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1 幽霊になった
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「えええええっ!?」
絶叫が喉を震わせた。多分震えた、と思う。
朝起きて、ベッドから下り立って見下ろした俺の足は、消えていた。制服の膝から下が火のついたろうそくを逆さまにしたように、薄くなってぼやけていた。足首から先はもう存在しない。
「かーさん! かーさん、かーさん!」
咄嗟に母親を呼びながら部屋を飛び出し、階段を駆け降りた。足がないのに駆け下りたなんて、おかしいけど。
「足が! 足がないんだけど!」
俺は部屋に飛び込んで、更に目の前の光景に言葉をなくした。あの気丈な母さんが、テーブルについて泣いている。その背中に手を当てて、スーツ姿の仕事前の父さんが慰めている。
何をしてるんだと思って顔を上げると、向こうの部屋に見覚えのない仏壇が見えた。黒いそれの中には、しょっちゅう鏡で目にする顔。
「えええええっ!?」
俺の叫びは、誰にも届かなかった。
俺は、死んでいた。
享年十六。地元の高校に進学して三ヶ月。どうやら、下校中に歩道橋の天辺から足を滑らせて落ちたらしい。
試しに何日か学校に行ってみたが、教室に入って周りの奴に声をかけても誰も反応しなかった。授業中に教室をうろついても、教師含めて全員ガン無視しやがった。仲のよかった奴をどついてみると、腕が透けてそいつの体に吸い込まれた。きもちわる。
昼間っから街を徘徊しても見向きもされない。信号を破っても平気で俺の体を車がすり抜けた。犬や猫にはやたら吠えられた。
マジかよ。俺ほんとに死んだのかよ。
疲労感を求めてひたすら歩いてみた。案の定、幽霊の俺が疲れるはずがなく、街をぐるぐる回りながらやがてはずれにある灯台にたどり着いていた。
随分前に役割を終えた灯台は、既に灯など点らなくなっていて、足下にはどこぞの不良の落書きが鮮やかだ。
展望台からは曇り空の海が一望できる。灰色の海面が打ち寄せては引いていくのを、どれだけ眺めていただろうか。
「帰るか」呟くたびに寂しさがひしひしと湧いてくる。まったく、何で死んでまでこんな思いしなくちゃならねえんだよ。というか俺は、どこに帰るつもりなんだよ。
律儀に、鍵の壊れたドアを通り抜けようとしたとき、それが内側から音を立てて開かれた。
目の合ったそいつは、悲鳴を上げていた。
「見えるのか? 俺のことが見えるのか!」
咄嗟に相手の両手を握ろうとして、すり抜けた。それでも俺の姿が見えるやつがいるなんて!
「マジか! いやーよかった、目覚めてからずっとひとりだったんだよ! なあ、見えてるんだろ、なあ!」
歓喜に沸く俺に押され、そいつはこくこくと首を縦に振る。その顔をじっと見て、「あれ」と俺は首を傾げた。相手も震える声をやっと振り絞る。
「はっ、羽月くん、だよね」
俺がじろじろ見ているのに気がつくと、彼女は何故か両腕で抱いていたノートを慌てて鞄につっこんでひきつった笑みを浮かべた。
クラスメートの「朝比奈かすか」。霊感少女、もとい幽霊少女と名の付く彼女だった。
なんと彼女には、学校にいたときから俺の姿が見えていたらしい。
「なんで何も言ってくれなかったんだよ」
俺が抗議すると、彼女は「だって」と口を尖らせた。
「学校であまりそういう話したら、何言われるかわからないし」
今は、まさか俺がいるなんてちっとも思っていなかったから、驚いて声がでてしまったのだという。
俺は元々霊感なんて端っから信じちゃいなかったから、彼女に幽霊が視えるという話もちっとも信じなかった。だけど今はもう、俺は彼女にすがるしかないのだ。
というわけで、俺は朝比奈につきまとうことにした。
「四十九日経ったら、成仏できる、と思う。多分」
「嘘だろ、あと一ヶ月もあるじゃんか。何か他に方法ないのかよ」
「私、視えるだけでそういうの詳しくないから……」
はえー、と俺はため息をつく。まあ、認識してくれる相手が見つかっただけよかったんだけど。
翌朝の通学路、朝比奈かすかは、噂の幽霊少女の名に恥じず静かで無口だった。俺は彼女の一日に注目したことなんてなかったけど、なるほど、これはその通りだ。
朝の挨拶を交わす相手もなく、授業中は勿論、昼の弁当もひとりでさっさと済ませ、まるで幽霊のように教室から図書室に移動していた。声を出したのは、「ワイイコール三です」「形容詞です」の二言だけ。俺は彼女が授業中は眼鏡をかけていることを、死んでから初めて知った。放課後になると、黒板にぶらさがって前の奴の話を盗み聞きしていた俺が気づかないうちに、そそくさと教室を出ていってしまう始末だ。
俺は他人事ながら、これはまずいぞ、と思った。こんなの全然楽しくない。帰り道にそれを言うと、案の定、余計なお世話という顔をされた。
「俺が何とかしてやろうか」
「何とかって、どうやって」
鳴らない指を鳴らして訝しげな彼女に不敵に笑ってみせると、俺はぴょんと飛び上がった。いやもう浮いてんだけど。
そのまま彼女の身体と重なって、所謂とりついて右手を挙げる。突然の行動にびっくりした彼女が逆らう力を感じながら、その手をグーパーと動かしてみせた。朝比奈に会う前、幽霊ならできるだろうかと見知らぬ通行人で試してみた成果だ。見事、幽霊の俺は、短時間なら相手の身体を乗っ取ることができるようになっていた。
「なにするの」
身体を解放してやると、すれ違う親子連れに怪訝な顔をされた彼女はじろりとこっちを睨みつけた。それが面白くて俺は大声で笑ってしまう。
絶叫が喉を震わせた。多分震えた、と思う。
朝起きて、ベッドから下り立って見下ろした俺の足は、消えていた。制服の膝から下が火のついたろうそくを逆さまにしたように、薄くなってぼやけていた。足首から先はもう存在しない。
「かーさん! かーさん、かーさん!」
咄嗟に母親を呼びながら部屋を飛び出し、階段を駆け降りた。足がないのに駆け下りたなんて、おかしいけど。
「足が! 足がないんだけど!」
俺は部屋に飛び込んで、更に目の前の光景に言葉をなくした。あの気丈な母さんが、テーブルについて泣いている。その背中に手を当てて、スーツ姿の仕事前の父さんが慰めている。
何をしてるんだと思って顔を上げると、向こうの部屋に見覚えのない仏壇が見えた。黒いそれの中には、しょっちゅう鏡で目にする顔。
「えええええっ!?」
俺の叫びは、誰にも届かなかった。
俺は、死んでいた。
享年十六。地元の高校に進学して三ヶ月。どうやら、下校中に歩道橋の天辺から足を滑らせて落ちたらしい。
試しに何日か学校に行ってみたが、教室に入って周りの奴に声をかけても誰も反応しなかった。授業中に教室をうろついても、教師含めて全員ガン無視しやがった。仲のよかった奴をどついてみると、腕が透けてそいつの体に吸い込まれた。きもちわる。
昼間っから街を徘徊しても見向きもされない。信号を破っても平気で俺の体を車がすり抜けた。犬や猫にはやたら吠えられた。
マジかよ。俺ほんとに死んだのかよ。
疲労感を求めてひたすら歩いてみた。案の定、幽霊の俺が疲れるはずがなく、街をぐるぐる回りながらやがてはずれにある灯台にたどり着いていた。
随分前に役割を終えた灯台は、既に灯など点らなくなっていて、足下にはどこぞの不良の落書きが鮮やかだ。
展望台からは曇り空の海が一望できる。灰色の海面が打ち寄せては引いていくのを、どれだけ眺めていただろうか。
「帰るか」呟くたびに寂しさがひしひしと湧いてくる。まったく、何で死んでまでこんな思いしなくちゃならねえんだよ。というか俺は、どこに帰るつもりなんだよ。
律儀に、鍵の壊れたドアを通り抜けようとしたとき、それが内側から音を立てて開かれた。
目の合ったそいつは、悲鳴を上げていた。
「見えるのか? 俺のことが見えるのか!」
咄嗟に相手の両手を握ろうとして、すり抜けた。それでも俺の姿が見えるやつがいるなんて!
「マジか! いやーよかった、目覚めてからずっとひとりだったんだよ! なあ、見えてるんだろ、なあ!」
歓喜に沸く俺に押され、そいつはこくこくと首を縦に振る。その顔をじっと見て、「あれ」と俺は首を傾げた。相手も震える声をやっと振り絞る。
「はっ、羽月くん、だよね」
俺がじろじろ見ているのに気がつくと、彼女は何故か両腕で抱いていたノートを慌てて鞄につっこんでひきつった笑みを浮かべた。
クラスメートの「朝比奈かすか」。霊感少女、もとい幽霊少女と名の付く彼女だった。
なんと彼女には、学校にいたときから俺の姿が見えていたらしい。
「なんで何も言ってくれなかったんだよ」
俺が抗議すると、彼女は「だって」と口を尖らせた。
「学校であまりそういう話したら、何言われるかわからないし」
今は、まさか俺がいるなんてちっとも思っていなかったから、驚いて声がでてしまったのだという。
俺は元々霊感なんて端っから信じちゃいなかったから、彼女に幽霊が視えるという話もちっとも信じなかった。だけど今はもう、俺は彼女にすがるしかないのだ。
というわけで、俺は朝比奈につきまとうことにした。
「四十九日経ったら、成仏できる、と思う。多分」
「嘘だろ、あと一ヶ月もあるじゃんか。何か他に方法ないのかよ」
「私、視えるだけでそういうの詳しくないから……」
はえー、と俺はため息をつく。まあ、認識してくれる相手が見つかっただけよかったんだけど。
翌朝の通学路、朝比奈かすかは、噂の幽霊少女の名に恥じず静かで無口だった。俺は彼女の一日に注目したことなんてなかったけど、なるほど、これはその通りだ。
朝の挨拶を交わす相手もなく、授業中は勿論、昼の弁当もひとりでさっさと済ませ、まるで幽霊のように教室から図書室に移動していた。声を出したのは、「ワイイコール三です」「形容詞です」の二言だけ。俺は彼女が授業中は眼鏡をかけていることを、死んでから初めて知った。放課後になると、黒板にぶらさがって前の奴の話を盗み聞きしていた俺が気づかないうちに、そそくさと教室を出ていってしまう始末だ。
俺は他人事ながら、これはまずいぞ、と思った。こんなの全然楽しくない。帰り道にそれを言うと、案の定、余計なお世話という顔をされた。
「俺が何とかしてやろうか」
「何とかって、どうやって」
鳴らない指を鳴らして訝しげな彼女に不敵に笑ってみせると、俺はぴょんと飛び上がった。いやもう浮いてんだけど。
そのまま彼女の身体と重なって、所謂とりついて右手を挙げる。突然の行動にびっくりした彼女が逆らう力を感じながら、その手をグーパーと動かしてみせた。朝比奈に会う前、幽霊ならできるだろうかと見知らぬ通行人で試してみた成果だ。見事、幽霊の俺は、短時間なら相手の身体を乗っ取ることができるようになっていた。
「なにするの」
身体を解放してやると、すれ違う親子連れに怪訝な顔をされた彼女はじろりとこっちを睨みつけた。それが面白くて俺は大声で笑ってしまう。
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