生贄奴隷の成り上がり〜堕ちた神に捧げられる運命は職業上書きで回避します〜

のりのりの

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フィリア編(1)

嫌な夜

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 とても暗い夜だった。
 月もなく、厚い雲が夜空を隙間なく覆っている。星ひとつ見えない暗い夜だった。

 冒険者のフィリアは、宿泊している宿屋の屋根に登ると、膝を抱え込むようにしてその場に座りこんだ。
 屋根の上は想像以上に暗かったので、慌てて【灯り】の呪文を唱える。
 詠唱が終わると周囲がほんのりと明るくなり、フィリアは吐息とともに肩の力を抜いた。

(嫌な夜……)

 まだ幼さの残る少年の澄んだ緑の瞳には、夜の昏い闇が映り込んでいて、深い憂いに沈んでいる。
 静寂がもたらす緊張感が肌に突き刺さり、居心地の悪さを感じたフィリアは、無意識のうちに手にしていた中剣をぎゅっと胸にかきいだいていた。

 飾りの全くない無骨な剣は初心者用の安物だったが、使い込めばそれなりに愛着もわいてくるし、己の生命を預け、くじけそうになる心を支えてくれる大事なパートナーだ。すぐに刃こぼれするし、切れ味はよくないが、これからも大切に使っていきたい。

 痛みが目立ちはじめていた革鎧は、脱いで部屋の片隅に置いてきた。このところ急激に身長が伸びてきたので、サイズ直しにも限界がきており、そろそろ買い替え時なのかもしれない。
 その出費を考えると、気が重くなった。

 初級、中級冒険者は、もともと報酬額も少なかったが、それに加えて怪我の治療や装備への投資など、手元に残る金は少ない。
 だが、その苦しい時期を乗り切って、上級、もしくはそれ以上のランクの冒険者になると、依頼の危険度も増すが、それに応じて報酬額も桁がかわってくる。

 傍若無人で自由気ままに生きているように見える冒険者というのも、大変なんだなと思ってしまう。

 雇われ職人や住み込みの使用人は、安全で堅実な人生だが、自分が生きていくだけで精一杯になる。

 身寄りのない孤児院出身の孤児が高収入を得たいのなら、冒険者になるといい……という話に、勝手に幻想をいだいて飛びついてしまったのは否めない。
 さすがに「楽に一攫千金」とまでは考えなかったが、雇われ職人や下働きとして働き続けるよりは、収入がよいと考えていた。しかし、その考えは安易だったと、フィリアは少しばかり反省している。
 貧困生活から抜け出すには、まだまだ時間がかかりそうだった。

 フィリアは洗いざらしの白いシャツに、擦り切れたズボン、少しくたびれた感じがする長靴という貧相な軽装だった。
 ここら辺りの春の夜であれば、外套を羽織らずともさほど寒さは感じない。

 こうして装備を外し、シャツ一枚の薄着になると、少年の腰の細さと胸板の薄さがはっきりとわかる。
 育ち盛りの年頃にしては、少し痩せ気味だろう。夜の闇のせいもあるが、血色も
それほどよくない。剣を振るう戦士ならば、この時期に骨格を鍛えあげ、しっかりと筋肉をつけたいところだ。

 肩の辺りまで伸びている艶の乏しい金髪は、いつもは後ろでひとつに束ねているが、今は紐を外し、風に吹かれるままになっていた。

 フィリアはなにをするでもなく、ただ屋根の上で座り込み、ひとりきりの孤独な時間を過ごす。

(風が……)

 頬に当たる今日の春風は、不気味なほどに生暖かく、身体にべっとりとまとわりつくような生臭さをはらんでいた。

(気持ち悪い……)

 眉間に深いシワをつくりながら、フィリアは先が見えない昏い虚空を睨みつける。
 剣を抱える手に自然と力がこもった。

 ここ数日、漠然とした不安が胸を締めつけ、フィリアを無性にいらつかせていた。
 その不安は日をおうごとに増大し、重くのしかかる気分は鬱蒼としていて、決して晴れることがない。
 不快感の原因がわからず、それがなんとも気持ち悪くて、胃がムカムカするのだ。

「くそっ……」

 フィリアは光のない夜空に向かって悪態をつく。
 拭いきれない不安のはけ口がみつからず、少年の苛立ちは、いよいよ限界点に達しようとしていた。

「フィリア……ここにいたのか?」
「――――!」

 爆発寸前だったフィリアの感情が、その声を聞いたとたん、落ち着きを取り戻して凪いだようにゆっくりと冷めていく。

「……ギル?」
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