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ヒロイン、贈り物をする

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 ニコラ様は膨大な魔力の持ち主だが、それ故にご自身の魔力のコントロールにご苦労なさっているそうだ。
 魔法使いは使い魔を複数持てるが、最初の使い魔というのは特別な存在だ。主人との絆が最も強く、譲渡される魔力量も大きい。

 使い魔は主人と魔力で繋がることで、主人が使役できるようになる。
 命令に逆らえない、というよりは、主人の気持ちに共感する心が強くなると言った方が正しいかもしれない。

 使い魔の使役というのは、自分の内にある魔力を、外部のものに流し込むという点で魔道具を使うことに似ている。

 一般的な魔法使いは、魔道具に流す魔力量の操作について、通常はあまり意識しない。

 たとえば比較的魔力の高いロロ様は、映像石を一日中使ったとしても、それほど疲労感は感じないだろう。
 これが魔法使いと名乗れるレベルの中でも下位の魔力量の持ち主になってくると、映像石を一時間も使い続ければ疲労で立っていられなくなる。
 別の例えで言えば、走り慣れた人が無理のない速度でランニングをした場合、数キロ程度なら余裕で走り続けられる反面、普段運動をしない人なら数百メートルで息切れしてしまう。そんな感覚だ。
 では、ロロ様が意識して映像石に強い魔力を流し込んだ場合はどうだろうか。
 過剰な魔力を遮断する機構が働いて、映像石は停止する。

 ならば、ニコラ様が意識せずに魔力を流し込んだ場合はどうか。
 映像石内の回路に魔力が溢れ、ストッパーが追いつかず映像石が壊れる。

 魔力は大きいほどに、コントロールが難しくなるのだ。
 しかも、魔力の操作が得意かどうかは、魔法使いの生来の適性に依存するところが大きい。
 大別すると、魔法使いには二種類のタイプがある。
 前者は身体強化など、自分の中にある魔力の操作はできるが、外側に放出するのは苦手なタイプ。このタイプが、健康で長命になりやすく、お嫁さんに欲しがられるほうだ。男性なら、騎士団など強さや体の丈夫さが必要な職業で重宝される。
 後者は魔力放出が得意で魔道具の操作に長けているが、魔力を自分の内側に溜めておくことが苦手なタイプ。こちらは肉体の強さは一般人とそう変わりなく、魔法を使う職業に就いたり、研究者になることが多い。いわゆる一般的にイメージする魔法使いがこちらのタイプだ。

 ニコラ様は、まず間違いなく前者のタイプだろう。

 その小さなお体にニコラ様の膨大な魔力を受け取ってたアリス様は、主人であるニコラ様同様、肉体は強化され、長命になり、そして魔力を持て余した。
 有り余る力を好奇心と行動力に変えて暴れ回るアリス様を、ニコラ様とその周囲は持て余した。
 気がつけば、全速力でどこかに走り去ってはいたずらを仕掛けるアリス様を、追いかけ回すニコラ様の日々。
 アレクシス様にとってニコラ様は、妹のような存在。
 年頃の、それも花も恥じらう美少女のニコラ様が、格好構わず髪を振り乱して暴走するアリス様を追いかける様子を知っていたなら、気の毒に思ってしまうのは無理もない。
 アレクシス様は、自分がアリス様を構うことで少しでもニコラ様の負担を和らげることができればと考えたのだろう。
 最も、普通にアリス様が可愛かったからでもあると思いますが……。

「本当に、なんとお詫びすれば良いのでしょう。わたしの未熟のせいで、神の如き素晴らしきご令嬢であらせられるオーデリア様にご迷惑を……」
 ニコラ様は、アリス様の暴走がご自身の未熟ゆえだと恥じておられるようだ。
「お気になさらないで。そもそも例の噂はニコラ様のせいでも、アリス様のせいでもありませんもの。――それに、そんな悲しい顔をなさっては困ってしまうわ。だって、今回の趣向はあなたのためでもあるんですもの」
 わたくしが視線を向けると、ロロ様は映像石をアリス様に持たせた。
 自分の体の大きさと変らないような映像石を、アリス様は危なげなく持ち、ニコラ様に渡した。
「ニコラが言ったんじゃない。『妖精姫と王子の秘密』のヒロインになれたらって。最後にはヒロインと妖精のお姫様は仲直りして、お友達になるからって。じゃあなればいいって言ったのに、ちっともその気がないんだもの。だからわたしが代わりになってあげたの!」
 撮影はばっちりよ! とアリス様は胸を張った。
「え、そんな、あなたまさかそれを聞いて……」
 ニコラ様は驚きに両手で口元を抑え、大きなコバルトの瞳に涙を滲ませた。
 
 アリス様は、大好きな二コラ様に、ちょっとした贈り物をしたかっただけなのだ。
 二コラ様は従妹の方が書かれた『妖精姫と王子の秘密』がたいそうお気に入りで、本のなかの登場人物になれれば……と夢想なさっていた。それをいつも聞いていたアリス様は考えた。
 ――なりたいなら、どうしてやってみないのかしら?
 物語の世界に憧れはするけれど、そのものになりたいわけではない。アリス様にはそこまでの心の機微は伝わらなかったようだ。
 子爵家には、二コラ様が魔力操作の訓練に使用していた魔道具がたくさんある。その中には、映像石も。
 アリス様は考えた。学園には、ちょうど物語の配役にピッタリの、アレクシス様やわたくしがいる。小説そっくりのシーンを再現して、映像石に残して見せてあげれば、二コラ様は喜んでくれるのではないかと。

「そんな、違うわ。わたしそんなつもりじゃ……。そんなの、わたしのせいってことじゃない。わたしのせいでこんな迷惑を……」
「ニコラ様、それは違うわ。わたくし達は迷惑だなんて思ってないもの。皆さんもそうでしょう?」
 辺りを見回せば、ファンクラブや生徒会の方々を含む皆様が、にっこりと頷いた。
「とっても楽しいお芝居でしたよ」
「ヒロインのアリス様、可愛くてますます好きになりました」
「わたしはオーデリア様のファンです!」
「アレクシス殿下も緊張したりなさるんですね。ちょっと親近感湧いちゃいました」
「ニコラ様とオーデリア様、あの小説のモデルなんですね。一緒の学校に通ってるなんてラッキーです。自慢しちゃおう」
 口々に誉めそやす皆さんに、二コラ様は顔を赤らめる。
「ちょっと恥ずかしかったけれど、わたくしも楽しかったわ。『妖精姫と王子の秘密』、わたくしも大好きだもの」
「えっ!」
 思わずといった様子で顔を上げる二コラ様に、私は微笑んだ。
「だからね、気持ちはわかるの。わたくしでは物語の登場人物の魅力には及ばないでしょうけれど」
「そ、そんなことありません! オーデリア様は物語みたい、いえ、物語よりずっと素敵です!」
「ふふ、ありがとう。それで、あなたさえ良ければ、アリス様だけでなく、わたくしやみなさんからのプレゼントとして受け取ってもらえないかしら。だって、あなたからはたくさん贈り物をいただいたでしょう?」
 変装はお上手でしたし、最初はどなただかわかりませんでした。
 ですが、それほどの高い魔力をお持ちの方は、そういらっしゃるものではありません。
 敏感なセバスチャンが、二コラ様の魔力におびえて気絶してしまうほどです。わたくしにも、その隠し切れない魔力は伝わってきました。
「わたくし、嬉しかったのですよ。少し不安になっているときに、あなたはいつも励ましてくださいましたから」
「ご存じだったのですか……」
 困ったように眉尻を下げる二コラ様。
「ええ。だからね、わたくしたち、いまこそお友達になれるんじゃないかしら」

 二コラ様は恐縮することしきり、といったご様子だったが、それでも頷いてくださった。

 もうしばらくお話していたかったが、
「わたし、オーデリア様のお友達としてふさわしくありたいです、こんどお誘いいただいたときには、いまよりほんの少しでも魔力の扱いが上手になっているように、がんばります」
 そう言って、アリス様を連れてお帰りになった。
「きょうは早く帰るのね! 映像石、早く見たいものね」
「ち、違うわよ、そりゃあオーデリア様の映っている映像石なんだから、見たいに決まってるけど、違うんだから!」
 お話しされるお二人の背中はとても楽しそうだった。

 こうしてちょっとした断罪劇は終了し、ホールにはワルツが流れ始めた。ダンスの時間だ。
 音楽部の学生の皆さんの演奏は、なかなか聞き応えがある。
「踊っていただけますか?」
 アレクシス様が、一礼してお誘いくださった。
「ええ、喜んで」
 わたくしは微笑んでそれに応じる。

「なんだか泣いたり笑ったり、随分と騒がしい結末だったね」
 もっと微笑ましいサプライズを想像していたよ。とアレクシス様がおっしゃる。
「これで良かったのかい? 僕は二コラが好きだっていう小説の内容を知らないし、喜んでもらえるのかもわからなかったのだけど」
「アレクシス様は、流行の娯楽小説などお読みになったことはなさそうですものね」
 アレクシス様が趣味としてよくお話になるのは、軽いスポーツゲームや乗馬など。
 本はよくお読みになるようですが、実用書や教養としての古典以外の感想は聞いたことがありません。
「……僕が少々世間知らずなのは理解している。今後は、もう少し流行りものにも目をむけるようにするよ」
「ご無理はなさらなくて良いのですよ」
 アレクシス様の、そういうちょっと浮世離れしたところも好ましく思うのです。ですから、ずっとそうあってほしいという気持ちもあるのです。そのはずなのですが――。

 ――ですがやっぱり、許せないのです。
 
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