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8章 真相
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重い気持ちを胸に、翔太は美沙子と鉢合わせた翌日も学校に行った。事件についていつかは凛にも打ち明けねばと思っていたが、それは決してこんな形ではなかった。
だがその日、凛には会わなかった。彼女は教室にやってこなかったし、翔太もどんな顔を凛に見せればいいのかわからなかった。
さらに次の日の朝、公園に寄り、丘に上る階段下に置かれた容器へビー玉を転がしておいた。散々迷ったが、彼女には自分の言葉でもう一度きちんと説明すべきだと考えたのだ。
だが帰り際に公園に寄ってみたが、ビー玉はそのまま残っていた。これまでそんなことは一度もなかったので、更にアルバイト終わりにも立ち寄ってみたが、それは回収されていなかった。
もしかしたら、凛はもう自分には会いたくないのかもしれない。
両親のいない凛は、その有難さを身に染みてよく知っている。だから、家族を失うきっかけを招いた自分の過去を、許せないのかもしれない。翔太はそう考え、落ち込んだ。情けなくとも、言葉を交わす機会をもう一度だけ与えてほしい。そう思ってビー玉を転がし続けたが、ただ帰りにそれを自分で拾う毎日が続いた。
週が明けた放課後、教室に一人の女子生徒が訪ねて来た。プリントやノートを手にしている彼女は凛と同じクラスの仲良しで、当然、翔太と凛の関係も知っていた。
「これ、持って行ってあげてくれない?」
彼女は、凛は先週から体調不良で学校を休んでいるのだと説明した。担任教師に届けてやってくれと頼まれたのだが、自分よりも翔太が行く方が喜ぶだろうと考えたそうだ。
「彼氏の株、爆上がりだよ」いたずらっぽくそう言った。
翔太は、彼女が意図的に自分に会わなかったのではなく、会えなかったのだと知り安堵した。そして次の瞬間には不安になった。学校好きな彼女が一週間も休むとは、よほど体調が悪いに違いない。風邪だろうか、家族にはきちんと看病されているのだろうか、病院には行っただろうか、あらゆる心配が一気に去来した。
幸いアルバイトは休みの日だったから、一度だけ訪れたマンションへの道を思い出し、急いで自転車を走らせる。頬に触れる十月の風はやけに冷たい。
オートロックの開け方を翔太は知らなかったが、広いエントランスの壁に取り付けられた数字盤を見つけ、その説明を読みながら彼女の部屋の番号を入力した。呼び出しボタンを押す時には、少し緊張した。
カメラの上のライトが灯る。しかし返事はなかなか聞こえてこない。何か失敗したかと思った時、ようやく「はい」と不機嫌な声がした。「誰?」尋ねるのは、彼女の義姉の声だ。
「あの、青南高校の、雨宮翔太といいます」きちんと届くように少しずつ言葉を切る。「榎本凛さんに、届け物があって、きました」
声は返らない。もしかして入れてもらえないのだろうか。凛を快く思っていない風だった彼女の様子が蘇り、どうしようと考えていると自動ドアが開いた。返事はないが拒絶はしていないらしい。一度小さく頭を下げ、翔太は中に足を踏み入れた。
エレベーターで上がり、やがて彼女の住む部屋まで辿り着く。玄関先で出迎える友加里という凛の義姉は、相変わらず不機嫌な顔で口を開いた。
「渡しとくから」ぶっきらぼうに手が伸ばされるが、翔太は「あの」と言葉を濁す。
「直接渡したいんです。お見舞い、させてくれませんか」
「お見舞い?」友加里は面倒そうに繰り返す。
「少しだけなので。お願いします」翔太は頭を下げる。
「……あんた、確かあの子の彼氏だっけ」
唐突な言葉に顔を上げた翔太は、「一応……」と呟いた。
「ふーん」
彼女は腕を組み、じろじろと翔太を頭のてっぺんからつま先まで眺める。品定めされている感覚に翔太が居心地の悪さを覚えていると、ようやく「入りなよ」と言った。
礼を言って彼は部屋の中に入る。靴を脱いでいる間に彼女は二階へ上がり、すぐに戻ってきた。
「部屋、わかるでしょ」
「はい」
頷くと、彼女はさっさと奥に引っ込んでしまった。翔太は階段を上がり、一年前に訪れた彼女の部屋に向かう。
ノックをすると、一週間ぶりの凛の声で返事があった。緊張しながらドアを開けると、驚いた表情の彼女がベッドに半身を起こしていた。
「久しぶり……」我ながら情けない切り出し方だ。「その、ごめん。急に来て」
「ううん」
「体調不良で休んでるんだって聞いて。プリント渡しに来たんだ。それに、心配だったから……」
「ありがとう」微笑む彼女の顔色は悪い。
翔太は一歩部屋に入った。去年見たのと同様、綺麗に片付いた彼女の部屋だ。
「大丈夫、風邪?」
「そんな感じかな」
「病院は? 熱はある?」
「一回行ったよ、疲れてるんでしょうって。熱も、ないから……もう学校行けると思う」
「そっか。なら、よかった」
鞄からプリントとノート、そして一冊の本を取り出す。凛が貸してくれて、今日学校で読み終わったばかりの文庫本。
「これ、預かってる分。あとこの本、ありがとう、面白かった。また今度、感想言うよ」
「うん。持ってきてくれてありがとう。机、置いといて」
凛に言われる通り、翔太はそれらを学習机の上に置く。
途端に静寂が訪れる。防音の行き届いた壁や窓ガラスは、近隣の物音を少しも伝えてこない。
「あのさ」声が沈み過ぎないよう気を配りながら、翔太は凛の顔を見た。どこか頼りなげな表情の彼女も、こちらを向く。「言いたいこと、あったんだ」
「うん……」
「だけど、多分長くなるから。凛が元気になったら、改めて言う」
「……わかった」
その内容を察したのだろう、彼女は目を伏せて頷いた。凛の悲しげな表情を見ていると、翔太は苦しくなってくる。もっと早く打ち明けておくべきだった。順を追って丁寧に、少しずつ聞かせるべき話だった。それなのに一気に全てを知ってしまったから、彼女は大きなショックを受けたはずだ。この体調不良にも関係しているのかもしれない。
「……あのね」
凛が口を開いたから、翔太は慌てて物思いにふけるのを止めた。
「なに」
「翔太のね……」その先を待っていたが、彼女は少しして首を小さく横に振った。「ううん。私も、今度聞く」
「なにを」
「ひとつだけ、確かめたいこと。だけど、私も次にする。今は、ちょっと……」
一抹の不安を覚えたが、翔太はわかったと頷いた。彼女の確認したいことは気になって仕方ないが、この顔色を見れば無理に問い詰めるわけにはいかない。
そんな彼の気持ちに気づいたのか、凛は笑ってみせた。溌溂さはないが、それでもいつもの優しさに満ちた表情。この笑顔が、翔太は大好きだった。
だがその日、凛には会わなかった。彼女は教室にやってこなかったし、翔太もどんな顔を凛に見せればいいのかわからなかった。
さらに次の日の朝、公園に寄り、丘に上る階段下に置かれた容器へビー玉を転がしておいた。散々迷ったが、彼女には自分の言葉でもう一度きちんと説明すべきだと考えたのだ。
だが帰り際に公園に寄ってみたが、ビー玉はそのまま残っていた。これまでそんなことは一度もなかったので、更にアルバイト終わりにも立ち寄ってみたが、それは回収されていなかった。
もしかしたら、凛はもう自分には会いたくないのかもしれない。
両親のいない凛は、その有難さを身に染みてよく知っている。だから、家族を失うきっかけを招いた自分の過去を、許せないのかもしれない。翔太はそう考え、落ち込んだ。情けなくとも、言葉を交わす機会をもう一度だけ与えてほしい。そう思ってビー玉を転がし続けたが、ただ帰りにそれを自分で拾う毎日が続いた。
週が明けた放課後、教室に一人の女子生徒が訪ねて来た。プリントやノートを手にしている彼女は凛と同じクラスの仲良しで、当然、翔太と凛の関係も知っていた。
「これ、持って行ってあげてくれない?」
彼女は、凛は先週から体調不良で学校を休んでいるのだと説明した。担任教師に届けてやってくれと頼まれたのだが、自分よりも翔太が行く方が喜ぶだろうと考えたそうだ。
「彼氏の株、爆上がりだよ」いたずらっぽくそう言った。
翔太は、彼女が意図的に自分に会わなかったのではなく、会えなかったのだと知り安堵した。そして次の瞬間には不安になった。学校好きな彼女が一週間も休むとは、よほど体調が悪いに違いない。風邪だろうか、家族にはきちんと看病されているのだろうか、病院には行っただろうか、あらゆる心配が一気に去来した。
幸いアルバイトは休みの日だったから、一度だけ訪れたマンションへの道を思い出し、急いで自転車を走らせる。頬に触れる十月の風はやけに冷たい。
オートロックの開け方を翔太は知らなかったが、広いエントランスの壁に取り付けられた数字盤を見つけ、その説明を読みながら彼女の部屋の番号を入力した。呼び出しボタンを押す時には、少し緊張した。
カメラの上のライトが灯る。しかし返事はなかなか聞こえてこない。何か失敗したかと思った時、ようやく「はい」と不機嫌な声がした。「誰?」尋ねるのは、彼女の義姉の声だ。
「あの、青南高校の、雨宮翔太といいます」きちんと届くように少しずつ言葉を切る。「榎本凛さんに、届け物があって、きました」
声は返らない。もしかして入れてもらえないのだろうか。凛を快く思っていない風だった彼女の様子が蘇り、どうしようと考えていると自動ドアが開いた。返事はないが拒絶はしていないらしい。一度小さく頭を下げ、翔太は中に足を踏み入れた。
エレベーターで上がり、やがて彼女の住む部屋まで辿り着く。玄関先で出迎える友加里という凛の義姉は、相変わらず不機嫌な顔で口を開いた。
「渡しとくから」ぶっきらぼうに手が伸ばされるが、翔太は「あの」と言葉を濁す。
「直接渡したいんです。お見舞い、させてくれませんか」
「お見舞い?」友加里は面倒そうに繰り返す。
「少しだけなので。お願いします」翔太は頭を下げる。
「……あんた、確かあの子の彼氏だっけ」
唐突な言葉に顔を上げた翔太は、「一応……」と呟いた。
「ふーん」
彼女は腕を組み、じろじろと翔太を頭のてっぺんからつま先まで眺める。品定めされている感覚に翔太が居心地の悪さを覚えていると、ようやく「入りなよ」と言った。
礼を言って彼は部屋の中に入る。靴を脱いでいる間に彼女は二階へ上がり、すぐに戻ってきた。
「部屋、わかるでしょ」
「はい」
頷くと、彼女はさっさと奥に引っ込んでしまった。翔太は階段を上がり、一年前に訪れた彼女の部屋に向かう。
ノックをすると、一週間ぶりの凛の声で返事があった。緊張しながらドアを開けると、驚いた表情の彼女がベッドに半身を起こしていた。
「久しぶり……」我ながら情けない切り出し方だ。「その、ごめん。急に来て」
「ううん」
「体調不良で休んでるんだって聞いて。プリント渡しに来たんだ。それに、心配だったから……」
「ありがとう」微笑む彼女の顔色は悪い。
翔太は一歩部屋に入った。去年見たのと同様、綺麗に片付いた彼女の部屋だ。
「大丈夫、風邪?」
「そんな感じかな」
「病院は? 熱はある?」
「一回行ったよ、疲れてるんでしょうって。熱も、ないから……もう学校行けると思う」
「そっか。なら、よかった」
鞄からプリントとノート、そして一冊の本を取り出す。凛が貸してくれて、今日学校で読み終わったばかりの文庫本。
「これ、預かってる分。あとこの本、ありがとう、面白かった。また今度、感想言うよ」
「うん。持ってきてくれてありがとう。机、置いといて」
凛に言われる通り、翔太はそれらを学習机の上に置く。
途端に静寂が訪れる。防音の行き届いた壁や窓ガラスは、近隣の物音を少しも伝えてこない。
「あのさ」声が沈み過ぎないよう気を配りながら、翔太は凛の顔を見た。どこか頼りなげな表情の彼女も、こちらを向く。「言いたいこと、あったんだ」
「うん……」
「だけど、多分長くなるから。凛が元気になったら、改めて言う」
「……わかった」
その内容を察したのだろう、彼女は目を伏せて頷いた。凛の悲しげな表情を見ていると、翔太は苦しくなってくる。もっと早く打ち明けておくべきだった。順を追って丁寧に、少しずつ聞かせるべき話だった。それなのに一気に全てを知ってしまったから、彼女は大きなショックを受けたはずだ。この体調不良にも関係しているのかもしれない。
「……あのね」
凛が口を開いたから、翔太は慌てて物思いにふけるのを止めた。
「なに」
「翔太のね……」その先を待っていたが、彼女は少しして首を小さく横に振った。「ううん。私も、今度聞く」
「なにを」
「ひとつだけ、確かめたいこと。だけど、私も次にする。今は、ちょっと……」
一抹の不安を覚えたが、翔太はわかったと頷いた。彼女の確認したいことは気になって仕方ないが、この顔色を見れば無理に問い詰めるわけにはいかない。
そんな彼の気持ちに気づいたのか、凛は笑ってみせた。溌溂さはないが、それでもいつもの優しさに満ちた表情。この笑顔が、翔太は大好きだった。
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