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第6章 聖夜の夜は湿っぽく
23話
しおりを挟む先日。厘にきつく抱き締められた後、岬は半分憑依とは別の形態を知った。
“完全憑依” ───安堵に満ちた厘の表情を前に、その事実を打ち明かされた。どれも、初めて聴く内容で戸惑った。厘によると、街で意識を失ったと同時に “早妃” と名乗る悪霊に件の完全憑依を許してしまったのだとか。加えて、これまでにも定期的に訪れていた酷い眠気の原因は、新月の夜に霊が身体を操っていたからだ、と知らされた。
「でも、今回は……」
「ああ。新月でもないのに乗っ取られたのは、早妃がより強い霊力を持つ悪霊だったからだ」
憑いていた汐織を退けることができたのも、悪霊ゆえ───厘は眉を下げながらそう言った。汐織とは気が合うようだったから、無念だったのだろう。……私も、ちゃんと伝えたかった。
───『何もできなくてごめん、岬』
何も出来なかったなんて言わないで……背中を押してくれてありがとう。そう伝える前に、彼はこの身を離れてしまった。心の奥に触れた、彼の穏やかで温かい言葉の数々が、鼻先へ電流を下ろした。
「早妃は……悪霊って、どんな霊だった?」
涙を堪えながら、悔いを残しながら尋ねると、厘は決まって苦い顔をした。ばつが悪そうに表情を歪めた。
「……普通だよ。単に、霊力が強いだけだ」
僅かに、鈍色の目が泳ぐ。直観には優れていないと自覚はあるものの、隠し事があるとすぐに分かった。それでも岬は、「そっか」と目を細めた。
手首、足首に残った軽い痣。憑依のあと、苦しい位に締め付けられた身体。自分の身が危うかったことを、自分の身が語っている。それを蒸し返すほど、詮索するほど野暮じゃない。
そして、微かに残っている深いキスの感触。───あの意味を知れば、伴う刺激は並大抵では済まないような気がした。すべてを知らずとも、厘が変わらず傍にいるだけで、岬には十分だった。
「平気か」
「……え?」
「自分の知らない間に操られているなど、俺には耐えられんからな」
ぶっきら棒に移されているはずの視線が、どうしてか熱い。もうすでに、並大抵では済まないのかもしれない。
「うん、大丈夫。きっと今までも、お母さんも知っていてくれたんだよね」
「……そうだな」
厘はそっと、岬の頭に手を滑らせる。こんなにも優しくて、温かい。
全てを知った夜、岬は微睡みながら、彼の肩に身を委ねる。そしてそのまま、夢を見た。
───『岬。あなたとリリィなら、きっと乗り越えられる。私はいつでも見守っているからね』
朗らかに微笑む母が纏っていたのは、白を基調とした着物。写真でしか目にしたことのない和装姿は、岬の脳裏に深く刻まれていた。夢の中に現れるほど、鮮明に刻まれていた。
───『大丈夫。なんたって、岬の強さと愛の深さはお母さん譲りだし』
柔らかく朗らかな声。大好きだった波長。ずっとその夢に浸っていたい。……きっと少し前の私なら、そう願っていたに違いない。でも今は、目覚めて会いたい人がいる。彼らの存在がどれほど強い引力か、岬は意識の奥底で痛感していた。
どんな困難があっても、絶対に守りたい。もう、失いたくない。この居場所だけは、絶対に。
「岬。寝室へ運ぶぞ」
低く、心地の良い耳触り。厚みのある厘の声が、薄い意識を優しく撫でる。岬の身体は軽々と抱え上げられた。
「んん……」
「ん……、どうした」
母の残像が、厘へと移り変わる。彼はゆったり眉を下げ、呻る岬に「仕方ないな」と微笑んだ。
「俺はここにいるぞ」
ベッドの上で、優しく手を握りながら。
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