47 / 50
第10章 陽だまりは勇ましく
46話
しおりを挟む
意識がはっきりしていたのは、重たい扉をひとつ閉ざしたところまで。
「……ん」
“海” から還った岬は、目の前で光る鈍色の瞳を見つめ、勢いよく飛び退く。瞬間、湿った草の上に倒れる厘の体。寸前まで光っていた瞳は閉じられて、唇も肌も蒼白と化していた。
「りんっ……、」
まだ少し怠く、鉛がのし掛かったように重い体。しかし自分の意思で動けているということは、幸を追い出すことに成功したらしい。そして、厘がこの体に精気を注ぎ続けていたことを意味していた。
「私、戻ってきたよ。だからお願い……お願い、起きて……」
脱力した彼の上半身を起こしながら、動転した心を懸命に冷ます。母の教えを、絶対に無駄にはしない。
「だいじょうぶ……。少しだけ、待っててね」
河川敷に、彼の頭を据え置く。直後、岬は首に下げていたペンダントの鎖をちぎり、ガラスの奥に眠る花弁を空に翳した。
「庵。庵、起きて」
「ん……んン?」
次いで、深い寝息を立てていた庵を揺らし「お願いがあるの」と詰め寄った。これまでになく鋭く光を灯した岬の瞳に、庵は寝起き早々慄いた。
「このペンダントを、ガラスを、割ってほしいの」
何事か。そう言いたげにも言葉を呑みながら、冴えない視界を取り戻すべく目を擦る庵。しかし岬は、容赦なく続けた。
「私の力だけじゃ、足りないの」
「……割る?」
「そう。中身を取り出したいの。お願い、庵」
ようやく視界を明らめ、仰向けになった厘を一瞥してから、庵は目を丸くする。岬はその反応を前に、唇を噛み締めた。庵が動揺するほど、一体、どれほどの精気を注いでくれたのだろう。瀕死になるまで、どうしてやめなかったのだろう。
パリンッ———!!
逡巡の最中、横で響いた音で我に返る。視線の先では庵が拳に血を流し、「ほら」と “中身” を差しだしていた。一瞬だけ、目眩がした。
「言っておくが、こんなかすり傷すぐに塞がる」
「かすり傷、」
「気を散らすな。お前が今構うべきは、あのどうしようもねぇ虚け野郎だろ」
「っ、うん」
言われてすぐに、庵の傷口と刺さった破片から目を逸らす。
「ごめんね。あとで、手当てするから」
「いい……平気だっつってんだろ」
「ありがとう。庵」
ばつが悪そうに頭を掻く庵から、黄色い花弁を受け取る。ペンダントに収まるように刻まれたその花弁は、「向日葵なんだ」と母は言った。
『向日葵はね、太陽を探して、まっすぐそこへ向かう力があるの。たとえ “ただの花” であっても、精気の力は妖花に負けないくらい強いの。だからね、岬、』
もしも厘が瀕死なら、すぐにそれを呑ませなさい。そうすれば、———
静かに眠る厘。その端麗な顔に体温を寄せながら、母の言葉を思い出す。
「私だけの力じゃ、まだ駄目だったけど……それでもちゃんと、救けるから。今度は “私たち” が」
告げた後、岬は取り出した白い水筒を傾けて、口内に水と向日葵を同時に含んだ。
———『物足りないのなら、口移しで注いでみるか?』
いつだったか。冷やかしなのか、本気なのかも分からない、厘の台詞が過る。まさか、自分から実践することになるとは、夢にも思わなかった。しかし今度こそ、躊躇いも逃げる気も、毛頭なかった。
厘……起きて。
薄い唇に自分のそれを重ねながら、岬は静かに目を閉じる。そして、合わさった管の中で強く、強く、向日葵が届くように押し込んだ。何度も水を含んで、注いだ。これまで彼が注いでくれたように———息をするのを忘れるほど、懸命に。
———……岬?
朦朧とした意識のなか。呼ばれた拍子に視界を明らめると、唇の隙間から垂れた水の痕が、視界の端に写り込む。不謹慎にも胸を締め付けられながら、視線をそっと持ち上げる。
袂から鈍色が覗いて、岬はようやく息を吸い、大きく吐いた。
「好きだよ……厘」
零れ落ちる。
気づけばすでに、雨は止んでいて。雲間から覗いた日の光は、二人だけの世界を作り上げるように、オレンジ色の緞帳を下した。
「……ん」
“海” から還った岬は、目の前で光る鈍色の瞳を見つめ、勢いよく飛び退く。瞬間、湿った草の上に倒れる厘の体。寸前まで光っていた瞳は閉じられて、唇も肌も蒼白と化していた。
「りんっ……、」
まだ少し怠く、鉛がのし掛かったように重い体。しかし自分の意思で動けているということは、幸を追い出すことに成功したらしい。そして、厘がこの体に精気を注ぎ続けていたことを意味していた。
「私、戻ってきたよ。だからお願い……お願い、起きて……」
脱力した彼の上半身を起こしながら、動転した心を懸命に冷ます。母の教えを、絶対に無駄にはしない。
「だいじょうぶ……。少しだけ、待っててね」
河川敷に、彼の頭を据え置く。直後、岬は首に下げていたペンダントの鎖をちぎり、ガラスの奥に眠る花弁を空に翳した。
「庵。庵、起きて」
「ん……んン?」
次いで、深い寝息を立てていた庵を揺らし「お願いがあるの」と詰め寄った。これまでになく鋭く光を灯した岬の瞳に、庵は寝起き早々慄いた。
「このペンダントを、ガラスを、割ってほしいの」
何事か。そう言いたげにも言葉を呑みながら、冴えない視界を取り戻すべく目を擦る庵。しかし岬は、容赦なく続けた。
「私の力だけじゃ、足りないの」
「……割る?」
「そう。中身を取り出したいの。お願い、庵」
ようやく視界を明らめ、仰向けになった厘を一瞥してから、庵は目を丸くする。岬はその反応を前に、唇を噛み締めた。庵が動揺するほど、一体、どれほどの精気を注いでくれたのだろう。瀕死になるまで、どうしてやめなかったのだろう。
パリンッ———!!
逡巡の最中、横で響いた音で我に返る。視線の先では庵が拳に血を流し、「ほら」と “中身” を差しだしていた。一瞬だけ、目眩がした。
「言っておくが、こんなかすり傷すぐに塞がる」
「かすり傷、」
「気を散らすな。お前が今構うべきは、あのどうしようもねぇ虚け野郎だろ」
「っ、うん」
言われてすぐに、庵の傷口と刺さった破片から目を逸らす。
「ごめんね。あとで、手当てするから」
「いい……平気だっつってんだろ」
「ありがとう。庵」
ばつが悪そうに頭を掻く庵から、黄色い花弁を受け取る。ペンダントに収まるように刻まれたその花弁は、「向日葵なんだ」と母は言った。
『向日葵はね、太陽を探して、まっすぐそこへ向かう力があるの。たとえ “ただの花” であっても、精気の力は妖花に負けないくらい強いの。だからね、岬、』
もしも厘が瀕死なら、すぐにそれを呑ませなさい。そうすれば、———
静かに眠る厘。その端麗な顔に体温を寄せながら、母の言葉を思い出す。
「私だけの力じゃ、まだ駄目だったけど……それでもちゃんと、救けるから。今度は “私たち” が」
告げた後、岬は取り出した白い水筒を傾けて、口内に水と向日葵を同時に含んだ。
———『物足りないのなら、口移しで注いでみるか?』
いつだったか。冷やかしなのか、本気なのかも分からない、厘の台詞が過る。まさか、自分から実践することになるとは、夢にも思わなかった。しかし今度こそ、躊躇いも逃げる気も、毛頭なかった。
厘……起きて。
薄い唇に自分のそれを重ねながら、岬は静かに目を閉じる。そして、合わさった管の中で強く、強く、向日葵が届くように押し込んだ。何度も水を含んで、注いだ。これまで彼が注いでくれたように———息をするのを忘れるほど、懸命に。
———……岬?
朦朧とした意識のなか。呼ばれた拍子に視界を明らめると、唇の隙間から垂れた水の痕が、視界の端に写り込む。不謹慎にも胸を締め付けられながら、視線をそっと持ち上げる。
袂から鈍色が覗いて、岬はようやく息を吸い、大きく吐いた。
「好きだよ……厘」
零れ落ちる。
気づけばすでに、雨は止んでいて。雲間から覗いた日の光は、二人だけの世界を作り上げるように、オレンジ色の緞帳を下した。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
世界的名探偵 青井七瀬と大福係!~幽霊事件、ありえません!~
ミラ
キャラ文芸
派遣OL3年目の心葉は、ブラックな職場で薄給の中、妹に仕送りをして借金生活に追われていた。そんな時、趣味でやっていた大福販売サイトが大炎上。
「幽霊に呪われた大福事件」に発展してしまう。困惑する心葉のもとに「その幽霊事件、私に解かせてください」と常連の青井から連絡が入る。
世界的名探偵だという青井は事件を華麗に解決してみせ、なんと超絶好待遇の「大福係」への就職を心葉に打診?!青井専属の大福係として、心葉の1ヶ月間の試用期間が始まった!
次々に起こる幽霊事件の中、心葉が秘密にする「霊視の力」×青井の「推理力」で
幽霊事件の真相に隠れた、幽霊の想いを紐解いていく──!
「この世に、幽霊事件なんてありえません」
幽霊事件を絶対に許さない超偏屈探偵・青木と、幽霊が視える大福係の
ゆるバディ×ほっこり幽霊ライトミステリー!

【完結】キズモノになった私と婚約破棄ですか?別に構いませんがあなたが大丈夫ですか?
なか
恋愛
「キズモノのお前とは婚約破棄する」
顔にできた顔の傷も治らぬうちに第二王子のアルベルト様にそう宣告される
大きな傷跡は残るだろう
キズモノのとなった私はもう要らないようだ
そして彼が持ち出した条件は婚約破棄しても身体を寄越せと下卑た笑いで告げるのだ
そんな彼を殴りつけたのはとある人物だった
このキズの謎を知ったとき
アルベルト王子は永遠に後悔する事となる
永遠の後悔と
永遠の愛が生まれた日の物語

神の居る島〜逃げた女子大生は見えないものを信じない〜
(旧32)光延ミトジ
キャラ文芸
月島一風(つきしまいちか)、ニ十歳、女子大生。
一か月ほど前から彼女のバイト先である喫茶店に、目を惹く男が足を運んでくるようになった。四十代半ばほどだと思われる彼は、大人の男性が読むファッション雑誌の“イケオジ”特集から抜け出してきたような風貌だ。そんな彼を意識しつつあった、ある日……。
「一風ちゃん、運命って信じる?」
彼はそう言って急激に距離をつめてきた。
男の名前は神々廻慈郎(ししばじろう)。彼は何故か、一風が捨てたはずの過去を知っていた。
「君は神の居る島で生まれ育ったんだろう?」
彼女の故郷、環音螺島(かんねらじま)、別名――神の居る島。
島民は、神を崇めている。怪異を恐れている。呪いを信じている。あやかしと共に在ると謳っている。島に住む人間は、目に見えない、フィクションのような世界に生きていた。
なんて不気味なのだろう。そんな島に生まれ、十五年も生きていたことが、一風はおぞましくて仕方がない。馬鹿げた祭事も、小学校で覚えさせられた祝詞も、環音螺島で身についた全てのものが、気持ち悪かった。
だから彼女は、過去を捨てて島を出た。そんな一風に、『探偵』を名乗った神々廻がある取引を持ち掛ける。
「閉鎖的な島に足を踏み入れるには、中の人間に招き入れてもらうのが一番なんだよ。僕をつれて行ってくれない? 渋くて格好いい、年上の婚約者として」
断ろうとした一風だが、続いた言葉に固まる。
「一緒に行ってくれるなら、君のお父さんの死の真相、教えてあげるよ」
――二十歳の夏、月島一風は神の居る島に戻ることにした。
(第6回キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました。応援してくださった方、ありがとうございました!)

【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない
ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。
既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。
未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。
後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。
欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。
* 作り話です
* そんなに長くしない予定です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる