26 / 35
26話 さよなら
しおりを挟む
翌日、孤児院に向かう道のりを、ナツはシノの手を引いて歩いた。辿りついた隣街にある孤児院では、居場所のないシノの受け入れは、驚くほどトントン拍子に進んでいった。
最後に、これからシノの家となる場所の周りを、ふたりは散歩した。近くには、深くはないが木の実のなる森があり、街の中を行き交う人々の喧騒を忘れさせるような場所だった。
「いいとこじゃんか」
小高い丘の上に立ち、帰り道を歩きながら、隣を歩くシノにナツは言った。だがシノは頷かず、ナツの服の裾を掴んだまま離さない。別れとなる門の前まで戻っても、彼は依然としてナツの傍にくっついたままだ。
「シノ」
ナツが呼びかけるが、シノは離れない。
「我がまま言うな」
嫌だ嫌だと彼は叫んでいる。
「諦めろ」
ナツと声を上げて、シノはナツに抱き付く。その勢いによろけ、二人はもんどりうって地面に転がった。ぺたりと座り込んだシノが、大丈夫かと手を伸ばすのに、ナツは思わず手を伸ばしていた。
ナツがその手をひっこめた時には、シノは気が付き目を見開いて彼女の腕を凝視していた。
袖で隠れていたナツの細い腕には、青黒い斑点があちこちに浮かび上がっていた。
「隠してたのによ……」
ぽつぽつと広がるそれの一つを撫で、ナツは苦笑してかぶりを振る。
「安心しろよ。うつるもんじゃない。あたしはよく知ってるんだ」
どういうことかとシノが訴える。それを見ながら立ち上がり、ナツはシノに手を伸ばす。
「弟が、死んだ病気なんだ。ずっと前に言っただろ。あたしには弟がいて、病気で死んじまったって。あの子の身体にも、同じものがあった」
おずおずと手を握り、シノが立ちあがった。心配そうに見上げるその頭に手をやる。
「あたしは、助けられなかったんだ。あの子が病気になって、段々弱って死んでいくのを、見てるだけだったんだ……。何もできなかった。大好きで、本当に大切で、たった一人の弟だったのに、少しも幸せにできなかったんだ。だからさ、神様のばちが当たったのかもな」
その言葉に、シノは大きく首を横に振る。ばちなどではないとシノの優しさが言っている。
「そうだよ、あの子は、あんたみたいに優しい子だった。きっとあたしを恨んだり、憎んだりもしてない。だけど、あたしは、あたしが許せないんだ。この病気で死ねるなら本望だよ。それに、あんたもあたしの弟だ。だからあんただけには、幸せになって欲しいんだよ」
ナツが体調の異変に気が付いたのは、サーカスにいる最中のことだった。シノが倒れた頃には身体に薄く痣が浮いていて、シノと手を繋ぐことは出来なくなってしまっていた。腕を見せればシノはナツの身体の異常に気が付いてしまい、別れの気配を悟れば、彼は大人しくここまでついてはこなかっただろう。
「治らないよ」
シノの細い指が、ナツの腕を撫でる。それを見て、ナツはかぶりを振った。
「薬もないのに、治るはずがない。それに、もうだいぶ進んじまってんだ。見えるようになりゃあ、もうおしまいだ。もし薬があったって、治るかもわかんねえ。それに、何よりうちは貧乏だ。あの頃と同じで、薬が買えるわけがない。ただでさえ高いんだからな。だから、もういいんだ。ここまで来られて、あたしは満足だよ」
大きく目を見開き、ナツの腕に触れるシノの手は、小さく震えている。そうして見えない涙を流す彼の肩に、ナツは持っていた鞄をかけてやった。サーカスでもらったそれは、ナツにとっても少し大きなもので、ナツより小さなシノに合うはずもない。だがそれが落ちないように持たせてやる。
「もう、あたしには必要ないからな。旅に出ることなんてない。全部あんたにあげるよ」
シノは零せない涙をぼろぼろと零し、諦めきった彼女が言わんとすることに震えている。ナツはもう、旅に出ない。いや、出られない。シノと共に草原を歩くことはないのだ。
「じゃあな」
ナツはシノの頬を両手で包み、顔を近づけて、最後の別れを告げる。
「ありがとな、シノ。幸せになれよ」
ナツが手を離すと、シノは膝を折って崩れた。それは、泣けない彼の、最大の悲しみを体現していた。ナツが抱える絶望に、彼は言葉を発するどころか、立つことさえできなかった。力なく地面に膝をつき、呆然とした瞳を見開いて、ナツを見上げるだけだ。
そんな彼から目を引き剥がし、ナツは踵を返し、足早にその場を去った。すぐそこの角を曲がり、しばらく歩いて、振り返る。向こうに誰もいないことを確かめると、彼女もぺたりとその場に座り込んだ。
ナツ自身も、限界が近づいているのに気がついていた。シノの前でさえ、何とか気を張り、平気な顔をして歩いていたが、本当は立っているのでさえ辛く目眩がした。あと一日でも遅ければ、こうしてシノを送ることはできなかっただろう。切れる息を整えながら、ナツは自分の腕を見つめた。
「本当に、もう駄目だな……」
熱が上がってきたのだろう。視界にある、斑点だらけの腕が歪む。身体が重く、ひどく怠い。原因のわからないこの病気にかかってしまったのは、弟の存在も関係があるのかもしれない。そう思うと頬が緩みそうになるが、頼りなく、寂しげに自分を見上げるシノの顔を思い出してしまうと、ナツの表情は歪む。もう会えないのだ、会わないのが一番なのだと自分に言い聞かせるが、喉元に抱く熱さは抜けない。
せめて振り返らずに、ナツはゆっくりと立ち上がった。振り返ってしまえば、戻れないあの日に自分が走り出してしまう気がしたのだ。それを堪えて進める足取りは、ひどく重たかった。
最後に、これからシノの家となる場所の周りを、ふたりは散歩した。近くには、深くはないが木の実のなる森があり、街の中を行き交う人々の喧騒を忘れさせるような場所だった。
「いいとこじゃんか」
小高い丘の上に立ち、帰り道を歩きながら、隣を歩くシノにナツは言った。だがシノは頷かず、ナツの服の裾を掴んだまま離さない。別れとなる門の前まで戻っても、彼は依然としてナツの傍にくっついたままだ。
「シノ」
ナツが呼びかけるが、シノは離れない。
「我がまま言うな」
嫌だ嫌だと彼は叫んでいる。
「諦めろ」
ナツと声を上げて、シノはナツに抱き付く。その勢いによろけ、二人はもんどりうって地面に転がった。ぺたりと座り込んだシノが、大丈夫かと手を伸ばすのに、ナツは思わず手を伸ばしていた。
ナツがその手をひっこめた時には、シノは気が付き目を見開いて彼女の腕を凝視していた。
袖で隠れていたナツの細い腕には、青黒い斑点があちこちに浮かび上がっていた。
「隠してたのによ……」
ぽつぽつと広がるそれの一つを撫で、ナツは苦笑してかぶりを振る。
「安心しろよ。うつるもんじゃない。あたしはよく知ってるんだ」
どういうことかとシノが訴える。それを見ながら立ち上がり、ナツはシノに手を伸ばす。
「弟が、死んだ病気なんだ。ずっと前に言っただろ。あたしには弟がいて、病気で死んじまったって。あの子の身体にも、同じものがあった」
おずおずと手を握り、シノが立ちあがった。心配そうに見上げるその頭に手をやる。
「あたしは、助けられなかったんだ。あの子が病気になって、段々弱って死んでいくのを、見てるだけだったんだ……。何もできなかった。大好きで、本当に大切で、たった一人の弟だったのに、少しも幸せにできなかったんだ。だからさ、神様のばちが当たったのかもな」
その言葉に、シノは大きく首を横に振る。ばちなどではないとシノの優しさが言っている。
「そうだよ、あの子は、あんたみたいに優しい子だった。きっとあたしを恨んだり、憎んだりもしてない。だけど、あたしは、あたしが許せないんだ。この病気で死ねるなら本望だよ。それに、あんたもあたしの弟だ。だからあんただけには、幸せになって欲しいんだよ」
ナツが体調の異変に気が付いたのは、サーカスにいる最中のことだった。シノが倒れた頃には身体に薄く痣が浮いていて、シノと手を繋ぐことは出来なくなってしまっていた。腕を見せればシノはナツの身体の異常に気が付いてしまい、別れの気配を悟れば、彼は大人しくここまでついてはこなかっただろう。
「治らないよ」
シノの細い指が、ナツの腕を撫でる。それを見て、ナツはかぶりを振った。
「薬もないのに、治るはずがない。それに、もうだいぶ進んじまってんだ。見えるようになりゃあ、もうおしまいだ。もし薬があったって、治るかもわかんねえ。それに、何よりうちは貧乏だ。あの頃と同じで、薬が買えるわけがない。ただでさえ高いんだからな。だから、もういいんだ。ここまで来られて、あたしは満足だよ」
大きく目を見開き、ナツの腕に触れるシノの手は、小さく震えている。そうして見えない涙を流す彼の肩に、ナツは持っていた鞄をかけてやった。サーカスでもらったそれは、ナツにとっても少し大きなもので、ナツより小さなシノに合うはずもない。だがそれが落ちないように持たせてやる。
「もう、あたしには必要ないからな。旅に出ることなんてない。全部あんたにあげるよ」
シノは零せない涙をぼろぼろと零し、諦めきった彼女が言わんとすることに震えている。ナツはもう、旅に出ない。いや、出られない。シノと共に草原を歩くことはないのだ。
「じゃあな」
ナツはシノの頬を両手で包み、顔を近づけて、最後の別れを告げる。
「ありがとな、シノ。幸せになれよ」
ナツが手を離すと、シノは膝を折って崩れた。それは、泣けない彼の、最大の悲しみを体現していた。ナツが抱える絶望に、彼は言葉を発するどころか、立つことさえできなかった。力なく地面に膝をつき、呆然とした瞳を見開いて、ナツを見上げるだけだ。
そんな彼から目を引き剥がし、ナツは踵を返し、足早にその場を去った。すぐそこの角を曲がり、しばらく歩いて、振り返る。向こうに誰もいないことを確かめると、彼女もぺたりとその場に座り込んだ。
ナツ自身も、限界が近づいているのに気がついていた。シノの前でさえ、何とか気を張り、平気な顔をして歩いていたが、本当は立っているのでさえ辛く目眩がした。あと一日でも遅ければ、こうしてシノを送ることはできなかっただろう。切れる息を整えながら、ナツは自分の腕を見つめた。
「本当に、もう駄目だな……」
熱が上がってきたのだろう。視界にある、斑点だらけの腕が歪む。身体が重く、ひどく怠い。原因のわからないこの病気にかかってしまったのは、弟の存在も関係があるのかもしれない。そう思うと頬が緩みそうになるが、頼りなく、寂しげに自分を見上げるシノの顔を思い出してしまうと、ナツの表情は歪む。もう会えないのだ、会わないのが一番なのだと自分に言い聞かせるが、喉元に抱く熱さは抜けない。
せめて振り返らずに、ナツはゆっくりと立ち上がった。振り返ってしまえば、戻れないあの日に自分が走り出してしまう気がしたのだ。それを堪えて進める足取りは、ひどく重たかった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる