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1章 暝島
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島の影が見えたと思うと段々と近づき、乗船から四十分が経った頃には、暝島は目前だった。大きくはないが、緑がこんもりと茂っている。海にぽっかりと山が浮かんでいるみたいだ。立ち上がって手すりから見下ろすと、いつの間にか海は随分と澄んでいた。中を泳ぐ魚の姿さえ見えた。
港の桟橋で船はゆっくりと停まった。促されて船を降り、足元が揺れないことに却って眩暈がする。真昼間の日差しは眩しく、容赦なく太陽が照り付け、あっという間にこめかみを汗が伝った。
凪がお茶でも飲んでいくように誘ったが、武藤はそれを断り、船から持ち出した釣り竿を担いで港を反対方向に歩いていった。ついでに釣りをして、そのまま帰るらしい。元気な老人だなと陽向は感心した。
港から道路に出て歩き出す。地面はアスファルトではなく、剥き出しの土だ。そのおかげか、日差しの照り返しは幾分弱いように感じる。左手側には砂浜が広がり、波が静かに打ち寄せていた。右手には道路を隔ててすぐに草木が茂っていて、枝葉をぐいぐいと伸ばしている。
「山に家がへばりついているような島なんだ」
凪が言い、そのようだと陽向も思った。ぽつんぽつんと家が建っているのも見たが、誰かの姿はなかった。もともと二十名しか島民はいないという話で、空き家の数の方が多いらしい。二十人とはひとクラスよりも少ない人数だ。教室よりも遥かに広い空間に、たったそれだけの島民が散らばっているのは、不思議な感じだった。
やがて一軒家に辿り着いた。外見は小奇麗な一般的な家屋だ。引き戸の上には「海鳥」と書かれた看板が掲げられている。ここが凪の言っていた店に違いない。戸には「臨時休業」の札が下がっている。
凪が引き戸を開けて中に入り、陽向も緊張しながらそれに続いた。
小ぢんまりとした店の中には、誰もいなかった。
「いちおう店とは言ってるけど、まあ、住民が集まってお茶を飲んだり話をする所だよ。こういう場所でもないと、寂しいからね」
引き戸を入った通路の左には二階に続く狭い階段があり、右側は一段高い畳敷きの座敷だ。大きな座卓を座布団が囲んでいる。通路を奥に進むとカウンターがあり、その前にも椅子が四脚並んでいる。カウンターに入り、凪は勝手口のドアを開いた。正面の引き戸から一直線に涼しい風が吹いていく。クーラーもないのに汗が引いていることに、陽向はようやく気が付いた。
「ここで、何をすればいい?」
店のバイトだと凪は言っていた。十人も入ればいっぱいの小さな店だ。大してバイトが必要だとも思えないが、一応尋ねてみる。
「お客が多い時にでも、臨時で手伝ってくれたらいい。あと、住民の話し相手になってくれたら嬉しい」
「前から思ってたけど、それって必要?」
「代わり映えのしない島だからね。それも良いんだけど、やっぱり退屈なんだ。一時期だけでも、みんな新しい話し相手がほしいんだよ」
曖昧に頷きながら、変なバイトだと改めて思った。ここまで来れば、宗教でもねずみ講でも何でも来いだ。なるようになれ。
促されるまま靴を脱いで座敷に上がり、座布団に腰を下ろした。凪はガラスのコップを二つ持ってくると座卓に置き、そばの窓を開けた。コップのカルピスは濃くて旨かった。
「あ、そういえば、これ」
思い出し、バッグを開ける。今朝、母に手渡された紙包みを座卓に乗せた。
「母さんが、手土産にって。……中身は知らないけど」
「へえ、ありがとう。気なんて遣わなくていいのに」
包みの中には数種類のクッキー入りの缶が入っていた。家の近所に専門店があるから、そこで買ったに違いない。普段のおやつとしてはお高めで、陽向は数えるほどしか食べたことがない代物だ。
クッキーを少しだけ齧り、カルピスを飲みながら話をする。窓から聞こえる鳴き声は、テレビでしか聞いたことのないカモメのものだった。カラスよりも柔らかく、ひゃあひゃあと数羽が鳴いている。まるで違う国に来たかのような、ずいぶん遠くに来てしまった感覚を覚える。
ふと鳴き声が止んだかと思うと、陽向の背側で足音がした。
振り向くと、入口には一人の少女が立っていた。ベージュのノースリーブのシャツに、青いジーンズ、足にはサンダルを履いている。格好はまさに島の女の子だが、きりっとした顔立ちから自分と変わらない年齢か、少し年上に見える。茶色の髪が背中に流れていた。
「準備できたよ」彼女は凪に言うと、陽向に顔を向けた。「その子が、連れてきた子?」
凪は頷き、彼女を手で示した。
「彼女は律だ。店でよく料理を作ってくれる。上手なんだ」
「褒めたって何もでないよ。まあ、美味しいのはほんとだけどね」
にかっと笑い、つかつかと歩いて来る。座敷には上がらず、軽く腰を折って陽向の顔を覗き込んだ。
「で、あんたの名前は?」
目をぱちくりさせていた陽向は、質問に答えず彼女の頭を指さした。
「それ……」
てっきり作りものかと思ったが、それは動いている。再び窓から聞こえてくるカモメの鳴き声に反応し、そちらの方に向きを変えた。
彼女の頭には三角の耳が二つ、ぴょこんと飛び出していた。
「なに、失礼ね、人のこと指さして」
「それ、その……耳? なんで、そんなのが」
「なんでって」
彼女は片方の耳に軽く指先を当てた。ひょこひょこと耳が動く。
「あたし、狐と混じってるんだもん」
「はあ?」
「き、つ、ね。もしかして、狐をご存じでない?」
「いや、そういうわけじゃ……いや、でも……」
どういうこと、と彼女は目線で凪に訴えた。説明してないの?
「前言ったように、ここにいるのは人間じゃないんだよ」
凪が立ち上がり、座敷から足を下ろして靴を履いた。
「続きは歩きながら話そう」
「歩きって、どこに」
「そりゃあ、陽向の歓迎会にだよ」
当然のように初耳の台詞を口にし、彼は陽向のバッグを手に取った。有無を言わさないその態度に、陽向も釣られて靴を履いた。
港の桟橋で船はゆっくりと停まった。促されて船を降り、足元が揺れないことに却って眩暈がする。真昼間の日差しは眩しく、容赦なく太陽が照り付け、あっという間にこめかみを汗が伝った。
凪がお茶でも飲んでいくように誘ったが、武藤はそれを断り、船から持ち出した釣り竿を担いで港を反対方向に歩いていった。ついでに釣りをして、そのまま帰るらしい。元気な老人だなと陽向は感心した。
港から道路に出て歩き出す。地面はアスファルトではなく、剥き出しの土だ。そのおかげか、日差しの照り返しは幾分弱いように感じる。左手側には砂浜が広がり、波が静かに打ち寄せていた。右手には道路を隔ててすぐに草木が茂っていて、枝葉をぐいぐいと伸ばしている。
「山に家がへばりついているような島なんだ」
凪が言い、そのようだと陽向も思った。ぽつんぽつんと家が建っているのも見たが、誰かの姿はなかった。もともと二十名しか島民はいないという話で、空き家の数の方が多いらしい。二十人とはひとクラスよりも少ない人数だ。教室よりも遥かに広い空間に、たったそれだけの島民が散らばっているのは、不思議な感じだった。
やがて一軒家に辿り着いた。外見は小奇麗な一般的な家屋だ。引き戸の上には「海鳥」と書かれた看板が掲げられている。ここが凪の言っていた店に違いない。戸には「臨時休業」の札が下がっている。
凪が引き戸を開けて中に入り、陽向も緊張しながらそれに続いた。
小ぢんまりとした店の中には、誰もいなかった。
「いちおう店とは言ってるけど、まあ、住民が集まってお茶を飲んだり話をする所だよ。こういう場所でもないと、寂しいからね」
引き戸を入った通路の左には二階に続く狭い階段があり、右側は一段高い畳敷きの座敷だ。大きな座卓を座布団が囲んでいる。通路を奥に進むとカウンターがあり、その前にも椅子が四脚並んでいる。カウンターに入り、凪は勝手口のドアを開いた。正面の引き戸から一直線に涼しい風が吹いていく。クーラーもないのに汗が引いていることに、陽向はようやく気が付いた。
「ここで、何をすればいい?」
店のバイトだと凪は言っていた。十人も入ればいっぱいの小さな店だ。大してバイトが必要だとも思えないが、一応尋ねてみる。
「お客が多い時にでも、臨時で手伝ってくれたらいい。あと、住民の話し相手になってくれたら嬉しい」
「前から思ってたけど、それって必要?」
「代わり映えのしない島だからね。それも良いんだけど、やっぱり退屈なんだ。一時期だけでも、みんな新しい話し相手がほしいんだよ」
曖昧に頷きながら、変なバイトだと改めて思った。ここまで来れば、宗教でもねずみ講でも何でも来いだ。なるようになれ。
促されるまま靴を脱いで座敷に上がり、座布団に腰を下ろした。凪はガラスのコップを二つ持ってくると座卓に置き、そばの窓を開けた。コップのカルピスは濃くて旨かった。
「あ、そういえば、これ」
思い出し、バッグを開ける。今朝、母に手渡された紙包みを座卓に乗せた。
「母さんが、手土産にって。……中身は知らないけど」
「へえ、ありがとう。気なんて遣わなくていいのに」
包みの中には数種類のクッキー入りの缶が入っていた。家の近所に専門店があるから、そこで買ったに違いない。普段のおやつとしてはお高めで、陽向は数えるほどしか食べたことがない代物だ。
クッキーを少しだけ齧り、カルピスを飲みながら話をする。窓から聞こえる鳴き声は、テレビでしか聞いたことのないカモメのものだった。カラスよりも柔らかく、ひゃあひゃあと数羽が鳴いている。まるで違う国に来たかのような、ずいぶん遠くに来てしまった感覚を覚える。
ふと鳴き声が止んだかと思うと、陽向の背側で足音がした。
振り向くと、入口には一人の少女が立っていた。ベージュのノースリーブのシャツに、青いジーンズ、足にはサンダルを履いている。格好はまさに島の女の子だが、きりっとした顔立ちから自分と変わらない年齢か、少し年上に見える。茶色の髪が背中に流れていた。
「準備できたよ」彼女は凪に言うと、陽向に顔を向けた。「その子が、連れてきた子?」
凪は頷き、彼女を手で示した。
「彼女は律だ。店でよく料理を作ってくれる。上手なんだ」
「褒めたって何もでないよ。まあ、美味しいのはほんとだけどね」
にかっと笑い、つかつかと歩いて来る。座敷には上がらず、軽く腰を折って陽向の顔を覗き込んだ。
「で、あんたの名前は?」
目をぱちくりさせていた陽向は、質問に答えず彼女の頭を指さした。
「それ……」
てっきり作りものかと思ったが、それは動いている。再び窓から聞こえてくるカモメの鳴き声に反応し、そちらの方に向きを変えた。
彼女の頭には三角の耳が二つ、ぴょこんと飛び出していた。
「なに、失礼ね、人のこと指さして」
「それ、その……耳? なんで、そんなのが」
「なんでって」
彼女は片方の耳に軽く指先を当てた。ひょこひょこと耳が動く。
「あたし、狐と混じってるんだもん」
「はあ?」
「き、つ、ね。もしかして、狐をご存じでない?」
「いや、そういうわけじゃ……いや、でも……」
どういうこと、と彼女は目線で凪に訴えた。説明してないの?
「前言ったように、ここにいるのは人間じゃないんだよ」
凪が立ち上がり、座敷から足を下ろして靴を履いた。
「続きは歩きながら話そう」
「歩きって、どこに」
「そりゃあ、陽向の歓迎会にだよ」
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