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3章 千宙と祐司
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翌朝、トーストを食みながら、ぼんやりとした頭でテレビを眺めていた。母はパートに出ていて、久々に一人きりの朝食だった。トーストと、粉末を溶かしただけのコーンスープと牛乳。ぼそぼそとそれらを食べていたが、やがて画面を流れるニュースに釘付けになった。
行方不明者のニュースだ。隣県で二日前に子どもがいなくなった。その写真には見覚えがある。
暝島の海岸に現れた、頭に耳の生えた男の子。画面右下に表れた顔写真は三角耳こそないが、あの子とそっくりだ。六歳の彼は、祖父母の元に遊びに行ったその日、近くの山で行方不明になった。幾人もの警察が山中を探し回っている映像が流れる。だが、服の切れ端一つ見つかっていないらしい。
ニュースはすぐに違うものへ変わった。SNSで話題のスイーツ特集を映す画面を消し、後ろ髪を引かれる思いで立ち上がる。これから千宙に会う約束だ。あれこれ考えながら、皿とコップをシンクに下げた。
二人の家からほぼ同じ距離を歩いた先の公園で待ち合わせた。陽向は十分前には到着したが、千宙はすでに芝生の隅のベンチに所在なげに腰掛けていた。
陽向が近づくと、彼女は顔を上げる。きゅっと唇を結んだ表情はいつものものだ。笑うととても可愛らしいのに、それを無闇にふりまかない。流されない芯の強さが、陽向は好きだった。
「久しぶり……」
千宙の喉から零れる声に、陽向も同じ言葉を返し、黙って隣に腰を下ろす。背側の雑木林では蝉が夏らしく喚き立て、張り出す枝葉の隙間を縫って木漏れ日が膝に落ちる。八月の午前十時、二人は黙してベンチに並んでいる。
「……ごめん、陽向」
唐突に千宙が呟いた。だが、待っていたはずの言葉なのに、陽向の心にはあまり嬉しいという感情が湧いてこない。
「ごめんなさい」
言われて初めて気が付いた。本当は、謝罪が欲しいのではない。理由が知りたいのだと。あいつに惚れたとか、俺が嫌になっただとか。聞くのは怖いが、自分を遠ざけるその理由を知りたいのだ。
「陽向を蔑ろにして、他の男の子と帰ったりして、ごめん」
「……俺が、嫌になったとか」
「違う」千宙は悲しげに頭を振った。「そんなんじゃない。陽向は悪くない」
「なら、あいつに惚れたとか」
「……彼はいい人だけど、違うよ。惚れたとか、そういうのはない」
ちらりと彼女を見て、ぎょっとした。伏せられた千宙の瞳には、大粒の涙が浮いていた。出会ってから今まで一度も、千宙が泣くところを見たことはなかった。
彼女は細い腕で些か乱暴に涙を拭う。ぽろりと雫がこぼれ、白いブラウスにぽつんとしみが浮いた。
「祐司くんは、うちのお店によく来てくれるの」
「お店って、バイト先の」
千宙が頷いた。彼女は、共に暮らす祖母の駄菓子屋を手伝っている。高齢者施設に入った祖父から受け継いだ店だ。
だが、その店は経営不振なのだと彼女は言った。
「赤字続きなのに、おばあちゃんは、おじいちゃんの為にって言って、お店をずっと続ける気なの。けど、子どもたちが喜んでくれるし、駄菓子屋はこういうものだって値段を上げることもしないから、どんどん苦しくなっていって。でもおばあちゃんは中々それを認めなくって」
千宙は祖父母想いだ。それは陽向もよく知っている。両親に拒絶された千宙の面倒を快く引き受けたのが、祖父母だったそうだ。
「だから、お客さんを離すわけにいかなくって。祐司くんが私と話したくて来てくれるのは分かってた。でも、私が彼氏持ちだって言えば、来てくれなくなるから。だから、陽向のことを黙って、気のある風に見せかけてたの」
告白する千宙の瞳から、再びぽろぽろと涙が零れだす。もう陽向にも合点がいった。千宙は祖父母の店を守るために、上客である葛西祐司を引きとめねばならなかった。
「陽向は、お店のことを知ったら心配するでしょ。私が学校に通えるかとか、考えてくれるでしょ。陽向も辛い思いしてるのに、私のことで心配かけたくなかったの」
千宙は、陽向が父親にとっての隠し子であることを知っている。それ故に志望校を変えざるを得なかったことも承知している。既に多くのものを抱え込んでいる陽向に、自分の不安を分け与えたくなかったのだ。
「ごめん、陽向。黙ってて、本当にごめん」
千宙はすでに嗚咽を漏らしていた。後悔や反省が、細い身体から目に見えそうなほどに溢れている。
「必死で気付かなかったけど、振り返ってみて、自分がすっごく汚いことをしてるって思い知った。二人ともに失礼なことしてた。陽向にはひどいこと言って、更に傷つけた」
懸命に泣き止もうとしゃくりあげる千宙。それを見つめる陽向には、もう怒りの感情など微塵も存在しなかった。代わりにあるのは、彼女が泣いていることへの悲しさと、自分を想いやってくれる気持ちへの愛おしさ。千宙が語ってくれた理由に対し、憤る道理などあるはずがない。
「私、陽向に甘えすぎてた。陽向なら許してくれるって、無意識に思ってた。ごめんなさい。浮気なんて、二度としないから」
「……浮気なんかじゃないよ」指先で、そっと彼女の涙を拭う。「俺の方こそ、ごめん。浮気だって決めつけて。かっとなって、千宙にどんな理由があるか考えなかった」
「話し合いを避けてたのは、私だから。本当に、ごめんなさい」
陽向が頭を下げると、千宙も下げる。謝罪をすると謝り返す。それを繰り返すうちに、千宙の涙もようやく止まり、陽向が思わず笑うと笑い返す。陽向は一度ベンチを立ち、近くの自動販売機で麦茶入りのペットボトルを二本購入し、一本を千宙に渡した。並んで、お揃いのそれを喉に流し込んだ。
行方不明者のニュースだ。隣県で二日前に子どもがいなくなった。その写真には見覚えがある。
暝島の海岸に現れた、頭に耳の生えた男の子。画面右下に表れた顔写真は三角耳こそないが、あの子とそっくりだ。六歳の彼は、祖父母の元に遊びに行ったその日、近くの山で行方不明になった。幾人もの警察が山中を探し回っている映像が流れる。だが、服の切れ端一つ見つかっていないらしい。
ニュースはすぐに違うものへ変わった。SNSで話題のスイーツ特集を映す画面を消し、後ろ髪を引かれる思いで立ち上がる。これから千宙に会う約束だ。あれこれ考えながら、皿とコップをシンクに下げた。
二人の家からほぼ同じ距離を歩いた先の公園で待ち合わせた。陽向は十分前には到着したが、千宙はすでに芝生の隅のベンチに所在なげに腰掛けていた。
陽向が近づくと、彼女は顔を上げる。きゅっと唇を結んだ表情はいつものものだ。笑うととても可愛らしいのに、それを無闇にふりまかない。流されない芯の強さが、陽向は好きだった。
「久しぶり……」
千宙の喉から零れる声に、陽向も同じ言葉を返し、黙って隣に腰を下ろす。背側の雑木林では蝉が夏らしく喚き立て、張り出す枝葉の隙間を縫って木漏れ日が膝に落ちる。八月の午前十時、二人は黙してベンチに並んでいる。
「……ごめん、陽向」
唐突に千宙が呟いた。だが、待っていたはずの言葉なのに、陽向の心にはあまり嬉しいという感情が湧いてこない。
「ごめんなさい」
言われて初めて気が付いた。本当は、謝罪が欲しいのではない。理由が知りたいのだと。あいつに惚れたとか、俺が嫌になっただとか。聞くのは怖いが、自分を遠ざけるその理由を知りたいのだ。
「陽向を蔑ろにして、他の男の子と帰ったりして、ごめん」
「……俺が、嫌になったとか」
「違う」千宙は悲しげに頭を振った。「そんなんじゃない。陽向は悪くない」
「なら、あいつに惚れたとか」
「……彼はいい人だけど、違うよ。惚れたとか、そういうのはない」
ちらりと彼女を見て、ぎょっとした。伏せられた千宙の瞳には、大粒の涙が浮いていた。出会ってから今まで一度も、千宙が泣くところを見たことはなかった。
彼女は細い腕で些か乱暴に涙を拭う。ぽろりと雫がこぼれ、白いブラウスにぽつんとしみが浮いた。
「祐司くんは、うちのお店によく来てくれるの」
「お店って、バイト先の」
千宙が頷いた。彼女は、共に暮らす祖母の駄菓子屋を手伝っている。高齢者施設に入った祖父から受け継いだ店だ。
だが、その店は経営不振なのだと彼女は言った。
「赤字続きなのに、おばあちゃんは、おじいちゃんの為にって言って、お店をずっと続ける気なの。けど、子どもたちが喜んでくれるし、駄菓子屋はこういうものだって値段を上げることもしないから、どんどん苦しくなっていって。でもおばあちゃんは中々それを認めなくって」
千宙は祖父母想いだ。それは陽向もよく知っている。両親に拒絶された千宙の面倒を快く引き受けたのが、祖父母だったそうだ。
「だから、お客さんを離すわけにいかなくって。祐司くんが私と話したくて来てくれるのは分かってた。でも、私が彼氏持ちだって言えば、来てくれなくなるから。だから、陽向のことを黙って、気のある風に見せかけてたの」
告白する千宙の瞳から、再びぽろぽろと涙が零れだす。もう陽向にも合点がいった。千宙は祖父母の店を守るために、上客である葛西祐司を引きとめねばならなかった。
「陽向は、お店のことを知ったら心配するでしょ。私が学校に通えるかとか、考えてくれるでしょ。陽向も辛い思いしてるのに、私のことで心配かけたくなかったの」
千宙は、陽向が父親にとっての隠し子であることを知っている。それ故に志望校を変えざるを得なかったことも承知している。既に多くのものを抱え込んでいる陽向に、自分の不安を分け与えたくなかったのだ。
「ごめん、陽向。黙ってて、本当にごめん」
千宙はすでに嗚咽を漏らしていた。後悔や反省が、細い身体から目に見えそうなほどに溢れている。
「必死で気付かなかったけど、振り返ってみて、自分がすっごく汚いことをしてるって思い知った。二人ともに失礼なことしてた。陽向にはひどいこと言って、更に傷つけた」
懸命に泣き止もうとしゃくりあげる千宙。それを見つめる陽向には、もう怒りの感情など微塵も存在しなかった。代わりにあるのは、彼女が泣いていることへの悲しさと、自分を想いやってくれる気持ちへの愛おしさ。千宙が語ってくれた理由に対し、憤る道理などあるはずがない。
「私、陽向に甘えすぎてた。陽向なら許してくれるって、無意識に思ってた。ごめんなさい。浮気なんて、二度としないから」
「……浮気なんかじゃないよ」指先で、そっと彼女の涙を拭う。「俺の方こそ、ごめん。浮気だって決めつけて。かっとなって、千宙にどんな理由があるか考えなかった」
「話し合いを避けてたのは、私だから。本当に、ごめんなさい」
陽向が頭を下げると、千宙も下げる。謝罪をすると謝り返す。それを繰り返すうちに、千宙の涙もようやく止まり、陽向が思わず笑うと笑い返す。陽向は一度ベンチを立ち、近くの自動販売機で麦茶入りのペットボトルを二本購入し、一本を千宙に渡した。並んで、お揃いのそれを喉に流し込んだ。
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