百万回目の大好き

柴野日向

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1章 夏実と麻斗

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 果たして勉強会の効果は定かではないが、中間考査は無事に終わりを告げた。次の期末試験までは少し間のある、珍しく雨雲の隙間から晴れ間が見える下校時刻。
「君に勉強頑張ったご褒美をあげよう」
 麻斗の隣を歩く夏実が、突然胸を張って言い出した。部活のない放課後、共に歩いていた五樹や茜と別れてから、同じ団地に住む二人は必然的に並んで帰っていた。星降川の水面がきらきらと輝く土手で、麻斗の数歩先を行く夏実は、くるりともったいぶって振り返る。
「なに、ご褒美って」
 たちまち不審な顔をする麻斗に、「へっへーん」と満足げな表情の夏実は、ごそごそと自分の通学鞄に手を突っ込んだ。
「絶対欲しがるから! 保証する!」
 やけに自信満々な彼女が勢いよく取り出したのは、長方形の紙切れだった。水色の紙には細かな字で、何ごとかが書かれている。立ち止まった麻斗は、鼻先につきつけられるその紙の文字を目で辿り呟いた。
「市民センター……七夕の……音楽会」
「そう! 今度の七月七日!」
 受け取りかけた彼の手から、ひょいとそのチケットを自分の元に取り戻すと、いたずらっぽく笑う彼女は不敵な目をする。
「うちのお母さんが買っててくれたんだ。生協のチラシに載ってたからって」
「なんで、わざわざ先輩の母さんが」
「この前うち来たとき、話してたじゃん。まだピアノやってるって。そしたら、麻斗が行きたがるんじゃないかってね、覚えてたみたい」
「ほんとに頭が上がらないなあ……」
 唐突な訪問にも関わらず、嫌な顔ひとつ見せず夕飯を振舞ってくれた上に、何気ない話を記憶して気を回してくれるのだ。他人の子どもにそうそうこんなことは出来ないと、麻斗は感嘆した。
「そして、なんとなんと、これが二枚あるんだなあ。これって、私と君でちょうどだよねえ」
 にやにやと笑いながら、チケットの裏をめくり詳細を読んで聞かせる。
「おおっとお、ショパンだって。ふむふむ、それならピアノ曲だねえ」
「夏実先輩はギタリストじゃないですか」
「私だってクラシックも聴くし。ピアノだって好きだし。こんなチケットなんかあったら、行くに決まってるじゃんか」
 ゆっくりと歩き出すのに、麻斗も仕方なくついて歩く。散々彼女につき合わされている彼には、次に出てくる台詞が嫌でも想像できる。
 だから先に口を開いた。
「条件は何ですか」
「さすが麻斗くん。私のことよく分かってるねえ」
 あっさり渡す気など見せない夏実が、ただでチケットを譲るはずがない。そこには交換条件が存在した。指の間に挟んだチケットを、ぴらぴらと顔の横で振りながら、夏実はにやりと笑ってみせる。嫌な予感がする、と麻斗は口に出さずに呟く。
「私と付き合ってよ」
 その予感は見事的中した。
「やだ」
「あっそう。ふーん。じゃあこれはあーげない! さてさて、どーしよっかなあ。茜誘っていこうかな。麻斗は都合悪いみたいだからさあ」
「くっ……」
 即答した麻斗は、珍しく悔しそうに奥歯を噛み締める。この小さな街では、音楽会が開かれることなどそうそうない。それもピアノ限定の演奏会となれば更に珍しい機会だった。ピアノ弾きの彼が悔しがるのも当然だ。
「あーあ、残念。全く強情なんだから。ちょっと肯けば、はいはいってあげるのに。次はいつになるのかなー」
 夏の虫のように鬱陶しく付きまといながら口を尖らせる。残念残念と歌のように口ずさんで顔を寄せる彼女は、急に立ち止まった麻斗の横で同じように足を止めた。彼はふうと息を吐いて、ゆっくりと瞼を閉じたのだ。
「……どしたの?」
「目瞑ってるから、ぼくの耳を潰して。欲しくならないように」
「怖すぎでしょ!」
 彼の過激な冗談にぎょっと目を丸くした彼女は、これみよがしに大きくため息をついた。
「もー。まったくもう! 仕方ないなあ。そんなに嫌かい。わかった、わかりましたよ! あげるよ、あげますよ、ほら」
 目を開けた彼の眼前にチケットをずいと突きつける。鼻の頭が紙で切れてしまいそうな距離感に彼がそれを受け取ると、ふんと鼻を鳴らして不満げに頬を膨らませる。
 だが、次に彼が瞬きをする瞬間にその不機嫌を打ち消し、彼女はへらりと笑ってみせた。
「ま、麻斗にって、渡すためのチケットだもんね。七夕、予定空けといてよ。絶対忘れないでよね!」
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