影の消えた夏

柴野日向

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4章 記憶の行き先

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 苦手なもの。避けられているもの。頻りに考えながら島のあちこちを歩く。白樫と海釣りをし、凪と畑の野菜に水をやり、誰彼となく話を聞いたが、それらしい答えは出てこない。終いには、変なことを考えるもんだとからかわれる始末だ。
 途方に暮れつつ図書館に向かい、ぶらぶらと本棚の間を歩く。随分たくさんの本がある。昔から少しずつ集められてきた本だと聞いた。紙は変色し、手に取るとバラバラになってしまいそうな古いものもある。
「ここって、どういう基準で本を集めてるんだ」
 尋ねると、受付の壬春は面倒そうな顔をした。
「街に買い出しに行くやつが適当に持ち込んでくる。たまに歴代の司書が同行して、気になるものを集める」
「じゃあ、何があるかは把握してるってことか」
「当たり前だろ」
 むっとした表情で、彼は背後の棚から一冊の分厚いファイルを取り出し、受付カウンターの上に置いた。中には細かな文字が上から下までびっしりと記入されている。
「蔵書の一覧と、貸し出しの記録だ」
「全部手書きで記録してるのか」
 まさかそんな面倒なことをしているとは思わなかった。本のタイトルと、それを借りた者の名前、貸出日と返却日がずらりと並んでいる。
「疑うなら見てみろよ」
「疑ってるわけじゃないけど……」
 そう言いつつもファイルを受け取った。一体どんな本が保管されているのか興味があった。席に行こうとすると、壬春に呼び止められる。彼は後ろの棚から更に五冊を引っ張り出して積み上げた。
 膨大な記録はずっしりと腕に響く。往復して、なんとかファイルを席に運んだ。これを見てどうするのだと思うが、せっかく渡してくれたのだから、目を通してみる。小説に図鑑、専門書、料理本から絵本にいたるまで、様々な書籍の名が連なっている。その隣には、聞いたことのない名前と昔の日付。ファイルは書籍の記録だけでなく、消えてしまった妖たちが存在していた証拠だった。
 どの本も、一度は誰かに借りられている。それは先週だったり、十年前だったり。掠れた文字は百三十年前の日付だ。古いファイルを開けば更に過去の記述があり、破れそうなページはクリアファイルに挟まれ、丁寧に綴じられている。
 興味本位に受け取ったが、あらゆる書籍のタイトルや住民の名前を見て、何がわかるというのだろう。やはり、さっさと壬春に返そうか。そう思いつつ、ぺらぺらと流し見していた陽向は、ふと手を止めた。
 どのタイトルの隣にも誰かしらの名前があり、どこかの時点で貸出された痕跡があった。だが、一冊の本の表題にそっと指を当て、右にスライドさせる。そこに名前の記載はない。
 退魔解体。この一冊だけは、過去から今まで誰の手にも渡っていない。
 ファイルを両腕で抱え、陽向は勢いよく立ち上がった。
「壬春!」
 声をあげ、本棚の間を駆け抜ける。受付にはいない。
「うるせえな」
 振り向くと、壁と本棚の間の通路から壬春が迷惑そうにやって来ていた。
「ガキじゃねえんだから……」
「これ、この本どこにある?」
 彼の悪態を遮り、ファイルを突き出した。眉間に皺を寄せつつもその様子から尋常の無さを感じたのだろう、壬春はファイルを受け取り「どれだよ」と言った。目当ての表題を陽向は指で示す。
「この本。この一冊だけ、今まで誰にも借りられてないんだ。一度も」
 その言葉を聞き、壬春も若干顔色を変えた。受付のカウンターにファイルを置き、あちこちページをめくる。他に貸出履歴のない本をざっと探していたが、やがては当初の書籍に戻らざるを得なかった。
「他のファイルも全部見たのか」
「記録が多すぎるし、まともに全部見たわけじゃない。けど、今のところ誰も借りてないのはこの一冊だけなんだ」
 ちゃんと確認しろよ。そう言いつつも、彼は手近なメモ用紙とペンを取り、登録番号を書きつけた。
「以前スミレが整頓した時に、このあたりは書庫に移したはずだ」
 腰に下げている鍵束から鍵を探り、彼はカウンターの奥に向かった。地下の書庫を探してくれるらしい。陽向はファイルを抱えて席に戻り、今度は一冊ずつしっかり目を通す。
 過去一度も、誰にも借りられていない本。傷つけないよう指先でそっと紙を辿り、上から下へと目線でなぞる。筆跡は歴代の司書により僅かな違いがあり、それが数百年の歴史を感じさせる。同時に、これだけ多くの者たちをケガレが喰ってきたのかと思うと、改めて圧倒される。
 一冊も読み切らない内に、壬春が本を手に戻ってきた。退魔解体とは、百ページほどの古い書籍だった。彼はカウンターテーブルに本を置き、隣の席に腰掛ける。
「つまり、おまえが言いたいのは、これが俺たちの苦手なものってことか」
「今までの島民が全員、この本のことを無意識に避けていた。だから、誰一人借りていなかった……」陽向は本の表紙から顔を上げる。「なにか、嫌な感触とかあるか」
 彼は書籍を一瞥し、「いや」と素っ気なく答える。「別に、普通だ」
 その言葉に不安になるが、意識していれば何も感じないのかもしれない。陽向はそっと表紙をめくる。目次から、民俗学の本であると察することができた。奥付の初版発行日には、今から百年近く前の日付が記されている。なんと印刷物ではなく手書きの本で、糊ではなく紐で綴じられていた。
「まだ可能性に過ぎない……。大体、島民が避けるべきことが書かれていたとして、どうしてわざわざ島に持ち込んだのか、わからないし」
 無意識下で妖が手をつけずにいたのなら、そもそも島外でこの本を購入することなどないだろう。
 しかし口元に手を当てて考えている壬春は、「もしかすると」と考えを口にした。
「大体は街に出かけた島民が本を買ってくるんだが、たまに船頭が調達して運ぶことがある。今は確か、武藤とかいう爺さんだったな……。当時の船頭が適当に手に入れた本の中に、紛れ込んでいたんだろう」
 日に焼けた老人の顔を思い出す。壬春の推理は当たっているように思えた。当時船を操っていたその誰かはケガレと混ざっていないのだから、本を避けることなどない。
「いや、でもな、ただの偶然って可能性の方が遥かにでかいぜ。貸出されたことのない本なんて、他にあってもおかしくねえよ」
「わかってる」陽向は頷いた。「だから、図書館にいる間だけ、このファイルを貸してくれ。確認する」
「これ全部一から見直すのか?」
 躊躇わずにもう一度首肯した。他に手がかりは何一つないのだ。ファイルを確認するぐらい、大した労力には思えない。
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