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4章 記憶の行き先
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翌日、店での手伝いを終えると、早速図書館に向かった。壬春がいる可能性を考えると足が遠のきそうになるが、その足を叱咤し山の方へ向けた。
スミレの次に図書館のことをよく知っているのは壬春だ。だから受付に彼がいるのにはげんなりしたが、陽向は素通りして本棚に向かった。相手も一度顔を上げた後、すぐに手元の本に視線を落とした。
記憶に関する本を数冊探し当て、カウンター席で読みふける。まず妖たちに共通するのが、かつてケガレに襲われたという事実だ。本によると、事故などによる脳震盪により以前の記憶を失うことがあるらしい。
だが、全員が同じ障害を負うとは考え難い。やはり肉体と同時に記憶も滅びてしまったのか。いや、そう決めつける証拠もない。頭を振って、僅かな希望に縋りつく。可能性が僅かでも存在するなら、それを徹底的に洗い出して潰していかねばならない。
記憶が滅びていなければ、やはり彼らの中に残っているのか。ケガレの力や影響で魂の奥底に封じ込められていて、その封印を解く方法があるのではないか。
そもそも記憶は生き物のどこにあるのだろう。古く分厚い本を開く。記憶は脳の海馬に一次的に保存される。何度も思い出すことにより、記憶は海馬から大脳皮質に転送されると考えられ、記憶固定化の標準モデルと呼ばれている――。
段々と難しい話になってきたぞ。頭をよぎる挫折を払いつつ、取りあえずざっと目を通すことにする。一巡だけで到底理解できるとは思えない。
ページをめくる手がとまった。記憶はRNAに保存されるという、更にミクロな話だ。だが、RNAではなく、述べられている実験内容に覚えがあった。
1955年に行われた、プラナリアを用いた実験。結果として、喰われた個体の記憶は、捕食した個体の記憶として保存されていることが明らかとなった。確か夏休み前、生物教師はこの現象を図で示し、記憶転移と締めくくっていた。
喰う側と喰われる側。これはまさに、ケガレと妖の関係と同じではないだろうか。厳密にいえば、彼らはプラナリアとは違い、共食いされたわけではない。だが、彼らの記憶も同様に、喰った側の中に保存されているのではないだろうか。
つまり、妖たちの記憶は消え去ったわけではなく、ケガレの中に溜め込まれているのかもしれない。
「おい」
唐突な声に、はっとした。顔を上げると、正面の窓の外は随分と暗くなっていた。海からは太陽が頭の先っぽだけを出している。
「いつまでいるんだ。とっとと帰れ」
振り向くと、少し離れた場所に壬春が立っていた。集中していて気付かなかったが、閉館時間になっていた。それにしても言い方があるだろうと、気分が悪くなる。
「これ、借りる」
「は?」
「借りて帰る」
ぶっきらぼうに言い捨てた。近くのテーブルに備えつけられた鉛筆を使い、スミレに教わった通り貸出カードに名前と日付を記入する。そのカードを預けることで、貸出が完了する。
彼の元に歩き、ずいとカードを突き出した。憮然とした表情で受け取ったカードを眺め、彼はふっと鼻を鳴らす。
「随分難しそうな本だな。おまえに理解できるわけねえよ」
「うるさいな。何を借りようが勝手だろ」
「記憶力が悪くて苦労してんのか」
あくまで彼は喧嘩を売るつもりだ。だが容易に買うのも癪なので、「別に」と素っ気ない態度をとる。
「ケガレについて、気になることがあるだけだ」
壬春の眉がぴくりと動いた。
「おい、おまえ何生意気なこと考えてんだ」
「あんたにはどうでもいいだろ」
首元を掴まれ、息が詰まる。狼のような鋭い瞳が眼前にある。次に殴られたら反撃してやる。そのつもりで陽向も睨み返したが、壬春は手を上げず呻くように言った。
「いいから言え。何をするつもりだ」
「それがものを訊く態度かよ」
「てめえの喉元かき破ってもいいんだぜ」
せめて大仰なため息をついた。口先だけでなく、壬春ならやりかねないという気がする。こんなことで怪我をするのも嫌なので、仕方なく返事をした。
「記憶だよ。あんたたちの、記憶を戻す方法」
ようやく彼の手が緩んだので、手を振り払って一歩退く。壬春は訝しげな顔で「記憶?」と繰り返した。
「そんな方法、あるわけねえだろ」
「かといって、記憶が消え去ったっていう証拠もないんだろ。もしかしたら、人間だった頃の記憶を取り戻す方法があるかもしれない」
「嘘つけ」
「嘘ならそう思えよ。俺はただ探してみるだけだから」
壬春は腕を組み、真剣みを帯びた顔つきで思案している。
「……なにが目的だ」
「目的って?」
「俺たちに記憶を戻させて、おまえに何の得があるんだよ」
「別に……」本を抱えていない手で、こめかみをかいた。「そんな方法が見つかれば、俺も少しは役に立つかと思っただけ」
「やっぱり馬鹿だな、おまえ」
「うるせえな」
陽向は壬春の横をすり抜けた。振り向くと、同じく振り返った壬春と視線がかち合う。何も言わず目を逸らし、陽向は図書館を後にした。
スミレの次に図書館のことをよく知っているのは壬春だ。だから受付に彼がいるのにはげんなりしたが、陽向は素通りして本棚に向かった。相手も一度顔を上げた後、すぐに手元の本に視線を落とした。
記憶に関する本を数冊探し当て、カウンター席で読みふける。まず妖たちに共通するのが、かつてケガレに襲われたという事実だ。本によると、事故などによる脳震盪により以前の記憶を失うことがあるらしい。
だが、全員が同じ障害を負うとは考え難い。やはり肉体と同時に記憶も滅びてしまったのか。いや、そう決めつける証拠もない。頭を振って、僅かな希望に縋りつく。可能性が僅かでも存在するなら、それを徹底的に洗い出して潰していかねばならない。
記憶が滅びていなければ、やはり彼らの中に残っているのか。ケガレの力や影響で魂の奥底に封じ込められていて、その封印を解く方法があるのではないか。
そもそも記憶は生き物のどこにあるのだろう。古く分厚い本を開く。記憶は脳の海馬に一次的に保存される。何度も思い出すことにより、記憶は海馬から大脳皮質に転送されると考えられ、記憶固定化の標準モデルと呼ばれている――。
段々と難しい話になってきたぞ。頭をよぎる挫折を払いつつ、取りあえずざっと目を通すことにする。一巡だけで到底理解できるとは思えない。
ページをめくる手がとまった。記憶はRNAに保存されるという、更にミクロな話だ。だが、RNAではなく、述べられている実験内容に覚えがあった。
1955年に行われた、プラナリアを用いた実験。結果として、喰われた個体の記憶は、捕食した個体の記憶として保存されていることが明らかとなった。確か夏休み前、生物教師はこの現象を図で示し、記憶転移と締めくくっていた。
喰う側と喰われる側。これはまさに、ケガレと妖の関係と同じではないだろうか。厳密にいえば、彼らはプラナリアとは違い、共食いされたわけではない。だが、彼らの記憶も同様に、喰った側の中に保存されているのではないだろうか。
つまり、妖たちの記憶は消え去ったわけではなく、ケガレの中に溜め込まれているのかもしれない。
「おい」
唐突な声に、はっとした。顔を上げると、正面の窓の外は随分と暗くなっていた。海からは太陽が頭の先っぽだけを出している。
「いつまでいるんだ。とっとと帰れ」
振り向くと、少し離れた場所に壬春が立っていた。集中していて気付かなかったが、閉館時間になっていた。それにしても言い方があるだろうと、気分が悪くなる。
「これ、借りる」
「は?」
「借りて帰る」
ぶっきらぼうに言い捨てた。近くのテーブルに備えつけられた鉛筆を使い、スミレに教わった通り貸出カードに名前と日付を記入する。そのカードを預けることで、貸出が完了する。
彼の元に歩き、ずいとカードを突き出した。憮然とした表情で受け取ったカードを眺め、彼はふっと鼻を鳴らす。
「随分難しそうな本だな。おまえに理解できるわけねえよ」
「うるさいな。何を借りようが勝手だろ」
「記憶力が悪くて苦労してんのか」
あくまで彼は喧嘩を売るつもりだ。だが容易に買うのも癪なので、「別に」と素っ気ない態度をとる。
「ケガレについて、気になることがあるだけだ」
壬春の眉がぴくりと動いた。
「おい、おまえ何生意気なこと考えてんだ」
「あんたにはどうでもいいだろ」
首元を掴まれ、息が詰まる。狼のような鋭い瞳が眼前にある。次に殴られたら反撃してやる。そのつもりで陽向も睨み返したが、壬春は手を上げず呻くように言った。
「いいから言え。何をするつもりだ」
「それがものを訊く態度かよ」
「てめえの喉元かき破ってもいいんだぜ」
せめて大仰なため息をついた。口先だけでなく、壬春ならやりかねないという気がする。こんなことで怪我をするのも嫌なので、仕方なく返事をした。
「記憶だよ。あんたたちの、記憶を戻す方法」
ようやく彼の手が緩んだので、手を振り払って一歩退く。壬春は訝しげな顔で「記憶?」と繰り返した。
「そんな方法、あるわけねえだろ」
「かといって、記憶が消え去ったっていう証拠もないんだろ。もしかしたら、人間だった頃の記憶を取り戻す方法があるかもしれない」
「嘘つけ」
「嘘ならそう思えよ。俺はただ探してみるだけだから」
壬春は腕を組み、真剣みを帯びた顔つきで思案している。
「……なにが目的だ」
「目的って?」
「俺たちに記憶を戻させて、おまえに何の得があるんだよ」
「別に……」本を抱えていない手で、こめかみをかいた。「そんな方法が見つかれば、俺も少しは役に立つかと思っただけ」
「やっぱり馬鹿だな、おまえ」
「うるせえな」
陽向は壬春の横をすり抜けた。振り向くと、同じく振り返った壬春と視線がかち合う。何も言わず目を逸らし、陽向は図書館を後にした。
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