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【終末五日目】
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「ガタンッ!」という大きな音で目を覚ますと、どうやら流唯が階段の瓦礫をどかしているようだった。
「はぁ…今日でこの生活も終わりか…。」
魔法で物を動かしながら流唯が呟く。
「今日で終わり?どういうこと?」
思ったことがつい口に出てしまった。
「ん、あぁごめん起こしちゃったか。いや別に大したことじゃないよ、目標も達成し終えるなってこと。」
「そうなの?ならいいんだけど…。」
目は覚めているはずなのに、なんだか頭の中にモヤがかかったかのように眠気が消えない。
「あ、そうだ三つ目の目標を達成させてあげないとね。仕方ないから話してあげよう。僕のこれまでの人生を。」
そう言って流唯は自分のこれまでの過去を話し始めた。
まず最初に話してくれたのはまだ家族全員で住んでいたころのことだった。そのとき流唯は九歳、私はまだ三歳で両親の仲もすごく良かったという。でも私の四歳の誕生日パーティに父さんは来れなかった、いや来なかったというのが正しいだろう。それからは家庭よりも仕事を優先する父さんと私たちに平等な愛情を注いで欲しいと願う母さんとで対立していってしまったらしい。そして私の五歳の誕生日を前にして母さんと流唯はあの家を出ていった。別れ際に母さんは何度も何度も私に向かって
「ごめんね…ごめんね…。」
と泣きながら言っていたらしい。それまで気丈に振舞っていた母さんのその横顔を見て『僕が母さんを守るんだ。』と思ったと、そしてそれが最後に見た母さんの泣いているところだったとも流唯は教えてくれた。
次に教えてくれたのは家を出た後の事だった。幸い家を出てすぐに住む場所は決まったが、家賃だけではなく食べ盛りの男の子一人と稼ぎ手は母親一人ということも相まってひと月にかかるお金と労働時間は並大抵のものでは無かった。それでも母さんは自分の身を削って流唯のためにお金を稼いだ。その年頃の子供からすれば親といられる時間が少ないのはとても寂しかったはずなのに
「あの時は少しでも母さんといられるってだけで、寝る前に少しでも母さんと話ができるだけってで良かったんだ。」
と流唯は言った。でもそう言い放つ流唯は物悲しそうな表情をしていた。
そんな暮らしが続き数年が経ち、流唯は高校生になった。少しでも母さんの負担を減らせればと高校入学と同時にバイトを始め、二年生になる頃には行きたい大学と学部を決めていた。第一志望になるはずだった大学はたしかに設備も充実していて魅力に溢れていたけれど金銭的に考えれば、これ以上母さんの負担を増やす訳にはいかなかったので第二志望の大学を目指すことにした。
ある日担任と保護者の生徒抜きでの面談が行われることになった。
バイトが終わり流唯が家に帰ると、母さんがなにやら思い詰めた顔をして椅子に座っていた。母さんが流唯が帰ったのに気付き、
「そこに座りなさい。」
と静かに、それでいて有無を言わせない一言だった。
「どうしたの母さん?」
母さんの思い詰めた顔を見た時点で話の内容は大体察しがついていた。
「流唯、あなた第一志望の大学諦めたんですって?しかも自分のためじゃなくて私のために。」
いつかは知られる時が来るんじゃないかと思っていた。
「母さんいつも言ってたよね、『母さんは大丈夫だから』って。子供が親の心配をする必要はないのよ?」
「違うよ母さん、これは僕のためでもあるんだよ。」
「いいえ、今のあなたは自分のことを全く考えられていないわ。」
「そんなことない!僕ももう高校生なんだ、自分でお金を稼ぐことも自分で自分のことを考えることもできるんだよ!今まで散々母さんに迷惑かけてきたんだ、少しくらい親孝行をしたいんだよ!」
感情的になってつい声を荒らげてしまう。
「迷惑ですって?親が子供のことを迷惑だなんて思うわけがないでしょう?!」
「もう嫌なんだよ…母さんだけがボロボロになってるのを見るのは…棘だらけの道を歩くならせめて、僕に隣を歩かせてよ…。」
ついさっきまでふつふつと沸いていた怒りが嘘みたいに消えて、今度は波のように押し寄せる悲しみに呑まれ泣き出してしまった。
「流唯…そんな風に思ってたのね…。」
顔を上げ、母さんの顔を見ると目にいっぱいの涙を湛えていた。そして振り絞るような声で
「だけどね、流唯。母さんは流唯が自由に生きて、やりたいことをやって、ずっと笑っていてくれるのが嬉しいの。それを見守るのが母さんの夢で希望なの、だからこそ流唯に私の隣を歩かせる訳にはいかないの…。」
「でも…それじゃあ母さんの体がもたないじゃないか。いつか絶対体を壊す時が…」
「そんなことないわ!母さんがどれだけ丈夫か知ってるでしょう?大丈夫よ流唯、あなたは何も心配しなくて良いの。」
流唯の声を遮るように母さんが言う。
「ね?だからあなたは自分の行きたいところを目指していいのよ。誰もそれを咎めたりはしないわ。」
「…うん、そこまで言うなら…分かったよ!目指すなら全力でやる!絶対に母さんを失望させないように、絶対に合格してみせる!」
「そうそう、その意気よ。あなたにはそのイキイキとした顔のが似合ってるんだから。」
その一件のあと、流唯はクラスの担任に相談し本格的に第一志望の大学を目指して血の滲むような努力をしていった。受験当日の自己採点が合格基準を大幅に超えるほどに。
そんな努力の結果、流唯は第一志望の大学に合格することが出来た。合格発表者の掲示の中に自分の名前を見つけたときはこの世に生まれてからのどんなことよりも嬉しかったのをよく覚えている。
『すぐに母さんに連絡しなくちゃ!』
そう思って携帯電話を開くとひとつの番号から何件もの不在着信があった。その番号に折り返してみると電話をかけてきたのは家の近所の病院だった。
………なんとなく…嫌な予感がした。二、三コールほどした時に
「はい、もしもし。こちら××病院です。」
と事務作業でもこなすかのような声が聞こえる。
「先程お電話いただいた雛鳥です!僕に病院から電話があるということは母さんになにかあったんですか?!」
「ということは雛鳥さんの息子さんですね、それがですね……」
対応してくれた人曰く、母さんが職場で突然倒れ病院に搬送されてきたそうだ。搬送されてきた直後は意識もなく、その場ですぐにでも死んでしまうような状態だったそうだ。
「母さんは大丈夫なんですか?!」
状態を聞きながら病院に向かう最中、『頼む、間に合ってくれ』と何度も何度も心の中で叫ぶ。
「それが…つい先程まで苦しんでいたのですが、あなたが向かっていることを伝えたら楽になったみたいで、今は信じられないほど安定しています。」
ホッと肩を撫で下ろす、
「ありがとうございます!いますぐ向かいます!」
そう言って電話を切った。大学は家からそこまで遠くはなく三十分ほどで母さんのいる病院に着いた。受付で母さんのいる部屋を聞き、面会とかの手続きも何もすませずに向かった。
会社の人のご好意で母さんは割と大きめな一人部屋で治療を受けられることになった。母さんの部屋のドアに経った瞬間背中に嫌な気配を感じたが、後ろを振り返ってもそこには何もいなかった。
「母さん、入るよ!」
と声をかけると同時に扉を開ける。そこにはさっき聞いた状況からは信じられないくらい明るい顔をした母さんがいた。
「あら流唯!どうしたの?今日は大学の合格発表じゃなかったの?」
「そうだけど母さんが倒れたなんて聞いて落ち着いてられなくて…それにもう結果も分かったし。」
「それで…どうだったの…?」
「合格だよ母さん!」
「本当に?!やったじゃない!母さん頑張ってきた甲斐があったわ!」
「本当に母さんのお陰だよ、ありがとう。きっと僕一人じゃ途中で挫折するどころか最初から諦めてた。」
「そんなことないわ流唯、あなたが今日この日まで積み重ねた努力が実を結んだのよ。」
「そうかな…。」
少し照れ臭くてしりすぼみになる。
すると一呼吸おいて、母さんが神妙な面持ちで話し始めた。
「ねぇ流唯、ちょっと聞いて欲しいことがあるの。とても大事なことよ。」
「どうしたの母さん。」
「実はね、母さん今日夜を越せるかも分からない状態なんですって。今こうして自分の口から離せてるのが信じられないくらいに。」
「………え?」
「それでね流唯、母さんわがままを言いたいの、前に一度言ってしまったけどあなたにするわがままはこれが最後よ。…今日はこの部屋に居て欲しいの。…母さん今ちょっと怖いの。」
流唯はとても驚いた。
なぜなら今まで母さんが自分の前で、ましてや自分に向かって弱音を吐いたことなんてなかった。しかも母さんがわがままを言ったことだってあの時、そう、あの家を出た時からただの一度もなかったからだ。前に一度、というのはあの家を出たいと言った時のことだろう。
「……うん、分かったよ。話そう母さん、楽しかったこと、辛かったこと、思い出を…全部話そう。」
「ありがとう流唯。」
そうしてその時が来るまで、時間が許すまで二人で喋り続けた。話の内容は他愛のないことだった、それでも二人にとってはかけがえのない時間になった。
そろそろ日付も変わり、話も終わりそうだという頃、母さんの容態が急に不安定になった。ナースコールを押そうとする手を母さんに止められた。反射的に母さんの方を見るととても息苦しそうに、肩を大きく動かして息をしている。声を出しずらいのかもしれないと思い、耳を母さんの口元に近ずける。すると、
「待って…流唯…。」
と今にも消え入りそうな声で聞こえた。
「母さんね…少し疲れちゃったの……。もうあなたの隣を…歩くことが…出来なくなっちゃったの…。」
「そんなこと言わないでよ母さん!病院の先生がきっと治してくれるよ!」
「いいえ…、自分の…体のことは…自分がよく分かってるわ…きっとこのまま生きても…流唯に…迷惑かけちゃう…。」
少しずつ母さんの呼吸の間隔が早くなっているのが分かった。
「だからね…流唯…最期に…言いたいことがあるの…。」
「どうしたの?」
「覚えているかしら…あなたに妹がいること…あの時はまだ…四歳のだったわね…。」
「もちろん覚えてるよ、それがどうしたの?結羽になにかあったの?」
「最近ね…学校に行けてないみたいなの…。久々に…お父さんから連絡があってね…。仕方なく頼ってきたって…感じだったけど…嬉しかった…。」
「父さんから…?」
「それでね…まだあの家に住んでるみたいなの…だから…もし時間が出来たら…顔を出してあげて…結羽はまだ小さかったから…忘れちゃってるかもしれないけど…今までのこと全部教えてあげて…。」
「うん、分かった。」
「それと今まで…本当にありがとうね。」
その最期の言葉だけははっきり聞こえた。今まで会話していた自分でも信じられないぐらい一瞬で、それこそ人形劇の操り人形の糸が切れるように、機械の電源を落としたように、プツリと事切れてしまった。
それから何個も手続きをして、色んな話をした気がするけどそれは何も覚えていない。やらなきゃならないことを全部済ませたあとに病院を出た。今覚えば足元も覚束なかったし、ボーッとしていた。僕は病院の前を通る車に気づかなかった。滑稽な話だ、親の死を見届け、親の言いつけを守ってこれから頑張ろうという所で交通事故で死んでしまうなんて。
ここからはもはやファンタジーの世界だった。大きな決意をした直後の死だったからなのか、この世に未練が残っていたからなのかは分からないけれど、僕は幽霊のような存在になった。そんな状態で暫くさまよっているとゲームとかでよく見るような、いかにもな格好をした死神が現れた。話を聞いてみると
「お前はこの世に未練を残し成仏出来ないでいる、それを我が主神は快く思っていない。お前に妹を見守り、時に守ることのできる権利をやる、ついてこい。」
とのことだった。いや正直中二病くさいことを言っているのは分かる。でもここで僕が嘘をつくメリットもない。これは正真正銘僕が体験した事実だ。
その後僕は神様に会って話をした。これまたいかにもな格好をした神様だった。神様の話を要約すると
「まずは妹を見守り、彼女が心からなにかを願った時それを叶えてやりなさい。さすればお前の未練は晴れ、成仏することが出来るだろう。」
とまぁ、こんなことを言っていた。
それからは結羽のことをずっと見守っていた。見守っている期間は現実に手出しが出来なかったから、結羽が困っていても助けてあげられなかった。
そしてあの日結羽が心から願った。
『こんな世界滅んでしまえばいいのに』
と、するとどうだろう。今まで声を出そうと口を開けても空気を震わすことすら出来なかったはずなのに、今は声を出すことが出来る。これなら結羽を助けられる。そう思った。そこから今に至る。
「そんな大変なことがあったのね…私なにも知らないでただ自分のやりたいことだけやって生きてた。なんな恥ずかしいな…。」
「そんなことないよ、むしろ僕達からしたら結羽が自由気ままに生きてくれてる方が嬉しい訳だからね。」
「そういうもの…なのかしら。」
「そういうものだよ。」
「そうだ、私前からずっと気になってたんだけど。もし世界を元に戻したら流唯はどうなるの?未練が消えちゃう訳でしょう?」
「んー、そうだね。多分この世から消えるんじゃないかな。僕自身は何年も前に死んでるわけだし。」
「え…?じゃあ私この世界戻さなくていい!せっかく流唯に…大切な家族に会えたっていうのに!」
「それはダメだよ、元々五日経ったら君を起こすはずだったんだ。君は今日帰らなくちゃならない。」
「でも!」
「でもじゃないよ結羽、そりゃあ僕だって悲しいし寂しいよ。でも君には現実に戻ってやらなくちゃならないことがあるはずだ。」
「だってそしたら今度は流唯が一人になっちゃうじゃない…。」
「あはは、本当に結羽は優しいな。大丈夫、僕には母さんがいるよ。でも、そうだね、僕も少し寂しいな…。そうだ、なら最後に一つわがままを聞いてくれないかな。」
「もちろん、私に出来ることは何でもするから、何でも言って!」
「ありがとう結羽。これが僕の最初で最期のわがままだ…。昨日僕のこと『お兄ちゃん』って読んでくれたでしょ?もう一回『お兄ちゃん』って呼んで欲しいな。」
「そんなことでいいの…?だって今日で最後なんでしょ?」
「いいんだよ、僕は今まで結羽のお兄ちゃんでいられなかった、ただ観ていることしか出来なかった。…だから最期くらいは結羽のお兄ちゃんでいさせて欲しいな。」
結羽の目いっぱいに涙が溢れる、まさかつい最近まで存在すら知らなかった兄と、こんな出会い方をして、こんな別れ方をするなんて、あの頃の私は思いもしなかった。
「……分かった、でもその前に。」
流唯に背を向けていた結羽が勢いよく振り向いて流唯を抱き締める。
「私この五日間のこと絶対忘れない、この先どんな楽しいことや悲しいことがあっても、これが私の一番の思い出。だからあなたも私のこと忘れないで。今まで本当にありがとう…、『お兄ちゃん』。」
「笑った顔も泣いた顔も母さんにそっくりだな…。忘れるはずないさ、こちらこそありがとう結羽。」
そう言って流唯は消えていった。まるでそこには元から何も無かったかのように、塵一つ残さず消えてしまった。辺りを見渡すとすっかり夕方になってしまっていた。流唯の話を聞いている間に思っていたより時間が経っていたようだった。
「あぁ、もうこんな時間か。帰らなきゃ。」
そう口にした瞬間意識が途切れた。
「はぁ…今日でこの生活も終わりか…。」
魔法で物を動かしながら流唯が呟く。
「今日で終わり?どういうこと?」
思ったことがつい口に出てしまった。
「ん、あぁごめん起こしちゃったか。いや別に大したことじゃないよ、目標も達成し終えるなってこと。」
「そうなの?ならいいんだけど…。」
目は覚めているはずなのに、なんだか頭の中にモヤがかかったかのように眠気が消えない。
「あ、そうだ三つ目の目標を達成させてあげないとね。仕方ないから話してあげよう。僕のこれまでの人生を。」
そう言って流唯は自分のこれまでの過去を話し始めた。
まず最初に話してくれたのはまだ家族全員で住んでいたころのことだった。そのとき流唯は九歳、私はまだ三歳で両親の仲もすごく良かったという。でも私の四歳の誕生日パーティに父さんは来れなかった、いや来なかったというのが正しいだろう。それからは家庭よりも仕事を優先する父さんと私たちに平等な愛情を注いで欲しいと願う母さんとで対立していってしまったらしい。そして私の五歳の誕生日を前にして母さんと流唯はあの家を出ていった。別れ際に母さんは何度も何度も私に向かって
「ごめんね…ごめんね…。」
と泣きながら言っていたらしい。それまで気丈に振舞っていた母さんのその横顔を見て『僕が母さんを守るんだ。』と思ったと、そしてそれが最後に見た母さんの泣いているところだったとも流唯は教えてくれた。
次に教えてくれたのは家を出た後の事だった。幸い家を出てすぐに住む場所は決まったが、家賃だけではなく食べ盛りの男の子一人と稼ぎ手は母親一人ということも相まってひと月にかかるお金と労働時間は並大抵のものでは無かった。それでも母さんは自分の身を削って流唯のためにお金を稼いだ。その年頃の子供からすれば親といられる時間が少ないのはとても寂しかったはずなのに
「あの時は少しでも母さんといられるってだけで、寝る前に少しでも母さんと話ができるだけってで良かったんだ。」
と流唯は言った。でもそう言い放つ流唯は物悲しそうな表情をしていた。
そんな暮らしが続き数年が経ち、流唯は高校生になった。少しでも母さんの負担を減らせればと高校入学と同時にバイトを始め、二年生になる頃には行きたい大学と学部を決めていた。第一志望になるはずだった大学はたしかに設備も充実していて魅力に溢れていたけれど金銭的に考えれば、これ以上母さんの負担を増やす訳にはいかなかったので第二志望の大学を目指すことにした。
ある日担任と保護者の生徒抜きでの面談が行われることになった。
バイトが終わり流唯が家に帰ると、母さんがなにやら思い詰めた顔をして椅子に座っていた。母さんが流唯が帰ったのに気付き、
「そこに座りなさい。」
と静かに、それでいて有無を言わせない一言だった。
「どうしたの母さん?」
母さんの思い詰めた顔を見た時点で話の内容は大体察しがついていた。
「流唯、あなた第一志望の大学諦めたんですって?しかも自分のためじゃなくて私のために。」
いつかは知られる時が来るんじゃないかと思っていた。
「母さんいつも言ってたよね、『母さんは大丈夫だから』って。子供が親の心配をする必要はないのよ?」
「違うよ母さん、これは僕のためでもあるんだよ。」
「いいえ、今のあなたは自分のことを全く考えられていないわ。」
「そんなことない!僕ももう高校生なんだ、自分でお金を稼ぐことも自分で自分のことを考えることもできるんだよ!今まで散々母さんに迷惑かけてきたんだ、少しくらい親孝行をしたいんだよ!」
感情的になってつい声を荒らげてしまう。
「迷惑ですって?親が子供のことを迷惑だなんて思うわけがないでしょう?!」
「もう嫌なんだよ…母さんだけがボロボロになってるのを見るのは…棘だらけの道を歩くならせめて、僕に隣を歩かせてよ…。」
ついさっきまでふつふつと沸いていた怒りが嘘みたいに消えて、今度は波のように押し寄せる悲しみに呑まれ泣き出してしまった。
「流唯…そんな風に思ってたのね…。」
顔を上げ、母さんの顔を見ると目にいっぱいの涙を湛えていた。そして振り絞るような声で
「だけどね、流唯。母さんは流唯が自由に生きて、やりたいことをやって、ずっと笑っていてくれるのが嬉しいの。それを見守るのが母さんの夢で希望なの、だからこそ流唯に私の隣を歩かせる訳にはいかないの…。」
「でも…それじゃあ母さんの体がもたないじゃないか。いつか絶対体を壊す時が…」
「そんなことないわ!母さんがどれだけ丈夫か知ってるでしょう?大丈夫よ流唯、あなたは何も心配しなくて良いの。」
流唯の声を遮るように母さんが言う。
「ね?だからあなたは自分の行きたいところを目指していいのよ。誰もそれを咎めたりはしないわ。」
「…うん、そこまで言うなら…分かったよ!目指すなら全力でやる!絶対に母さんを失望させないように、絶対に合格してみせる!」
「そうそう、その意気よ。あなたにはそのイキイキとした顔のが似合ってるんだから。」
その一件のあと、流唯はクラスの担任に相談し本格的に第一志望の大学を目指して血の滲むような努力をしていった。受験当日の自己採点が合格基準を大幅に超えるほどに。
そんな努力の結果、流唯は第一志望の大学に合格することが出来た。合格発表者の掲示の中に自分の名前を見つけたときはこの世に生まれてからのどんなことよりも嬉しかったのをよく覚えている。
『すぐに母さんに連絡しなくちゃ!』
そう思って携帯電話を開くとひとつの番号から何件もの不在着信があった。その番号に折り返してみると電話をかけてきたのは家の近所の病院だった。
………なんとなく…嫌な予感がした。二、三コールほどした時に
「はい、もしもし。こちら××病院です。」
と事務作業でもこなすかのような声が聞こえる。
「先程お電話いただいた雛鳥です!僕に病院から電話があるということは母さんになにかあったんですか?!」
「ということは雛鳥さんの息子さんですね、それがですね……」
対応してくれた人曰く、母さんが職場で突然倒れ病院に搬送されてきたそうだ。搬送されてきた直後は意識もなく、その場ですぐにでも死んでしまうような状態だったそうだ。
「母さんは大丈夫なんですか?!」
状態を聞きながら病院に向かう最中、『頼む、間に合ってくれ』と何度も何度も心の中で叫ぶ。
「それが…つい先程まで苦しんでいたのですが、あなたが向かっていることを伝えたら楽になったみたいで、今は信じられないほど安定しています。」
ホッと肩を撫で下ろす、
「ありがとうございます!いますぐ向かいます!」
そう言って電話を切った。大学は家からそこまで遠くはなく三十分ほどで母さんのいる病院に着いた。受付で母さんのいる部屋を聞き、面会とかの手続きも何もすませずに向かった。
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「母さん、入るよ!」
と声をかけると同時に扉を開ける。そこにはさっき聞いた状況からは信じられないくらい明るい顔をした母さんがいた。
「あら流唯!どうしたの?今日は大学の合格発表じゃなかったの?」
「そうだけど母さんが倒れたなんて聞いて落ち着いてられなくて…それにもう結果も分かったし。」
「それで…どうだったの…?」
「合格だよ母さん!」
「本当に?!やったじゃない!母さん頑張ってきた甲斐があったわ!」
「本当に母さんのお陰だよ、ありがとう。きっと僕一人じゃ途中で挫折するどころか最初から諦めてた。」
「そんなことないわ流唯、あなたが今日この日まで積み重ねた努力が実を結んだのよ。」
「そうかな…。」
少し照れ臭くてしりすぼみになる。
すると一呼吸おいて、母さんが神妙な面持ちで話し始めた。
「ねぇ流唯、ちょっと聞いて欲しいことがあるの。とても大事なことよ。」
「どうしたの母さん。」
「実はね、母さん今日夜を越せるかも分からない状態なんですって。今こうして自分の口から離せてるのが信じられないくらいに。」
「………え?」
「それでね流唯、母さんわがままを言いたいの、前に一度言ってしまったけどあなたにするわがままはこれが最後よ。…今日はこの部屋に居て欲しいの。…母さん今ちょっと怖いの。」
流唯はとても驚いた。
なぜなら今まで母さんが自分の前で、ましてや自分に向かって弱音を吐いたことなんてなかった。しかも母さんがわがままを言ったことだってあの時、そう、あの家を出た時からただの一度もなかったからだ。前に一度、というのはあの家を出たいと言った時のことだろう。
「……うん、分かったよ。話そう母さん、楽しかったこと、辛かったこと、思い出を…全部話そう。」
「ありがとう流唯。」
そうしてその時が来るまで、時間が許すまで二人で喋り続けた。話の内容は他愛のないことだった、それでも二人にとってはかけがえのない時間になった。
そろそろ日付も変わり、話も終わりそうだという頃、母さんの容態が急に不安定になった。ナースコールを押そうとする手を母さんに止められた。反射的に母さんの方を見るととても息苦しそうに、肩を大きく動かして息をしている。声を出しずらいのかもしれないと思い、耳を母さんの口元に近ずける。すると、
「待って…流唯…。」
と今にも消え入りそうな声で聞こえた。
「母さんね…少し疲れちゃったの……。もうあなたの隣を…歩くことが…出来なくなっちゃったの…。」
「そんなこと言わないでよ母さん!病院の先生がきっと治してくれるよ!」
「いいえ…、自分の…体のことは…自分がよく分かってるわ…きっとこのまま生きても…流唯に…迷惑かけちゃう…。」
少しずつ母さんの呼吸の間隔が早くなっているのが分かった。
「だからね…流唯…最期に…言いたいことがあるの…。」
「どうしたの?」
「覚えているかしら…あなたに妹がいること…あの時はまだ…四歳のだったわね…。」
「もちろん覚えてるよ、それがどうしたの?結羽になにかあったの?」
「最近ね…学校に行けてないみたいなの…。久々に…お父さんから連絡があってね…。仕方なく頼ってきたって…感じだったけど…嬉しかった…。」
「父さんから…?」
「それでね…まだあの家に住んでるみたいなの…だから…もし時間が出来たら…顔を出してあげて…結羽はまだ小さかったから…忘れちゃってるかもしれないけど…今までのこと全部教えてあげて…。」
「うん、分かった。」
「それと今まで…本当にありがとうね。」
その最期の言葉だけははっきり聞こえた。今まで会話していた自分でも信じられないぐらい一瞬で、それこそ人形劇の操り人形の糸が切れるように、機械の電源を落としたように、プツリと事切れてしまった。
それから何個も手続きをして、色んな話をした気がするけどそれは何も覚えていない。やらなきゃならないことを全部済ませたあとに病院を出た。今覚えば足元も覚束なかったし、ボーッとしていた。僕は病院の前を通る車に気づかなかった。滑稽な話だ、親の死を見届け、親の言いつけを守ってこれから頑張ろうという所で交通事故で死んでしまうなんて。
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とのことだった。いや正直中二病くさいことを言っているのは分かる。でもここで僕が嘘をつくメリットもない。これは正真正銘僕が体験した事実だ。
その後僕は神様に会って話をした。これまたいかにもな格好をした神様だった。神様の話を要約すると
「まずは妹を見守り、彼女が心からなにかを願った時それを叶えてやりなさい。さすればお前の未練は晴れ、成仏することが出来るだろう。」
とまぁ、こんなことを言っていた。
それからは結羽のことをずっと見守っていた。見守っている期間は現実に手出しが出来なかったから、結羽が困っていても助けてあげられなかった。
そしてあの日結羽が心から願った。
『こんな世界滅んでしまえばいいのに』
と、するとどうだろう。今まで声を出そうと口を開けても空気を震わすことすら出来なかったはずなのに、今は声を出すことが出来る。これなら結羽を助けられる。そう思った。そこから今に至る。
「そんな大変なことがあったのね…私なにも知らないでただ自分のやりたいことだけやって生きてた。なんな恥ずかしいな…。」
「そんなことないよ、むしろ僕達からしたら結羽が自由気ままに生きてくれてる方が嬉しい訳だからね。」
「そういうもの…なのかしら。」
「そういうものだよ。」
「そうだ、私前からずっと気になってたんだけど。もし世界を元に戻したら流唯はどうなるの?未練が消えちゃう訳でしょう?」
「んー、そうだね。多分この世から消えるんじゃないかな。僕自身は何年も前に死んでるわけだし。」
「え…?じゃあ私この世界戻さなくていい!せっかく流唯に…大切な家族に会えたっていうのに!」
「それはダメだよ、元々五日経ったら君を起こすはずだったんだ。君は今日帰らなくちゃならない。」
「でも!」
「でもじゃないよ結羽、そりゃあ僕だって悲しいし寂しいよ。でも君には現実に戻ってやらなくちゃならないことがあるはずだ。」
「だってそしたら今度は流唯が一人になっちゃうじゃない…。」
「あはは、本当に結羽は優しいな。大丈夫、僕には母さんがいるよ。でも、そうだね、僕も少し寂しいな…。そうだ、なら最後に一つわがままを聞いてくれないかな。」
「もちろん、私に出来ることは何でもするから、何でも言って!」
「ありがとう結羽。これが僕の最初で最期のわがままだ…。昨日僕のこと『お兄ちゃん』って読んでくれたでしょ?もう一回『お兄ちゃん』って呼んで欲しいな。」
「そんなことでいいの…?だって今日で最後なんでしょ?」
「いいんだよ、僕は今まで結羽のお兄ちゃんでいられなかった、ただ観ていることしか出来なかった。…だから最期くらいは結羽のお兄ちゃんでいさせて欲しいな。」
結羽の目いっぱいに涙が溢れる、まさかつい最近まで存在すら知らなかった兄と、こんな出会い方をして、こんな別れ方をするなんて、あの頃の私は思いもしなかった。
「……分かった、でもその前に。」
流唯に背を向けていた結羽が勢いよく振り向いて流唯を抱き締める。
「私この五日間のこと絶対忘れない、この先どんな楽しいことや悲しいことがあっても、これが私の一番の思い出。だからあなたも私のこと忘れないで。今まで本当にありがとう…、『お兄ちゃん』。」
「笑った顔も泣いた顔も母さんにそっくりだな…。忘れるはずないさ、こちらこそありがとう結羽。」
そう言って流唯は消えていった。まるでそこには元から何も無かったかのように、塵一つ残さず消えてしまった。辺りを見渡すとすっかり夕方になってしまっていた。流唯の話を聞いている間に思っていたより時間が経っていたようだった。
「あぁ、もうこんな時間か。帰らなきゃ。」
そう口にした瞬間意識が途切れた。
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