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12話 深夜の別れ
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それから二人は、夜は老人たちと同じ部屋で眠るようになった。三組も布団を敷けば部屋はいっぱいになってしまったが、代わりにナツとシノは一層のぬくもりを感じるようになった。もう、初めに負っていた傷は傷まないし、腹を空かせてもいない。冬が静かに終わりを告げ、春の訪れを感じる季節となった。
だが、最も恐れていた事は、唐突にやってきた。
真夜中、物音に耳ざとい老人が身を起こすのに、二人も目を擦りながら身じろぎした。それが狐や熊といった獣ではなく、人間の足音だと気づいた時には、老爺は二人の頭を優しく撫でて言った。
「大丈夫だ」
ナツは、そっとシノを抱き寄せる。街に出た老人たちから、逃亡している奴隷を探している者がいるのだと聞いていた。
戸の開く音がする。聞こえてくる男の声に、シノが微かに震えるのを、ナツは感じる。恐ろしい夜のことを、彼は思い出してしまうのかもしれない。頭を抱いて温もりを伝える。
「ここにいるのは分かっているんだ!」
太い怒鳴り声が聞こえる。ぞっと、背筋が凍る。
「ナツ、シノ、こっちにおいで」
老婆の小声についていき、戸の開かれた裏口から、二人は外の世界を覆い尽くす闇を見た。
「きっと来るとは思っていたけれど、まさか、こんなに早いだなんて……」
老婆が絶望に染まった声を発する。単純な人探しなら夜が明けてから訪れるはずだ。だがこのように不意打ちを仕掛けるのなら、玄関先にいるのは全うな者たちではないのだろう。
「これを持ってお行きなさい」
闇に息を詰める二人に、老婆はそれぞれ小さな包みを渡す。彼らが礼を言うと、目を潤ませて、強く抱きしめる。
「こんな形でさよならになるなんて……」
思いつめた声に、男の怒声が被さる。老爺が留めているが、奥の部屋まで上がり込んでくるのも、時間の問題だった。
「あたしたちは、大丈夫。それより、二人は……」
「心配ないわよ。子どもは、大人の心配なんてしないの」
右手でナツを、左手でシノの頬を撫でて、老婆は微笑む。シノが笑い、それを見たナツも頬を緩める。
「何があっても、生きていてちょうだい。あんたたちは良い子なんだから、いつかきっと、隠れなくてもいいように、なるんだからね。それまで、二人で頑張って、生き延びるのよ」
ナツは大きく頷いて礼を言った。
「本当に、ありがとう」
隣で、シノも頭を下げる。ひと冬を共に過ごした優しい人は、涙をぬぐい、背を押した。
ナツとシノは互いに手を握り、夜の闇に溶け込んでいった。赤と青のスカーフは、音も立てずに小屋から離れていった。
行く当てのない二人は、森を抜け、山を越え、やがて大きな街に出た。そこはこれまで育った村とは比べ物にならず、主人の家のあった街よりもずっと大きく広かった。多くの店が軒先を連ねる市場は活気に満ち、老若男女問わず、人々が買い物に出歩いていた。
ナツはシノの手を引き、人目を避けながら大通りを反れ、大人の入ってこられない狭い路地裏に身を潜め、ようやく一息ついた。小屋を出てから数日が過ぎており、二人はくたくたに疲れていた。
「ここなら、少しの間くらい、隠れてられるだろ……」
なにせ、あまりに人が多い。自分たちほどの子どもも、幾人もあたりを駆け回っている。足を休める程度なら、怖い大人に気づかれやしないだろう。
渡された包みを開き、残っていた握り飯を二人は口にした。包みにはいくらかの食料が詰められていたが、あとは数切れの干し肉しか残っていない。
「……大丈夫だったかな」
ナツの言葉に、傍で指についた米粒を食べていたシノは顔を上げると、不安そうな彼女にそっと身を寄せ、こくんと頷いた。
「……そうだな。信じるしか、ないよな」
あくまで、追っ手の目的はナツとシノの命だ。彼らのような一般人に手を上げることがあれば、主人こそが許されない刑に処されるだろう。何より、大丈夫だと言ってくれた彼らの言葉を、信じるしかない。
だが、最も恐れていた事は、唐突にやってきた。
真夜中、物音に耳ざとい老人が身を起こすのに、二人も目を擦りながら身じろぎした。それが狐や熊といった獣ではなく、人間の足音だと気づいた時には、老爺は二人の頭を優しく撫でて言った。
「大丈夫だ」
ナツは、そっとシノを抱き寄せる。街に出た老人たちから、逃亡している奴隷を探している者がいるのだと聞いていた。
戸の開く音がする。聞こえてくる男の声に、シノが微かに震えるのを、ナツは感じる。恐ろしい夜のことを、彼は思い出してしまうのかもしれない。頭を抱いて温もりを伝える。
「ここにいるのは分かっているんだ!」
太い怒鳴り声が聞こえる。ぞっと、背筋が凍る。
「ナツ、シノ、こっちにおいで」
老婆の小声についていき、戸の開かれた裏口から、二人は外の世界を覆い尽くす闇を見た。
「きっと来るとは思っていたけれど、まさか、こんなに早いだなんて……」
老婆が絶望に染まった声を発する。単純な人探しなら夜が明けてから訪れるはずだ。だがこのように不意打ちを仕掛けるのなら、玄関先にいるのは全うな者たちではないのだろう。
「これを持ってお行きなさい」
闇に息を詰める二人に、老婆はそれぞれ小さな包みを渡す。彼らが礼を言うと、目を潤ませて、強く抱きしめる。
「こんな形でさよならになるなんて……」
思いつめた声に、男の怒声が被さる。老爺が留めているが、奥の部屋まで上がり込んでくるのも、時間の問題だった。
「あたしたちは、大丈夫。それより、二人は……」
「心配ないわよ。子どもは、大人の心配なんてしないの」
右手でナツを、左手でシノの頬を撫でて、老婆は微笑む。シノが笑い、それを見たナツも頬を緩める。
「何があっても、生きていてちょうだい。あんたたちは良い子なんだから、いつかきっと、隠れなくてもいいように、なるんだからね。それまで、二人で頑張って、生き延びるのよ」
ナツは大きく頷いて礼を言った。
「本当に、ありがとう」
隣で、シノも頭を下げる。ひと冬を共に過ごした優しい人は、涙をぬぐい、背を押した。
ナツとシノは互いに手を握り、夜の闇に溶け込んでいった。赤と青のスカーフは、音も立てずに小屋から離れていった。
行く当てのない二人は、森を抜け、山を越え、やがて大きな街に出た。そこはこれまで育った村とは比べ物にならず、主人の家のあった街よりもずっと大きく広かった。多くの店が軒先を連ねる市場は活気に満ち、老若男女問わず、人々が買い物に出歩いていた。
ナツはシノの手を引き、人目を避けながら大通りを反れ、大人の入ってこられない狭い路地裏に身を潜め、ようやく一息ついた。小屋を出てから数日が過ぎており、二人はくたくたに疲れていた。
「ここなら、少しの間くらい、隠れてられるだろ……」
なにせ、あまりに人が多い。自分たちほどの子どもも、幾人もあたりを駆け回っている。足を休める程度なら、怖い大人に気づかれやしないだろう。
渡された包みを開き、残っていた握り飯を二人は口にした。包みにはいくらかの食料が詰められていたが、あとは数切れの干し肉しか残っていない。
「……大丈夫だったかな」
ナツの言葉に、傍で指についた米粒を食べていたシノは顔を上げると、不安そうな彼女にそっと身を寄せ、こくんと頷いた。
「……そうだな。信じるしか、ないよな」
あくまで、追っ手の目的はナツとシノの命だ。彼らのような一般人に手を上げることがあれば、主人こそが許されない刑に処されるだろう。何より、大丈夫だと言ってくれた彼らの言葉を、信じるしかない。
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