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2章 妖
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陽向は、天体観測というものをしたことがなかった。
スミレに誘われ、その日は夜更かしすることになり、夜の九時に凪と律と共に家を出た。既に頭の上には満天の星空が広がっている。自信をもって名前を言える星が月と太陽しかない陽向は、天上の光景に圧倒された。海岸に出ると、木々や建物が視界に入らないせいか、更に星空は広がって見えた。
「晴れてよかったな」
陽向の隣で凪が言い、反対隣で律が星を指さす。
「ほら、夏の大三角形。陽向わかる?」
「わからない。どれがどれだって?」
あまりに星が多いが、彼女の指さす東の空に、一際強い光を放つ星を三つ見つけられた。
「あの天辺のがベガ。そんで、左下のがデネブで、右下がアルタイル」
「よく知ってるな」
素直に感心する。「常識じゃん」などと律は言ってみせるが、街に戻ってみても、頭上の星の名をきちんと答えられる人がどれだけいるだろう。名前どころか、人々は夜空よりスマホに夢中で顔さえ上げないように思う。そもそも街でどれだけ星が見えるか思い出そうとしても、陽向自身が思い出せなかった。
「七夕の織姫と彦星を知っていますか」
一緒に空を見上げていたスミレの台詞に、「一応」と頷く。「年に一度会えるとかいう……」
「ベガが織姫星で、アルタイルが彦星なんですよ。デネブは橋渡しの役目を担っていると言われています」
「へえー」
全く知らなかった。七夕の話など、幼い頃に絵本で読んだきりだ。小学生の頃、短冊に願い事を書かされた気がするが、気のせいかもしれない。そんな遠いおとぎ話が、唐突に輪郭を伴って近くに現れた気がする。
静かに波が打ち寄せる音を聞きながら、浜辺に腰を下ろし、星を眺めてぽつぽつと話をした。三人は陽向の知らないことばかりを知っていて、今もあらゆる星座を指さし、おとぎ話を教えてくれる。どれも面白い話ばかりで、戻ったら彼女に聞かせようと思った。嬉しそうに笑う千宙の顔を思い浮かべ、釣られてあらゆることを思い出し、うっかり気分が沈む。心を浮上させるように、煌めく星空を見上げた。
いつの間にか一時間が経っていた。「そろそろ帰ろう」と凪が言うのを皮切りに立ち上がる。服についた砂を払い落し、ひと気のない道を歩き出す。
「あれ、こっちじゃないの」
もと来た道と違う方を律が選ぶので足を止めたが、「いいの、こっちで」と彼女は歩いていく。
「あんたにいいもの見せてあげる」
そんなことを言ってずんずん歩いていくのに残りの二人を振り向いたが、凪とスミレも文句を言わずついて行くので、不思議がりながらも陽向もそれに続いた。
不意に律が立ち止まり、陽向の後ろに回り込む。
「なんだよ」
「いいから」
ぐいぐいと背を押されるままに道を曲がり、息を呑む。
道が光っている。いや、よく見ると狭い道の両側の雑木林が光を帯びている。その光はほんのり温かな橙色で、提灯のようにぼんやりと灯っている。
「鬼灯の道だよ」
凪が雑木林に手を差し伸べ、それを一つ手に乗せた。彼の手の上では、一つの赤い実がうっすらと光を放っている。
「ちょっと時期が早いかと思ったけど、充分綺麗だな」
「鬼灯って、光るんだっけ」
陽向の疑問にスミレが微笑む。
「ここは普通の島じゃありませんから。こういうことも起こるんです」
「そうそう。陽向、運が良かったね。夏しか見られないんだよ、この光景」
律が歩き出し、陽向も足を踏み入れた。たくさんの鬼灯が足元を照らしてくれるから、安心して歩くことができる。呆然とした気持ちが通り過ぎると、むしょうに心が安らいだ。この島では、逃げも隠れもしなくていい。空も地面も、前を明るく照らしてくれる。影でひっそり心を殺し、苛立って生きていたのが嘘のようだ。
「連れて来てくれて、ありがとう」
そう呟くと、律がきょとんと目を見開く。「そんなにこの道気に入った?」
道だけじゃない。そう思いながら、陽向は頷いた。道はまだ続いている。
スミレに誘われ、その日は夜更かしすることになり、夜の九時に凪と律と共に家を出た。既に頭の上には満天の星空が広がっている。自信をもって名前を言える星が月と太陽しかない陽向は、天上の光景に圧倒された。海岸に出ると、木々や建物が視界に入らないせいか、更に星空は広がって見えた。
「晴れてよかったな」
陽向の隣で凪が言い、反対隣で律が星を指さす。
「ほら、夏の大三角形。陽向わかる?」
「わからない。どれがどれだって?」
あまりに星が多いが、彼女の指さす東の空に、一際強い光を放つ星を三つ見つけられた。
「あの天辺のがベガ。そんで、左下のがデネブで、右下がアルタイル」
「よく知ってるな」
素直に感心する。「常識じゃん」などと律は言ってみせるが、街に戻ってみても、頭上の星の名をきちんと答えられる人がどれだけいるだろう。名前どころか、人々は夜空よりスマホに夢中で顔さえ上げないように思う。そもそも街でどれだけ星が見えるか思い出そうとしても、陽向自身が思い出せなかった。
「七夕の織姫と彦星を知っていますか」
一緒に空を見上げていたスミレの台詞に、「一応」と頷く。「年に一度会えるとかいう……」
「ベガが織姫星で、アルタイルが彦星なんですよ。デネブは橋渡しの役目を担っていると言われています」
「へえー」
全く知らなかった。七夕の話など、幼い頃に絵本で読んだきりだ。小学生の頃、短冊に願い事を書かされた気がするが、気のせいかもしれない。そんな遠いおとぎ話が、唐突に輪郭を伴って近くに現れた気がする。
静かに波が打ち寄せる音を聞きながら、浜辺に腰を下ろし、星を眺めてぽつぽつと話をした。三人は陽向の知らないことばかりを知っていて、今もあらゆる星座を指さし、おとぎ話を教えてくれる。どれも面白い話ばかりで、戻ったら彼女に聞かせようと思った。嬉しそうに笑う千宙の顔を思い浮かべ、釣られてあらゆることを思い出し、うっかり気分が沈む。心を浮上させるように、煌めく星空を見上げた。
いつの間にか一時間が経っていた。「そろそろ帰ろう」と凪が言うのを皮切りに立ち上がる。服についた砂を払い落し、ひと気のない道を歩き出す。
「あれ、こっちじゃないの」
もと来た道と違う方を律が選ぶので足を止めたが、「いいの、こっちで」と彼女は歩いていく。
「あんたにいいもの見せてあげる」
そんなことを言ってずんずん歩いていくのに残りの二人を振り向いたが、凪とスミレも文句を言わずついて行くので、不思議がりながらも陽向もそれに続いた。
不意に律が立ち止まり、陽向の後ろに回り込む。
「なんだよ」
「いいから」
ぐいぐいと背を押されるままに道を曲がり、息を呑む。
道が光っている。いや、よく見ると狭い道の両側の雑木林が光を帯びている。その光はほんのり温かな橙色で、提灯のようにぼんやりと灯っている。
「鬼灯の道だよ」
凪が雑木林に手を差し伸べ、それを一つ手に乗せた。彼の手の上では、一つの赤い実がうっすらと光を放っている。
「ちょっと時期が早いかと思ったけど、充分綺麗だな」
「鬼灯って、光るんだっけ」
陽向の疑問にスミレが微笑む。
「ここは普通の島じゃありませんから。こういうことも起こるんです」
「そうそう。陽向、運が良かったね。夏しか見られないんだよ、この光景」
律が歩き出し、陽向も足を踏み入れた。たくさんの鬼灯が足元を照らしてくれるから、安心して歩くことができる。呆然とした気持ちが通り過ぎると、むしょうに心が安らいだ。この島では、逃げも隠れもしなくていい。空も地面も、前を明るく照らしてくれる。影でひっそり心を殺し、苛立って生きていたのが嘘のようだ。
「連れて来てくれて、ありがとう」
そう呟くと、律がきょとんと目を見開く。「そんなにこの道気に入った?」
道だけじゃない。そう思いながら、陽向は頷いた。道はまだ続いている。
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