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1、密談はたんぽぽ茶とともに
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「失敗した?」
その日の昼。
折りよく粉屋のマティルダが現れたので、カリタは一部始終を話した。こんなことを相談できる相手はマティルダしかいない。
そもそも、あれをしろと勧めたのはマティルダなのだ。
「途中までいい感じだったんだけど……どっか行っちゃって」
結局、朝になってもセヴェリは帰ってこなかった。
「どっか行ったって、どこに?」
「わかんない……」
「ふーん? ここでいい?」
「うん、ありがとう」
マティルダは、頼まれていた粉を台所の机に置いた。
村はずれの森に住んでいるカリタとセヴェリは、週に一度、必要なものを村の人たちに配達してもらっている。
カリタはねぎらいのたんぽぽ茶を、マティルダに差し出した。
「お疲れ様」
「ありがと!」
根と葉を乾燥させて、蜂蜜で甘みを付けたたんぽぽ茶は、マティルダの好物だ。
台所の椅子に並んで座った。
「まあ、セヴェリはいないことの方が多いじゃん。そのうち帰ってくるでしょ」
「そうかなあ」
最近、隣の村から嫁いできたマティルダは、カリタと同じ19歳だ。
まとめた赤毛に白い頭巾を被り、縦縞のエプロンをしている。髪の色こそ違えど、カリタも似たような格好だ。村の女の定番だから。
「嫌われたかも……」
うつ向いて、エプロンをじっと見つめるカリタを、マティルダは笑い飛ばした。
「ないない」
「でも……」
「アールトがしょっちゅう『カリタをいじめるなよ、セヴェリが怖いから』って言うくらい、愛妻家で有名なセヴェリよ?」
「あ……愛妻……ちが……愛……」
粉屋の跡取り息子のアールトが、マティルダの夫だった。セヴェリとも昔馴染みらしい。
「ていうか、ひどくない? そんなこと言われなくてもいじめないのに」
マティルダは膨れたが、アールトがわざわざそう言いたくなる気持ちも少しわかっていた。
ーーほんとに綺麗な子だもんね。
マティルダはそっと、カリタを見つめる。
白銀色の髪と、透き通る白い肌。
憂いのあるとび色の目。
初めて見たときは、本気で妖精かと思った。
その美貌に、本人は全く気がついていない様子なのも驚きだ。
ーー誰かが守らなければ損なわれてしまう。
カリタの美貌は、そんな不安を抱かせる。
ーーだから、こんなところに隠しているのかしら。
マティルダは、天井を見上げた。
煤けた色が古さを物語る。場所も不便だし、もっと村に近いところに、新しい家を建ててもいいはずだ。
マティルダは、ぐいっとお茶を飲み干した。
「大事にしすぎて、手を出したくないってことかな。めんどくさい男ね」
仮にも村で唯一の魔術師様に、ひどい言いようだが、本音だから仕方ない。
だが、マティルダのそんなあけすけな性格のおかげで、カリタがこんな「相談」をできるようになったのも確かだ。
同じ年齢の新妻として親近感を抱いたマティルダが、世間話のついでに、カリタたちは夜の生活にどんな工夫をしているか聞いたのが、そもそもの始まりだった。
ーー夜の生活? 夜は眠ってますけど?
きょとんして聞き返すカリタに、マティルダはもしやと質問を重ねた。
予想通り、カリタはどうやって子供ができるのかすら知らなかった。その日は、たんぽぽ茶を何回もお代わりして、一通り、性の知識を授けた。
面白がっているわけではない。
どこかずれているとは言え、セヴェリのことが好きでたまらない様子のカリタを、マティルダは応援したくなったのだ。
「旦那様、帰ってくるかなあ」
カリタは、空になったカップを手に呟いた。
午後の日差しがカリタの横顔を輝かせる。
マティルダはそれを見て、小さくため息をついた。
「あんた、綺麗なんだから、もっと堂々としてていいんだよ?」
「き、綺麗だなんて……」
本気で否定するカリタに、マティルダは念を押した。
「前も言ったけど、この村でもよその村でもあんたくらい綺麗な子は見たことない。自信持って。まあ、アールトは私の方が美人だと言うけどさ、それ以外の人はみんなあんたを綺麗だと言うよ。もちろんセヴェリも」
「ありがとう……マティルダはいつも優しいね」
「別に優しいわけじゃないし!」
ふふふ、と笑ったカリタは、マティルダにふんわり寄りかかる。マティルダもそれを受け止める。二人は姉妹のようにくっついて座った。
マティルダの声が少し低くなる。
「まあ……あんたが自信ないのも、無理はないと思うんだけど。今もまったく思い出さないの?」
「うん」
カリタはここに来るまでのことを、ほとんど覚えていない。
「でもいいの。幸せだから」
「セヴェリがいるから、でしょ」
「え……まあ……うん」
「うわぁ、真っ赤!」
カリタの世界には、セヴェリしかおらず、その小さな世界ごと、セヴェリはカリタを大事にしてるのかもしれない。
でも、と思ったマティルダは、カリタを正面から見つめて言った。
「セヴェリは絶対帰ってくるよ!」
「本当?」
「うん、だから、帰ってきたらもう一度同じことしちゃえ」
「え……でも」
「こういうのは続けるのが大事なんだって」
だって、とマティルダは思う。
ーーカリタの世界にはセヴェリしかいないのに。
そのセヴェリが安心を与えてあげないのはおかしい、と。
「同じ温もりに包まれるだけで、女は安心するのにね?」
「それ……ちょっとわかる」
カリタは顔を真っ赤にして、頷いた。
頑張りな! とマティルダが背中を叩いた同じ頃。
「はっくしょん!!」
森の木のうろで一晩過ごしたセヴェリは、盛大にくしゃみをし、
「今年は冬が早いのかな?」
空を見上げた。
その日の昼。
折りよく粉屋のマティルダが現れたので、カリタは一部始終を話した。こんなことを相談できる相手はマティルダしかいない。
そもそも、あれをしろと勧めたのはマティルダなのだ。
「途中までいい感じだったんだけど……どっか行っちゃって」
結局、朝になってもセヴェリは帰ってこなかった。
「どっか行ったって、どこに?」
「わかんない……」
「ふーん? ここでいい?」
「うん、ありがとう」
マティルダは、頼まれていた粉を台所の机に置いた。
村はずれの森に住んでいるカリタとセヴェリは、週に一度、必要なものを村の人たちに配達してもらっている。
カリタはねぎらいのたんぽぽ茶を、マティルダに差し出した。
「お疲れ様」
「ありがと!」
根と葉を乾燥させて、蜂蜜で甘みを付けたたんぽぽ茶は、マティルダの好物だ。
台所の椅子に並んで座った。
「まあ、セヴェリはいないことの方が多いじゃん。そのうち帰ってくるでしょ」
「そうかなあ」
最近、隣の村から嫁いできたマティルダは、カリタと同じ19歳だ。
まとめた赤毛に白い頭巾を被り、縦縞のエプロンをしている。髪の色こそ違えど、カリタも似たような格好だ。村の女の定番だから。
「嫌われたかも……」
うつ向いて、エプロンをじっと見つめるカリタを、マティルダは笑い飛ばした。
「ないない」
「でも……」
「アールトがしょっちゅう『カリタをいじめるなよ、セヴェリが怖いから』って言うくらい、愛妻家で有名なセヴェリよ?」
「あ……愛妻……ちが……愛……」
粉屋の跡取り息子のアールトが、マティルダの夫だった。セヴェリとも昔馴染みらしい。
「ていうか、ひどくない? そんなこと言われなくてもいじめないのに」
マティルダは膨れたが、アールトがわざわざそう言いたくなる気持ちも少しわかっていた。
ーーほんとに綺麗な子だもんね。
マティルダはそっと、カリタを見つめる。
白銀色の髪と、透き通る白い肌。
憂いのあるとび色の目。
初めて見たときは、本気で妖精かと思った。
その美貌に、本人は全く気がついていない様子なのも驚きだ。
ーー誰かが守らなければ損なわれてしまう。
カリタの美貌は、そんな不安を抱かせる。
ーーだから、こんなところに隠しているのかしら。
マティルダは、天井を見上げた。
煤けた色が古さを物語る。場所も不便だし、もっと村に近いところに、新しい家を建ててもいいはずだ。
マティルダは、ぐいっとお茶を飲み干した。
「大事にしすぎて、手を出したくないってことかな。めんどくさい男ね」
仮にも村で唯一の魔術師様に、ひどい言いようだが、本音だから仕方ない。
だが、マティルダのそんなあけすけな性格のおかげで、カリタがこんな「相談」をできるようになったのも確かだ。
同じ年齢の新妻として親近感を抱いたマティルダが、世間話のついでに、カリタたちは夜の生活にどんな工夫をしているか聞いたのが、そもそもの始まりだった。
ーー夜の生活? 夜は眠ってますけど?
きょとんして聞き返すカリタに、マティルダはもしやと質問を重ねた。
予想通り、カリタはどうやって子供ができるのかすら知らなかった。その日は、たんぽぽ茶を何回もお代わりして、一通り、性の知識を授けた。
面白がっているわけではない。
どこかずれているとは言え、セヴェリのことが好きでたまらない様子のカリタを、マティルダは応援したくなったのだ。
「旦那様、帰ってくるかなあ」
カリタは、空になったカップを手に呟いた。
午後の日差しがカリタの横顔を輝かせる。
マティルダはそれを見て、小さくため息をついた。
「あんた、綺麗なんだから、もっと堂々としてていいんだよ?」
「き、綺麗だなんて……」
本気で否定するカリタに、マティルダは念を押した。
「前も言ったけど、この村でもよその村でもあんたくらい綺麗な子は見たことない。自信持って。まあ、アールトは私の方が美人だと言うけどさ、それ以外の人はみんなあんたを綺麗だと言うよ。もちろんセヴェリも」
「ありがとう……マティルダはいつも優しいね」
「別に優しいわけじゃないし!」
ふふふ、と笑ったカリタは、マティルダにふんわり寄りかかる。マティルダもそれを受け止める。二人は姉妹のようにくっついて座った。
マティルダの声が少し低くなる。
「まあ……あんたが自信ないのも、無理はないと思うんだけど。今もまったく思い出さないの?」
「うん」
カリタはここに来るまでのことを、ほとんど覚えていない。
「でもいいの。幸せだから」
「セヴェリがいるから、でしょ」
「え……まあ……うん」
「うわぁ、真っ赤!」
カリタの世界には、セヴェリしかおらず、その小さな世界ごと、セヴェリはカリタを大事にしてるのかもしれない。
でも、と思ったマティルダは、カリタを正面から見つめて言った。
「セヴェリは絶対帰ってくるよ!」
「本当?」
「うん、だから、帰ってきたらもう一度同じことしちゃえ」
「え……でも」
「こういうのは続けるのが大事なんだって」
だって、とマティルダは思う。
ーーカリタの世界にはセヴェリしかいないのに。
そのセヴェリが安心を与えてあげないのはおかしい、と。
「同じ温もりに包まれるだけで、女は安心するのにね?」
「それ……ちょっとわかる」
カリタは顔を真っ赤にして、頷いた。
頑張りな! とマティルダが背中を叩いた同じ頃。
「はっくしょん!!」
森の木のうろで一晩過ごしたセヴェリは、盛大にくしゃみをし、
「今年は冬が早いのかな?」
空を見上げた。
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