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第二部 ~アルポート王国独立編~

失うものさえ失った命

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 その瞬間、ソウゴは地面を蹴って飛脚した。ユーグリッドの両手剣の剣先を右戟で弾き、また一瞬で王に詰め寄る。一撃、二撃、四撃、八撃、その凶暴な刃が振るわれる度に加速する。

 ユーグリッドは押されていた。一歩、二歩、六歩、十歩、双戟そうげきの追撃を受ける度に引き下がる。その背後には鉄の柵が迫り、そしてついに王はその無数の柱に背中をつける。

 そのままソウゴは縛りつけられた受刑者に拷問するように、ユーグリッドを攻め続ける。その双戟の凶刃は、海城王の黄金の剣が折れそうなほど強かに執拗に打ち込まれる。

 ユーグリッドは父の剣に縋るようにただ防御に徹するしかなかった。

「やめよっソウゴ!」

 テンテイイが突然檻に向かって叫び出す。

 だがソウゴの責め苦は止まらない。将としての力量、獣としての嗜虐心、そして人としての生への執着心が一斉に若き王に襲いかかった。

「やめよソウゴっ! やめよと言ってるのがわからぬのか!」

 テンテイイがたまらずまた叫び出す。

 だがその細い肩をタイイケンが強引に引き戻す。

「やめるのは貴様のほうだテンテイイ。この戦いはまだ終わっておらん」

「で、ですがこれでは一方的な虐殺ではありませぬか! このままでは陛下は本当に死んでしまう!!」

「決闘を挑んだ以上ユーグリッドに安全な瞬間などない。それに見よ。ユーグリッドの目は死んでない」

 タイイケンはユーグリッドを力強く指差す。その指の先の王のまなこ、そこには反撃の隙を常に狙い、穿たれまいとする岩の意志が研ぎ澄まされていた。

 王は肉が食い込むほど背中に鉄棒をうずめる中、爛々らんらんと虎の如く静かにソウゴの喉元を狙っていた。火花が肌に何度も降り注ぐ熱を感じながら、甲高い鉄の音を耳がつんざくほどに聞きながら、ただ一心にソウゴが無防備に晒し続ける喉仏を睨む。

 攻撃に熱中しているソウゴは、反撃を許さぬほど速度を上げてユーグリッドを斬りつける。力と勢いに任せた獰猛な牙を滾らせて双戟を振るう。

 だがユーグリッドは剛剣の使い手とは思えぬほどの繊細さで、急所、急所と狙い続ける凶刃と踊るように刃を合わせた。

 敵の呼吸を知り、敵の癖を覚え、その規則的な暴力の陥穽かんせいをだんだんと理解する。敵が左に打てば右に流し、敵が右に打てば上に押し上げる。緻密な計算を一瞬でして相手の双戟の動きを少しずつ乱す。

 そしてついに、その剛剣の太い刀身が左手の戟に向かって押し込まれた。その力のままに半円を彫り抉るかのような勢いで剣を跳ね上げる。

 ソウゴの左腕は無理矢理に押し上げられ、それとともに戟を持つ左手の力が緩められる。

「うおおおおおおおぉぉっ!」

 その咆哮とともにユーグリッドは剣を切り上げた勢いのまま、ソウゴに自らの全身を打ちつけた。

 強かに王の剣柄を握る両拳がソウゴの顔面にめり込んだ。その殴りつける威力によってソウゴは体の均衡を崩し、大きく後ろに退いた。

 ユーグリッドの柔から剛に切り替わる戦術が、見事にソウゴの双戟の乱擊を打ち破ったのである。そしてその遠距離へとよろめいたソウゴに向かって、ユーグリッドが力の限りを込めた素早い突きを繰り出す。

 この瞬間、ユーグリッドは勝利を確信した。

 だがソウゴの眼はまだ鋭く光っていた。ソウゴは跳ね上げられた左腕の戟を勢いのままにわざと離し、その余裕のできた左手を右の戟の柄へと握り直す。

 ユーグリッドの殺意と終幕を込めた一撃は、得物が軽く扱いやすかったソウゴの喉元をわずかに捕らえることができなかった。

 間一髪、ソウゴは自分の喉元に両手で握られた片戟を持ち運び、足の裏に体重を乗せて防御の構えを取った。

 生死をかけた一瞬の攻防、両手剣の刺突が片戟の刃の腹に衝突する。そしてその金属の凶器の交わりは、反発し合う磁力のように互いの体を引き離す。

 その反作用の力を真正面に受け、ソウゴの体は大きく後ずさった。砂の敷き詰められた黄土の地面に、長いすだれの足跡を作って引き下がる。その火傷するほどの摩擦が擦られた勢いで、ソウゴの革底の薄い靴が足裏の皮ごとめくれ上がる。

 両者の距離はまた離れ、二人の武人は静かに武器を構え直したのである。そのまましばらく二人は静止を続け、秋の風が殺意の熱を冷ますかのように二人の間を通り抜けた。

「くくくっ、ククッ」

 ソウゴがまた笑った。片方の戟を失い、足の裏に傷を負ったソウゴからは、なおもその獰猛な獣の気配が消えていない。

 だがしばらくすると、ソウゴは右手で構えていた片戟をゆっくりと腰の下まで降ろす。姿勢を低く構えて相手の隙をうかがっていた鋭い眼光がおもむろに消え、そのまま背中を伸ばし棒立ちの格好となった。

 ユーグリッドはそのソウゴの戦意のない風体を不審に思い、再び語りかける。

「どうした? またやる気がなくなったのか?」

 ユーグリッドの問いにソウゴは何も答えない。

「外の片戟が欲しいなら、臣下に命令して檻の中に投げさせる。それでお主はまた全力を出せるだろう?」

 ソウゴが左手から離した片方の戟は檻の外まで飛んでいた。戟の先端の槍が地面に深々と突き刺さっている。

 だがソウゴはゆっくりと目を瞑り、静かに首を横に降った。

「一度失くしちまったもんは取り返せねぇ。地位も、身分も、妹も、そして自分の命もだ。だが今は、たった1つしか残ってねぇ自分の命まで失くすつもりはねぇ」

 ソウゴは少し息を上がらせた口調で語る。精神統一をし、自らの殺気立っていた興奮を抑えようとしている。

「そうか。なら武器を構え直せ。それがお主が生き残るための唯一の方法だ」

「......ユーグリッド陛下」

 突然、ソウゴがへりくだった態度をユーグリッドに見せる。腰を前へと屈み込ませ、そっと腕を伸ばして右手の戟を地面に置く。そしてその姿勢のままおもむろに膝を畳み正座をしたのである。両手を膝の上に乗せて頭を低く俯かせる。

「......俺を、召し抱えちゃくれませんか?」

 そして唐突にソウゴは帰服を申し出た。

 その降伏の言葉に観衆は驚く。

 ソウゴはただじっと地面を見つめたまま静止をし、そして己について語り始める。

「俺はこの通り今じゃならず者になっちまった。家も大した続柄じゃねぇ。昔から身分なんてもんには縁がなかった。

 だが俺には親から鍛えてもらった一端いっぱしの武術がある。デンガダイが俺の町に攻めてきた時も、その腕を買われてデンガレンの部隊に入れられたんだ。

 俺はきっと、あんたの役に立てる......」

 ソウゴはぐっと顔を上げ、両手剣を構え続けるユーグリッドを見遣る。その目からは既に獰猛な気配が消え、まるで捨てられたばかりの野良犬のように頼りないものだった。

「あんただってこんな殺し合い、趣味でやってるわけじゃないだろ? わかってる、あんたが本当に殺したいのはデンガダイだ。俺だって同じさ。

 俺は元々デンガレンの部下だったから情報も持ってる。俺を家来にしてくれたら知ってる情報は全部吐き出す。この命もあんたの好きなように使ってくれ。だから、頼む......」

 ソウゴは膝の上で拳を震わせていた。再び俯いた視線からは一滴の雫が零れ落ちる。

 その憐れなる男の懇願に観衆はただ閉口していた。

 胸の早鐘が収まらないテンテイイは、この降伏を王が受け入れてくれればいいと思っている。

 腕を組み構えるタイイケンは、決して口出しせず王の答えを待っている。

 ユーグリッドは構えていた両手剣を静かに腰に下ろし、震え続ける男を見下ろす。

「俺は――」

 そして王が決断を下した。

「俺は、お主の仕官よりもタイイケンの信頼が欲しい」

 その言葉に秋風が吹く。ユーグリッドとソウゴの間には再び冷たい隙間風が通り抜けた。

「......そうかよ」

 ソウゴは目元を拭い、片方しかない戟を右手で拾い上げる。面差しに影を作り体を揺らしながら、再び王の前に立ち塞がる。

「......まあ、期待しちゃいなかったがな」

 その瞬間、蜃気楼が消えた。

 ソウゴは一瞬で砂を駆け、両手に戟の柄を握り王に突進する。

「ああっ!」

 テンテイイが悲鳴を上げた。

 カラカラと地面に両手剣が落ち、観衆たちが青ざめる。

 王は脇腹を刺されていた。だが寸での所で戟の先端の槍柄やりえを掴み、両腕に力を込めて凶刃を食い止めている。鉄の冷たさと腹の熱さを感じながら、間一髪自分がまだ生きていることを実感する。

 ユーグリッドはこの戦場を生き抜こうと抗っていた。かつての海城王と同じ痛みを負い、その遺志を絶対に潰えさせまいとその血滴ちしずくを流し続けている。

 だがその王の生を否定するようにソウゴの戟にも力が押し込められる。

「なら俺を殺してくれぇッ! ユーグリッドォッ!!」

 ソウゴは咆哮を上げる。王のはらわたに穴を空けようと、その獰猛な殺意を再び滾らせる。

 テンテイイは檻に駆け寄ろうとした。

 だがタイイケンはその肩を掴み、頑としてこの決闘を汚させまいと首を振る。

 その正気の沙汰とは思えない命のやり取りに、観衆は固唾を飲んで見守ることしかできなかった。

「ッ!!」

 瞬間、ソウゴはユーグリッドの頭突きを食らう。その互いの頭が割れてしまいそうなほどの勢いに、ソウゴは一瞬たじろぐ。

 その隙を刹那とも見逃さず、ユーグリッドの右の拳がソウゴの左頬に炸裂する。

 ソウゴはそのまま握っていた戟を手放してしまった。

 ユーグリッドは左手に持っていた戟の先端を力任せに引き抜く。そして両手で戟を持ち直し、ソウゴに突進して刃を振り下ろした。

 だがソウゴはその攻撃を見切って避ける。そのまま素早く移動し、地面に落ちていた黄金の両手剣を拾う。ソウゴはその海城王の剣を腹の前に構え、王に黄金の切っ先を向ける。だがその剣先はフラフラとして覚束ない。

 ユーグリッドも初めて手にした戟の扱いに迷い、両手に握ったままどうしたものかと攻めあぐねている。

「......やめよう。これじゃただの子供の喧嘩だ」

 ソウゴは海城王の剣をユーグリッドの足元に向かって投げる。そしてその無防備となった体を、まだ得物を持つ王の前に曝け出す。だがソウゴにはもはや死への恐怖など心になかった。

「お互い不慣れな武器で殺し合っても場が白けちまうだけだろ。そんな迷勝負、誰も望んじゃいない。世の中の武人どもに笑われちまうだけだ。あんたもその剣じゃなきゃ、全力で俺を殺せないだろ?

 だからあんたにはその剣を返す。だが、その代わり――」

 泰然自若たいぜんじじゃくとして立つソウゴは、ユーグリッドに悠々と語りかける。その何も両手に持たない猛獣の影は、風前の灯火のようにゆらゆらと大きく揺れていた。

「俺の双戟を返してくれ。死ぬなら俺も全力を出したい」

 ソウゴは自ら死期の瞬間を望んだ。その武人の人生にはもはや何も残されていない。後は自分の命の片付けを済ませるだけだ。その自分のちっぽけな命を整理するために、武人としての魂をこの決闘に捧げることしかできなかった。

 だがソウゴは笑っていた。それは今までにないほど充実感に包まれた、永遠を感じさせるほどの刹那だった。武人として生まれ武人として死ぬ。その単純明快な己の人生が今のソウゴにとっての全てだった。

「......わかった」

 そして王は死装束の武人の意志を尊重した。

 互いに歩み寄り、そして王はソウゴに血塗れの戟を渡す。

 タイイケンは部下に目配せし、双戟のもう片方をソウゴに向かって投げさせた。

 ソウゴはそのきれいなままの戟を静かに拾い上げる。だがそれがこの戦いで再び血に塗れる瞬間をソウゴは信じていた。それが恵まれない人生を送った自分にできる最期の期待、最期の矜持。

 ソウゴは胸の前に斜め十字に刃を合わせて双戟を構え、王の討つべき敵として堂々と立ち塞がる。

 海城王の剣を持ち、対極に構えたユーグリッドは、血塗れの腹の前で両手剣を突き出す。

 その勝負の行方は誰にもわからない。

「ソウゴ・バルディッツ。バルディッツ家の長男。双戟の使い手」

「ユーグリッド・レグラス。レグラス家の海城王が息子。アルポート王国の王」

 その武人としての儀式の名乗りは、再び戦いの火蓋が切られたことを告げる。閃光のように儚い武士たちの命が、再び生と死の二極の狭間に立たされたのである。

 その時、ソウゴが駆けた。幻影の如く見えるその足は、十字の構えのまま突進する。その攻防一体の双刃は、どう変幻して王を討ち取るのか予測できない。

 ユーグリッドはひたすら両手剣を真っ直ぐに構え牽制する。その敵の防御の十字型が崩れ、己の死の瞬間が訪れる攻撃を待つ。

 ソウゴの持つ双戟が僅かに横に広がった。

 ユーグリッドはその双戟の門が開け放たれる瞬間を予測し、真正面から突きを繰り出す。

 だがその両刃の門はすぐ閉ざされた。ソウゴの体が大きく前傾し、王の攻撃をかわす。それは偽りの攻め、敵の隙を作るための囮の動きだった。

 ユーグリッドはそれを悟り、瞬時に剣を引き直す。

 だがわずかに乱れた王の構えをソウゴは見逃さない。十字の双戟の構えを解き、その右手の一端を掬い上げるようにして王の大剣を弾く。

 王の両腕とソウゴの右腕が同時に跳ね上がった。

 そしてソウゴは左腕に残った片戟を構え、無防備になった王の脇腹めがけて半月の閃刃を振るう。

――そして勝負が決まった。


 檻の中に腕が一本落ちていた。その腕からは血潮が吹き出し、得物が持たれたままに固まっている。

 観衆は呼吸を忘れ、その決着の瞬間を目の当たりにしていた。

 ユーグリッドはソウゴの背後で血潮に塗れながら立っていた。赤黒く鮮血を帯びた両手剣を、一振りにしたまま地面に切っ先を下ろしている。

 ユーグリッドの前方で背中を向けたソウゴがドサリと膝をつく。その右肩からは血潮が溢れ出て、その下部に付いていたはずの右腕を全て失っていた。

「......やっぱいてぇな。斬られるってのはいてぇよ畜生。腕を斬り落とされたのは初めてだ」

 ソウゴは左腕の手で血に塗れた右肩をかばう。その赤く染まり続ける左手は、あったはずの右腕を求めて虚空を彷徨う。そしてそれが取り返すことのできないものであると本能で悟った。


 あの勝負の瞬間、ユーグリッドはソウゴが右の戟で両手剣を切り上げると同時に、自らの体を前へ大きく踏み出していた。弧を描くように左回りに足を滑らせ、右側面から来るソウゴの左手の戟の奇襲を避けた。そして弾き上げられた両腕の上段の姿勢のままに、ソウゴの背面を取る。そのまま一気にソウゴの右腕めがけて大剣を振り下ろしたのだ。


 その一瞬の勝負の前、ユーグリッドは何度となく観察してきたソウゴとの戦いの中で、予め両手剣を最初に狙ってくるソウゴの戦法を見抜いていた。そしてソウゴの真正面から突進する俊足の勢いは、標的が横にずれると途端に攻め手を失ってしまう弱点を持つことにも気づいていた。

 ソウゴはまず利き腕の右手で両手剣の構えを露払いし、そして残った左手で止めを差す。その戦術の癖をユーグリッドは見切っていた。だから敵の右手の戟による剣弾きの攻撃に合わせて王は動き出した。左手の戟の間合いから逃れられるように、大きく斜め左前に軸足を踏み出したのである。

 ユーグリッドはソウゴの攻めを何度となく受けることで、その敵の武術の知識を蓄積し続け、実戦に応用した。この決闘はユーグリッドの緻密な計算の果てに掴み取った、必然の勝利なのである。


「......くくくっ、まあ、これでいいか。海城王の息子に討たれたんだ。俺の人生もちったあマシなもんになっただろう......」

 朦朧とする意識の中、ソウゴは力なく笑う。だがその笑みには確かな満足感があり、武人としての誇りを持つことができる最期であると実感できた。

 全身から己の血液が抜けていく感覚と伴に、ソウゴの怒りや憎しみ、そして無念すらもが消えていく。何もかも失った男は自分の命すら失ったことで、やっと”平穏”という人間の幸福を手に入れたのだ。

「......これで、覇王軍に降っちまった俺も家族に顔向けできるってもんだ......サアヤ、兄貴もそっちに行く......」

 憐れだった男の膝の力が抜け、前方にその血の気のなくなった体が倒れ伏す。男の血流は既に止まっており、秋朝の涼やかな太陽の光を浴びて眠りにつく。

 こうして、猛将ソウゴ・バルディッツとアルポート王国の王ユーグリッド・レグラスの決闘は、王の勝利によって幕を閉じたのである。
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