影の消えた夏

柴野日向

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6章 ケガレ

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 全てが闇に包まれていた。
 包むものが存在するのかも怪しい。ここには、はなから闇しか存在しないのだろう。
 暑くも寒くもない。丁度よいのでもない、無だ。
 足の下に地面の感触がない。見上げても何もない。そもそも自分に身体が存在していない。瞼を閉じても開いても何一つ変わらない。両目自体がここにはない。
 死後の世界がないのに意識だけが残ってしまえば、こんな感じなのだろうか。ただただ、闇の中を当てもなく漂い、彷徨い続ける。身のない自分は、闇と同化してしまっている。空気と表現するのもまた違う。空気には酸素や窒素だの、様々な物質が含まれている。酸素も窒素もここにはない。あるとすれば意識と言う名の、物質ではない何か。陽向という名前だけが、意識と闇を隔てる最後の砦。

 ああ、きみはずっと、こんな場所にいたんだ。

 ただ憎き者を喰らうためだけに、ケガレは永遠の闇として存在していた。物質足りえないまま、何百年もそこに在り続けた。そして、これからもずっと。
 もう、終わりにしよう。陽向は口も声もないまま呼びかけた。ケガレが真に望んでいるものを悟った。
 安らかな消滅。姿のないケガレは、もはや静かに消えていくことを望んでいる。
 だがその瞬間まで、悲しみや寂しさを満載しているだなんて、あまりに切なく不憫だ。
 自分の短い人生でも、楽しいことや嬉しいことは多少なりとも存在した。この思い出があれば、少しでもケガレは救われるだろうか。俺の記憶を喰らうことで、真っ暗な闇以外のものを見て、それをしまって消えることができるだろうか。
 すぐそばに誰かがいるような気がした。小さな子どものように泣きじゃくる誰かに、そこにない手を伸ばす。もう大丈夫。これからはずっと一緒だ。そっと語りかけ、ケガレを強く抱きしめた。

 途端、眩しさに包まれた。
 意識をつんざくようなあらゆる記憶の奔流が流れ込む。圧倒され、溺れそうになりながら、その記憶たちを一つずつ手繰る。

 海辺で釣りをしながら振り向くと、妻が手を振っている。
 料理の手伝いをする隣で、母親が微笑んでくれている。
 祖父母にいってきますと伝え、麦わら帽子を被って家を飛び出す。
 小さな図書館で、日が暮れるまで本を読んで過ごす休日。
 風のようにトラックを駆け抜け、白いゴールテープを切る爽快感。

 誰かの人生が、何年、何十年に渡る記憶が、自分の中を駆け抜けていく。男、女、子ども、老人。これまでケガレに喰われてきた大勢の人たちの記憶だ。悲しみや怒りの記憶もある。しかし、彼らの中で最も強く輝いているのは、幸せな喜びに溢れる瞬間だった。

 一人、また一人、生まれて育って消えていく。長い時間のはずなのに、一瞬のように過ぎていく。

 白い病室で、若い女性が赤ん坊を抱いている。出産直後らしき彼女には疲労が見えるが、それ以上に笑顔は幸福に満ちていた。
 名前を尋ねる自分の声に、彼女は返事をした。いい名前だね。そう言いながらそっと人差し指を寄せると、赤ん坊は小さな小さな手で、ぎゅっと指を握りしめた。
 ありがとう、兄さん。目に涙を浮かべて微笑む妹に、祝福の言葉を伝える。

 ――おめでとう。雪。陽向。

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