12 / 35
12話 深夜の別れ
しおりを挟む
それから二人は、夜は老人たちと同じ部屋で眠るようになった。三組も布団を敷けば部屋はいっぱいになってしまったが、代わりにナツとシノは一層のぬくもりを感じるようになった。もう、初めに負っていた傷は傷まないし、腹を空かせてもいない。冬が静かに終わりを告げ、春の訪れを感じる季節となった。
だが、最も恐れていた事は、唐突にやってきた。
真夜中、物音に耳ざとい老人が身を起こすのに、二人も目を擦りながら身じろぎした。それが狐や熊といった獣ではなく、人間の足音だと気づいた時には、老爺は二人の頭を優しく撫でて言った。
「大丈夫だ」
ナツは、そっとシノを抱き寄せる。街に出た老人たちから、逃亡している奴隷を探している者がいるのだと聞いていた。
戸の開く音がする。聞こえてくる男の声に、シノが微かに震えるのを、ナツは感じる。恐ろしい夜のことを、彼は思い出してしまうのかもしれない。頭を抱いて温もりを伝える。
「ここにいるのは分かっているんだ!」
太い怒鳴り声が聞こえる。ぞっと、背筋が凍る。
「ナツ、シノ、こっちにおいで」
老婆の小声についていき、戸の開かれた裏口から、二人は外の世界を覆い尽くす闇を見た。
「きっと来るとは思っていたけれど、まさか、こんなに早いだなんて……」
老婆が絶望に染まった声を発する。単純な人探しなら夜が明けてから訪れるはずだ。だがこのように不意打ちを仕掛けるのなら、玄関先にいるのは全うな者たちではないのだろう。
「これを持ってお行きなさい」
闇に息を詰める二人に、老婆はそれぞれ小さな包みを渡す。彼らが礼を言うと、目を潤ませて、強く抱きしめる。
「こんな形でさよならになるなんて……」
思いつめた声に、男の怒声が被さる。老爺が留めているが、奥の部屋まで上がり込んでくるのも、時間の問題だった。
「あたしたちは、大丈夫。それより、二人は……」
「心配ないわよ。子どもは、大人の心配なんてしないの」
右手でナツを、左手でシノの頬を撫でて、老婆は微笑む。シノが笑い、それを見たナツも頬を緩める。
「何があっても、生きていてちょうだい。あんたたちは良い子なんだから、いつかきっと、隠れなくてもいいように、なるんだからね。それまで、二人で頑張って、生き延びるのよ」
ナツは大きく頷いて礼を言った。
「本当に、ありがとう」
隣で、シノも頭を下げる。ひと冬を共に過ごした優しい人は、涙をぬぐい、背を押した。
ナツとシノは互いに手を握り、夜の闇に溶け込んでいった。赤と青のスカーフは、音も立てずに小屋から離れていった。
行く当てのない二人は、森を抜け、山を越え、やがて大きな街に出た。そこはこれまで育った村とは比べ物にならず、主人の家のあった街よりもずっと大きく広かった。多くの店が軒先を連ねる市場は活気に満ち、老若男女問わず、人々が買い物に出歩いていた。
ナツはシノの手を引き、人目を避けながら大通りを反れ、大人の入ってこられない狭い路地裏に身を潜め、ようやく一息ついた。小屋を出てから数日が過ぎており、二人はくたくたに疲れていた。
「ここなら、少しの間くらい、隠れてられるだろ……」
なにせ、あまりに人が多い。自分たちほどの子どもも、幾人もあたりを駆け回っている。足を休める程度なら、怖い大人に気づかれやしないだろう。
渡された包みを開き、残っていた握り飯を二人は口にした。包みにはいくらかの食料が詰められていたが、あとは数切れの干し肉しか残っていない。
「……大丈夫だったかな」
ナツの言葉に、傍で指についた米粒を食べていたシノは顔を上げると、不安そうな彼女にそっと身を寄せ、こくんと頷いた。
「……そうだな。信じるしか、ないよな」
あくまで、追っ手の目的はナツとシノの命だ。彼らのような一般人に手を上げることがあれば、主人こそが許されない刑に処されるだろう。何より、大丈夫だと言ってくれた彼らの言葉を、信じるしかない。
だが、最も恐れていた事は、唐突にやってきた。
真夜中、物音に耳ざとい老人が身を起こすのに、二人も目を擦りながら身じろぎした。それが狐や熊といった獣ではなく、人間の足音だと気づいた時には、老爺は二人の頭を優しく撫でて言った。
「大丈夫だ」
ナツは、そっとシノを抱き寄せる。街に出た老人たちから、逃亡している奴隷を探している者がいるのだと聞いていた。
戸の開く音がする。聞こえてくる男の声に、シノが微かに震えるのを、ナツは感じる。恐ろしい夜のことを、彼は思い出してしまうのかもしれない。頭を抱いて温もりを伝える。
「ここにいるのは分かっているんだ!」
太い怒鳴り声が聞こえる。ぞっと、背筋が凍る。
「ナツ、シノ、こっちにおいで」
老婆の小声についていき、戸の開かれた裏口から、二人は外の世界を覆い尽くす闇を見た。
「きっと来るとは思っていたけれど、まさか、こんなに早いだなんて……」
老婆が絶望に染まった声を発する。単純な人探しなら夜が明けてから訪れるはずだ。だがこのように不意打ちを仕掛けるのなら、玄関先にいるのは全うな者たちではないのだろう。
「これを持ってお行きなさい」
闇に息を詰める二人に、老婆はそれぞれ小さな包みを渡す。彼らが礼を言うと、目を潤ませて、強く抱きしめる。
「こんな形でさよならになるなんて……」
思いつめた声に、男の怒声が被さる。老爺が留めているが、奥の部屋まで上がり込んでくるのも、時間の問題だった。
「あたしたちは、大丈夫。それより、二人は……」
「心配ないわよ。子どもは、大人の心配なんてしないの」
右手でナツを、左手でシノの頬を撫でて、老婆は微笑む。シノが笑い、それを見たナツも頬を緩める。
「何があっても、生きていてちょうだい。あんたたちは良い子なんだから、いつかきっと、隠れなくてもいいように、なるんだからね。それまで、二人で頑張って、生き延びるのよ」
ナツは大きく頷いて礼を言った。
「本当に、ありがとう」
隣で、シノも頭を下げる。ひと冬を共に過ごした優しい人は、涙をぬぐい、背を押した。
ナツとシノは互いに手を握り、夜の闇に溶け込んでいった。赤と青のスカーフは、音も立てずに小屋から離れていった。
行く当てのない二人は、森を抜け、山を越え、やがて大きな街に出た。そこはこれまで育った村とは比べ物にならず、主人の家のあった街よりもずっと大きく広かった。多くの店が軒先を連ねる市場は活気に満ち、老若男女問わず、人々が買い物に出歩いていた。
ナツはシノの手を引き、人目を避けながら大通りを反れ、大人の入ってこられない狭い路地裏に身を潜め、ようやく一息ついた。小屋を出てから数日が過ぎており、二人はくたくたに疲れていた。
「ここなら、少しの間くらい、隠れてられるだろ……」
なにせ、あまりに人が多い。自分たちほどの子どもも、幾人もあたりを駆け回っている。足を休める程度なら、怖い大人に気づかれやしないだろう。
渡された包みを開き、残っていた握り飯を二人は口にした。包みにはいくらかの食料が詰められていたが、あとは数切れの干し肉しか残っていない。
「……大丈夫だったかな」
ナツの言葉に、傍で指についた米粒を食べていたシノは顔を上げると、不安そうな彼女にそっと身を寄せ、こくんと頷いた。
「……そうだな。信じるしか、ないよな」
あくまで、追っ手の目的はナツとシノの命だ。彼らのような一般人に手を上げることがあれば、主人こそが許されない刑に処されるだろう。何より、大丈夫だと言ってくれた彼らの言葉を、信じるしかない。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。


声劇・シチュボ台本たち
ぐーすか
大衆娯楽
フリー台本たちです。
声劇、ボイスドラマ、シチュエーションボイス、朗読などにご使用ください。
使用許可不要です。(配信、商用、収益化などの際は 作者表記:ぐーすか を添えてください。できれば一報いただけると助かります)
自作発言・過度な改変は許可していません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる