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2章 妖
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スミレに教わった図書館に行ってみることにした。
陽向が寝起きする家より、更に山を登る。道は踏み固められているが、本当に図書館があるのだろうか。両脇の梢から蝉の大合唱を浴びつつ怪しく思い始めた頃、忽然と建物が現れた。幅広で、斜面にへばりつくように建っている。若干洒落た三角屋根には、細長い煙突が伸びていた。赤茶けた煉瓦は島で初めて目にしたが、アクセントとして不思議と馴染んでいる。
少し緊張しながら段を三つ上がり、入口の取っ手を握ってそっと力を込めた。軋んだ音を立て、扉が内側に開く。
中は薄暗く、吹き抜けになっていた。背の高い本棚が列をなし、古い本のにおいがする。涼しさに汗がすっと引いていくのを感じ、奥へと足を踏み入れる。右手奥では本棚の列が途切れ、閲覧用のイスとテーブルが並んでいた。隅には火の灯っていない暖炉もある。左手側に進むとカウンターがあり、その中で本を読んでいたスミレが「あら」という顔をした。
「いらっしゃい、陽向くん。来てくれたんですね」
「せっかくだから……」周囲を見渡し、自分を包む本棚を目にする。「いっぱい本がありますね」
「ええ。これまでずーっと集められてきた本。だから、古いものが多いんですけど」
そう言って分厚い本を閉じ、スミレは貸出について教えてくれた。本に挟んである貸出カードに記入する方法は、まるで昔に観たアニメと同じだった。
「スミレさんは、いつも図書館にいるんですか」
「私はここに住んでるから。たまに席を外すこともあるけど、みんな勝手知ったる場所だから、貸出ぐらいなら私がいなくても問題ないんです。だから、大まかな仕事は本の整理や掃除ぐらいで、私一人でも充分回せるの」
本を盗んだり落書きするような輩もいないのだろう。そんな人物に、陽向は少なくともまだ会っていない。それでも、この広い建物を一人で管理するのは、普通の女性の体力では難しいように思う。腕は細いが、やはり彼女も人ではないのだ。
「壬春、隠れなくていいじゃない」
唐突な台詞の意味がわからなかったが、スミレの視線が自分の背後に向いていることに気付き、振り向いた。並んでいるのは本棚だけ。そう思っていたが、本棚の影から一人の青年が現れた。
少年の風貌を残している彼も少し年上、二十歳前ぐらいに見える。陽向がまだ出会っていない最後の島民だった。すらりとした長身で目つきが鋭く、どことなく狼を思わせる。陽向が驚いたのは、彼の髪が見事な銀色であることだ。薄暗い本棚の影に、その銀髪はより映えている。
「別に隠れてねえよ」
想像より低い声で彼は不満げに言った。こちらに歩いてきた彼にじろじろと視線を向けられ、何だか居心地が悪い。
「彼が、凪の言ってた逢坂陽向くん。壬春、歓迎会も行かなかったんでしょ。挨拶して」
スミレに促され、壬春という彼は渋々「壬春だ」とだけ言った。その様子に、スミレは深くため息をつく。
「ごめんね、陽向くん。いつもはここまでじゃないんだけど、今日は虫の居所が悪いみたい」
「そんなんじゃねえよ。俺がわざわざよろしくする意味がわかんねえんだ」
「同じ島にいるんだから、当たり前でしょ」
まるで姉弟喧嘩だ。よろしく、と陽向は小さく頭を下げた。それを一瞥するだけの壬春に少しだけ腹が立つ。初対面の相手にこんな態度を取られる謂れが分からない。
「おまえはただの人間だろ」
その上、いきなり「おまえ」と呼ばれる。陽向は黙ったまま、一度だけ頷いた。壬春の目に、明らかな侮蔑の色が見える。
「せいぜい調子に乗るなよ。おまえの頭なんか一撃で噛み砕けるんだからな」
「……そっちだって、半分は人間のくせに」
思わず呟いてしまった。陽向が口答えをするのは想定外だったらしく、彼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにその表情を苦々しく歪めた。
「口答えする気か」
「先に喧嘩を売ってきたのはそっちだろ」
「図書館で喧嘩は禁止」
スミレの声がぴしゃりと響く。壬春は彼女の方をちらりと見て、再び憎々しげにこっちを見た。陽向が黙って見返すと、苛立ちを隠そうともせず足音を立てて踵を返す。扉の軋む音を響かせ、彼は図書館を出て行った。
「壬春は、送り狼と混ざっているんです」
何度目かのため息とともに立ち上がり、スミレはカウンターから出てくると本棚の間を縫って歩き出す。陽向もそれについて行く。
「だからかしら、もともと喧嘩っ早いところがあるんですけど……。今日はよっぽど機嫌が悪かったみたい。ごめんなさい」
「スミレさんが謝らなくても」
そう言いつつ、あいつと仲良くなるのは難しそうだなと思う。明らかに仲良くなる意思がない相手と仲良くなれるとは思えない。人間であることを馬鹿にするのなら、自分の存在自体を馬鹿にし続けるのだろうから。
パッと視界が開けた。というのも、薄暗い中に光が差し込んだように見えたからだった。
本棚の森を抜けると、一気に明るくなる。吹き抜けのせいか、高い位置に窓があるからか。しかし直射日光は当たっておらず、木漏れ日のような心地よい光だけが注いでいる。陽向の目を奪ったのはそれだけではない。壁際にはカウンターのような席が設けられ、正面の大きな窓からは島の景色が一望できた。視線を下ろすと斜面に張りつく家の屋根が見え、その向こうには白い砂浜がある。浜に碧い波が打ち寄せ、はるか向こうの水平線を隔てて鮮やかな青い空が広がる。写真を一枚撮るだけで、カレンダーや絵葉書の絵になるだろう。思わず陽向は感嘆のため息をついた。
二階付近の窓が開いていて、涼しい風が吹いてくる。
「山の上の図書館も、素敵でしょ」スミレは嬉しそうに微笑んだ。
陽向が寝起きする家より、更に山を登る。道は踏み固められているが、本当に図書館があるのだろうか。両脇の梢から蝉の大合唱を浴びつつ怪しく思い始めた頃、忽然と建物が現れた。幅広で、斜面にへばりつくように建っている。若干洒落た三角屋根には、細長い煙突が伸びていた。赤茶けた煉瓦は島で初めて目にしたが、アクセントとして不思議と馴染んでいる。
少し緊張しながら段を三つ上がり、入口の取っ手を握ってそっと力を込めた。軋んだ音を立て、扉が内側に開く。
中は薄暗く、吹き抜けになっていた。背の高い本棚が列をなし、古い本のにおいがする。涼しさに汗がすっと引いていくのを感じ、奥へと足を踏み入れる。右手奥では本棚の列が途切れ、閲覧用のイスとテーブルが並んでいた。隅には火の灯っていない暖炉もある。左手側に進むとカウンターがあり、その中で本を読んでいたスミレが「あら」という顔をした。
「いらっしゃい、陽向くん。来てくれたんですね」
「せっかくだから……」周囲を見渡し、自分を包む本棚を目にする。「いっぱい本がありますね」
「ええ。これまでずーっと集められてきた本。だから、古いものが多いんですけど」
そう言って分厚い本を閉じ、スミレは貸出について教えてくれた。本に挟んである貸出カードに記入する方法は、まるで昔に観たアニメと同じだった。
「スミレさんは、いつも図書館にいるんですか」
「私はここに住んでるから。たまに席を外すこともあるけど、みんな勝手知ったる場所だから、貸出ぐらいなら私がいなくても問題ないんです。だから、大まかな仕事は本の整理や掃除ぐらいで、私一人でも充分回せるの」
本を盗んだり落書きするような輩もいないのだろう。そんな人物に、陽向は少なくともまだ会っていない。それでも、この広い建物を一人で管理するのは、普通の女性の体力では難しいように思う。腕は細いが、やはり彼女も人ではないのだ。
「壬春、隠れなくていいじゃない」
唐突な台詞の意味がわからなかったが、スミレの視線が自分の背後に向いていることに気付き、振り向いた。並んでいるのは本棚だけ。そう思っていたが、本棚の影から一人の青年が現れた。
少年の風貌を残している彼も少し年上、二十歳前ぐらいに見える。陽向がまだ出会っていない最後の島民だった。すらりとした長身で目つきが鋭く、どことなく狼を思わせる。陽向が驚いたのは、彼の髪が見事な銀色であることだ。薄暗い本棚の影に、その銀髪はより映えている。
「別に隠れてねえよ」
想像より低い声で彼は不満げに言った。こちらに歩いてきた彼にじろじろと視線を向けられ、何だか居心地が悪い。
「彼が、凪の言ってた逢坂陽向くん。壬春、歓迎会も行かなかったんでしょ。挨拶して」
スミレに促され、壬春という彼は渋々「壬春だ」とだけ言った。その様子に、スミレは深くため息をつく。
「ごめんね、陽向くん。いつもはここまでじゃないんだけど、今日は虫の居所が悪いみたい」
「そんなんじゃねえよ。俺がわざわざよろしくする意味がわかんねえんだ」
「同じ島にいるんだから、当たり前でしょ」
まるで姉弟喧嘩だ。よろしく、と陽向は小さく頭を下げた。それを一瞥するだけの壬春に少しだけ腹が立つ。初対面の相手にこんな態度を取られる謂れが分からない。
「おまえはただの人間だろ」
その上、いきなり「おまえ」と呼ばれる。陽向は黙ったまま、一度だけ頷いた。壬春の目に、明らかな侮蔑の色が見える。
「せいぜい調子に乗るなよ。おまえの頭なんか一撃で噛み砕けるんだからな」
「……そっちだって、半分は人間のくせに」
思わず呟いてしまった。陽向が口答えをするのは想定外だったらしく、彼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにその表情を苦々しく歪めた。
「口答えする気か」
「先に喧嘩を売ってきたのはそっちだろ」
「図書館で喧嘩は禁止」
スミレの声がぴしゃりと響く。壬春は彼女の方をちらりと見て、再び憎々しげにこっちを見た。陽向が黙って見返すと、苛立ちを隠そうともせず足音を立てて踵を返す。扉の軋む音を響かせ、彼は図書館を出て行った。
「壬春は、送り狼と混ざっているんです」
何度目かのため息とともに立ち上がり、スミレはカウンターから出てくると本棚の間を縫って歩き出す。陽向もそれについて行く。
「だからかしら、もともと喧嘩っ早いところがあるんですけど……。今日はよっぽど機嫌が悪かったみたい。ごめんなさい」
「スミレさんが謝らなくても」
そう言いつつ、あいつと仲良くなるのは難しそうだなと思う。明らかに仲良くなる意思がない相手と仲良くなれるとは思えない。人間であることを馬鹿にするのなら、自分の存在自体を馬鹿にし続けるのだろうから。
パッと視界が開けた。というのも、薄暗い中に光が差し込んだように見えたからだった。
本棚の森を抜けると、一気に明るくなる。吹き抜けのせいか、高い位置に窓があるからか。しかし直射日光は当たっておらず、木漏れ日のような心地よい光だけが注いでいる。陽向の目を奪ったのはそれだけではない。壁際にはカウンターのような席が設けられ、正面の大きな窓からは島の景色が一望できた。視線を下ろすと斜面に張りつく家の屋根が見え、その向こうには白い砂浜がある。浜に碧い波が打ち寄せ、はるか向こうの水平線を隔てて鮮やかな青い空が広がる。写真を一枚撮るだけで、カレンダーや絵葉書の絵になるだろう。思わず陽向は感嘆のため息をついた。
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