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2章 モクリコクリの冒険
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まるで警報のような鳴き声に、驚いた双子もとっさに両手で両耳を塞ぐ。「なになに?」それぞれ口を動かしているが、その声すらかき消えるほどの絶叫だ。金属同士がこすれ合うような、言葉にならない音。身体の皮膚がびりびりと痺れる感覚さえ覚える。
晴斗は急いで奥に続くドアを開け、商品を置いている部屋に飛び込んだ。棚に囲まれた異質な空間。きちんと並んでいたはずのビンが、いくつか棚の上で倒れている。咄嗟に逃げようとした尻尾を右手で鷲掴み、カウンターに駆け寄った。絶叫する頭を叩くと、まるで目覚まし時計のようにマンドラゴラは声をあげるのを止めた。
放せ放せと暴れるそいつは、イタチに似た姿をしていた。細長い肢体は黄金色の毛皮に覆われている。小さな顔の上には、ピンと立った三角形の耳。掴み心地のよいふさふさの尻尾。全長三十センチメートルほどの小動物。
「放せって言ってんだろ!」
そいつが噛みつこうとするので、晴斗は左手に持っていた龍のウロコを棚に置き、尻尾ではなく首根っこを後ろからつまむ。なおもぎゃあぎゃあとそいつは暴れ、尻尾をぶんぶん振り回し、短い手足をばたつかせる。だが疲れたのか、抵抗しても無駄だと悟ったのか、すぐに大人しく吊られるままとなった。
「まったく、オレさまになんてことしやがる」
そんなことをぼやく口元には、黒い汚れがこびりついている。
「ここで何してるんだ」
「飯食ってただけだよ」
晴斗の問いかけにそいつは口を尖らせる。
「これは売り物だ」獣の首を掴んだまま、倒れているビンを右手で直した。干しイカを黒くして割いたような中身は、獣の口についているのと同じ、つちのこの佃煮だ。高価ではなくとも、立派な商品である。
「うりもの?」
そいつは店の中をきょろきょろと見回した。
「ここ、店なのか」
「店だよ」なんだと思って入ったのだろう。「ドアに書いてただろ。なばり屋って」
「そんな店しらん」
「知らなくても店なんだよ」倒れている他のビンを直す。「それに、札に書いてた通り、今日は定休日」
「しらん。押したら開いた」
ああ、とため息をついた。もしかしたら、掃除の際にドアを開けて鍵をかけていなかったかもしれない。不法侵入だといいたいが、妖怪に法律が通じないことが悔やまれる。
「おいおまえ、いいかげん下ろせ。毛皮が伸びたらどうしてくれる」
「下ろしたら逃げるだろ」
「逃げん。モクリコクリの神に誓って」
モクリコクリか。晴斗は納得しながら、そいつをカウンターの上に下ろしてやった。実物は見たことがなかったが、イタチに似た姿をしていると本で読んだ覚えがある。海にも山にも出る妖怪だ。彼らに崇拝する神がいるとは思えないが。
ようやく足をついたモクリコクリは、人間がするように胴をぱっぱっと両手で払う。落ちる埃などついていない。
「そうか。都会にはこんな店があるんだな」短い両手を身体の後ろに回し、店内を一望する。「長旅で腹が減ってたんだ」
「旅してるのか」
「田舎暮らしに飽き飽きしてな。オレさまは田舎でくすぶってるようなタマじゃないんだ。親父やおふくろは何もわかっちゃいねえ」
思春期かつ反抗期のモクリコクリか。晴斗は納得する。
「シイ様は、都会の人間どもをビビらせに来たんだ」
「しいさま?」
「名前だよ、なまえ。モクリコクリのシイ。どうだ、かっこいいだろ」
晴斗はふうんと息を漏らしただけだったが、シイは満足そうに何度も頷いた。誇らしげに、ふさふさの尻尾を左右に振っている。
「おまえ、なんて名前なんだ」
すっかりペースに乗せられてるなと思いながらも、「晴斗」と呟く。
「そうか。ふーん、まあまあだな。悪くない。オレ様ほどは良くないけどな」
「それじゃあ。今度は営業日に来てね」
マンドラゴラが迅速に役目を果たしたおかげで、被害額は大したことはなさそうだった。これならさっさと出て行ってもらったほうが面倒がない。後でマンドラゴラには砂糖水でも与えなければ。
考えつつ出るように促すと、シイは驚いた顔で両手をぱたぱたと振った。
「ちょっと待てよ。言っただろ、腹減ってるって」
「だからこれは売り物だってば」
「金払うよ。それならいいだろ」
今度は晴斗が驚く番だった。「お金持ってるの」と問いかける。するとシイは自分の尻尾に片手を突っ込んだ。
なにやらごそごそかき回して取り出したのは、しわくちゃの千円札だった。
「ほれ。これでいいか」
「……本物だ」
木の葉の偽物じゃないかとも疑ったが、掲げて見るときちんと透かしも入っている。手触りにも怪しい点はない。
「賽銭ってやつだよ。うちの祠に供えられた金だ」
モクリコクリを奉る祠があるのか。晴斗には初耳だ。
盗み食いされた分もきちんと引き、額に見合う分だけ佃煮を売ることにした。早く早くと急かすシイの前に紙皿を置き、ビンから出した佃煮を乗せる。言う通り、よほど腹が減っていたようで、シイは小さな両手で鷲掴みにしたそれを一心不乱に口に運んだ。
「そんなにお腹空いてたの」
「しばらく、なにも、食ってなかったからな」
むしゃむしゃと音を立てながら食べるのに、奮発して、水を入れた深皿を横に置いてやる。ぴちゃぴちゃと美味そうに水を舌ですくってのどを潤すと、再びつちのこに戻る。あっという間にシイは全て平らげた。
「ふいー。助かったぜ」
ぺろぺろと指を舐める。そんなシイは、「おっ」と声をあげた。視線の先には小さく開いたドア。じーっと、チヨとトワが覗いている。
晴斗が手招きをすると、たちまち二人は駆け寄ってきた。
「もくりもくりはじめてみた!」
「きつねみたい!」
晴斗からの紹介を聞いて、二人は目を輝かせてそんなことを言う。
「モクリ、コクリだ! それに狐じゃねえ! 立派な妖怪だぞ」
憤慨しても狐やイタチの姿では全く怖くない。二人が無邪気に手を伸ばすから、シイは晴斗の腕に飛びつき、肩に上って逃げる。
「まったく、オレさまの怖さも知らずに。だからガキは苦手なんだ」
「怖くないからね。……それじゃ、また機会があれば」
「ちょっとまて!」
あくまで追い出そうとする晴斗を、シイは引き止める。
「いいこと思いついたんだ」片手を口元に当て、くくくと喉を鳴らす。「なあ晴斗、今日、定休日なんだろ。それなら案内してくれよ」
「案内って、なにを」
「街だよ、街。折角なんだ、いろいろ見てみたいんだよ」
晴斗は「ええ」とあからさまに嫌な顔をしてみせる。「定休日っていっても、やることはあるんだ」
「でも店は開けないんだろ。ならちょっと連れてってくれよ。オレ、地下鉄乗ってみたい」
「乗ってきたら」
「つれないこと言うなよなあ」
ふわふわの毛皮を晴斗の頬に押し当て、「なあなあ」とシイはねだる。その小さな頭を指先で押して遠ざけ、「だめ」と一言。
「ちょっとぐらいいいだろー。ちゃんとそれなりのもんは払うからさあ」
「仕事ならなおさら受けられないよ。ここは僕の店じゃないんだから。勝手に依頼を引き受けるわけにはいかない」
正当な拒否理由だと晴斗は思ったが、「それじゃあ」とシイは食い下がった。
「その、なんていうんだ、店主? 店長? がいいって言えばオッケーなんだろ。買い出しでも行ってるのか。電話ぐらい持ってるだろ、オレがかけてやるから番号教えてくれよ」
喋りながら晴斗の肩からぴょんと飛び上がると、カウンター奥のテーブルに着地する。そこにあった電話機の受話器を取り、わくわくした目で晴斗を振り向いた。
「そりゃあ、電話はできるけど、そこまで……」
「えっと、リダイヤル……じゃねえよな。電話帳? これか……。なあ、その店長って何て名前だ、この一番上のか?」
慌てて晴斗はシイから受話器を奪った。「わかった、かけるってば」関係ない場所に電話をかけられる前に、覚えている番号に指を滑らせた。
晴斗は急いで奥に続くドアを開け、商品を置いている部屋に飛び込んだ。棚に囲まれた異質な空間。きちんと並んでいたはずのビンが、いくつか棚の上で倒れている。咄嗟に逃げようとした尻尾を右手で鷲掴み、カウンターに駆け寄った。絶叫する頭を叩くと、まるで目覚まし時計のようにマンドラゴラは声をあげるのを止めた。
放せ放せと暴れるそいつは、イタチに似た姿をしていた。細長い肢体は黄金色の毛皮に覆われている。小さな顔の上には、ピンと立った三角形の耳。掴み心地のよいふさふさの尻尾。全長三十センチメートルほどの小動物。
「放せって言ってんだろ!」
そいつが噛みつこうとするので、晴斗は左手に持っていた龍のウロコを棚に置き、尻尾ではなく首根っこを後ろからつまむ。なおもぎゃあぎゃあとそいつは暴れ、尻尾をぶんぶん振り回し、短い手足をばたつかせる。だが疲れたのか、抵抗しても無駄だと悟ったのか、すぐに大人しく吊られるままとなった。
「まったく、オレさまになんてことしやがる」
そんなことをぼやく口元には、黒い汚れがこびりついている。
「ここで何してるんだ」
「飯食ってただけだよ」
晴斗の問いかけにそいつは口を尖らせる。
「これは売り物だ」獣の首を掴んだまま、倒れているビンを右手で直した。干しイカを黒くして割いたような中身は、獣の口についているのと同じ、つちのこの佃煮だ。高価ではなくとも、立派な商品である。
「うりもの?」
そいつは店の中をきょろきょろと見回した。
「ここ、店なのか」
「店だよ」なんだと思って入ったのだろう。「ドアに書いてただろ。なばり屋って」
「そんな店しらん」
「知らなくても店なんだよ」倒れている他のビンを直す。「それに、札に書いてた通り、今日は定休日」
「しらん。押したら開いた」
ああ、とため息をついた。もしかしたら、掃除の際にドアを開けて鍵をかけていなかったかもしれない。不法侵入だといいたいが、妖怪に法律が通じないことが悔やまれる。
「おいおまえ、いいかげん下ろせ。毛皮が伸びたらどうしてくれる」
「下ろしたら逃げるだろ」
「逃げん。モクリコクリの神に誓って」
モクリコクリか。晴斗は納得しながら、そいつをカウンターの上に下ろしてやった。実物は見たことがなかったが、イタチに似た姿をしていると本で読んだ覚えがある。海にも山にも出る妖怪だ。彼らに崇拝する神がいるとは思えないが。
ようやく足をついたモクリコクリは、人間がするように胴をぱっぱっと両手で払う。落ちる埃などついていない。
「そうか。都会にはこんな店があるんだな」短い両手を身体の後ろに回し、店内を一望する。「長旅で腹が減ってたんだ」
「旅してるのか」
「田舎暮らしに飽き飽きしてな。オレさまは田舎でくすぶってるようなタマじゃないんだ。親父やおふくろは何もわかっちゃいねえ」
思春期かつ反抗期のモクリコクリか。晴斗は納得する。
「シイ様は、都会の人間どもをビビらせに来たんだ」
「しいさま?」
「名前だよ、なまえ。モクリコクリのシイ。どうだ、かっこいいだろ」
晴斗はふうんと息を漏らしただけだったが、シイは満足そうに何度も頷いた。誇らしげに、ふさふさの尻尾を左右に振っている。
「おまえ、なんて名前なんだ」
すっかりペースに乗せられてるなと思いながらも、「晴斗」と呟く。
「そうか。ふーん、まあまあだな。悪くない。オレ様ほどは良くないけどな」
「それじゃあ。今度は営業日に来てね」
マンドラゴラが迅速に役目を果たしたおかげで、被害額は大したことはなさそうだった。これならさっさと出て行ってもらったほうが面倒がない。後でマンドラゴラには砂糖水でも与えなければ。
考えつつ出るように促すと、シイは驚いた顔で両手をぱたぱたと振った。
「ちょっと待てよ。言っただろ、腹減ってるって」
「だからこれは売り物だってば」
「金払うよ。それならいいだろ」
今度は晴斗が驚く番だった。「お金持ってるの」と問いかける。するとシイは自分の尻尾に片手を突っ込んだ。
なにやらごそごそかき回して取り出したのは、しわくちゃの千円札だった。
「ほれ。これでいいか」
「……本物だ」
木の葉の偽物じゃないかとも疑ったが、掲げて見るときちんと透かしも入っている。手触りにも怪しい点はない。
「賽銭ってやつだよ。うちの祠に供えられた金だ」
モクリコクリを奉る祠があるのか。晴斗には初耳だ。
盗み食いされた分もきちんと引き、額に見合う分だけ佃煮を売ることにした。早く早くと急かすシイの前に紙皿を置き、ビンから出した佃煮を乗せる。言う通り、よほど腹が減っていたようで、シイは小さな両手で鷲掴みにしたそれを一心不乱に口に運んだ。
「そんなにお腹空いてたの」
「しばらく、なにも、食ってなかったからな」
むしゃむしゃと音を立てながら食べるのに、奮発して、水を入れた深皿を横に置いてやる。ぴちゃぴちゃと美味そうに水を舌ですくってのどを潤すと、再びつちのこに戻る。あっという間にシイは全て平らげた。
「ふいー。助かったぜ」
ぺろぺろと指を舐める。そんなシイは、「おっ」と声をあげた。視線の先には小さく開いたドア。じーっと、チヨとトワが覗いている。
晴斗が手招きをすると、たちまち二人は駆け寄ってきた。
「もくりもくりはじめてみた!」
「きつねみたい!」
晴斗からの紹介を聞いて、二人は目を輝かせてそんなことを言う。
「モクリ、コクリだ! それに狐じゃねえ! 立派な妖怪だぞ」
憤慨しても狐やイタチの姿では全く怖くない。二人が無邪気に手を伸ばすから、シイは晴斗の腕に飛びつき、肩に上って逃げる。
「まったく、オレさまの怖さも知らずに。だからガキは苦手なんだ」
「怖くないからね。……それじゃ、また機会があれば」
「ちょっとまて!」
あくまで追い出そうとする晴斗を、シイは引き止める。
「いいこと思いついたんだ」片手を口元に当て、くくくと喉を鳴らす。「なあ晴斗、今日、定休日なんだろ。それなら案内してくれよ」
「案内って、なにを」
「街だよ、街。折角なんだ、いろいろ見てみたいんだよ」
晴斗は「ええ」とあからさまに嫌な顔をしてみせる。「定休日っていっても、やることはあるんだ」
「でも店は開けないんだろ。ならちょっと連れてってくれよ。オレ、地下鉄乗ってみたい」
「乗ってきたら」
「つれないこと言うなよなあ」
ふわふわの毛皮を晴斗の頬に押し当て、「なあなあ」とシイはねだる。その小さな頭を指先で押して遠ざけ、「だめ」と一言。
「ちょっとぐらいいいだろー。ちゃんとそれなりのもんは払うからさあ」
「仕事ならなおさら受けられないよ。ここは僕の店じゃないんだから。勝手に依頼を引き受けるわけにはいかない」
正当な拒否理由だと晴斗は思ったが、「それじゃあ」とシイは食い下がった。
「その、なんていうんだ、店主? 店長? がいいって言えばオッケーなんだろ。買い出しでも行ってるのか。電話ぐらい持ってるだろ、オレがかけてやるから番号教えてくれよ」
喋りながら晴斗の肩からぴょんと飛び上がると、カウンター奥のテーブルに着地する。そこにあった電話機の受話器を取り、わくわくした目で晴斗を振り向いた。
「そりゃあ、電話はできるけど、そこまで……」
「えっと、リダイヤル……じゃねえよな。電話帳? これか……。なあ、その店長って何て名前だ、この一番上のか?」
慌てて晴斗はシイから受話器を奪った。「わかった、かけるってば」関係ない場所に電話をかけられる前に、覚えている番号に指を滑らせた。
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