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2章 モクリコクリの冒険
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なんとか原稿を間に合わせた彰は、昨日から何杯飲んでいるのかもわからないコーヒーを喉に流す。チェーン店のカフェで、久々に直接顔を合わせた担当者と打ち合わせているが、欠伸をこらえるのに必死だった。誤魔化すように、苦い真っ黒なコーヒーをちびちびとすする。
「いつも聞いたことのない話をネタにしてくれるんで、こっちも面白く拝見してますよ」スーツ姿の担当者は、角砂糖を三つと、間に置かれたミルクを全て投入したコーヒーを口にして言う。「どこでネタを仕入れているんですか」
「ああ、まあ……詳しい知り合いが多いんで。彼らの話を聞いていってるというか」
原稿にしているのは、なばり屋を訪れる異界の者たちから集めた話がほとんどだった。しかし店のことは、極力話さないことに決めている。取材をしたいだの、特集したいだの言われても厄介だからだ。
「それは幸いですね」眼鏡の彼は、通りかかった店員にお代わりを注文する。「……ですが、次のネタはこちらから提案させていただきたいのですが」
「どんな内容ですか」
「それがですね……」
放任主義の彼らが提案とは珍しい。鞄からスマートフォンを取り出し、彼は「これは驚きますよ」とやけにもったいぶった言い回しをする。
「……あ、もしかしてもう知ってるかな」
「知ってるとは」
「朝のニュースでも流れてたんですが……これ、これです」
見せられたのは、某SNSの画面だった。
「どっかの誰かのいたずらだって言われてますが、どうやったんでしょうね。プロジェクションマッピングってわけでもないし、そもそも投影できる壁なんかもないし。それに妙に立体的じゃないですか。集団幻覚なんて話もあったけど、こうして映像に残ってるわけだし」
語る男は興奮気味だ。コーヒーのお代わりを持ってきた店員に会釈しつつ続ける。
「妖怪だって話もあるんですよ。いっそのことその方が信憑性ないですか? えっと、なんていったかな……もく、もくもくなんとかって妖怪。東雲さんの方が詳しいんじゃないですかね」
巨大なイタチのような動物が、海を蹴って花火を両手に包んで消える。機器は撮影された十秒にも満たない映像を、幾度も繰り返していた。
「すげえすげえすげえ! これオレさまだろ! すっげえー!」
昼の全国放送の番組でも、モクリコクリの目撃映像は何度も放映された。その張本人であるシイはローテーブルを蹴り飛ばし、リモコンを持って立ったままでいる晴斗の肩に飛び乗る。
「しいちゃんすごいすごい!」
「かっこいい!」
頭にそれぞれ狐のお面をかけたチヨとトワが、ソファーからテレビに身を乗り出し、賛辞を口にする。シイは「へへん」とすました顔をしながらぶんぶんと尻尾を振った。
「随分派手にやったんだな」
双子の正面のソファーに、彰は缶ビール片手に腰を下ろした。テレビではスタジオのキャストがめいめい自論を語っている。芸人が口にした妖怪説は失笑され、やはり誰かのいたずら説が有力視されていた。しかしその方法は誰一人推測できていない。当然だ。人間のいたずらでは不可能な事象なのだから。
「止めようとしたけど、間に合わなかったんだ」
晴斗はため息交じりに口にする。ただ打ち上げ花火を見に行くだけのはずが、こんな大事になるだなんて。
「まあいいだろ。やっちまったもんはしょうがねえ」手にした缶のプルトップを開ける。プシュ、と小気味良い音。「別に他人に迷惑かけたわけじゃねえし、俺の仕事にもなる」後者のありがたみは大きい。
番組の話題が時事問題に変わった頃、晴斗はテレビの電源を落とした。その頃には、はしゃいでいた双子とシイもいくぶん落ち着いていた。
「お」晴斗の頭に上っていたシイは、振り向いて眉根を寄せる。視線の先には、彰が口に運ぶビールの缶。
「酒はほどほどにしろよ」
「おまえ、ハルみたいなこと言うんだな」
コーヒーとは異なる苦さが喉を流れる。昼酒で酔ったら、取り合えず寝てしまおう。徹夜明けの些細な贅沢だ。
ソファーの背もたれに器用に飛び降り、シイは大きく伸びをした。
「そろそろ、帰るとするか」
「えー、しいちゃんかえっちゃうの?」
チヨが寂しげに言うと、「もっとあそぼうよー」とトワも重ねる。
「遊びたいのはやまやまだが、田舎の仲間に何も言わず来ちまったからな。心配させるのも大人げねえ」
「あの映像見たら、誰でもシイだって気付くだろうね」
彰の横に浅く腰かけて晴斗が言うと、シイはふふんと得意げに胸を張った。
「このことも、早く自慢してえんだ。花火を捕まえたモクリコクリなんて、オレさまが初めてだろ」
相談して、晴斗はシイを駅まで送ることにした。
「またきてね」と玄関口で双子が手を振り、晴斗の肩に乗ったシイも手を振り返した。
駅には、昨日よりも多くのサラリーマンたちが吸い込まれていく。晴斗は誰もいない隅で足を止めた。目の前にシイがふわりと浮かぶ。
「じゃあな、晴斗。楽しかったぜ。ありがとな」
「うん。僕も楽しかったよ」
「また来るからな」
「わかった。今度は盗み食いするなよ」
「わかってるって」
手を振って飛び去るシイに、晴斗も小さく手を振る。
そして向けられた小麦色の背中は、くるりと振り返って戻ってきた。
「そういやあ、忘れてた。後で例のブツ送るから、受け取ってくれよ」
「例のって、なに」
「最初に言ったろ。それなりのもんは払うって。田舎に戻ったら送るからな」
「気にしなくていいのに」
「オレさまは大妖怪なんだ」腰に両手をあてて胸を張った。「義理はちゃんと果たさないとな」
「わかったよ」
シイが手のひらを向けるので、晴斗も右の手のひらを向ける。
「じゃあ、気を付けて」
「ああ。元気でな」
音もなく手を打ち合わせると、シイは再び雑踏へ向けて飛んでいく。途中で一度振り向いて手を振るのに手を振り返すと、今度は振り向かずにホームへの階段をゆるやかに上っていった。
「いつも聞いたことのない話をネタにしてくれるんで、こっちも面白く拝見してますよ」スーツ姿の担当者は、角砂糖を三つと、間に置かれたミルクを全て投入したコーヒーを口にして言う。「どこでネタを仕入れているんですか」
「ああ、まあ……詳しい知り合いが多いんで。彼らの話を聞いていってるというか」
原稿にしているのは、なばり屋を訪れる異界の者たちから集めた話がほとんどだった。しかし店のことは、極力話さないことに決めている。取材をしたいだの、特集したいだの言われても厄介だからだ。
「それは幸いですね」眼鏡の彼は、通りかかった店員にお代わりを注文する。「……ですが、次のネタはこちらから提案させていただきたいのですが」
「どんな内容ですか」
「それがですね……」
放任主義の彼らが提案とは珍しい。鞄からスマートフォンを取り出し、彼は「これは驚きますよ」とやけにもったいぶった言い回しをする。
「……あ、もしかしてもう知ってるかな」
「知ってるとは」
「朝のニュースでも流れてたんですが……これ、これです」
見せられたのは、某SNSの画面だった。
「どっかの誰かのいたずらだって言われてますが、どうやったんでしょうね。プロジェクションマッピングってわけでもないし、そもそも投影できる壁なんかもないし。それに妙に立体的じゃないですか。集団幻覚なんて話もあったけど、こうして映像に残ってるわけだし」
語る男は興奮気味だ。コーヒーのお代わりを持ってきた店員に会釈しつつ続ける。
「妖怪だって話もあるんですよ。いっそのことその方が信憑性ないですか? えっと、なんていったかな……もく、もくもくなんとかって妖怪。東雲さんの方が詳しいんじゃないですかね」
巨大なイタチのような動物が、海を蹴って花火を両手に包んで消える。機器は撮影された十秒にも満たない映像を、幾度も繰り返していた。
「すげえすげえすげえ! これオレさまだろ! すっげえー!」
昼の全国放送の番組でも、モクリコクリの目撃映像は何度も放映された。その張本人であるシイはローテーブルを蹴り飛ばし、リモコンを持って立ったままでいる晴斗の肩に飛び乗る。
「しいちゃんすごいすごい!」
「かっこいい!」
頭にそれぞれ狐のお面をかけたチヨとトワが、ソファーからテレビに身を乗り出し、賛辞を口にする。シイは「へへん」とすました顔をしながらぶんぶんと尻尾を振った。
「随分派手にやったんだな」
双子の正面のソファーに、彰は缶ビール片手に腰を下ろした。テレビではスタジオのキャストがめいめい自論を語っている。芸人が口にした妖怪説は失笑され、やはり誰かのいたずら説が有力視されていた。しかしその方法は誰一人推測できていない。当然だ。人間のいたずらでは不可能な事象なのだから。
「止めようとしたけど、間に合わなかったんだ」
晴斗はため息交じりに口にする。ただ打ち上げ花火を見に行くだけのはずが、こんな大事になるだなんて。
「まあいいだろ。やっちまったもんはしょうがねえ」手にした缶のプルトップを開ける。プシュ、と小気味良い音。「別に他人に迷惑かけたわけじゃねえし、俺の仕事にもなる」後者のありがたみは大きい。
番組の話題が時事問題に変わった頃、晴斗はテレビの電源を落とした。その頃には、はしゃいでいた双子とシイもいくぶん落ち着いていた。
「お」晴斗の頭に上っていたシイは、振り向いて眉根を寄せる。視線の先には、彰が口に運ぶビールの缶。
「酒はほどほどにしろよ」
「おまえ、ハルみたいなこと言うんだな」
コーヒーとは異なる苦さが喉を流れる。昼酒で酔ったら、取り合えず寝てしまおう。徹夜明けの些細な贅沢だ。
ソファーの背もたれに器用に飛び降り、シイは大きく伸びをした。
「そろそろ、帰るとするか」
「えー、しいちゃんかえっちゃうの?」
チヨが寂しげに言うと、「もっとあそぼうよー」とトワも重ねる。
「遊びたいのはやまやまだが、田舎の仲間に何も言わず来ちまったからな。心配させるのも大人げねえ」
「あの映像見たら、誰でもシイだって気付くだろうね」
彰の横に浅く腰かけて晴斗が言うと、シイはふふんと得意げに胸を張った。
「このことも、早く自慢してえんだ。花火を捕まえたモクリコクリなんて、オレさまが初めてだろ」
相談して、晴斗はシイを駅まで送ることにした。
「またきてね」と玄関口で双子が手を振り、晴斗の肩に乗ったシイも手を振り返した。
駅には、昨日よりも多くのサラリーマンたちが吸い込まれていく。晴斗は誰もいない隅で足を止めた。目の前にシイがふわりと浮かぶ。
「じゃあな、晴斗。楽しかったぜ。ありがとな」
「うん。僕も楽しかったよ」
「また来るからな」
「わかった。今度は盗み食いするなよ」
「わかってるって」
手を振って飛び去るシイに、晴斗も小さく手を振る。
そして向けられた小麦色の背中は、くるりと振り返って戻ってきた。
「そういやあ、忘れてた。後で例のブツ送るから、受け取ってくれよ」
「例のって、なに」
「最初に言ったろ。それなりのもんは払うって。田舎に戻ったら送るからな」
「気にしなくていいのに」
「オレさまは大妖怪なんだ」腰に両手をあてて胸を張った。「義理はちゃんと果たさないとな」
「わかったよ」
シイが手のひらを向けるので、晴斗も右の手のひらを向ける。
「じゃあ、気を付けて」
「ああ。元気でな」
音もなく手を打ち合わせると、シイは再び雑踏へ向けて飛んでいく。途中で一度振り向いて手を振るのに手を振り返すと、今度は振り向かずにホームへの階段をゆるやかに上っていった。
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