白の甘美な恩返し 〜妖花は偏に、お憑かれ少女を護りたい。〜

魚澄 住

文字の大きさ
上 下
40 / 50
第8章 愛の行方は揺るぎなく

39話

しおりを挟む
「……珍しいですね。お一人ですか?」

 翌朝。岬は墓詣りを済ませた後で、彼女・・を尋ねた。菊の化身であるという胡嘉子は、やはり苦手な香りを纏っていた。

「すみません。少し、聞きたいことがあって」

「いいですよ。中へどうぞ」

 一か月ほど前、踏み締めた畳に再び足を落とす。ひやり、爪先は一瞬にして感覚を失う。氷上のような畳も、風貌も変わらないけれど、彼女に以前の気だるさは感じられなかった。むしろ、来ることを知っていた、とでも言いたげな様子だ。

「厘さんのこと、ですよね」

 畳に腰を下ろしながら、金色の瞳を覗かせる。やはり、と岬は喉を鳴らした。

「はい。……昨日、倒れかけてしまって。息も苦しそうで。今は家で休んでいます」

「やはり、そうですか」

 そして、胡嘉子は容赦なく、息継ぎもせずに告げた。

 ———今まで以上に、続けざまに負荷のかかる “送り込み” を場合、厘は

「死にます」

 と。
 
「———……」

 母の死を目前にしたとき。浮かび望んでいた極楽浄土という言葉は、もう二度と浮かばなかった。
 死は、極楽などではない。居場所を奪うことも、世界を無色にすることも、もう知っていた。
 岬は形見のペンダントを、強く握りしめる。———もう失いたくない……それなのに。

「震えないで、岬さん」

 冷え切った手が、胡嘉子の両手に包まれる。温度を感じてはじめて、自分が震えていたのだと悟った。冷静に “死” を呑み込んだこころが色を失いかけていることに、気が付いた。

 震え。恐怖。暗闇。

 ───『阿呆……勝手に逝くな』

 そして、差し込んだ光。

 彼の世へ手を伸ばしたとき、厘が初めて放った言葉が、いまさら心の芯を弾いた。死を望んでいたあのときには、一言も思い出せなかったはずなのに。

「驚きました。あなたも彼を、そこまで想っているのですね」

 胡嘉子は優しく微笑み、菊の香りを添えて岬を包み込む。棺に囲まれた母を彷彿とさせる香りが、皮肉にも母を思い出させた。陽だまりのようなぬくもりが、身体に優しく溶け込んだ。

「大丈夫ですよ」

「……」

「普通に過ごしていれば……今憑いている霊魂程度の対処なら、問題ありませんから」

 飛沙斗は少し不満気に『えぇ、どういう意味?』と呻る。胡嘉子は意にも介さず、先を続けた。

「今の状態は、俗世で言う “風邪” のようなものです。ただし、症状は重いものと言えますが」

「じゃあ、厘は……」

「ええ。すぐに逝ってしまうわけではありません。あなたの……あなたが死に逝くまで、添い遂げることはできるはずです。人の寿命はそう長くはありませんし。ただ、」

 重ねて、大量の精気を削がれなければ———。
 胡嘉子は語尾を強調し、そう加えた。岬は震えを鎮めながら、煌びやかなその瞳を見つめる。

「私が、何かできることはないんでしょうか」

 厘が注いでしまったら。完全憑依の間、止めることが出来なかったら。無理をして、自分の精気を削いでしまったら。
 今までも、大量の精気を送り込んでくれた事があったのだろう。今後も同じような事が無いとは限らない。自分を救けるために、それも記憶に残らないまま厘が逝ってしまうなど、絶対に耐えられない。岬は拳を強く握りしめた。

「捨ててください」

「すて、る……?」

「はい。大切なものを守りたいのであれば、拒むことを覚えなさい。良心を捨てなさい」

 胡嘉子の凛々しい声に、岬は肩で反応する。そして、反芻した。


 ———『己をけがしてでも、守りたいと思えるのなら』

 その夜、岬は最後に告げられた言葉を巡らせた。頭の中で、何度も。何度も。

「絶対……今度は絶対、私が護るよ」

 細く息を吸い込む寝顔を、そっと覗き込む。安らかなその表情に涙が溢れ落ちたことを、厘は知らなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

世界的名探偵 青井七瀬と大福係!~幽霊事件、ありえません!~

ミラ
キャラ文芸
派遣OL3年目の心葉は、ブラックな職場で薄給の中、妹に仕送りをして借金生活に追われていた。そんな時、趣味でやっていた大福販売サイトが大炎上。 「幽霊に呪われた大福事件」に発展してしまう。困惑する心葉のもとに「その幽霊事件、私に解かせてください」と常連の青井から連絡が入る。 世界的名探偵だという青井は事件を華麗に解決してみせ、なんと超絶好待遇の「大福係」への就職を心葉に打診?!青井専属の大福係として、心葉の1ヶ月間の試用期間が始まった! 次々に起こる幽霊事件の中、心葉が秘密にする「霊視の力」×青井の「推理力」で 幽霊事件の真相に隠れた、幽霊の想いを紐解いていく──! 「この世に、幽霊事件なんてありえません」 幽霊事件を絶対に許さない超偏屈探偵・青木と、幽霊が視える大福係の ゆるバディ×ほっこり幽霊ライトミステリー!

【完結】キズモノになった私と婚約破棄ですか?別に構いませんがあなたが大丈夫ですか?

なか
恋愛
「キズモノのお前とは婚約破棄する」 顔にできた顔の傷も治らぬうちに第二王子のアルベルト様にそう宣告される 大きな傷跡は残るだろう キズモノのとなった私はもう要らないようだ そして彼が持ち出した条件は婚約破棄しても身体を寄越せと下卑た笑いで告げるのだ そんな彼を殴りつけたのはとある人物だった このキズの謎を知ったとき アルベルト王子は永遠に後悔する事となる 永遠の後悔と 永遠の愛が生まれた日の物語

神の居る島〜逃げた女子大生は見えないものを信じない〜

(旧32)光延ミトジ
キャラ文芸
月島一風(つきしまいちか)、ニ十歳、女子大生。 一か月ほど前から彼女のバイト先である喫茶店に、目を惹く男が足を運んでくるようになった。四十代半ばほどだと思われる彼は、大人の男性が読むファッション雑誌の“イケオジ”特集から抜け出してきたような風貌だ。そんな彼を意識しつつあった、ある日……。 「一風ちゃん、運命って信じる?」 彼はそう言って急激に距離をつめてきた。 男の名前は神々廻慈郎(ししばじろう)。彼は何故か、一風が捨てたはずの過去を知っていた。 「君は神の居る島で生まれ育ったんだろう?」 彼女の故郷、環音螺島(かんねらじま)、別名――神の居る島。 島民は、神を崇めている。怪異を恐れている。呪いを信じている。あやかしと共に在ると謳っている。島に住む人間は、目に見えない、フィクションのような世界に生きていた。 なんて不気味なのだろう。そんな島に生まれ、十五年も生きていたことが、一風はおぞましくて仕方がない。馬鹿げた祭事も、小学校で覚えさせられた祝詞も、環音螺島で身についた全てのものが、気持ち悪かった。 だから彼女は、過去を捨てて島を出た。そんな一風に、『探偵』を名乗った神々廻がある取引を持ち掛ける。 「閉鎖的な島に足を踏み入れるには、中の人間に招き入れてもらうのが一番なんだよ。僕をつれて行ってくれない? 渋くて格好いい、年上の婚約者として」 断ろうとした一風だが、続いた言葉に固まる。 「一緒に行ってくれるなら、君のお父さんの死の真相、教えてあげるよ」 ――二十歳の夏、月島一風は神の居る島に戻ることにした。 (第6回キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました。応援してくださった方、ありがとうございました!)

【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない

ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。 既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。 未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。 後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。 欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。 * 作り話です * そんなに長くしない予定です

処理中です...