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第一部 ~アルポート王国統一編~

飢えと渇き

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 リョーキとの縁談が破談したその日の夜8時、ユーグリッドは自分の王室のベッドに寝転がり天井を見上げていた。浮かない顔をして自分の手のひらを見つめている。

(家族を殺して自分だけ生き残った者など信じられない、か)

 ユーグリッドは今日会ったリョーキの言葉を思い返す。

 リョーキはまっすぐな娘だった。自分の信念を曲げず、理想を叶えようとし、それができぬ時は死さえ覚悟できる女であった。

 だがユーグリッドは違った。保身のために覇王に屈し、覇王の属国としての地位を甘んじている。忠義のために死を選んだ父の意志を踏みにじり、自分だけがのうのうと生き永らえる道を選んでいる。

(俺は死にたくない。できることなら天寿を全うして死にたい。だが、それを世の人々は認めてくれなかった。父を殺し、自分だけ生き残った俺を卑怯者だと断じている。俺はやはり、永遠に父親殺しの罪を引きずりながら生きていかねばならぬのか?)

 ユーグリッドは苦悶する。手のひらを握り、爪が肉に食い込むほどに力を込める。

(そんなのは嫌だ......俺は誰からも蔑まれ、誰からも信頼されず一人で孤独に生きることなど嫌だっ! 俺は心の底から信頼されたい。心の底から愛されたい。俺は誰かに、父上を殺した罪を許して欲しい......)

 それがユーグリッドの飢えであった。ユーグリッドは目を瞑り、拭いきれない煩悶を続ける。

 と、その時、コンコン、コンコンと扉をたたく音が聞こえてきた。

「何の用だ!」

 ユーグリッドは起き上がり、鍵をかけた扉に向かって叫ぶ。ユーグリッドは父の死以来、この父が死んだ王室に誰も入れようとはしなかった。

「陛下、ソキン殿が陛下への謁見を望み登城とじょうしております。大切な要件があるので、今すぐ陛下に会ってお話ししたいと申し上げております」

「ソキンだと?」

 扉を敲いた執事の言葉にユーグリッドは驚く。こんな夜の時間に急に王へ謁見など普通は考えられないことであった。けれどソキンはそんな常識を破ってまでユーグリッドに話をしようとしているのである。その理由は瞬時に理解できた。

(リョーガイと俺の仲のことか。リョーガイを調略した後、俺は協力者であるソキンをほったらかしにしていたからな。ソキンはきっと俺に不満を抱いているに違いない)

 ユーグリッドは頭の中を巡らせる。

「......わかった。ソキンに会うとしよう。ソキンを玉座の間まで連れてこい」

「かしこまりました、陛下」

 執事が扉を離れていった。


 しばらくして後、ソキンとユーグリッドは玉座の間ではなく、例のリョーガイを謀略に嵌めたソキンの屋敷の地下室で対面していた。ソキンが出口側に座り、ユーグリッドが奥側に座っている。

「わざわざお越しいただいて申し訳ありません、陛下。こんな夜更けに私の屋敷までに呼び出してしまったことを深くお詫び申し上げます」

 ソキンが粗末な机に置かれた茶筒を取り、ユーグリッドに茶を注ぎながら謝罪する。

「今日はどうしたのだ? 応接室があるというのにわざわざまたこんな倉庫にまで連れてきおって。また誰かに聞かれたら不味い話でもするつもりか?」

「いえ、今日は陰謀めいた話をするわけではありません。ただ陛下とこうして二人で話をするには、この場所が一番しっくり来るのでございます」

 ソキンが口元を緩ませる。一見柔和な顔をしているが、その腹の内は読めない。ソキンの態度は落ち着きすぎているほどに落ち着いており、けれど確固とした目的があることは確かだった。

「して、お主の話とは何だ?」

 ユーグリッドは待ち切れず単刀直入に切り出す。

 だがソキンは静かに首を横に振った。

「いえ、陛下にお話をさせていただく前に、まずは陛下にお尋ねしたいことがあります」

「何だ、尋ねたいこととは?」

「ええ、それは今日の縁談のことです。リョーガイの娘との見合いは上手くまとまったのですか?」

「!!」

 ユーグリッドは驚き動揺する。

 ソキンは細い目を開き、威圧するようにユーグリッドに答えを迫っていた。

「......どうしてそれをお主が知っているのだ?」

「陛下のシノビほどではございませぬが、私も優秀な内偵部隊を抱えているのでございます。陛下の動向については少々調べさせていただきました」

「............」

 ソキンは油断なくユーグリッドの腹を探っている。その事実は殺気さえ感じさせるほどの重圧だった。今日はユウゾウも連れてきてはいない。

「陛下、どうぞお答えください。リョーガイの娘との結婚は上手くいきそうなのですか?」

「見合いは――」

 ユーグリッドは慎重な態度で答える。

「見合いは、破談した。リョーキは父親殺しの俺のことを信用できないと答えたのだ」

「......それは、真に残念でございましたなぁ」

 言葉とは裏腹にソキンはフフと微笑する。王の縁談の破綻に安堵し、喜びさえしているのだ。

 ユーグリッドはそんな老将の露骨な態度に、不愉快な気持ちになった。

「して、お主の話とは何だ? まさか振られた男をいびるためにわざわざ呼んだわけではあるまいな?」

「ええ、では本題に入りましょう。私が陛下をお呼びしたのは、リョーガイと陛下の仲について一度問い質したいと思ったからでございます。陛下は今、罪人であるはずのリョーガイを重用しなさっている」

「......やはりその件か」

 ユーグリッドはため息交じりに煩わしそうな声を出す。

 ソキンからは相変わらず威圧の気配が消えなかった。

「なら、この場で気の済むまで聞くがいい。俺も痛くもない腹を探られ続けるのはご免だ」

「はい、では忌憚きたんなく陛下にお尋ね申し上げます」

 ソキンは気迫ある態度を崩さず問い始める。

「まず一つ、陛下はリョーガイを処刑すると宣言なさいました。だが実際にはリョーガイを釈放し、財務大臣の職にすら置いている。この一連の出来事について納得のできるご説明をしていただけますか?」

「別にそう難しい話ではない。リョーガイは使える男だ。殺すには惜しいほどの才能を持っておる。お主も知っているであろう? この国の財政はリョーガイのおかげで再興できたのだ」

 ユーグリッドは憚ることなく重用の真意を告げる。

「では、陛下はリョーガイを最初から懐柔するつもりであったと?」

「ああそうだ。一度どん底に突き落としてから手を差し伸べてやる。そうすれば大抵の人間は口説き落とせるものだ。俺はそれを実践したまでだ」

「......つまり、私はリョーガイを手懐けるための出汁だったというわけですな」

 ユーグリッドの策謀の打ち明けに、ソキンは露骨なまでに不満の色を表していた。その奥底からははっきりと怒りを感じられる。だがソキンは飽くまで表向きには冷静に話を続けた。

「......では、2つ目の質問をさせていただきます。陛下は今宮廷の臣下たちが囁いている噂をご存知でしょうか?」

「ああ、知っている。リョーガイが俺に賄賂を渡したなどという根も葉もない噂のことだろう? 俺はリョーガイから賄賂など受け取っていない」

「ええ、真実はそうでしょう。ですが陛下、臣下たちのあなたへの不信は本物でございます。自分たちを差し置いて反逆者を重用する王になど、誰も従いたいとは思いませぬ」

「............」

 地下室の倉庫で重い沈黙が訪れる。

 ユーグリッドとソキンは互いを見合い、鍔迫り合いのように視線を交差させている。その主従の間には確実に小さな亀裂が生じていた。

「......話を続けましょう。臣下たちの不信、それはつまり諸侯たちの離心を招いているということです。この国は絶対王政の国なれど、決して王が無敵の存在だというわけではありません。

 リョーガイのように反乱を企てる者もいれば、王の暗殺を目論む者だっている。それを本気で決行するような者が現れれば、陛下の命はまた危険に晒されることになるでしょう。

 そして――」

 そこでソキンは鋭く口火を切る。

「――私にも、5000の兵と優秀な隠密部隊がいます」

 宣戦布告のように言葉を締めくくった。

 ユーグリッドはその実行力のある老将の脅しを、飽くまで平静に聞き届ける。

「......ソキン、あえて率直に聞こう。お主に反乱の意志はあるか?」

「いえ、ありません。ですが私にはそれができるだけの力も信望もあります。今臣下たちは陛下に離心をしており、それを集めれば一つの強大な勢力となるでしょう。リョーガイの時のような反乱がまた起こる可能性があるということです」

「......なるほどな。随分と王である俺を脅しつけてくれるものだ。お主はもう少し王の心労を気遣うことができぬのか?」

 ユーグリッドは顎の前で両手を組み、皮肉交じりな調子でソキンの脅威を把握する。

 ソキンの射殺すような視線は決して王から離れることはない。二人の鍔迫り合いの眼光の火花は飛び交い続けていた。

「......ソキン、そこまで言うのなら俺もお主に質問しよう。お主の目的は何だ? ここまで王の俺に恫喝をかけてまで、お主は何を望んでいる?」

「......私は、かつては海城王の重鎮の将でした」

 ユーグリッドの真意の問い質しに、ソキンが突然語り始める。

「朝廷時代のヨーグラス様は私を厚く重用してくださり、その期待に応えるべく私は数多の戦場をかけてきました。敵を斬り、城を守り、時にはヨーグラス様のために略奪さえもした。私は忠実なヨーグラス様の下僕として粉骨砕身の思いで仕えてきたのです。その武勲は、このアルポート王国の重鎮となるにふさわしい大功であったと自負しております」

 ソキンは昔を思い出しながら、自分の身の上についてポツポツと語る。

「ですが、今の私は年老いた一介の将でしかございません。国の警備を任され、プロテシオン家の長を務めている。だがそれ以外の何者でもありません。

 この国は今平和であり、これといった戦争は長らく起こっておらず、覇王軍との唯一の戦争にも降伏の道を選んだ。

 私にはもうこの国で大功を立てるだけの人生の余裕がない。私の地位は平凡に落ち、このままではアルポート王国の歴史に名を残すこともできない。ただ年老いて死を待つことしかできないのでございます」

 ソキンは俯きながら心情を吐露する。その姿には普段の抜け目ない将としての威厳はなく、年相応に人生について達観した老人の諦念があった。だがそこでソキンはすくりと顔を上げる。

「ですが、私は悔しいのでございます。武人として名を残すことなく死ぬというのは。私も若き頃は野心に燃えていました。自分が皇帝より王の位を授かれるとさえ思っていたのです。

 ですが、現実は甘くはなかった。ヨーグラス様の元でどれだけ戦績を上げようとも、これといって目立った活躍のなかった私には、平凡な将としての位に収まるのが限界だった。

 ですが、若き頃に描いた夢というのは老いた今になっても消えることはない。私は今、自分の名声に渇いているのでございます」

 ソキンは一気に言葉を吐き出す。細い目が強く開かれ、その眼光には野心の炎が滾っている。いつも隠されていたソキンの、腹底の欲望が濁流となって表れたのだ。

「......なるほど、お主がリョーガイに劣らぬほどの野心家であることはわかった。それで、お主はこの俺に対して何を望む? 海城王の時のようにお主を重鎮に据えれば良いのか? それともこの場で俺を殺し、自らが王になることを企んでいるのか?」

「いえ、そのどちらでもございません。今私が陛下の重鎮になったとしても、それはただの飾りでしかない。誰の目から見ても陛下が海城王の人事を模倣しただけだとしか思わないでしょう。そこには私が求める栄誉などどこにも存在しない。

 そして陛下を殺し、反逆者の汚名を被るつもりもありません。私は歴史に名を残したくとも、決して悪名などは残したくないのです」

 ソキンは滔々とうとうと自分の思いの丈を語る。

「わからんな。結局お主はどうしたいのだ? 王といえど、俺とてそれほど力があるわけでもない。皇帝のように王の位を授けることなど俺にはできないぞ。お主が歴史に名を残したいと言っても、俺にはどうすることもできん」

「いえ、陛下には力があります。レグラス家という絶対的な王の権威が」

 ソキンは静かにユーグリッドに断言する。そこには先程までの威圧的な気配はどこにもなかった。細い目は平常の時のように垂れたものになっており、紳士的な態度を取っている。

「ユーグリッド陛下、あなたは王家レグラス家の正統なる血統でございます。偉大なる海城王の血を引き、その地位と権勢をそのままに受け継いでいる。

 海城王の武名は天にも轟き、その王の器は海よりも広い。今は亡き王と言えど、その偉業は永久とこしえにアルポート王国の歴史で語り継がれることとなるでしょう。

 この崇敬すべき偉大なる王の血筋、その王家レグラス家の一族として血縁を連ねられれば、どれほど名誉なことでございましょうか」

 そこでソキンは粗末な机に両手をつく。

「ユーグリッド様」

 その呼びかけとともに、そのまま深々と頭を下げた。

「私の娘と結婚し、我々一族を王家の位に加えてください」
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