白の甘美な恩返し 〜妖花は偏に、お憑かれ少女を護りたい。〜

魚澄 住

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第1章 死神はとても麗しく

01話

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 四十九日。
 縁もゆかりもなかったはずの言葉は、蝉の声が染み入るのと併せ、 花籠はなかごみさき に踏み入った。

 この世との世をさまよう期間——母の命日から数えて、先週の月曜が四十九日目。

 そっか……だから、こんなに空っぽなんだ。
 岬は空を仰ぎながら帰路を進む。灼熱、四時を回っても日差しが弱まる気配はない。しかし、岬の額には汗ひとつ滲まなかった。コンクリートから伝う熱気すら、感じることができなかった。

 夏休み明け初日、始業式なのに授業があって、みんな不満を零していたなぁ。それでも、久しぶりにクラスメートと顔を合わせるのは嬉しいのか、式が始まる直前まで随分とにぎやかだった。

 ——— " 今日は学校、どうだった? ”

 母の常套句が、乾ききったこころを巡る。
 ……もう聞かれることはない。解っているはずなのに、どうして答えを用意してしまったのだろう。決して当事者にはなれない・・・・・・・・・学校での出来事をうまく繕う癖は、たった二ヶ月弱ではそう抜けない。
 それでも、培った嘘を手放すことでさえ出来なかった。素直に嘘を受け入れる母の甘さに、毎日癒されていたから。

「あれ……」

 母の微笑みを浮かべながら、岬の視界はグラリと揺れる。ここ最近、めまいと息切れがとくにひどい。
 ……やっぱり、“あの約束”を守っていないから?首にぶら下げたペンダントを弱い力で握りしめる。母がくれた、形見だった。

 ———『少しでも辛くなったら、必ず身体に“摂り込む“こと。リリィはあなたを守る、大切な薬だから』

 リリィ……そうだ。物心ついたときから傍にあった、鈴蘭の花。
 母がたいそう大事に育てていたから、岬もそれにならった。いつか本当に鈴の音を鳴らすではないかと実は試したことがある。白く垂れた、小さくて可憐な花。

 “Lily of the valley”

 リリィは英名からとった愛称だ、と教わったときには、その見かけにピッタリだと思った。でも、Bellが見当たらないことにはこっそり肩を落とした。

『ペットでもないのにどうしてお花に名前をつけるの?』

 尋ねたとき、母が『私たちの家族だもの』と微笑んだのを覚えている。太陽のように朗らかで、強ささえ垣間見える笑みに、岬は幾度も救われた。


 孤独だった岬の、唯一の居場所は母だった。

 とある“特異体質”ゆえに同級生からは避けられ、友人関係を築いた試しもない。葬儀に参列するまで、親族の顔など見たこともなく、故に太陽以外の光を知ることは、これまで一度も無かった。

 だから、私はもう……生きる理由なんてないんだよ。お母さん。

 目の前に佇む築数十年の鉄骨アパート、母との思い出がつまる1DK。

『ここは手放したくないでしょう?通学にも便利だし。……ほら、うちだと遠いから』
『うちは子ども3人で手一杯なのよ。ごめんねぇ』

 盛大な葬儀のなか、はじめて会ったばかりの親族から煙たがられている、と瞬時に悟った。
 理由は明白。未婚のまま赤子を授かった母が、名家の恥と晒されていたことを知っていた。交際相手に『見限られた』、父親は『はしたない男』と揶揄の声があったことも葬儀の場で聞こえてきたけれど、何も揺らがなかった。

 最期に、綺麗に化粧を施された母の顔以外、重要なことはなかったから。

「……」

 朦朧とした意識のなかで階段を上り、家の扉を開く。心なし息が苦しい。カラカラと乾いた喉が、体の管を締め付けていく。

 お母さんの言った通り。リリィは本当に、私の命を繋ぎとめてくれていたんだね。

「でも……もういいや」

 バタン———。
 ローファーを履いたまま、岬は狭い玄関に倒れ込む。ひんやりとした床の温度で、自分の身体は猛暑にさらされていたのだと、きわになって思い知る。
 段々、温度の差も感じなくなって、きっとこのまま私は———お母さんのもとへ旅立つの。
ああ、よかった。また、すぐに会えるよ。四十九日から一週間、完全に彼の世へ逝ってしまった居場所に、きっと、すぐに。


阿呆あほう……勝手に逝くな」

 岬が男の声を聞いたのは、意識が遠のく寸前。艶のある低い声は印象的、それでもぶっきら棒に落とされた言葉の意味は、何一つ届いていなかった。

「悪いが、起きてもらうぞ。岬」

 ぬるい体温が唇に触れる。視界は暗闇に包まれているはずなのに、傍にリリィがある・・のだと確信した。よく摂りこんでいた香りが漂ったからだ。清廉で可憐な香り。岬は一層安堵に包まれ、深い淵へと堕ちていった。

 もっと深く。戻れないくらい深く。戻れなくたって構わない。———そう捧げていたから、


「ようやくお目覚めか」

 上からぬっ、と覗き込む白髪の男が見えたとき(この人は閻魔えんま大王さまかイザナギさま、どちらだろう……)と岬は巡った。

「私……悪いことはしていないので、出来れば天国へ行きたいです」

「……なんだ。俺を摂りこまないうちに、耄碌もうろくしたのか」

 どこか呆れた様子の男は腰を下ろし、視線を沈める。横たわっている自分の身体も一緒に沈んでいることに気が付き、岬はベッドの上にいることをようやく悟った。
 暑さに蒸れたベッドの先、視線をすこし持ち上げると白髪はくはつの男が額を押さえている。

「岬」

 そして、当たり前のように名前を呼ぶ。岬は肩を竦ませ、初めてピタリ視線を合わせた。
 切れ長の吊り目に、鈍色の瞳。白髪は糸を垂らしたように綺麗で、かつ細い。肩を撫でるくらいの長さが、男性にしては似合っていて、印象的。じりじりと距離を詰める眉目秀麗を見据えて、岬は口をキュッと結ぶ。男と分かるのに、“美人”と称えたくなるほどの風体だった。

「一応言っておくが、お前は母親のいる極楽にはいけないぞ」

「え……」

 身体を起こすと、頬に白髪がサラリと触れる。近くで見ると、彼は一層美人だった。

「正しくは、まだ、だな。お前はまだ死んじゃいない」

 にやり、弧を描く口角に視界を奪われる。
 死んでいない……それなら、ここはやっぱり私のベッドの上で、この殿方は一体何者なのか。岬はシーツに身体を滑らせて、怪しい男から距離をとった。

「あの……そうだとすると、あなたはどなたでしょうか……。もしかして、死神?」

 死に際に現れる死神なら、この状況も納得がいく。迎えにきた、と言われれば手を伸ばす。しかし彼が放った言葉は神でも、ましてや大王でもなかった。

「“リリィ”だよ」

「……へ?」

「あの花瓶に生けてあった、鈴蘭だ」

 開いた口が塞がらない。まさか、と思い視線を移す。同時に、彼の細長い指で差された先には窓際に飾られた花瓶があり、生けていたはずの鈴蘭リリィだけが姿を消していた。

「まぁ、この機会に呼び名を改めてもらいたいところだが。……とりあえず、飯食うか?」

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