から見上げる。
その素直で力強い輝きに、旦那さまは微かな笑みをもらした。
「その前に……」
「…………?」
「ギル」
「はぁ? あっ、は、いっ?」
まさか、自分の名が呼ばれるとは思っていなかったギルが慌てて返事をしながら、煙突の陰から姿を現す。
「隠れて練習していた【結界】は張れるようになったか?」
「え……っと、十回やって、五回……成功するようになりました」
自力でフィリアが【移動】の魔法が使えるようになったのなら、自分は【結界】の魔法が使えるような気がする……となんとなく思ったギルは、フィリアと旦那さまに隠れてこっそりと練習をしていたのである。
フィリアはギルがそのようなことをしていたとは気づいていなかったようだが、旦那さまの目は誤魔化せなかったようだ。
後で旦那さまのお説教があるにちがいない。
ギルは悲しそうに目を伏せる。
「ただちに【結界】を張りなさい」
「え? ここで? 今? ですか?」
呆けた顔でギルが問い直す。
ここは、宿屋の屋根の上。
このような場所で【結界】の魔法を使うと、屋根が……宿屋がどうなるかわからない。
見様見真似で覚えた成功率の低い【結界】魔法を発動してよいのか、ギルに迷いが生じる。
魔法の発動に失敗した惨状を旦那さまは見たことがないから言えるのだろう。とギルは思った。
「気にするな」
「い、いや……」
旦那さまはさらりと言ってのけたが、それは気にするところだ。
「仮に、結界が失敗して、屋根に大穴が空いてしまったとしても、結果として宿屋が崩壊してしまったとしても、わたしが責任を持って後始末をする。だから、安心して、全力でやりなさい」
「……あ、あの……旦那さま?」
宿屋には自分たちの他にも、従業員や宿泊客もいる。それはどうなるのだろうか。
「できないのか? フィリアを護るためにはギルの【結界】が必要なのだが、できないのなら、仕方がないな」
「できます! やります! やってみせます!」
そう答えると、ギルは己の剣を抜き払い、迷うことなく剣先を屋根の上に突き刺す。
そして、ブツブツと口の中で祈りの言葉を唱え始めた。
ギルの足元が輝き出したのを見届けると、旦那さまはフィリアの方へと向き直った。
手にしていた銀色の錫杖の先を、フィリアの額に当てる。
チリっとかすかな痛みが額に走り、フィリアは反射的に目を閉じた。
「フィリアよ、ただ感情に流され、魂の片割れと共に堕ちることは許さぬ。堕ちるな。流されるな……」
錫杖の先端がじんわりと熱をもっているのが感じられた。
旦那さまの言葉はまだまだつづいた。
「おまえの片割れの痛み、苦しみを真正面から受け止めるのだ。逃げるな。ただ、淡々と。それがどのようなものであっても、どんなに残酷なものであっても、心をしっかり保て」
「わかりました」
「決して、取り乱すな。狼狽えるな。己の魂が傷つくことを恐れるな。おまえの魂が頑強であれば、あるほど、片割れの魂が負うであろう傷も少しは減らせる」
荘厳な響きを秘めた旦那さまの言葉に、フィリアは軽く身震いする。
「安心しろ。魂の片割れの身柄を護れる者は、すでに側にいる。そして、救い出すことができる者もすぐ側にまで迫っている。だが『魂』を護ることができるのは、同じ『魂』を持つ、おまえしかいない」
「ぼくの魂の片割れは助かるのですか?」
少年の問いに「ちがう」と旦那さまは首をゆっくりと左右に振る。
「フィリア、おまえが魂の片割れを助けなければならないんだよ。助けるのはお前だ」
「はい。わかりました」
「ただ……受け止めるだけでいい」
「わかりました」
愛おしそうに、フィリアの頬を何度か撫でながら、旦那さまは泣き出しそうな震える声で言葉をつづける。
「その幼き雛鳥に、これから過酷なことを言う……いや、命じるが、おまえはやらねばならない」
「やります! ぼくはなにをしたらよいのか? 命じてください!」
涙に濡れた緑の瞳が、旦那さまの緊張でこわばった顔を真正面から見上げる。
その素直で力強い輝きに、旦那さまは微かな笑みをもらした。
「その前に……」
「…………?」
「ギル」
「はぁ? あっ、は、いっ?」
まさか、自分の名が呼ばれるとは思っていなかったギルが慌てて返事をしながら、煙突の陰から姿を現す。
「隠れて練習していた【結界】は張れるようになったか?」
「え……っと、十回やって、五回……成功するようになりました」
自力でフィリアが【移動】の魔法が使えるようになったのなら、自分は【結界】の魔法が使えるような気がする……となんとなく思ったギルは、フィリアと旦那さまに隠れてこっそりと練習をしていたのである。
フィリアはギルがそのようなことをしていたとは気づいていなかったようだが、旦那さまの目は誤魔化せなかったようだ。
後で旦那さまのお説教があるにちがいない。
ギルは悲しそうに目を伏せる。
「ただちに【結界】を張りなさい」
「え? ここで? 今? ですか?」
呆けた顔でギルが問い直す。
ここは、宿屋の屋根の上。
このような場所で【結界】の魔法を使うと、屋根が……宿屋がどうなるかわからない。
見様見真似で覚えた成功率の低い【結界】魔法を発動してよいのか、ギルに迷いが生じる。
魔法の発動に失敗した惨状を旦那さまは見たことがないから言えるのだろう。とギルは思った。
「気にするな」
「い、いや……」
旦那さまはさらりと言ってのけたが、それは気にするところだ。
「仮に、結界が失敗して、屋根に大穴が空いてしまったとしても、結果として宿屋が崩壊してしまったとしても、わたしが責任を持って後始末をする。だから、安心して、全力でやりなさい」
「……あ、あの……旦那さま?」
宿屋には自分たちの他にも、従業員や宿泊客もいる。それはどうなるのだろうか。
「できないのか? フィリアを護るためにはギルの【結界】が必要なのだが、できないのなら、仕方がないな」
「できます! やります! やってみせます!」
そう答えると、ギルは己の剣を抜き払い、迷うことなく剣先を屋根の上に突き刺す。
そして、ブツブツと口の中で祈りの言葉を唱え始めた。
ギルの足元が輝き出したのを見届けると、旦那さまはフィリアの方へと向き直った。
手にしていた銀色の錫杖の先を、フィリアの額に当てる。
チリっとかすかな痛みが額に走り、フィリアは反射的に目を閉じた。
「フィリアよ、ただ感情に流され、魂の片割れと共に堕ちることは許さぬ。堕ちるな。流されるな……」
錫杖の先端がじんわりと熱をもっているのが感じられた。
旦那さまの言葉はまだまだつづいた。
「おまえの片割れの痛み、苦しみを真正面から受け止めるのだ。逃げるな。ただ、淡々と。それがどのようなものであっても、どんなに残酷なものであっても、心をしっかり保て」
「わかりました」
「決して、取り乱すな。狼狽えるな。己の魂が傷つくことを恐れるな。おまえの魂が頑強であれば、あるほど、片割れの魂が負うであろう傷も少しは減らせる」
荘厳な響きを秘めた旦那さまの言葉に、フィリアは軽く身震いする。
「安心しろ。魂の片割れの身柄を護れる者は、すでに側にいる。そして、救い出すことができる者もすぐ側にまで迫っている。だが『魂』を護ることができるのは、同じ『魂』を持つ、おまえしかいない」
「ぼくの魂の片割れは助かるのですか?」
少年の問いに「ちがう」と旦那さまは首をゆっくりと左右に振る。
「フィリア、おまえが魂の片割れを助けなければならないんだよ。助けるのはお前だ」
「はい。わかりました」
「ただ……受け止めるだけでいい」
「わかりました」
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