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序章
予兆
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オトウトが火のついたように泣いていた。まだ幼いオトウトの泣き声は激しく、周りにいた大人たちを困らせるには十分な威力をもっていた。
いつもはとても大人しくて、聞き分けのよいおりこうさんな子どもなのに、今日に限っていつもと様子が違った。
「とーとー。やーだ。やーだ! とーとー……」
オトウトはしゃくりあげ、大声で泣きわめきながら、覚えたてのコトバを父様に向かって、懸命に発する。
「あらあら。どうしたのかしらねぇ……。おとうさまと離れるのが悲しいのかしらねぇ」
「センセイ、この子らの面倒は、わしら夫婦が責任をもってみますから、安心して、そのお仕事とやらをやってきてくだせえ」
年老いた夫婦……麓の村の村長夫婦がにこやかな笑顔を浮かべながら、旅装姿の父様へと語りかける。
みるからに人の良さそうな老婦人は、暴れまくる幼い男の子をしっかりと腕に抱きかかえ、全身を揺らして泣く子をあやしはじめる。
オトウトの必死な泣き声に、この地方の子守歌が優しい声音で重なる。
それでもオトウトは泣き止まない。
今まで村の子どもたちを相手にしてきて慣れているのか、オトウトがギャン泣きしていても、村長夫人は狼狽えることなく、余裕の笑みでオトウトを抱いている。
「まぁまぁ。お熱が高くて、ご機嫌ナナメなのかしらねぇ……」
オトウトの背中を優しく叩きながら、村長夫人は父様に「心配はいりませんよ」と慈母のごとく微笑みかける。
「ご迷惑をおかけします」
父様は村長夫妻に深々と頭を下げる。
その丁寧な仕草に、村長夫妻は慌てたように首を左右に振った。
「迷惑だなんて……とんでもない!」
「センセイ、頭をあげてくだせえ。いっつも、世話になりっぱなしで、頭を下げるのはコッチのほうでさあ。こんなときにくらいしか、御恩に報いることができません。気になさらないでくだせえ」
「具合の悪い子を連れての移動は、たいへんでしょう。あたしたちに預けてくださいな」
老夫婦の申し出に父様は形のよい眉を下げ、戸惑うような表情を浮かべた。
「しかし……こんなに泣くとは……」
村長さんは「泣くのが子どもの仕事のようなもんです。そのうち泣きつかれて寝て、目覚めたらケロっとしてまさぁ……」とかいって、心配そうな顔をしている父様を笑い飛ばしている。
「とーとー。とーとー」
オトウトは泣き止むどころか、泣き声はさらに大きくなり、センセイと呼ばれた父様に向かって懸命に小さな手を伸ばす。
父様は困惑しながらも、オトウトの小さな指をきゅっと握りしめた。
「とーとー。やだ。やーだ!」
オトウトの顔は真っ赤だ。
さっきまで高熱でぐったりとしていたのに、こんなに泣いて大丈夫なのだろうか?
父様の薬を飲ませたら熱は下がるだろう。父様の薬は世界一だ。効かないはずがない。それでも心配なものは心配だ。
「……できるだけ早く、用事を片付けて、急いで戻ってくるからな」
父様は優しくオトウトに語りかけると、老夫婦の足元にいたわたしへと視線を向ける。
「すぐに戻る。だからそれまでの間……」
「父様、わかっています! オトウトのメンドウをみるのは、オネーサンであるわたしのヤクメです! 父様は、安心して、ダイジなお勤めをはたしてきてください!」
そう答えながら、わたしは父様からあずかっている小さなバスケットを持ち上げてみせる。
この中には、よく高熱をだすオトウトのために父様が調合した薬が入っている。
「ちゃんと、わすれずに、いちにちさんかい、オクスリをのませます!」
「頼んだぞ」
父様はそう言うと、わたしの頭を愛おしそうに撫で、そしてオトウトの頭を撫でてから、何度も、何度もこちらの方を振り返りながら、森の奥へと消えていった。
「いってらっしゃい!」
「センセイ、気をつけてくだせえや!」
「お早いお戻りを」
「できるだけ早く戻ってまいりますので、その間、ふたりをよろしくお願いします」
そのようなやりとりがなされ、村長夫妻とわたしは、笑顔を浮かべ、仕事へと向かった父様を見送った。
その間もオトウトはずっと泣きつづけていた……。
なんでもできてしまう父様から頼られたわたしは、この日、とても誇らしい気持ちで夜を迎えた。
いつもはとても大人しくて、聞き分けのよいおりこうさんな子どもなのに、今日に限っていつもと様子が違った。
「とーとー。やーだ。やーだ! とーとー……」
オトウトはしゃくりあげ、大声で泣きわめきながら、覚えたてのコトバを父様に向かって、懸命に発する。
「あらあら。どうしたのかしらねぇ……。おとうさまと離れるのが悲しいのかしらねぇ」
「センセイ、この子らの面倒は、わしら夫婦が責任をもってみますから、安心して、そのお仕事とやらをやってきてくだせえ」
年老いた夫婦……麓の村の村長夫婦がにこやかな笑顔を浮かべながら、旅装姿の父様へと語りかける。
みるからに人の良さそうな老婦人は、暴れまくる幼い男の子をしっかりと腕に抱きかかえ、全身を揺らして泣く子をあやしはじめる。
オトウトの必死な泣き声に、この地方の子守歌が優しい声音で重なる。
それでもオトウトは泣き止まない。
今まで村の子どもたちを相手にしてきて慣れているのか、オトウトがギャン泣きしていても、村長夫人は狼狽えることなく、余裕の笑みでオトウトを抱いている。
「まぁまぁ。お熱が高くて、ご機嫌ナナメなのかしらねぇ……」
オトウトの背中を優しく叩きながら、村長夫人は父様に「心配はいりませんよ」と慈母のごとく微笑みかける。
「ご迷惑をおかけします」
父様は村長夫妻に深々と頭を下げる。
その丁寧な仕草に、村長夫妻は慌てたように首を左右に振った。
「迷惑だなんて……とんでもない!」
「センセイ、頭をあげてくだせえ。いっつも、世話になりっぱなしで、頭を下げるのはコッチのほうでさあ。こんなときにくらいしか、御恩に報いることができません。気になさらないでくだせえ」
「具合の悪い子を連れての移動は、たいへんでしょう。あたしたちに預けてくださいな」
老夫婦の申し出に父様は形のよい眉を下げ、戸惑うような表情を浮かべた。
「しかし……こんなに泣くとは……」
村長さんは「泣くのが子どもの仕事のようなもんです。そのうち泣きつかれて寝て、目覚めたらケロっとしてまさぁ……」とかいって、心配そうな顔をしている父様を笑い飛ばしている。
「とーとー。とーとー」
オトウトは泣き止むどころか、泣き声はさらに大きくなり、センセイと呼ばれた父様に向かって懸命に小さな手を伸ばす。
父様は困惑しながらも、オトウトの小さな指をきゅっと握りしめた。
「とーとー。やだ。やーだ!」
オトウトの顔は真っ赤だ。
さっきまで高熱でぐったりとしていたのに、こんなに泣いて大丈夫なのだろうか?
父様の薬を飲ませたら熱は下がるだろう。父様の薬は世界一だ。効かないはずがない。それでも心配なものは心配だ。
「……できるだけ早く、用事を片付けて、急いで戻ってくるからな」
父様は優しくオトウトに語りかけると、老夫婦の足元にいたわたしへと視線を向ける。
「すぐに戻る。だからそれまでの間……」
「父様、わかっています! オトウトのメンドウをみるのは、オネーサンであるわたしのヤクメです! 父様は、安心して、ダイジなお勤めをはたしてきてください!」
そう答えながら、わたしは父様からあずかっている小さなバスケットを持ち上げてみせる。
この中には、よく高熱をだすオトウトのために父様が調合した薬が入っている。
「ちゃんと、わすれずに、いちにちさんかい、オクスリをのませます!」
「頼んだぞ」
父様はそう言うと、わたしの頭を愛おしそうに撫で、そしてオトウトの頭を撫でてから、何度も、何度もこちらの方を振り返りながら、森の奥へと消えていった。
「いってらっしゃい!」
「センセイ、気をつけてくだせえや!」
「お早いお戻りを」
「できるだけ早く戻ってまいりますので、その間、ふたりをよろしくお願いします」
そのようなやりとりがなされ、村長夫妻とわたしは、笑顔を浮かべ、仕事へと向かった父様を見送った。
その間もオトウトはずっと泣きつづけていた……。
なんでもできてしまう父様から頼られたわたしは、この日、とても誇らしい気持ちで夜を迎えた。
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