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第8章 愛の行方は揺るぎなく
38話
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厘が打ち明けたのは、店を後にして辿った家路のなかだった。
「意識のない間に剥いだわけではない」
額に手を当てながら言う厘は、いつになく余裕がない。
体を見られた原因が、数か月前に憑依していた早妃であると知った岬は、安堵しつつも顔を赤らめた。憑依されていたから、といえど、自分の手で肌を露出していた事実は衝撃で。これまでの厘の配慮は、完全憑依によって砕け散った。
『夢魔ねぇー。あれは厄介だよなぁ、男にとっては。欲を剥き出しにさせる、というか』
その配慮を知らない飛沙斗は、包み隠さず厘を庇う。
「……飛沙斗も知ってるの?」
『いわゆる、サキュバスってやつだろー?いやぁ、よく耐えたねぇ、厘クン』
「……うるさい」
否。庇ったのではなく、むしろ揶揄いといえる。証拠に低い声で睨む厘の視線は、閃光のように鋭かった。よほど気に障ったらしい。岬はしばらく続いた攻防に耳を傾けながら、思い返していた。あの日、早妃が体を離れた直後のこと。
———『おかえり、岬』
意識の奥で聞こえた、厘の震える声。体力を消耗した姿。強く聡明な厘の手に余るほど、アレは厄介な霊魂だったのだ、と岬は今さら悟った。
「厘」
「……なんだ」
岬は、鞄の底に潜ませていた小さな箱を差し出す。中身は、カフェを去る前に、こっそりテイクアウトしたチョコレートだった。
「いつもありがとう。厘」
チョコレートに収まりきらない分は、どうしようか。思いながら目を細めた直後、厘の表情が白いライトに照らされる。瞬間、二人の横をバイクが素早く通り過ぎる。
ブォンッ———!!
「わっ———、」
エンジンの重低音が耳を掠めた拍子、よろけた岬はテールランプを見送りながら、厘の体に飛び込む。
「ご、ごめ……っ?!」
荒波を立てる脈に気づかれないよう、離れようと試みて。しかし、それは叶わなかった。
「お前から礼を貰う権利など、俺にはないんだ」
息が苦しい。籠ったように響く声は、確かに厘のものだと分かるのに、うまく聞き取ることができなかった。彼の胸の中にすっぽりと収まってしまったから、という理由の他に、自分の心音が鼓膜を占領しているからだと岬は理解した。
厘は離れようとする岬の肩を、胸元へ引き寄せる。辛うじて写った視界のなか。差し出したチョコレートの箱は、その大きな掌に握られていた。
「り……厘……?」
コート越しにもしっとり伝わる、厘の温度。生きている温度。徐々に強く締め付けられる体に、心臓はいとも容易く抉られた。
どうして———せっかく、忍ばせたのに。これじゃあ、また溢れてしまう。
「岬」
「……?」
「俺はお前を、必ず護る」
離れた体温。隙間に割り込む空気が冷たい。街灯に照らされた二つの吐息に、岬は目を細めた。
「それなら私は、厘を守るよ」
乾いた唇を割った瞬間、厘の影が覆いかぶさる。まだ、飛沙斗は憑いたばかりなのに———。思いながら、しかし岬は覚悟を決めて目を閉じる。半年の間に、何度も重ねた唇の気配が近づいた。
「……?」
間違いなく、近づいたはずなのに。今日だけはどこか様子が違った。
「厘……、厘……———?」
感じる重み。徐々に沈んでいく肩に、岬は気が付いた。厘の体重だということに、ようやく気が付いた。
「ハァ……ハァ……」
項垂れ、息の荒い厘。岬は声を殺し、息を呑む。思い出す。
ここ最近、おかしかった厘の様子。どうして、もっと迫らなかったのだろう。どうして、体調の変化に気づけなかったのだろう———。
『岬ちゃん。黙っててごめん』
「……え?」
予期していたかのような飛沙斗の、冷静な声。彼を懸命に支えながら、続く言葉と己の無力さに、岬は唇を噛み締めた。
『———厘くんさ……精気が減ってるんだよ。異常に減ってるんだよ』
「意識のない間に剥いだわけではない」
額に手を当てながら言う厘は、いつになく余裕がない。
体を見られた原因が、数か月前に憑依していた早妃であると知った岬は、安堵しつつも顔を赤らめた。憑依されていたから、といえど、自分の手で肌を露出していた事実は衝撃で。これまでの厘の配慮は、完全憑依によって砕け散った。
『夢魔ねぇー。あれは厄介だよなぁ、男にとっては。欲を剥き出しにさせる、というか』
その配慮を知らない飛沙斗は、包み隠さず厘を庇う。
「……飛沙斗も知ってるの?」
『いわゆる、サキュバスってやつだろー?いやぁ、よく耐えたねぇ、厘クン』
「……うるさい」
否。庇ったのではなく、むしろ揶揄いといえる。証拠に低い声で睨む厘の視線は、閃光のように鋭かった。よほど気に障ったらしい。岬はしばらく続いた攻防に耳を傾けながら、思い返していた。あの日、早妃が体を離れた直後のこと。
———『おかえり、岬』
意識の奥で聞こえた、厘の震える声。体力を消耗した姿。強く聡明な厘の手に余るほど、アレは厄介な霊魂だったのだ、と岬は今さら悟った。
「厘」
「……なんだ」
岬は、鞄の底に潜ませていた小さな箱を差し出す。中身は、カフェを去る前に、こっそりテイクアウトしたチョコレートだった。
「いつもありがとう。厘」
チョコレートに収まりきらない分は、どうしようか。思いながら目を細めた直後、厘の表情が白いライトに照らされる。瞬間、二人の横をバイクが素早く通り過ぎる。
ブォンッ———!!
「わっ———、」
エンジンの重低音が耳を掠めた拍子、よろけた岬はテールランプを見送りながら、厘の体に飛び込む。
「ご、ごめ……っ?!」
荒波を立てる脈に気づかれないよう、離れようと試みて。しかし、それは叶わなかった。
「お前から礼を貰う権利など、俺にはないんだ」
息が苦しい。籠ったように響く声は、確かに厘のものだと分かるのに、うまく聞き取ることができなかった。彼の胸の中にすっぽりと収まってしまったから、という理由の他に、自分の心音が鼓膜を占領しているからだと岬は理解した。
厘は離れようとする岬の肩を、胸元へ引き寄せる。辛うじて写った視界のなか。差し出したチョコレートの箱は、その大きな掌に握られていた。
「り……厘……?」
コート越しにもしっとり伝わる、厘の温度。生きている温度。徐々に強く締め付けられる体に、心臓はいとも容易く抉られた。
どうして———せっかく、忍ばせたのに。これじゃあ、また溢れてしまう。
「岬」
「……?」
「俺はお前を、必ず護る」
離れた体温。隙間に割り込む空気が冷たい。街灯に照らされた二つの吐息に、岬は目を細めた。
「それなら私は、厘を守るよ」
乾いた唇を割った瞬間、厘の影が覆いかぶさる。まだ、飛沙斗は憑いたばかりなのに———。思いながら、しかし岬は覚悟を決めて目を閉じる。半年の間に、何度も重ねた唇の気配が近づいた。
「……?」
間違いなく、近づいたはずなのに。今日だけはどこか様子が違った。
「厘……、厘……———?」
感じる重み。徐々に沈んでいく肩に、岬は気が付いた。厘の体重だということに、ようやく気が付いた。
「ハァ……ハァ……」
項垂れ、息の荒い厘。岬は声を殺し、息を呑む。思い出す。
ここ最近、おかしかった厘の様子。どうして、もっと迫らなかったのだろう。どうして、体調の変化に気づけなかったのだろう———。
『岬ちゃん。黙っててごめん』
「……え?」
予期していたかのような飛沙斗の、冷静な声。彼を懸命に支えながら、続く言葉と己の無力さに、岬は唇を噛み締めた。
『———厘くんさ……精気が減ってるんだよ。異常に減ってるんだよ』
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