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4章 八咫烏の消える空
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「あんたも、あいつが笑ったところ、見たことないだろ」
黙って聞いていた渚は、少し考えて頷いた。
「ハルの姿は、あいつが自分で認識している姿だ。始めの頃はいつまでも血だらけだったが、やっと傷も塞がって、まともな姿になってきた。俺にも生意気な口を利くようになった。……でもなんとなくな、あいつが笑うようになったら、それが成仏のタイミングなんだって気がするんだ」
「彰さんは……晴斗くんに笑って欲しいですか」
「そりゃあな」背もたれに背を預ける。「あいつは俺の家族だ。幸せになってくれって思うよ」
「そう、ですよね。……それにしても、なんで家族はそんなことを。あんなにいい子なのに」
「それがわからねえ人間もいるってことだ。幽霊だの妖怪だのの方がよっぽど心があったりする。……幸い、他人を無差別に傷つける悪霊になる前に食い止められた。もう少し遅ければ、誰彼構わず呪い殺すようになってただろうな」
そうならなくて良かったと、心の底から彰は思う。死んでまで家族に疎まれる存在になるなんて、あまりに晴斗が不憫だ。
「晴斗くん、今のままでも十分幸せに見えますけど」
「そうかもしれんな。けど、死者と生者は本来一緒にいるべきじゃない。いつかは成仏すべきなんだ。だから俺はなばり屋を続けるし、あいつにはその間くらい楽しんでもらうよ」
彰は晴斗のために店を続け、晴斗は嘗て忌み嫌われた能力を使って協力する。いつか迎える別れの日まで、これからも異界の者たちを迎え入れる。
開けた窓の向こうから、足音と鈴の音が近づいてきた。渚が振り向くと、ぴょんと窓枠に毛玉が飛び乗った。
「ただいまあ。ねえ彰、ちびちゃんったらひどいのよ、あたしのこと、毛玉って……」
会釈をする渚を目にし、たちまち棗は吠えたてた。
「いつの間に来てたのよ! やっぱりあんたも彰を狙ってるのね!」
「棗、足を拭け、足を」
渚に飛び掛かりかけたポメラニアンは、渋々部屋の隅のタオルに乗り足踏みを始める。がちゃりと出入口のドアが開いた。
「ただいま……あ、渚さん」晴斗は渚に気が付くとぺこりと頭を下げる。「こんにちは」
「こんにちは」渚も頭を下げて挨拶した。「お邪魔してます」
晴斗は胸にナイフを刺されたにも関わらず、すっかり元の通りに戻っていた。彼自身が「治った」と信じ込めば、その姿は「治った」ものとなるのだ。
「どうしたんですか」
だが、そう問いかける晴斗に、渚はおずおずと口にした。
「晴斗くんが、心配で。もう大丈夫なのかと思って」
「大丈夫です、もう治ったから」
「いいからちびちゃん、早くジャーキー出してよ」
スリッパを履いた晴斗のそばに、ちょこちょことやってくるポメラニアン。「食いしん坊」と呟き、彼は手に持っていた紙袋をローテーブルの上に置いた。そこから取り出した袋を開き、干し肉を指で摘まむ。
「ちょっと、いじわるしないでよ!」
「あっ」
犬の届かない高さにぶら下げていたのに、飛び上がった棗はテーブルを蹴って更に飛ぶと、ジャーキーを咥えて床に下りた。食いしん坊、と再び晴斗が口にするが、お構いなく美味しそうに食べ始める。
「本命は買えたか」
「うん」
彰の言葉に頷き、紙袋からそれを取り出した。ビニールに包まれた大量のいちご飴。三つ連なったいちごが串に刺さり、飴を被っている。これだけあれば、妖狐もモクリコクリたちも満足するだろう。
「いちご飴ですか?」首をひねる渚。
「知り合いに送るんだよ。妖怪のな」
彰が立ち上がった時、隣の店に続く扉が開いた。ひょこひょこと二つの頭が覗く。
「なぎさちゃん!」
「なぎさちゃんだ!」
チヨとトワが元気よく渚の元に駆け寄る。人懐こい彼らはすぐに渚にも懐いた。
「おい、こっちに入るなって言ってるだろ」
「カラスさんがきたんだもん」
チヨが言う。
「おみせにいるよ」
トワが指をさす。
店のカウンターでは、三本足のカラスがのんびりと羽繕いをしていた。普通のカラスより一回りは大きい。つやつやと輝く漆黒の羽と、真っ赤な眼を持っている。
「お客さん……?」
恐る恐る訪ねる渚。「宅急便です」晴斗が返事をする。
「空に道はないからな。八咫烏に頼めばあっという間だ」
彰はカウンターの下から包装紙を取り出し、いちご飴を包むとテープで止め、運びやすいようビニール紐を巻きつける。神社の名前を教えると、カラスは甲高い声で復唱した。
ぎょっとする渚に構わず、「コレデ、ゼンブカ?」とカラスは喋る。
「ああ。おまえも、配達が終わったら一本食べていいぞ」
「感謝!」
「きをつけてね」
「きをつけてねー」
「承知シタ!」
双子の言葉に頷く。晴斗が店の扉を開けた。人間には通れない、人ならざる者のみが通過することのできる出入口。
八咫烏は翼を広げた。
「椿姫によろしくって言っておいてね」いつの間にか足元にやってきていた棗が言う。
「モクリコクリたちにも、よろしく伝えておいてくれ」
「勿論」
ふわりとカラスは宙に浮かび大きな爪で荷物を掴むと、物で溢れる店の中、何にもぶつかることなく外を目指す。
「いってらっしゃい」
ドアを支える晴斗の言葉に「イッテクルゾ」と返事をする。
渚も晴斗と並んで、八咫烏が飛んでいく空を見上げた。
九月の終わり、秋晴れの青々とした空の中、黒い翼を広げた姿は軽やかに舞い上がり、やがて見えなくなっていった。
黙って聞いていた渚は、少し考えて頷いた。
「ハルの姿は、あいつが自分で認識している姿だ。始めの頃はいつまでも血だらけだったが、やっと傷も塞がって、まともな姿になってきた。俺にも生意気な口を利くようになった。……でもなんとなくな、あいつが笑うようになったら、それが成仏のタイミングなんだって気がするんだ」
「彰さんは……晴斗くんに笑って欲しいですか」
「そりゃあな」背もたれに背を預ける。「あいつは俺の家族だ。幸せになってくれって思うよ」
「そう、ですよね。……それにしても、なんで家族はそんなことを。あんなにいい子なのに」
「それがわからねえ人間もいるってことだ。幽霊だの妖怪だのの方がよっぽど心があったりする。……幸い、他人を無差別に傷つける悪霊になる前に食い止められた。もう少し遅ければ、誰彼構わず呪い殺すようになってただろうな」
そうならなくて良かったと、心の底から彰は思う。死んでまで家族に疎まれる存在になるなんて、あまりに晴斗が不憫だ。
「晴斗くん、今のままでも十分幸せに見えますけど」
「そうかもしれんな。けど、死者と生者は本来一緒にいるべきじゃない。いつかは成仏すべきなんだ。だから俺はなばり屋を続けるし、あいつにはその間くらい楽しんでもらうよ」
彰は晴斗のために店を続け、晴斗は嘗て忌み嫌われた能力を使って協力する。いつか迎える別れの日まで、これからも異界の者たちを迎え入れる。
開けた窓の向こうから、足音と鈴の音が近づいてきた。渚が振り向くと、ぴょんと窓枠に毛玉が飛び乗った。
「ただいまあ。ねえ彰、ちびちゃんったらひどいのよ、あたしのこと、毛玉って……」
会釈をする渚を目にし、たちまち棗は吠えたてた。
「いつの間に来てたのよ! やっぱりあんたも彰を狙ってるのね!」
「棗、足を拭け、足を」
渚に飛び掛かりかけたポメラニアンは、渋々部屋の隅のタオルに乗り足踏みを始める。がちゃりと出入口のドアが開いた。
「ただいま……あ、渚さん」晴斗は渚に気が付くとぺこりと頭を下げる。「こんにちは」
「こんにちは」渚も頭を下げて挨拶した。「お邪魔してます」
晴斗は胸にナイフを刺されたにも関わらず、すっかり元の通りに戻っていた。彼自身が「治った」と信じ込めば、その姿は「治った」ものとなるのだ。
「どうしたんですか」
だが、そう問いかける晴斗に、渚はおずおずと口にした。
「晴斗くんが、心配で。もう大丈夫なのかと思って」
「大丈夫です、もう治ったから」
「いいからちびちゃん、早くジャーキー出してよ」
スリッパを履いた晴斗のそばに、ちょこちょことやってくるポメラニアン。「食いしん坊」と呟き、彼は手に持っていた紙袋をローテーブルの上に置いた。そこから取り出した袋を開き、干し肉を指で摘まむ。
「ちょっと、いじわるしないでよ!」
「あっ」
犬の届かない高さにぶら下げていたのに、飛び上がった棗はテーブルを蹴って更に飛ぶと、ジャーキーを咥えて床に下りた。食いしん坊、と再び晴斗が口にするが、お構いなく美味しそうに食べ始める。
「本命は買えたか」
「うん」
彰の言葉に頷き、紙袋からそれを取り出した。ビニールに包まれた大量のいちご飴。三つ連なったいちごが串に刺さり、飴を被っている。これだけあれば、妖狐もモクリコクリたちも満足するだろう。
「いちご飴ですか?」首をひねる渚。
「知り合いに送るんだよ。妖怪のな」
彰が立ち上がった時、隣の店に続く扉が開いた。ひょこひょこと二つの頭が覗く。
「なぎさちゃん!」
「なぎさちゃんだ!」
チヨとトワが元気よく渚の元に駆け寄る。人懐こい彼らはすぐに渚にも懐いた。
「おい、こっちに入るなって言ってるだろ」
「カラスさんがきたんだもん」
チヨが言う。
「おみせにいるよ」
トワが指をさす。
店のカウンターでは、三本足のカラスがのんびりと羽繕いをしていた。普通のカラスより一回りは大きい。つやつやと輝く漆黒の羽と、真っ赤な眼を持っている。
「お客さん……?」
恐る恐る訪ねる渚。「宅急便です」晴斗が返事をする。
「空に道はないからな。八咫烏に頼めばあっという間だ」
彰はカウンターの下から包装紙を取り出し、いちご飴を包むとテープで止め、運びやすいようビニール紐を巻きつける。神社の名前を教えると、カラスは甲高い声で復唱した。
ぎょっとする渚に構わず、「コレデ、ゼンブカ?」とカラスは喋る。
「ああ。おまえも、配達が終わったら一本食べていいぞ」
「感謝!」
「きをつけてね」
「きをつけてねー」
「承知シタ!」
双子の言葉に頷く。晴斗が店の扉を開けた。人間には通れない、人ならざる者のみが通過することのできる出入口。
八咫烏は翼を広げた。
「椿姫によろしくって言っておいてね」いつの間にか足元にやってきていた棗が言う。
「モクリコクリたちにも、よろしく伝えておいてくれ」
「勿論」
ふわりとカラスは宙に浮かび大きな爪で荷物を掴むと、物で溢れる店の中、何にもぶつかることなく外を目指す。
「いってらっしゃい」
ドアを支える晴斗の言葉に「イッテクルゾ」と返事をする。
渚も晴斗と並んで、八咫烏が飛んでいく空を見上げた。
九月の終わり、秋晴れの青々とした空の中、黒い翼を広げた姿は軽やかに舞い上がり、やがて見えなくなっていった。
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