なばり屋怪奇譚

柴野日向

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1章 足音は彷徨す

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 古い家から幽霊はいなくなった。
 奥野と別れてから電車に乗り、三時間をかけて街に戻る。二人はファミリーレストランのチェーン店に入った。
 食べ終わったナポリタンの皿を遠ざけ、彰はノートパソコンのキーを叩く。その正面では、晴斗が退屈そうに文庫本を眺めている。
「もっと計画的に仕事した方がいいよ」
 本に目を落としたままの晴斗に、「うるせえな」と彰は言い返す。締め切りを一本忘れていた。まったく、休む暇もない。グラスのジンジャーエールに口をつける。今日のことも記憶が新しいうちに文書にまとめておかねばならない。
「そうだ。どこかで手に入れとかないと」
 晴斗がやっと顔をあげて言った。
「なにを」
「鎌。死神の」
「ああ。そういえばそうだな」
 手に入れる当てがあっただろうか。
「俺は忙しいからな。ハル、どっかの店から回してもらえねえか調べとけ」
「帰ったらね」
 可愛くない台詞を吐いて、晴斗はページをめくる。百円で買った中古の本。安上がりな趣味だ。
 店員が空の皿を下げに来た。店は空いてはいないが混んでもいない。もう少しだけ、と再びキーを叩く。
 晴斗が最後の一ページをめくった頃、彰はジンジャーエールを飲み干した。区切りの良いところで原稿に保存をかけ、一応USBにもデータのバックアップを取る。うっかりパソコンを落として原稿を失ってしまった過去の後悔は身に染みている。店も混んできたし、流石に疲労を感じてきた。立ち上がると、トートバッグに本をしまった晴斗も腰を上げた。
 会計を済ませて外に出る。すっかり夜の帳を下ろした土曜日の街。駅に向かう道すがら、制服姿の学生や、早々に酔ったサラリーマンとすれ違う。
「酒でも買って帰るかな」
「駄目だよ、飲んだら寝ちゃうから。仕事終わってないのに」
「鬼だな、おまえ」
 無表情な晴斗にため息をつき、彰は首を回した。体内から軽快な音が鳴る。
「……優し過ぎるってのも、考えものだな」見上げた先には、朧月が上っている。「俺なら少しぐらいやり返すけどな」
 唐突な言葉だったが、今日のことを表している台詞だと晴斗は察した。
「僕らには及べないほど、優しい人だったんだよ」晴斗もぼやけた月を見上げて、眩しそうに目を細める。「全部、見てほしいだけだったんだ。足音を立てたのも、物を落としたのも」
「俺なら祟るけどな」
 彰の軽口に、「僕だって」と晴斗は呟く。
「本心では許せないと思う。許したくても、物音じゃすまないことをすると思う。無意識に」
「仕方ねえよ。俺だってそうなる」
 そもそも、命がけで肉親を救うという選択肢を取れる自信がない。咄嗟の判断で弟を庇う優しさ。そして家族はその恩を仇で返した。
 だが彼は、奥野雄一は、そのすべてを「仇」などと考えたりしないのだろう。
 少なくとも、彼は納得して成仏した。解放された魂は自由になり、今頃は無事に向こうの世界に辿り着いている。
「随分な奴がいたもんだな」
 ぼやく彰を、晴斗が見上げる。
「落ち込まなくても、彰だって十分その域だよ」相変わらずの無表情で、そんなことを言う。「僕は感謝してる」
「あほ、落ち込んでなんかねえよ」
 都会の駅舎が発する灯りが近づく。酒を買う提案を再び晴斗に却下されながら、彰は駅の雑踏に向かう。
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