影の消えた夏

柴野日向

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6章 ケガレ

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 島民にどんな顔を見せればよいのか、乗船中ずっと考えていた。暝島に到着してもその答えは得られていなかったが、迎えてくれる島民は変わりない表情だった。桟橋には十人近くが集まっていて、口々に「おかえり」と言うのに、つい「ただいま」と言ってしまう。
「陽向、人気者じゃん」
 千宙がおかしそうに耳打ちした。頷くこともできないままでいると、彼らをかき分けて凪が姿を現した。
「陽向、元気そうだな。三日しか経ってないんだから、当然か」
 何でもない顔に、急に苛立ちがこみ上げる。彼、そして彼らは、自分をずっと騙していた。何も知らないふりをして、自分をケガレに喰わせようとした。
 そのくせ仲良く食事を摂り、笑い話をした。散歩をしたり、星座を眺めたり、釣りをしたり。いろんな時間を共有した。
 振り上げたこぶしにみんなの視線を感じる。
 爪が食い込むほど握り込んだ手を、凪の胸にぽんと当てた。奥歯を噛み、懸命に堪えて見上げた凪の顔は、悲しそうに笑っていた。それは三日前に駅のホームで見たのと同じ表情だった。
 凪に連れられて、先日まで住んでいた家に向かう。後ろからは、わいわいと妖たちがついてくる。
「俺が戻ってくるって、なんで分かったの」
「忘れたのか。俺はさとりだぞ」
 隣を歩く凪は、得意そうな顔をする。
「強い感情が目に見えるんだ。船に乗った時から、陽向は納得しきれていない疑問の塊だった。諦めて、はいさようならと済むようにはとても見えなかった」
「今日だって分かったのは?」
「そう遠くないと踏んでいた。だが、二日後か、三日後か、一週間後か、それは当てられない。だから、みんなずっと待ってたんだ」
 そもそも追い出したのはそっちのくせに。憮然とする陽向の思いを読み取り、凪は軽くその背を叩いた。
 坂の上の家に着いた頃には、午後二時を過ぎていた。引き戸がガラリと勢いよく開き、騒ぎを聞きつけた小夜が一目散に飛び出してきた。
「ひなた、おかえり!」
 真っ直ぐ駆け寄ってくる彼を、膝を折って抱きとめる。彼は嬉しそうに飛び跳ね、全身で喜びを表現している。
「なぎがね、ひなたはまた、かえってくるって。おしえてくれたの」
 頭を撫でてやると、彼はにこにこしてそう言った。会えただけでこれだけ喜んでくれるのが、嬉しくて仕方ない。再び買ってきたクッキーの包みを渡すと、彼は歓声を上げる。
「なあ、陽向、その子……」
 祐司が横に立って強張った声を出した。その指先では、小夜の黒い三角耳が喜びに反っている。
「言ったろ、妖なんだ。送り犬の子だよ」
「送り犬……?」
 足音に振り向いた彼は、ぽかんと口を開いたまま立ちすくんだ。
「おっ、陽向! 今、みんなでご飯作ってるとこ。まさかお昼食べてないよね?」
 サンダルをつっかけ、律が家から出てくる。その頭では、いつもの茶色い耳が動いていた。
「律は妖狐……狐と混じってるんだ」
 きつね、と繰り返す祐司に、律は得意げに胸を張った。
 彼女に続いて、一同は家に上がる。広い玄関はたちまち靴でいっぱいになった。
「なんで、こんなに集まってるんだ」
 近くの島民に尋ねると、「歓迎会に決まってるだろ」と返事があった。陽向の無事の帰還、それに連れの二人の歓迎会を急遽付け加えるそうだ。彼らはお祭り好きな住民なのだ。
 広い和室には長い座卓が二台並び、座布団に囲まれている。言われるがまま中央に座ると、千宙が右隣に座し、左に祐司がついた。律たちが次々と料理を運んでくるのを手伝おうとしたが、客は座ってろと叱られた。
 訊きたいことは山ほどある。のんびり食事をしている場合じゃない。そう訴えたかったが、「料理が冷める」と気配を察した律にぴしゃりと釘を刺された。確かに、作ってくれた料理を差し置いて、長い話を始めるのも気が引ける。なんだか虚を突かれた心地で座っていると、やがて全員が座敷に揃った。今回は全ての住民が座している。一人残らずというのは、お祭り好きの彼らでも、そうあることではないらしい。
 あれよあれよという間に乾杯が済み、皆が料理をつつき始めた。どうなってるのと、隣の千宙が囁くが、上手な説明ができない。陽向にとっても二度目の歓迎会というのは、全く予期せぬ展開だったのだ。
「おう、陽向。これが前に言ってたおまえの兄貴か?」
 白樫が例によって酒の入ったコップを持って近くに来た。今度こそ飲まされないぞと警戒しつつ、「兄貴ってわけじゃない」と返す。
 だがいなり寿司をつまむ佑二は、「兄貴です」と余計なことを言う。
「祐司は葛西の息子ってだけだろ」
「陽向の親父もその葛西じゃんか」
 反論できずにいると、祐司と白樫が声をあげて笑った。
「よかったなあ、陽向。かっこいい兄貴じゃねえか」
 バシバシと背中を叩かれ、卵焼きをつまむ箸が揺れる。それほどでも、などと調子に乗る祐司に背を向けた。
 反対隣りでは、律が千宙に話しかけていた。視線に気づくと、律がにやにやしながらこっちを見る。
「陽向ちゃんにはほんとに立派な彼女がいたんだ。想像の産物じゃなくてよかったよ」
「失礼だぞ」
「えっと……」
 千宙は戸惑いながら、律と陽向に交互に視線をやる。
「陽向とは、仲良しなんですか」
「まあまあかなー。散歩行ったりご飯作ったり、そうそう、この家で一緒に暮らしてたんだよ」
 ショックを受けて千宙が硬直する。陽向は慌てて、「凪と小夜も一緒だろ」と付け加えたが、我ながら全くフォローになっていなかった。
「それって、バイトの間ずっと……?」
「まあ、うん。いや、ほんとに何にもない。誓って何にもないから!」
 彼女の冷めた目に、必死に両手を振って弁解する。自分の台詞の情けなさに、小さくなって消えてしまいたい。
「ごめん、千宙。嘘ついてるとか、そういうつもりじゃなかったんだけど」
「それでよく私のこと浮気呼ばわりしたよね」
 彼女は大きくため息をついた。
「律さん、教えてくれてありがとう」
 ぐうの音も出ず、押し黙る陽向を見て、律がけらけらと笑う。
「どういたしまして。彼女なら知っとくべきだと思ったんだ。あ、でも、陽向の言ってることは本当。あたしは年下とどうこうするつもりはないから」
 今更フォローを入れる律を恨みがましく眺めるが、確かに彼女の言う通りだとも思った。千宙を差し置いて何週間も別の女の子と同じ屋根の下で暮らしていた事実は、黙っているべきではない。
「陽向ね、彼女ちゃんのこと大好きみたいでさ。ため息ばっかりついてるから、あたしが散歩に連れ出したりしたわけ。会いたくてたまんないって顔してたよ」
「……本当?」
 千宙がちらりとこちらを見る。「……まあ」今度は恥ずかしさで穴に籠りたくなりながら、なんとか呻いた。
「だからさ、今回だけは許してやってよ」
 律の言葉に、千宙は苦笑した。
「今回だけね」
 とても彼女たちには逆らえない。わかりましたと呟くしかなかった。
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